ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

環境を変えて序列の殻を破る?

2019-01-29 06:58:47 | 雑感
 成人病(生活習慣病:高血圧、糖尿病、高脂血症)だと宣告されてからかれこれ20年経ちました。何のことはない、そうなった原因は酒。その酒を断った今でも糖尿病だけは唯一残っています。

 以来、県立病院に通院し続け、その間、医師が10人ほど交替したでしょうか。今診て貰っているのは女医の D 先生です。

 受け答えがシャキシャキして歯切れよく、患者の提案にも素直に耳を傾けてくれる、とても明るい美人の女医さんです。そんな彼女も4月から交替することになったそうです。大学の医局から派遣されている医師にはよくある話だと思いました。

「で、次はどこの病院に移られるのですか?」昔取った杵柄で、ついこう尋ねてしまいました。
「父が大津の石山寺近くで開業医をしているのでそこを継ぐことになります。当座はお手伝いぐらいにして、地元のアルバイトをしながらその内に本格的に交替しようかと・・・。」
「ほぉ、先生は大津のご出身、石山寺なら私も三十三カ所巡礼で4回ほど行ったことがありますよ。すると高校は膳所高ですか?」県下一の進学校で石山寺近くの高校という憶測から話をそう振ってみました。

「普通、そう思うわね。小中と国立大付属でしたから同級生はほとんどが膳所高ですよ。」
「てっきり私もそう思いました。」
「わたしね、膳所高に行っていたら埋もれていたような気がする。
 小中と一緒だった人たちとそのまま同じ高校に入ったら、同じ序列がそのまま続いていたと思うのよね。違う高校に行ったからその殻を破れた、だから今の自分があると思っているんです。」

 いい話が聞けました。それでつい、次の二つの諺を思い浮かべてしまいました。

 ひとつは “鶏口となるも牛後となるなかれ” です。どんな秀才の集まった組織でも、人の組織は上位層が3分の1、中間層が3分の1、劣等層が3分の1に分かれ、この序列は動かないものだと言われています。あの東大でさえこの法則から免れていないとも聞きました。それなら行く学校を変えればいい、若き日の D 先生はそれを実践したのだと思います。

 もう一つは “朱に交われば赤くなる” です。良い友達に恵まれれば人生にプラスになるだろう、私も普通にそう思って息子たちを私立の中高一貫校に入れました。その実、そこそこの進学校だからという単純な思惑が先立ってのことでした。親の発想なんてこんなものです。

 環境によって人は良い方にも悪い方にも変わり得ます。良いと思われる環境にも、幼少期にできあがった序列をそのまま引き摺ってしまうというありがたくない側面もあり得るわけです。

 人格の形成が環境によって左右されるのは間違いないとしても、自ら教育環境の方を変えたD 先生のようなケースは考えたことがありませんでした。

 人が寄れば暗黙の内に序列が生まれ、環境を変えない限り一旦できあがった序列の殻は破れない。これも人生の真理なのですね。



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人と目が合ったら少し口角を上げよう!

2019-01-25 06:42:18 | 雑感
 道で人とすれ違うとき、たまたま目が合ってしまうことがあります。大抵は、直ぐに目をそらして無表情で通り過ぎるのが普通と思います。中には少し顔をこわばらせる人もいるかもしれません。これが日本では普通にある、少し気まずい思いをする一瞬です。

 30代そこそこの若かった頃、仕事で米国に4回ほど行ったことがあります。ニューヨークにも1人で行きました。それぞれが1週間ほどの短期出張だったのですが、そのとき強く印象に残ったことがあります。

 たまたまエレベーターに乗り合わせただけなのに、たまたま目が合ったら見知らぬ外国人の私にもニッコリ微笑んでくれる人が多かったのです。さすがに素性の知れない移民同士の国、文化の違いを痛感させられました。

 最近のこと、見知らぬ婆さんと目が合ったせいでストーカーされたのにはさすがに応えました。そんな場面にまた出くわしたなら、コミュニケーションをどう取ろうか考えていたときです。ふとあの米国出張での体験を思い出したのです。「(目が合ったら、とにかく口角を上げてみよう!)」ひとまずこれを実行してみることに決めました。

 早速、そんな場面がありました。道でゴミ拾いをやっていると、向こう側からオバさんがやって来るのが見えました。怪訝そうな顔をしてこちらを見ているようなので、さっそく口角を上げてみました。するとそのオバさんも顔をほころばせてくれたのです。

 道で人とすれ違うときにたまたま目が合ったら、こちらから少し口角を上げてみればいいのです。そうすれば必ず向こうも返してくれるはずです。たったこれだけのことで、その場の空気が和みます。若い頃の体験は、こんなことにも役立つようです。

 話は変わりますが、一番下の孫が目出度く満1歳の誕生日を迎えました。今、この子の得意技はクシャ顔です。40年ほど昔、“クシャおじさん” というCMで人気者となった芸人がいました。アゴの骨をはずして顔を半分ぐらいに縮めることのできる特技の持ち主でした。

 この子も歯の生えていない顔をクシャとさせ、どうやら笑って見せようとしているらしいのです。笑顔とわかるまでは泣き出すのではと思ったぐらいでした。今では可愛らしくて仕方ありません。

 こんなおもしろい笑顔も歯が生え揃ったら見られなくなり、今度は口角を上げた普通の笑顔になるのでしょう。そう思うと少し残念な気持ちでいるジイジです。



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おかしな婆さんはストーカー?

2019-01-22 06:08:57 | 世相
 ゴミ拾いの定番コース、コープ近くの歩道でのことです。緩やかな坂道が、立ち話をしている歩行者や自転車で珍しく混み合っていました。ゴミ拾いをしていた私は、向かい側から自転車に乗って来た高齢の婆さんと目が合ったので、脇を通るようこちらも目で合図したつもりでした。

 私の出で立ちがよほど珍しかったのかもしれません。彼女の口元が一瞬ほころんだようにも見えたのですが、目はじっと私を見つめたままでした。そしてなんと、自転車から降りて押しながら私に付いて来たのです。

 振り返って彼女に「何か?」と尋ねても黙ったままで何も言いません。それならと私の方も無視を決め込み、ゴミ拾いを再開しました。若い娘ならまだしも、相手は婆さんです。下手に相手にしたら却ってややこしくなると思ったわけです。

 コープの前から車道を渡って反対側の歩道に移り、200 mほど離れた公園に向かいました。その間、時々後ろをチラ見したのですが、依然として彼女は10 mほど離れて付いて来ていました。

 公園に入ったらさすがに付いては来ないだろうと、これも定番の園内の巡回を始めることにしました。そしたらどうでしょう、彼女がしっかり付いて来てるではありませんか!

 園内は自転車乗り入れ禁止なのに、自転車を押して公園奥の幼児用広場にまでも、です。まるで現場監督でもしているかのように、私の行動を追いかけてじっと見ていました。その気味の悪さと言ったら、さすがに背筋がゾッとしました。

 園内を一巡した後、一杯になったゴミ袋をぶら下げて再び車道を渡り、反対側の歩道に移りました。それでも追っかけ婆さんはまだ付いて来ていました。が、それも50 mほど続いただけで、いつの間にか交差点で姿が見えなくなっていました。

 あれは一体何だったのでしょう。ストーカーの気味の悪さは噂に聞いていましたが、まさか自分が(?)という思いでした。時間としては30分弱だったと思うのですが、まさしく恐怖に囚われた時間でした。

 帰り道に早速、顔見知りのコープの警備員を捕まえて、この話をしたのは言うまでもありません。このお陰で落ち着きを取り戻すことができました。“話すことは手放すこと” このことを痛感した出来事でした。



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定年退職してカウンセリング?

2019-01-18 06:06:26 | 世相
 年末年始の休暇が明けたばかりの市役所食堂でのこと。ここで顔見知りとなった K 氏が席に着くなりこう切り出して来ました。

「女性向けのカウンセリングはあるのに、男向けのはないって言うんですよ!」いかにも憤懣やる方ないといった顔でした。
「えっ、なんのこと?」と私。
「人生相談諸々の・・・、カウンセリングのことですよ。女性は対面でカウンセリングが受けられるのに、男は電話で相談してくださいだと。・・・これじゃ、明らかに男性差別ですよ!」
「へぇ、ここ(市役所)でもカウンセリングが受けられるんですか? それで一体、何を相談しようとしたんですか?」
「定年退職後の人生の送り方諸々。こんな悩みを抱えている男の人、多いと思いますよ。そうじゃないですか?」
「確かに! 退職した途端、こんなはずじゃなかったのに、と途方に暮れたりしますよね。」

 そう言えば初対面のとき、K 氏がこんなことをぼやいていたことを思い出しました。
「嫁がね、昼メシを作ってくれないんですよ。だからここに・・・」
その時点で K 氏は退職して2年になると言っていました。

 定年退職後の男性が、日中家にいるようになって最初に面食らうのが妻との向き合い方だろうと思います。妻に疎んじられ相手にしてもらえない夫の何と多いことか。私も例外ではありません。

 次に問題なのは、自分が現役を引退したという事実を心の底では受け容れていないことです。この意識の克服には最低でも2~3年は掛かるのではないでしょうか? 私の場合は酒浸りの期間を含めて丸4年、断酒してからも2年半を要しました。

 さらにこんな問題もあり得ます。在職中は、自分が会社に貢献しているんだと思い込んでいたものが、実は会社のお膳立てに従っていただけではないか? 退職後、こんなふうに突如として気づかされる人も多いのです。

 これらはとても辛いもので、そのときの喪失感や孤立感は言葉ではなかなか言い表せません。

 孤独感ならまだ楽しめる一面もあるのですが、喪失感や孤立感となると自分ではどうにもなりません。それで酒に走ったのが私で、似た行動を取った人も多いようです。

 K 氏は幸い下戸なので、シニア・カレッジのセミナーを定期受講したり、女性向け麻雀教室の師範代をやったりしているようですが、胸にポッカリ空いた洞は満たしがたいようなのです。だからでしょうか、誘われたら会社のOB会にも喜んで出席していると言っていました。

 アル症者向けに自助会があるように、胸の内を吐き出せる場が定年退職した男性にも必要かもしれません。

 黙ってひたすら悩みを聞いてもらえる場が望ましく、下手な指導や助言は有害なだけ、そう思わずにいられません。この “言いっぱなし・聞きっぱなし” のルールがカウンセリングでも叶うのか、私には何とも言えませんが。



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1 . 17の教訓を敢えて一つだけ

2019-01-15 06:08:30 | 雑感
 当地では、もうじき1 . 17メモリアル・デイを迎えます。阪神淡路大震災発生の日、1995年1月17日から丸24年経とうとしています。

 当時、私は激震地の縁に住んでいました。あの震災から得られた教訓はいくつもありますが、今回は被害を拡大させた火災に絞って、得られた教訓から一つだけ取り上げてみます。

 震度6強~7クラスの地震ではライフラインの電気、都市ガス、水道は直ちに止まります。たとえ建物が大丈夫だったとしても、屋内の家具類はことごとく倒れ、家の中はグチャグチャになります。当然、通電中の電気器具も家具類の倒壊に巻き込まれます。

 ガスや水道とは違って電気の復旧は早いので、電気が再び通ると家具類の下敷きになった電気器具本体が加熱したり、配線がショートしたりして火災が起こりうるのです。これが通電火災と言われるものです。

 人口密集地が震度6強~7クラスの地震に見舞われたら、被害を拡大させるのは大規模火災です。

 神戸~阪神間の複数箇所で発生した大規模火災は地震発生から2時間ぐらいして起きました。地震後に起きた火災の60%以上が再通電を引き金とした通電火災だったと言われています。消火用水が出なかったことも相俟っての大惨事だったのです。

 個人レベルで地震直後にできることは精々ブレーカーを下げるぐらいなものですが、地震で気が動転して、ブレーカーにまで気が回らないのが現実でしょう。そんな時に備え、お勧めしたいのが感震ブレーカーです。

 個人住宅なら自助の意味合いが強いのですが、集合住宅では共助という意味でもお勧めです。コストも1万以下で済みそうです。ここは自助・共助の精神で是非、検討してみてはいかがでしょう。

 災害の経験談は、その経験から得られた教訓こそ語り続けられるべきだと思います。以下の記事は、私の震災体験とその経験から得られた教訓を記したものです。是非、ご一読ください。


大地震へ、日常出来る備え』(2015.2.14投稿)
アルコール依存症へ辿った道筋(その16)阪神大震災、地震の当日』(2015.1.23投稿)
アルコール依存症へ辿った道筋(その17)連続飲酒から脱出・仕事再開!』(2015.1.31投稿)
アルコール依存症へ辿った道筋(その18)被災地では・・・』(2015.2.07投稿)



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新年は新たなモットーで!

2019-01-11 05:54:47 | 雑感
 新しい年には、やはり新たなモットーで気分を引き締めることもいいのでは? そう思って、今年は “記録をつける” もモットーとすることに決めました。

 断酒6年目となって、アルコールの後遺症・PAWS(急性離脱後症候群)の方は大分マシになってきています。その一つ記憶障害もそれなりに改善しているように思うのですが、加齢も手伝ってか記憶力の衰えは歳相応のようです。

 昨晩何を食べたかなどはまだ思い出せるのですが、あの出来事は先週だったのか先々週だったのかという類いになると途端に怪しくなります。1ヵ月以上も前のことなら一体何時のことだったのか全くあやふやです。

 さて、このブログも開設から5年目となりました。過去記事を紐解いてみると、好不調のあったことが手に取るようにわかります。ネタ不足に悩んだ不調のときは、アンテナの感度が鈍かったこと、見え見えです。

 たとえば、『悪文見本市』シリーズを乱発していた時期などは、ネタ不足に悩んだ末の奥の手でした。こんなことがわかるのも記事を記録として残していたお陰でしょう。

 ちなみに、記録をつけて残すことは科学の領域では基本中の基本です。一部始終の記録があってこそ再現性が担保されるのです。皮肉なことに、Stap細胞事件の顛末で見事に実証されたこと、今も記憶に新しいところです。

 これからも、ネタ不足に悩んではブログ継続の意欲が挫けそうになるかもしれません。週2回の投稿が週1回だけのときもあるやもしれません。そんな場合でも、耳ばかりか五感全部をそばだててネタ漁りに精一杯励んでみます。

 昨年は「“楽になる / 楽になった” という感覚を道標に」と考え、公言はしなかったものの “感覚を道標に” をモットーとしました。断酒開始以来、相も変わらず “秩序とリズム” をモットーとしていますが、これらに “記録をつける” も加え、今年は三本柱で行ってみようと思います。請う、ご期待を!


 なお今回の記事は、暮れに読み返してみた『プロセスを生かすには記録が必要』(2017.12.22投稿)に触発されて書きました。こちらも是非ご一読ください。


プロセスを生かすには記録が必要
 記録に残していなければプロセスには何の意味もないということです。......折に触れて記録を振り返って分析してみる。それが初めて経験を「必ず次に生かす」ことに繋がるのではないでしょうか。



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新年早々あたる?

2019-01-08 06:09:41 | 病状
 新年早々ドジな話を二つ。一つは中気にあたったのでは(?)と肝を冷やした話、もう一つは暮れの嫌な予感があたった話です。漢字で書くと、片方は “中”、もう一方は “当” でしょうか。

 ひとつ目は初詣の道中でのこと、西宮神社(戎さん)から打出天神に向かう途中でした。ほぼ1時間半も歩きづめでさすがに小腹が空いてきたので、スーパーのイートイン・コーナーで一休みすることにしました。買ったばかりのお菓子を食べようとプラ包装の袋を開けようとしたとき異変に気づかされました。

 普通、この手の袋を開けるときは底のギザギザ部分を利用して袋を引き裂きます。普段通りに拇・中指・人差し指の三本を使って袋を摘まみ、両手で引き裂こうとしたのですが、何と、左手拇に力が入らないのです。ちゃんと動くことは動くのですが、イザ強く摘まむとなると全くダメで開けられません。結局、お菓子は断念しました。

「(これは中気にあたったせいではないか?)」と流石に慌てました。中気とは中風とも言われ、脳卒中後の麻痺のことです。つまり、TIA(一過性脳虚血発作)ではないかと考えたわけです。

 急遽、病院に行くことも真剣に考えたのですが、元日なので祝日休診中です。それならばと、よく左手を調べてみたら拇以外の指にはしっかり力が入ることがわかりました。左側の腕にも脚にも目にも別に異常はありませんでした。これなら大丈夫だろうと、しばらく様子を見ることにしました。

 自宅に戻ってから再びプラ包装の袋開けを試みました。今度はうまく開けられ、心底ほっとしました。どうやら左手を下に敷いて寝ていたせいで、単なる寝違えだったようです。

 さて、二つ目の話は正月三日の晩のことです。夕飯に餅を食べていたら、ゴリッと音がしたので「(アチャーッまたやってしまったか!)」と思いました。前歯の中央左下の差し歯2本が抜けていました。

 ふた月に1回、歯周のプラーク・クリーニング(歯垢除去)を受けに歯医者に通っているのですが、暮れに受診したときに休日歯科救急センターの話になりました。正月には餅で差し歯が抜けるケースが多く、休日歯科救急センターはその手の患者で一杯になるというのです。ガムを噛んで差し歯の抜けを散々経験している私としては他人事ではありませんでした。

 その予感が見事に当たったのです。昼に食べたときの餅は少々堅かったので大丈夫でしたが、晩の餅は膨らむほどの焼き上がりで粘りもあり柔らかでした。ガムと同じで粘りのある柔らかな餅は差し歯に危ないと実感しました。

「(やれやれまた余計な出費がかさむのか)」と内心、万単位を覚悟したのですが、何とか再利用が可能だったので900円の出費で済みました。以上、新年早々ながらシャレにもならないオソマツな話でした。

 餅食えば歯の抜けにけり老いの春



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元日に見た世相

2019-01-04 06:19:47 | 世相
 元旦の午前6時前にヴェランダに出てみると、日の出を待つ南東の空に三日月と明けの明星が連れ添って輝いていました。これは縁起がいいと、例年通り歩いて初詣に出かけることにしました。

 日の出直前の海沿いの道を往くと、快晴の空が紺色から水色・橙色・朱色へと移ろう素晴らしいグラデーションを見せていました。これだけでも清々しい気分になれ、新年が良き年になる縁起の良さを一層感じさせてくれました。

 神社2カ所の巡拝を終えて自宅マンションに戻ってみると、パイプラインのゴミ投入口辺りに何やら騒がしい気配がありました。見るとカラスがゴミ袋に群がって散らかし放題にしていました。投入口が一時閉鎖となったとき、持ち帰るべきゴミ袋を放置したままの人がいたようです。同じマンションの住民にも、人頼みの他人任せ・無責任が揃った輩がいるのです。

 元日ぐらいはゴミ拾いをしないで過ごそうと秘かに決め、道々無視を決め込んでいたのですが、さすがに地元の惨状に目を瞑ることはできません。見るに見かねて自宅からゴミ拾い道具を持ち出し、サッサと始末するハメとなりました。

 バラバラになった生ゴミも混じっていたので優に10分ぐらいは掛かったでしょうか。せっかくの元日用の決意はあっけなく反故にされましたが、十分スッキリした気分にはなれました。

 お昼前には三宮に向かいました。AAでは元日でもミーティングが開催されます。いつも通りに、三宮の地下道から北野坂に出ました。

 『風見鶏の館』へと続くこの北野坂、普段は小綺麗な街なのですが、真っ昼間にもかかわらずどういうわけか歩道の所々に大きなゴミ袋が山積みされていました。4年以上も通っていて今までこんな光景を見たことがありません。

 いつもなら早朝に済ましてしまうゴミ収集作業を、業者も元日を口実に祝日休業と決め込んだのでしょうか。カラスの餌食となるのは時間の問題と見て取れました。

 案の定、帰り道の所々ではゴミ袋が破られて散らかし放題になっていました。ダイナミズムは多様性のある自由な社会から生まれるとは言われていますが、ゴミだらけの元日となるのも気にしない多様性なら願い下げです。

 正月三が日は区切りを付ける特別な日にすべきと刷り込まれてきた私です。特に元日は、身の回りを少しでも小綺麗にしてハレの日とすべきなのに、最近はハレの意識が薄くなって日常生活の延長としか思えないチグハグな日となってきたようです。これも自分を棚に上げがちな年寄り特有のボヤキでしょうか?



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“気楽にやろう!” が素直に聞ける年に・・・

2019-01-01 05:51:38 | 病状
明けましておめでとうございます!

 年の初めにあたり、アル症の皆様に表題の “気楽にやろう!” を提案します。この言葉はアル症の回復度合いを測る言葉でもありそうです。

 暮れのAAミーティングでテーマとなったのがこの言葉でした。参加したメンバーは皆が皆一様に、「断酒を始めた頃は、とても素直に聞ける状態ではなかった」と口を揃えていました。「聞いて腹が立った」と言っていた人も。

 断酒して間もない時期は、「どうしても断酒しなければ・・・」とか「再飲酒したらどうしよう」とかに囚われ、不安と恐れに怯えているときです。とても素直に聞き入れるだけの余裕さえありません。実は内心、「(早く回復したい、いや、身体はもう回復しているんだから大丈夫では?)」などとケシカランことも考えている時期なので事はややこしいのです。

 “気楽にやろう!” は、シャカリキになっているときや切羽詰っているときなどに、「まぁまぁ~」と諫める言葉ですが、心にまだ余裕があって初めて受け容れられる言葉ではないでしょうか? お陰様で、今の私は素直に聞けています。

 司会者は、新しい年を迎える心構えとして提案したと思うのですが、次のような使い方もありそうです。

 アル症には回復を測る客観的な検査方法はありません。専門医は患者に目ヂカラがあるか否かで診断するそうですが、この言葉を掛けられてみて(あるいは掛けてみて)どんな気持ちになるのか試してみるのも一法かもしれません。これなら自己診断も可能です。

 この言葉を素直な気持ちで聞けるようなら、かなり回復が進んでいる証です。 “まとも” な精神状態だからこそ聞けるのです。今年は是非、折に触れてこの言葉を掛け合ってみてはいかがでしょう。

 これから西宮神社に初詣します。皆様、今年もどうぞよろしくお願いします。



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