ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

愈々、見張り番が必要か?

2022-10-26 07:14:28 | 老化現象

 皆さんは、こんなドジなことをした経験ありますか?
先日、馴染みの散髪屋でと、行きつけのスーパーで、立て続けにこんなことがありました。

 先ず、馴染みの散髪屋でのこと。散髪を終えて理容椅子から立ち上がり、清算しようとカウンターに向かったら、理容師の N さんが、
「ちょっと、メガネ忘れてるよ! 大事な物、置き忘れてどうするの?」

 そう言われて大鏡の台の上を見ると、散髪前に外して置いていた私のメガネがそのままチョコンと残ってました。同じ場所の隣に置いていた帽子はチャッカリ被っているのに、どうしてメガネだけ(?)不思議でした。

 次にこれも同じ日、帰り道に寄ったスーパーでのこと。セルフレジで清算を済まし、買物でいっぱいに膨らんだレジ袋を手にそこを離れようとしたら、
「お客さん! ワ○ンカード、置き忘れてますよ!」と、店員に呼び止められました。

 何と、プリペイドカードとレシートをセルフレジ機に残したままでした。確か、置き忘れはないと目で確認したはずですが、・・・苦笑いで誤魔化しました。

 いゃー、傍から見たら滑稽なだけですが、本人にしてみたら深刻なのです。

 もし、置き忘れが現金のお釣りであって、見張り番の店員がいなかったとしたら、苦笑いごときでは済まなかったでしょう。セルフレジの傍に見張り番の店員が付いていてよかったと思いました。

 最近、何かの拍子にふっと意識が飛んで、このようにただボーッとしているときがよくあります。何か気になることが他にあるわけでもないのに、です。

 よ~く考えてみると、これらと通底していると思われる出来事が時々あることに気づきました。

 誰しもやることですが、何処かへ出かけようとするときは、部屋を出る前に忘れ物がないか必ず確認すると思います。

 当然、部屋の中を見回して目で確認するわけですが、目で物を見ているようで実は、ただボーッと眺めているだけという状態にあるようです。

 もう少し正確に言えば、物が視野に映ってはいるものの、その物が意識に上ってない状態のため、物の持つ意味合いが理解できないでいるという意味です。

 これらは恐らく、老化の所為で次の3つの能力が衰えてきたことが原因と考えています。

 すなわち、置き忘れを避けるべき物を想定する想像力、それらを覚えておく記憶力、記憶通り忠実に点検できる注意力の3つです。

 まぁ、端的に言えば “認知機能の低下” が原因ということでしょう。自分でも少しオカシイと自覚しているので、ひょっとしたらMCI
(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)なのかもしれません。

 認知症の前段階とも言われるMCIは、自分でも病識があるのが特徴だそうです。はて、それならその対策はどうしたら?

 これからは、こう心して行きたいと思います。外に出かけてここぞと言うときは、傍に誰かがいたならばこれ幸いと、積極的に声をかけて見張り番になってもらおう(!)コレです。

 

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油断できない体調の良さ

2022-10-19 07:34:41 | 老化現象

 体調の良さが最も顕著に現われるのは歩幅の大きさのようです。

 恥ずかしながら最近、股関節ストレッチをしばらく怠っています。それにもかかわらず、歩幅が狭まるどころか、明らかに大きく広がっていると実感できた出来事がありました。

 それは先日のこと、贔屓にしている散髪屋に一月半ぶりに行ってきました。お店は隣町にあり、歩測で5500歩ぐらいの距離です。

 お店までの全行程を久々に歩いてみたら、何と4900歩強でお店に着けました。歩幅が以前より広くなっていたのは明らかで、体調の良さを実感できました。

 こんなことは何時以来でしょうか? 歩数と疲れ具合からみて、心身共に充実していた60代半ばの頃、そうコロナ禍の遙か以前、脊柱管狭窄症による座骨神経痛発症前の状態以来のことだと思います。

 体調が良いときは歩幅も大きく広がります。だからと言って手放しで喜んでばかりもいられません。

 以前も記事にしていますが、今年五月の小雨の降る日、こんなヒドイ目に遭ったからです。

 その日、タイル舗装の歩道は雨で滑りやすくなっていました。道が緩い下り斜面ならなおさらです。
 しかも、キツイ抗がん剤治療から半年が経ち、体調の良さが戻っていたので、私には油断と慢心があったようです。

 歩き出しの一歩を大きく踏み出したものの、下り斜面だったので右踵を滑らせて尻餅をついしまいました。右脚は伸ばしたままの状態で、左脚は変に折りたたんだ状態で、というヘンテコな転び方でした。

 幸い、骨は折れていなかったものの、捻ったためか左膝の筋を痛めたようです。5ヵ月経った今でも、左膝をピンと伸ばした状態でいると膝が強ばって痛みます。

 ですからこの転倒以来、左膝の下に枕を敷いて寝ないと膝が強ばってしまい、再び動かすときは大層痛くて難儀しています。

 なに、普通に歩いている分には何ともないのです。それでも、好調時に起きたこの転倒がトラウマになっているのも確かです。

 “一事が万事・・・” と言いたいわけではありません。 が、機敏性に衰えがみえ、注意力に斑(ムラ)のある老体の自分には十分あり得ることと思っています。

 まさに、特別異変がない体調の良さには “好事魔多し”! そんな日々は長くは続かないので油断大敵! コレ、杞憂であればいいのですが・・・。

 

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相互理解のキーワードはQOL

2022-10-12 07:16:39 | 食道がん

 去年の丁度今頃見つかった食道がん、招かれざる居候との同居も2年目に入りました。

 抗がん剤による化学療法で一旦消えたと思った “がん” は半年で再燃、6週間にわたる放射線治療を終えたのはつい先々月のことです。

 その放射線治療が終了した後の再診2回目の時、初めて相方を伴って診察に同席させました。主治医の K 先生が、一度家族の意向も確かめたいと言っていたからです。

 私が K 先生とは波長が合わないと思っていたように、K 先生の方も私のことを、真意が何処にあるのかその言動からは掴み切れない患者と思っていたようなのです。

 どこかで折り合いをつけなければ・・・そう私が思っていた矢先に偶々、再診予約が午後の時間帯に取れ、相方の都合にもうまいこと合ったので実現しました。

 K 先生が掴みかねていた私の真意とは、以下の私の言動からきていたようです。

「抗がん剤による化学療法は、“がんは消えたけど、患者は死んだ”
 ということになりかねないのが実感です。
 だから2クールだけでもうこりごり、二度と受けたくありません。
 生き長らえるだけの延命治療も嫌、治療は緩和療法だけで十分です。」

 私がなぜこんな主張になったのか? それはこういうことからです。

 2クールだけ受けた化学療法ではクール毎に、骨髄抑制による38 ℃代の発熱があったり、最高血圧が70 mmHgまでしか上がらなかったりして、私は今にも死にそうな目に遭いました。
 結果、上のような化学療法拒否となったわけで、その旨を当時の主治医に告げていましたし、今の主治医 K 先生に対しても伝えています。

 そして実はもうひとつ、K 先生のたっての勧め、放射線治療に続けて経口抗がん剤服用についても頑として拒んでいます。確かに、K 先生にとって私は扱いにくい患者ではあります。

 その上、私にはこういう事情もありました。

 第一選択となるはずの外科手術は、血を固まりにくくするバイアスピリン服用中のため適応除外。放射線治療も既に限度一杯の照射を終了済み。
 というわけで今度、転移・再発したら対抗手段は手詰まりとなってもうないはず、そう思い込んでいた私でした。

「一度、家内を連れて来いと言われていたので・・・」
診察室に相方を同伴してきた私を見てK 先生は大いに顔が立ったらしく、
「これから一体どうしたいのか、あなたの本音をお聞かせください」と、ゆったりした表情で応対してくれました。

 立会人として相方がいる前で、私の方も持論のQOL(Quality of life:生活の質)について主治医に述べるいい機会と思い、
「今までゴチャゴチャ言っていましたが、私の望みは唯一つ、
 がん治療によってQOLを落したくないだけなんです」と、単刀直入に言ってみました。

「QOL?! QOL重視なら緩和療法ということもよくわかります。
 今なら、免疫チェックポイント阻害剤オプシーボも保険適応に
 なりましたし、
愈々となったら、緩和療法専門の施設も紹介で
 きますからお任せ下さい。」

 たった一言 “QOL” と言ったお陰で何と呆気なく、あれほど波長が合わないと嘆いていた K 先生と意思の疎通が一気に進みました。しかも、次の再発の対抗手段としてオプシーボ使用というオマケまで付いて。

 たった一言のキーワードで相互理解が一気に進む。言葉の重みを実感した一瞬でした。

 

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朝の儀式、私のルーティン

2022-10-05 06:43:32 | 雑感

 朝起きたら、天照大神の御札の前で必ずやる儀式があります。
先ず、お供えしている水を新しいのと取り替え、次いで御札に二拍手一礼し、そしてこう誓うのです。

  “今日も(一日)、いい日にします”

 このとき ・・・します” と言い切ることが肝腎。自ら声に出してこう宣誓することで結構、気持ちがキリッと引き締まります。

 なぜ ・・・します” と言い切る?

 願いを叶えるのに、神頼みや他人任せの他力本願では情けない。棚からボタ餅式にただ幸運を期待するだけなんて片腹痛いことです。
やはり、自発的に “自力で・・・します” と能動態で宣言した方がよっぽど前向きで潔いと考えています。

 もしも、この儀式の後で輝く朝日を拝むことができたら最高で、その日の始まりは上々の出だしとなるわけです。

 “今日も、いい日・・・” と言えば最近、こんなことがありました。

 それは先月末の30日のこと、いつもの歯医者で治療を終えた後、会計窓口で受付嬢と交わした会話です。

「ついこの間、正月だったのに、明日からもう10月か?!」と私。
「月日の過ぎるのは速いですよネ、私でもそう思いますよ」
と、30代前半と思しき受付嬢。

「段々、年寄りの私の域に近づいているねぇ~?! (笑
 “1日1日を大切に” とはよく言うけど、
 中々、きれい事では済まないからねぇ、この世の中」と私。

「そうそう、毎日アタフタ・アタフタしてばかり!(笑」と受付嬢。

 こんなささやかな会話を、若い人とチョット交わせただけでも
今日も、またいい日”。心も和むというものです。

そして、書家で詩人でもある相田みつを氏を思い出しました。

 “しあわせは いつも自分のこころが きめる”(相田みつを)

 私の朝の宣誓には、彼のこの言葉とも相通じるところがあるようです。

 

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