ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

続、チェア・パースンを臨時代行

2019-03-29 06:27:35 | 自助会
 AAのミーティングについてです。ここ2週連続してチェア・パースンと司会の一人二役を何とかこなしてみました。正規のチェア・パースン(世話役)が休みを取りたいというので私が臨時代行に指名されたのです。司会の方は4回ほど経験済みでしたがチェア・パースンは初めてでした。

 指名されるまで私の抱いていたチェア・パースンの役割は以下のようなイメージでした。

 まず、会場の設営はグループメンバーの常連仲間が分担してやってくれるので、チェア・パースン(世話役)が出しゃばる場面はないということ。で、チェア・パースンの役割を極言すれば、初めに開会宣言と司会者の指名をやり、会の最後に閉会宣言と他グループからの連絡事項を促すぐらいのことで済み、その他の実質的な進行役は司会者がやってくれるので楽なもの。そんなふうに考えていました。

 実際に代行をしてみたら概ね想像していた範囲内のことで済みました。ただし、チェア・パースン本来の役割は、グループ内の会計処理(AAセントラル・オフィスへの献金、資料の取り寄せ、会場使用料、etc)を一手に引き受け、縁の下の力持ちで地味な役割ということです。このことを間接的ながら実感させられました。

 さらに重要な役割は司会者の指名です。お眼鏡にかなった人物が指名されるので、ミーティングの雰囲気もチェア・パースン色に染まるのは避けられません。こうして、チェア・パースンの人柄がミーティング全体の空気をも左右するわけです。これも私の実感です。

 それはさておき、改めて気づかされたのは司会者のあるべき心構えです。一言でいえば、唯々淡々と進行役に徹するということでしょうか。

 進行役ですから次の発言者を誰にするか、絶えず顔を見ながら考えなくてはなりません。黙想して話に聞き入るなんて、まず不可能です。

 聞き手でいたらまどろむこともあるので、健やかに眠れるからミーティングは良いとうそぶく人もいますが、そんな贅沢も許されません。黙想などはキッパリ諦める、このことを痛感させられました。

 次に、司会者が導入として話す内容です。決して講釈にならないよう、自分の過去・現在の体験をできるだけありのままに話すことを心懸けるべきと思いました。その一方で、聞き手が理解しやすいよう話に多少の脚色も必要で、その方がバカ正直に話すよりもわかってもらいやすいようです。

 言い換えれば、他人事みたいにチョット突き放し、距離を置いて自分の過去・現在を語ることでしょうか。ひとりの発言者として話すときは、自分の過去との対話だけに集中すべきですが、司会者としてはテーマの意図を理解してもらうことが一番なのです。こんなことも司会者の大切な心構えだと思い知らされました。

 さて、肝腎の参加者数ですが、一回目は18名、二回目は19名でした。二回目に一体何人参加してくれるのか気がかりでしたが、まずまずの盛会でホッとしたのは言うまでもありません。



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春の風物詩に異変が

2019-03-26 06:01:07 | 世相
 奈良東大寺の “お水取り”(3月1日~14日)と言えば関西を代表する春の風物詩ですが、これが終わると本格的に暖かくなると言われています。これに劣らず有名なのがイカナゴの “くぎ煮” です。私の住む阪神地域ではこちらの方がより生活に密着した春の風物詩となっています。

 “くぎ煮” というのは、生の新子を醤油・ザラメ・生姜または山椒の実で煮詰めたもので、できあがりが折れた釘のように見えるためこう呼ばれています。例年、煮詰めているときの甘い臭いが台所から漂ってくると春の訪れを実感できますし、新子漁が終わる頃にソメイヨシノの開花が始まるのも恒例です。

 今、このイカナゴの新子漁に異変が起きています。今シーズン最初の昼網では店頭価格が何とキロ¥3480でした。キロ¥700ぐらいだった数年前(?)のことを思えば約5倍に跳ね上がっています。

 例年、漁が進むにつれ値段も下がるのですが、23日時点でもキロ¥2580でした。今シーズンの漁が25日に終わって、今年は庶民にとって高嶺の花のままで終了しました。明らかに不漁のため高騰したのです。

 この “くぎ煮”、我が家では自家用として食卓に並ぶばかりか、息子達の所や彼らの嫁の実家にもお裾分けするのを恒例としていました。が、今年の値段ではさすがに厳しく、やむを得ずお遣い物のためにだけ買うことにしました。出来合いの “くぎ煮” なら330 gで¥3000弱ですから、まだ新子を買う方が安く済みます。

 イカナゴの新子の不漁も海水の温暖化のせいと言われてはいます。このままでは誰が見ても漁が先細りとなるのは明らかで、愈々庶民の味にはほど遠いものになりつつあります。それでも店頭に出た物はすべて完売となるほどの人気です。この根強い人気が風物詩たる所以でしょうか。

 漁師をはじめ水産加工業者の方には酷ですが、ここは思い切ってシーズン全部をしばらく休漁すべきではないでしょうか。そうでもしなければ益々ウナギの二の舞になりそうで、その方が庶民にとってもよっぽど酷だと思うのですが・・・。



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チェア・パースンを臨時代行

2019-03-22 06:10:26 | 自助会
 AAのミーティングで私が初めてチェア・パースン(座長)を臨時代行したときの話です。

 正規の座長がいつもするように開会の辞から始め、注意事項の伝達、『アルコホーリクス・アノニマス』ハンドブック序文と第○章の朗読、テーマ設定、それから導入にと私の体験談の順に進め、どうにかメンバーの体験談に繋げることができました。

 トップバッターに指名した人が話していたときでしょうか、遅れて会場に入ってきた男性がいました。一瞬躊躇っていたようですが、私の左前の席が空いていたのでその席に着きました。

 席に着いても落ち着かない様子で、首に巻いたマフラーを結び直してみたり、それを解(ほど)いてテーブルに置いてみたりしていました。明らかに初参加の新人さんに見えました。

 ただし、断酒したての人とは目が違っていました。断酒を始めた頃なら普通、何か不安に怯えてオドオドし、どこか虚ろな目をしているものですが、いかにも興味津々といった目でマジマジと発言者を見ていました。どう見ても健全な好奇心の持ち主であることがアリアリなのです。

 周りにいるのが皆アル中ですから、健常者なら当然のことと考えればいいものを、迂闊な私はこんな珍しい新人さんも中にはいるぐらいにしか思っていませんでした。まぁ、これも “思い込み” です。ただ、顔に陰りがなく肌も艶々していたことに違和感がありました。

 会も半ばとなったとき、献金箱を回す際に全くの初参加かを彼に尋ねてみました。その通りと言うので初参加者に配る資料セットを渡し、簡単に説明もしました。彼は黙って聞いているだけでした。

 会も終盤になったとき、いい頃合いだと思い彼に発言を促してみました。
「実は、私の友人がアル中になってしまい、友人宅の近所にある患者自助会とはどういう所か参考のため見学しに参りました。・・・」
「もっと早く言えよ!」思わずこう呟きそうになりました。

 臨時代行を引き受けたとき、私が一番に懸念していたのは初参加者への対応でした。新人用にと資料も揃えてくれていましたし、周りのベテランメンバーが “あんじょうよく” 支えてくれるからと言うので引き受けたのですが、まさか健常者参加するとは考えもしませんでした。

 この時も周りのベテランメンバーと目配せしながら応対したのですが、健常者とわかってからも彼らはケロッとしたものでした。こんなイイカゲンさがAAの良いところです。先ずは結果が一番、メデタシ、メデタシでした。



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オートファジーでも喰えないレビー小体?

2019-03-19 05:59:45 | 雑感
 先々週のNHKの番組『ガッテン!』でレビー小体のことをやっていました。どこかで聞いたことがあると思ったら、以前いただいたブロ友のコメントに思い当たりました。
 
 認知症で亡くなった姉の四十九日が過ぎた頃、追悼にと書いた記事にコメントをいただいたのですが、パーキンソン病と幻視からしてレビー小体型認知症ではないかという指摘でした。認知症にそんな病型もあるのかと、そのときはあまり気に留めないでいました。

 レビー小体というのは神経細胞内に見つかる円形のタンパク質のゴミ(?)のことだそうです。このタンパク質のゴミが、パーキンソン病では脳幹の神経細胞内に、レビー小体型認知症(レビー小体病)では大脳皮質の神経細胞内にそれぞれ見つかるのだそうです。

 細胞内のゴミの始末屋と言ったら、2016年ノーベル医学生理学賞を受賞した東京工業大の大隅良典栄誉教授のオートファジー(自食作用)が知られています。レビー小体は、このオートファジーでも喰えない手強いものなのでしょう。お陰でオートファジーについても理解が進みました。

 ところで認知症といえばアルツハイマー病ですが、このアルツハイマー病では神経細胞外の脳組織に溜まるアミロイドβというタンパク質のゴミが原因とみられています。これに加えて神経細胞内のタンパク質のゴミ=レビー小体も認知症の原因になるようです。

 認知症の60~70%はアルツハイマー病が占め、レビー小体病はせいぜい5%程度だと言われています。認知症の大部分を占めるこれらの病型は、不要品となったタンパク質のゴミが原因というのですが、むしろ老化によるゴミ処理能力の衰えこそが真の原因と解釈すべきでしょう。年老いてからゴミの始末屋に目覚め、道のゴミ拾いを日課にしている私としては何とも嘆かわしい限りです。

 参考までに認知症の特徴的な症状を病型別に挙げておきます。(発症した本人に病気という自覚はありません、念のため。)


 アルツハイマー病 : 直前に起きたことも忘れる もの盗られ妄想 徘徊
 レビー小体病 : とても生々しい幻視 うつ状態
 脳血管性認知症 : 物忘れなどが出たり出なかったり、まだらに症状が出現



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参加し続けられるか否かの分岐点 “私も同じ”

2019-03-15 06:25:57 | 自助会
「アルコール依存症(アル症)の回復には自助会が一番です。是非、自助会に参加してください!」

 1クール3ヵ月のアル症治療が終わる頃から、専門クリニックで口酸っぱく勧められたのがこの患者自助会への参加でした。私もその言葉に素直に従い、断酒6ヵ月目から定期的に自助会AAに参加するようになりました。

 ミーティングに参加してみて最初に感じたのは、「何だ、この禅問答みたいな会合は?」でした。“今日一日”、“第一のことは第一に” など、出されるテーマが公案みたいでしたし、それに即座に応じてメンバーの人々がそれなりに発言できていることにも違和感がありました。

 語られる体験談の内容にもビックリさせられました。私も酒には散々酷い目に遭ってきましたが、体験は人それぞれで「私とは違う」と思わされることがしばしばありました。そんな場違い感が募って、中には急に来なくなった人もいたのかもしれません。

 それが1年ぐらいしてからでしょうか、人の体験談に「あるある、私も同じ」と思えることが多くなってきました。どうやらアル症者の体験には芯の部分に共通したものがあり、それが埋もれていた記憶を呼び起こして共感させるようなのです。そして、その共感から一歩飛び越えて連帯感を持つに至るまでは一直線です。この過程で “仲間” 意識が生まれるのだと気づかされました。

 “私とは違う” から “私も同じ” への転換、これがミーティングに継続参加できる分岐点ではないかと思います。元々が身勝手で、人が思い通りにならないと不満や不安を募らせるのがアル症者です。そんなアル症者にとって、連帯感は不安を払拭して安心感をもたらしてくれるものです。

 記憶機能と社会参加意識の回復、これがアル症者の回復には不可欠だと思います。人としっかり繋がっているという連帯感は社会参加意識の第一歩です。こんなところにも自助会の存在意義があるのでしょう。

 医学は、アルコール依存症(アル症)からの完全回復には無力のようです。回復は患者自助会に委ねているのが現実です。

 酒を断った直後2週間ほどの急性離脱期や内蔵機能の回復に要する3ヵ月ぐらいまでの間なら医学も十分力を発揮するのですが、その後の急性離脱後症候群(PAWS)に有効な手段を医学は持ち合わせていないのです。その医学の弱点を補い、アル症者の回復を担っているのが患者自助会なのではないでしょうか。



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確定申告会場で

2019-03-12 06:03:18 | 世相
 今年の確定申告も残すところあと3日となりました。皆さん、もうお済みでしょうか? 医療費控除と寄付金控除を受けようと、私の方はついこの間済ましたばかりですが、そのときこんな光景に出くわしました。

 朝の8時半に会場に着いたとき、会場外の待合はもう100人ほどの人々でごった返していました。先ず必要書類の点検待ち整理券を受け取って待合で待機、書類点検が済んだら次のPC入力の整理券を受取ってもう一度待合で待機という混雑振りでした。

 PC入力の順番待ちのため待合の椅子に腰掛けて新聞を読んでいたら、会場出入り口の方角から大きな声がしました。

「どうしてこんなに待たされるんだ? こんなに混んでいるのは段取りが悪いからじゃないか?」
声の主はと目を向けると、スーツ姿の、髪の毛が薄くなり始めた50がらみの男が案内係の税務署員に詰め寄っていました。

 自分としては朝早くやって来たつもりなのに、混雑した会場を見て仰天したのでしょう。どうやら元々虫の居所が悪かったらしく、税務署員相手をいいことに腹立ち紛れに難癖をつけ、あわよくばゴネ得しようとしか見えませんでした。

「まぁまぁ、ご覧のように皆さんもお待ちですから・・・」件の税務署員はそう言って宥めていました。
「皆が大人しく待ってるからって、単なる言い訳だろうが?! そんな理屈は通らない。上司を呼べ、上司を!」大声で叫んでいるうちに益々興奮してきたようで、口調が愈々殺気立っていました。

 男はしばらくそのまま喚き散らしていたのですが、応援に来た税務署員に促されてその場を離れて行きました。そのときです。

「ゴネ得しようなんて、そうはいかないよ~」それまで黙っていた観客(?)が、男の背中にそんな言葉を浴びせていました。盛んに喚いていたときならともかく、その場を離れようとしていたときなので後味の悪い思いが残りました。

 朝っぱらから何とも浅ましい光景を目にしたものですが、その後の申告作業の方はうまく進んで無難に終えることができました。昼飯代やら、タバコ代やら、おやつ代やら・・・、お陰様で小遣い2週間分に当たる還付金にありつけました。



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つい、偏った思いが・・・?

2019-03-08 05:52:35 | 雑感
 私が老けて見られるのは今に始まったことではありません。亡くなった父親も若い頃から老けて見られていたので、これも遺伝なのかもしれません。今回は、そんな私の老け顔についての話です。

 またまた週に1回巡回しているゴミ拾いコースでのことです。公園近くのコープの店頭で偶然、公園でよく見かける老人に出会いました。コープには再生資源ゴミの回収箱が設置されているので、巡回途中で必ず立ち寄る場所になっています。

 老人はベンチに座って一服していました。私の方はゴミで一杯になった大きなレジ袋を3つぶら下げていました。ペットボトルや缶コーヒーの空き缶が入ったものが2つ、菓子袋などの可燃ゴミが入ったものが1つ、これもほぼいつも通りでした。

「ようけ拾って、またあの公園で?」老人の方から声をかけてきました。
「あの公園では皆さん、お行儀がイイですから・・・」と私。
「毎週やってもらっているようだけど、もう何年になる?」
「あと少しで4年です。なに、飲んだくれていた頃の罪滅ぼしですよ。」かつての私の姿を思い出してもらおうと、こんなふうに匂わしてみました。
「ほぉ、もう4年、そんなになるか?! ・・・ところで歳はいくつ?」
「68(歳)になったばかりです。」
「エッ、そんなに若いの? もっと(歳が)いっているかと思った。私は80(歳)、昭和14年生まれ。」
「丁度、一回り違うんですねぇ! しかし、おじさんはまだ70(歳)そこそこにしか見えませんよ。・・・ どうも私は他人から老けて見られるようで。」
「まぁ、貫禄がありそうに見えていいんじゃないの?!」

 これがなぜか真逆の意味の皮肉に聞こえたので、思わず苦笑いしてしまいました。このことが心に引っかかり、帰宅してからもしばらくモヤモヤしていました。

 件の老人と公園で顔見知りになってから、もうかれこれ15年ぐらいになります。いつも午前10時ぐらいからお昼前まで、公園に三々五々集まって来る数人の仲間と談笑するのが日課のようで、今もそれが続いています。

 彼は主に聞き役なのでゴミ拾いをしている私としばしば目が合い、それで会釈を交すという関係になりました。そんな間柄ながら、まともに話をしたのは今回が初めてでしょうか。

 仲間は元の会社の同僚らしく、昔話に夢中なのか辺りにゴミが散らかっていようが誰も気にしません。もちろん、私が近くでゴミ拾いをしていても黙って見ているだけです。そのことを私は内心忌々しく思っていました。

 どうやらこの思いが屈折して潜んでいたようです。「元気そうに見える」と言われて気分を害する人はいません。それと同じ悪気のない言葉を皮肉と聞こえてしまうのは “思い込み” の所為です。やはり “思い込み” とは厄介なもの、改めて考えさせられました。

 私は誰からも老けて見えるらしく、実年齢を言うと皆が皆ビックリします。「白い髭を生やしているせいだろう」と、ついこの間もAAの仲間に慰められた(?)ばかりです。

 冷静になってみれば「貫禄がありそうに見えて・・・」はさすがに年の功と思いました。咄嗟にしては、よく玉虫色の表現が出たものだと感心しました。



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公園のトイレが建て替えに?

2019-03-05 06:07:46 | 世相
 久々ですが、週に1回巡回しているゴミ拾いコースでの話です。コース途中にある公園は、以前に比べたら大分マシになったのですが、今でも利用者のマナーの悪さは折り紙つきです。

 周辺部の植え込みにはいつも菓子袋やペットボトルが散らかっていて、西端にある二つの小さな東屋にもベンチ周りに缶コーヒーの空き缶が乱雑に放置されています。放置されている空き缶は10本ほどですが、そのどれもが灰皿代わりにされていて、そのままでは再資源化に回せません。中の吸い殻を全部振り落とさなければならないのでとても難儀しています。

 そんな公園にいつものように寄ってみると、トイレの小便器や個室のドアが緑色のガムテープで×印に封印され、使用禁止の貼紙もありました。どうやら建て替え工事が始まるようなのです。

 市内にある公園には原則、清潔なトイレが整備され、トイレットペーパーも完備されているのが市の自慢です。このトイレのお陰で、トラックやタクシーの運転士がどれほど救われていることか。もちろん、私のような一般市民にとっても、急に催した際にとても頼りになる存在です。飲酒していた頃は随分救われました。

 建て替え理由を強いて挙げれば、男女別や障害者向け多機能トイレの配慮がなされていなかったことでしょうか。既に建て替えの済んだ公園のトイレでは、いずれも利用者別の設備が新たに整備されていましたから、恐らく間違いないでしょう。

 バス通りに面した別の公園では、トイレの建て替えに約半年ほど要していました。ここでも同じぐらいの工期が見込まれると考えていいと思います。そうなれば、不便さとは別に気がかりなことが二つあります。

 ひとつはトイレのすぐ側にあるあの小さな東屋です。工事が始まれば東屋も利用できなくなるのでしょうか? そうなってくれれば、灰皿代わりの空き缶の処分にも手間が省けそうで楽しみです。

 もう一つ、トイレの側には桜の大木もあるのですが、果たして今年も花見はできるのでしょうか? 着工するのが花見の後だとありがたい。そんな手前勝手な思いがチラチラ頭をかすめた私でした。



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スマフォを巡る気がかりな報道二つ

2019-03-01 06:39:03 | 世相
 今や、スマフォなしでは日常生活が成り立たないと言われるぐらいに普及が進んだスマフォです。私はスマフォなしでも不便を感じていない少数派なので、スマフォの持つ負の側面の方につい目が行ってしまいがちです。
 
 そんなスマフォについて先週、注目すべき報道が二つありました。一つは小・中学生の学校へのスマフォ持ち込みを解禁する流れ、もう一つはスマフォ依存による脳疲労の問題です。

 前者は大阪府教育庁が 2019年度にも解禁する予定だそうで、文科省も見直しし始めるそうです。昨年あった大阪北部地震で、保護者から安否確認手段としてスマフォが是非必要との要望が高まったためということです。

 すでに小・中学生の半数以上がスマフォを持っているそうですから愈々、小・中学生世代の全体にスマフォ依存が蔓延する時代の到来となるのでしょうか。それが心配です。

 後者のスマフォ依存による脳疲労の問題はNHKの『クローズアップ現代+』という番組で知りました。脳が疲労すると注意力が散漫になり、見えているはずのものが見えなかったり、聞こえているはずの音(例えば野鳥の囀り)が聞こえなかったりするそうなのです。ついアルコール依存症(アル症)者に共通する感覚の鈍磨と同じでは、と思ってしまいました。

 何よりも恐ろしかったのは、肌身離さず持っているスマフォを取り上げられたときの精神状態です。スマフォなしだと何をしたら良いかがわからなくなり、間が持てなくてイライラし始めるそうです。これは明らかに禁断(離脱)症状で、アル症者が断酒中に襲われる “空白の時間” と正しく同じ症状なのです。こうなったら依存症の域に入ったと思ってまず間違いありません。

 まぁ、時代の趨勢ですから小・中学生がスマフォを持つのもやむを得ないと思います。そんな時代の到来を迎え、是非とも心しておくべきことが二つあります。

 ひとつは、スマフォ依存を防ぐため使用時間に強制的制限を設けることです。これは、使用アプリに時間制限プログラムを機械的に組み込むことで可能だと思います。すでにメーカー側でも検討に入っているようなので、一刻も早い実現化が望まれます。

 二つ目は、“書き言葉” の教育です。スマフォで交すコミュニケーションは殆どが文章で行っていると思いますが、果たして正確な “書き言葉” で交しているのでしょうか? 恐らく、“書き言葉” 特有のルールも知らずに “話し言葉” のノリでやっているのでは、と危惧しています。無邪気に “話し言葉” のノリで書いた文章なら、思いもしない誤解を生んで仲違いすることもあり得ます。

 その “書き言葉” 特有のルールとして最低限必要なものは二つだけと考えています。一つは修飾語の語順、もう一つは読点の打ち方です。

 先ず修飾語の語順ですが、守るべき基本は以下の2点だけで十分です。


 次いで、読点の打ち方の基本は以下の4点に尽きます。


 読点は息継ぎのための単なる符号ではなく、意味を正確に伝えるために必要不可欠な文字です。なお、事例に挙げた最後の一文は、読点がない所為で二通りの解釈が生じてしまうという有名な悪文例です。こんなムチャクチャな文にならないよう、読点の打ち忘れにはくれぐれも用心することが大切です。

 思えば小・中学生時代、作文は宿題に出たぐらいで作文する際のコツ、つまり修飾語の語順や読点の打ち方を授業でしっかり習った記憶がありません。これらは書いた文章を校正して貰うことで身につくもので、この訓練を繰り返すこと以外に有効な手段はないようです。

 私の書いた記事を一見しておわかりのように、“書き言葉” 特有のルールについてエラそうに言える器ではありません。が、文章によるコミュニケーション能力を少しでも高めるため、小・中学校の授業ではもっと作文と校正に力を入れ、実践的文章力を養うべきではないでしょうか。



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