<692> 万葉の花 (101) ひえ (稗、比要)= イヌビエ (犬稗)
稗田あり 丹精の父 思ひ出す
打つ田には稗は数多にありといへど擇(え)らえし我そ夜を一人寝る 巻十一 (2476) 詠人未詳
水を多み高田(あげ)に種蒔き稗を多み擇擢(えら)ゆる業(なり)そ吾が独り寝る 巻十二 (2999) 詠人未詳
集中にひえの見える歌はここに記した二首をあげることが出来る。二首はともに寄物陳思(物に寄せて思いを陳べる)の項に見える歌で、「選ばれる」という意の「擇」という言葉に女性の思いが見て取れる共通点を持つ類似歌であるのがわかる。
で、2476番の歌の「擇らえし」も2999番の歌の「擇擢ゆる」も、ともに「選び取られる」との見解もあるが、「選び捨てられる」という正反対の意によってこの二首はあるとも見て取れる。よって2476番の歌は「耕す田に稗は沢山あるけれども、その中から選ばれて捨て置かれた私は夜を独り寝ていることです」という意になり、見捨てられた女性がその歎きを「ひえ」に重ねて詠んだということになる。
また、2999番の歌も「水の多い上の高い所の田に種を蒔いたが、稗が多くて、その稗は選び捨てられる。そのような田仕事に見られるように、選別して捨てられる稗と同じく、自分は見すてられ、独り寝をすることです」というほどの意に解される。因みに、ここに詠まれている「種」というのは稲の籾を言っているものである。
これらの万葉歌に見えるひえは、雑穀でお馴染みのイネ科の一年草で知られるヒエ(稗)のことで、ヒエは大きくわけてヒエの原種に当たる野生のイヌビエ(犬稗)とイヌビエから改良されて、穀物を目的に栽培されるヒエ(ハタビエ・タビエ)とが見られる。イヌビエはノビエ(野稗)、クサビエ(草稗)と言われ、原野や道端、溝辺などに広く自生し、水田などにも侵入して稲作に支障を来たすので農家は害草として扱っている。
前述の通り、イヌビエはヒエの原種で、有史前に帰化した植物と考えられ、稲よりも前に食用とされていたことが、縄文時代の遺跡で知られる青森市の三内丸山遺跡の出土物にその実が見られることによって説明されている。長い茎の先端部に夏のころ穂状に花を咲かせ、沢山の粒状の実をつける。
稗は漢名で、『倭名類聚鈔』(平安時代)に「左傳注云 稗音俾 比衣 草之似穀者也」と見えるごとく、「ひえ」の呼び名は稗(ひ)の字音から来ていると言われる一方、日毎に栄え育つ日得(ひえ)によるなど、和名の「ひえ」には色々な説が出て、今日に至っている。
また、ヒエは実が堅く、米などより腐り難いため、保存性に優れ、稲が不作のときなどに貯めて用いる救荒穀物として重宝された時代もあった。だが、自生するイヌビエは雑草として捨て置かれ、現在も同様であるが、水田などに紛れ込んだものは抜き捨てられるという次第で、稲作が十分に行き届くようになってからはほとんど無用とされるに至った。
『万葉集』の二首に登場するひえの「選び捨てられる」という見解は、この捨て置かれるイヌビエをもって、その立場にある女性の境遇を歎く思いの言葉に用いられたわけである。なお、「擇」を「選び取られる」とする見解によって考察するならば、当時は稲田に生え出して来るヒエも抜き捨てず、いいものは選んで残し、雑穀として収穫したというふうに見て取るわけで、そのように考えられなくもない。果してどうなのであろうか。
とにかく、『万葉集』の二首からは、当時におけるヒエ(イヌビエ)の存在というものがわかる気がする。ともに詠人が不明の歌であるが、どのような人物によって詠まれたものなのか。この点もこのひえを詠んだ二首には関心が持たれるところである。
なお、蛇足であるが、選択するという意の「える」は「よる」とも言われ、「選(よ)り分ける」という言い方で用いられる。昔のことであるが、私の母はよく収穫した菜種や小豆などを天日干しにし、混在する簸屑(ひくず)を選り分けていた。この母の思い出に繋がる歌を以前作ったことがあるが、ひえの万葉歌にその歌が思い出された。 立葵咲く六月の思ひ出は踞りつつ簸屑選る母 これがその歌であるが、懐かしい。写真は水田脇で穂を実らせ始めたイヌビエ(左)とイヌビエの変種ケイヌビエ(毛犬稗)の花穂。