ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“私は正義” の困ったさん、新人が出現!

2018-12-28 06:54:25 | 世相
 毎日通っている市役所ですが、ロビーは玄関を入って右側にあります。そのロビーの壁側には新聞掛けと大型テレビが据えられていて、その向かいに6、7人掛けのソファーがあり、ソファーの後ろの窓側に丸テーブル2つとそれぞれに肘掛け椅子4脚が置かれています。

 業務が始まる前の市役所ロビーには常連がいます。新聞が目当ての人が2、3人(この中に私もいます)、他に毎日ここを集合場所にしているらしい男性3人グループも近頃の常連です。

 その日は、常連の中では私が一番手で、他に若い女性が一人ソファーに腰掛けているだけでした。彼女は青白い顔色で、人物を吟味するような視線が印象的でした。

 いつも通り、道で拾ってきたゴミ袋をぶら下げ、愛読紙を奥の方にあるテーブル席に確保して、それから屋外のゴミ置き場に向かいました。そして、テーブル席に戻って新聞を読み始めました。私の足下にはトングと予備のゴミ袋を置いていました。

「ゲームのピコピコ・ピーピーがうるさいので止めてください! ここは大の大人がゲームをして遊ぶところではありません! すぐに止めてください!」声の主はあの若い女性でした。

 言われた方は3人グループの中の一人でした。それまで大声で交していた会話が止んだと思ったら、中の一人が抜けたのでゲームを始めていたのです。

 そのグループには鼻が詰まって舌のもつれた話し方をする人がいて、声も大きいので彼らの会話は喧しいったらありません。私も内心苦々しく思っていたので思わずニンマリしてしまいました。一喝された彼らはすごすご去って行きました。

 さて、一服しようと席を立って辺りを見ると、彼の女性は玄関脇の机に移っていました。あれだけのことを言ったのですから高ぶった気持ちを鎮めようとしているとみた私は、少しでも励ましになればと玄関を出がけに彼女に声を掛けてみました。

「よく言ってくれました。」こう話しかけた途端、彼女はくるりと背を向けてしまいました。そのときは、「(この人ちょっと変!)」と思ったぐらいでそのまま外に出ました。

 外から席に戻って直ぐに、職員らしき男性が近寄って来て、足下のゴミ拾い道具が私の物か聞いてきました。私の荷物と確認できたのでその男性は去って行ったのですが、すかさず現われたのが彼の女性。

「ゴミ袋をロビーに持ち込むのは止めてください。目障りで不快です! 直ぐにどうにかしてください!」目は私の目をまっすぐ見据え、早口ながらも声を抑えた口調でした。
「それに、新聞を置いたまま席を立つなんてダメですよ! 新聞の私物化じゃないですか?! みんなの新聞ですよ! 新聞を独り占めするのは止めてください!」
「そうおっしゃるあなたは、どんな資格があって言ってるんですか?」
「言う必要はありません!」
全く取り付く島がありませんでした。

 つい最近も、いきなり刃物で切りつけられる事件があったことですから、ここはひとまず穏便に収めようと警備員に相談してゴミ拾い道具を玄関脇の物陰に移しました。新聞の方は、無視を決め込むことにしました。

 前置きなしにズバリ切り込んでくる気迫と、声を抑えた口調には凄みがあって、彼女には唯々圧倒されっぱなしでした。さすがに心拍数が跳ね上がって、しばらくは新聞に集中できませんでした。なるほど機先を制するとはこのことか、と妙に納得してしまいました。新聞を読み終わった頃、彼女の姿は消えていました。

 字面をそのまま追ってみれば、彼女の言い分は正論です。一々ごもっともと言うしかありません。恐らく彼女は、自分が正義と信じ切って疑わない人なのです。こういう思い込みの強いタイプは野党の国会議員にもウジャウジャいますが、彼らの場合は政治的演技もありそうです。

 ところで、正義がいつも正しいとは限りません。戦争はいつも些細な諍いが発端で、諍いはいつも正義を一方的に言い張り合うことから始まります。これは歴史の定番です。そして、勝った方が正義だというのも歴史が示す通りなのです。正義とは斯くもいかがわしいものです。

 この記事が今年最後となります。皆様、よいお年を!



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“ボヘミアン・ラプソディー”

2018-12-25 06:33:59 | 雑感
 先日、映画が公開されてから人気がうなぎ登りと評判のボヘミアン・ラプソディー(Bohemian Rhapsody)を見てきました。場所も今をときめく西宮ガーデンズのシネコンです。

 映画の冒頭場面で驚かされたのは時代背景でした。主に70年代中頃から'85年までの物語で、私が新入社員として製薬会社に入社し、同時に新婚生活を始めた頃と被っていたのです。

 当時の私は、Queenというバンド名もフレディ・マーキュリーというリード・ボーカリスト名も知りませんでした。そもそも私はロック・ミュージックに性が合いませんでした。抑えきれない感情の高まりをアップテンポの音律にぶつけているだけの印象が先立って、どうしても荒っぽい音楽としか思えなかったのです。

 そんな次第ですから、映画の中で “We will rock you”(1977)や “We are the champions”(1977)を聞いて、初めて、あれはQueenだったのかとビックリさせられたわけです。

 この映画の題名となった “Bohemian Rhapsody” は、風に吹かれてさまよう “根無し草の狂詩曲” という意味でしょうか。孤独で満たされない気持ちを歌に託して聞いてくれる人皆と連帯したい、そんなフレディ・マーキュリーの心情をテーマにした映画だったように思います。

 野心に溢れ小生意気だった彼は、名声を得るにつれ傲慢になって孤立感を強めました。そんな彼が心底欲しかったのは、心が虚しくなったとき黙って一緒に寄り添ってくれる人でした。それを満たしてくれるのが真の家族であり、真に気のおけない仲間だと彼は考えていたのですが、そんなナイーブな願いはなかなか叶えられるものではありません。

 満たされない彼のイライラをチェーンスモーキングや吸い殻の山、果ては乱痴気パーティーで描写していたのが印象的でした。彼にとっては結局、相手は異性でも同性でもよかったのです。それがよく演出されていました。

 “Good thought, good words, good deeds” 映画では、父親から刷り込まれたこの言葉をキーワードにしたかったようです。終盤の場面で、父親を前にして語った彼のこの言葉は少し浮いて聞こえたのですが、それを帳消しにしたのが最終盤のLIVE AID(1985)チャリティー・コンサート場面でした。

 数万人の観客で埋まったスタジアムで、彼は “Bohemian Rhapsody” を皮切りにメドレーで次々に絶唱を続け、その中には “We will rock you” や “We are the champions” もありました。
「We(われわれ、あなたたちと私は皆)・・・」という絶叫が、連帯と共感を呼びかける彼のメッセージなのだと爺々の私にも十分過ぎるほどわかりました。 以上が、映画を見ての私の感想です。

 映画を見終わってから一旦1階に降り、鯛焼きを買って4階屋上の野外ガーデンに出てみました。冷たい風の吹くベンチで頬張った鯛焼きの旨かったことひとしおで、その美味しさに思わずドンドンパッ、ドンドンパッと三々拍子で足踏みしたくなりました。

 日本では応援するときの定番、三々七拍子。日本贔屓だったフレディ・マーキュリーのことですから、“We will rock you” の足踏み三々拍子もやはり彼が一押ししたのでしょう。


モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら<41>ボヘミアン・ラプソディー』(桑原 聡:産経新聞 2018.12.21)も是非ご参照ください。深く掘り下げた解説です。


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これも正常性バイヤス?

2018-12-21 06:41:45 | 雑感
 とあるコンビニでのことです。最近は店内にゴミ箱を置くコンビニが多いのに、この店では店頭にゴミ箱が置いてあり、道で拾ったゴミ屑を捨てようと立ち寄ったのです。ゴミ箱にゴミ屑を捨て、さて一服しようと少し離れた所にある灰皿の方に目をやりました。

 灰皿の側には一人の老人が立っていました。歳は私より大分年上のようでした。首をうつむけ上体も前屈みになり始めたので何か変だと思った瞬間、そのまま顔から地面に倒れてしまいました。すべてはスローモション映像のようでした。

 駆けよって助け起こそうとしたのですが、ぐったりした身体は一人では動かせません。額から出血しているのも見えました。アルコール臭は全くありませんでした。

 これはイカンと思い、店内にいた店員を呼びました。女性店員が出て来て2人がかりでやっと助け起こすことができました。そのときやっと意識が戻ったようでした。
「救急車を呼んでください!」私がそう言ったので、もう1人の店員も来てくれて3人がかりで店内につれて行きました。そして私の方は、店外に残って一服することにしました。

 しばらく経って、女性店員が私のところにやって来ました。
「救急車に断られてしまいました。電話しているとき、あの老人が “大丈夫” と大声で言ったんです。そしたら本人がそう言うのなら出動できませんて、・・・」
「えっ、そんなんで大丈夫なのかなぁ?」
「血が出ているのでトイレに行って鏡で見るよう勧めたんですが、・・・そのあとでも “大丈夫” を繰り返すばかりなんですよ。」

 そこに件の老人が店から出て来ました。額の出血は一応止まっているようでした。
「どうもありがとうございました。“大丈夫” です。“大丈夫” ですから。」

 そう言うと店頭に駐車していた車に乗り込み、何事もなかったかのように運転して去って行きました。車には枯葉マークが貼ってありました。私たちは、ただ呆然と見送るだけでした。

 老人からアルコール臭がしていたのなら血管迷走神経反射による失神ということで、私にも何度か経験があります。そのアルコール臭がなかったということは、あるいは久々に吸ったタバコが効き過ぎての脳貧血だったのかもしれません。

 いずれにせよあれは明らかに一過性脳虚血発作(TIA)であって、脳梗塞が近々起こる前兆であったことに間違いありません。本来は、直ぐにでもCTなど脳の精密検査を受けるべきだったのです。

 それにしてもこんなケースの “大丈夫” は曲者です。客観的に見て危険が迫っている状況でもつい自分は “大丈夫” と思いがちですが、これを “正常性バイアス” と言うそうです。きっと彼の老人もこの “正常性バイアス” のワナに嵌まったのでしょう。

 “正常性バイアス”、災害時に避難が遅れるケースの多くはこれが原因だと言います。彼の老人は、果たして無事に帰れたんでしょうか? やはりこんなときに大事なことは、周りの忠告を素直に受け容れることですね。



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何ともなさけない会話

2018-12-18 06:40:38 | 雑感
 私はプリンターを持っていません。年賀状の原稿はPCで作ります。コンビニではハガキ印刷ができないので、それを印刷するのに隣市の情報センターの高速プリンターを利用しています。

 この隣市の施設に行くには海に掛かる橋を渡って40分ほど歩かなければなりません。その煩わしさが毎年の悩みになっています。

「ハガキの印刷なんですが、市にはUSBに入れたファイルを印刷するプリンターが利用できる施設ってあるんですか?」

 市役所の受付で私が尋ねた言葉です。これで何を言わんとしているのかわかるでしょうか? 声に出して言った途端、回りくどい言い方だったことに気づかされました。中味は正確だったものの、とても大人の言い方とは思えません。

 顔見知りの受付嬢は、それでも察しがよくてこう応えてくれました。
「あっ、プリンターとPCが利用できるところという意味ですか?」
「そう、それです! 隣の N 市なら市立の情報センターがあって、
 高速プリンターが利用できるんですが、
 私のところからは歩いて片道40分はかかるんです。
 橋を渡って海を越えて行かなければならないし、
 今の時期は風が強くて寒いですからね。
 同じ歩くのならウチの市にもあるのかなと思って・・・」

 たった今反省したはずなのに、どうしてもこんな拙い言い方になってしまいます。
「そうですよね、今は寒いですからね!
 それならリード○○ですかねぇ、電話で問い合わせてみては?
 場所はここから5分ほどの分庁舎にあります」と電話番号をメモしてくれました。

 電話でまたグダグダ話したら通じない恐れがあったので彼女に聞いてみました。
「さっきの言い方でわかりますかねぇ?」
「単に『年賀状を印刷できますか?』と聞いたらいいんですよ!」
これで一件落着、何ともなさけない会話でした。それでもこのお陰で年賀状の印刷が今年は近くでできることになりました。

 件の施設のプリンターは連続印刷ができるはずなのに、結局、一枚々々手差し印刷となってしまいました。原稿が悪かったのかプリンターのせいなのかはわかりません。

 後は、宛名と署名を手書きすれば年賀状の完成です。これで悩ましい暮れの恒例行事の一つを無事済まし、心置きなく新年を迎えることができそうです。



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“棚卸” は “棚下ろし”?

2018-12-14 06:57:16 | 自助会
「・・・2回目の棚オロシをしていたとき、問題を棚アゲしていたことにやっと気づいた・・・」

 先週のAAミーティングでのこと。司会の Y 氏が言ったこの言葉が妙に印象に残りました。カタカナ表記にしたのは語呂合わせの音感を強調したいためです。

 私は、自分で商売をしたことがないので商い言葉に疎く、“棚卸” という言葉には馴染みがありませんでした。早速、ネットで調べてみると、“棚卸” と “棚上げ” はどうやら室町時代に語源あることがわかりました。

 当時のお店は見世棚と呼んでいたそうで、客に見せないよう商品を棚に上げて隠して置くことを “棚上げ”、その逆のことを “棚下ろし” と言っていたようなのです。両者の語源は同じで、後年 “棚下ろし” が “棚卸” になったというわけです。

 AAの回復のプログラム『12のステップ』の要の4番目にこうあります。

「恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。」
 “Made a searching and fearless moral inventory of ourselves.”

 当初、“棚卸” が英語のinventory の訳語で在庫の明細表という意味だったことから、その意味するところが今ひとつはっきりしなかったのですが、これでやっとその真意がわかりました。意図してのことなのか無意識なのかを問わず、心の奥底にしまい込んでいるもの(問題)を正直にさらけ出すこと、畢竟こういう意味だったのですネ。

(因みに、「さらけ出す」という言葉が最初思い出せず、「暴き出して晒す」などの諄い表現しか浮かんで来ませんでした。まだまだ想起障害は健在のようです。)

 果たして英語のinventoryにも同じような寓意が込められているのか私は知りません。が、恐らくは同様な解釈がなされているのだろうと思います。

 “棚卸” と “棚上げ” この対の言葉を使った語呂合わせは、意図したものか偶然だったのかはわかりません。唯このわかりやすさは、いかにもY 氏ならではの年季を感じさせる言葉ではありました。



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勝手に早合点してはダメ!

2018-12-11 06:10:33 | 雑感
 ゴミ拾いの定番コースにしているバス通りには人工のせせらぎがあります。長さ300 mほどで巾が正味1 m強ほどなので、これをドブと呼ぶ口の悪い人もいます。

 車道と歩道を隔てる緑地帯の真ん中に通している狭い水路なのですが、川底や両岸を石組み様にしてあり、下流の2カ所には鯉が住む水深の所もあります。途中の所々にベンチもあって市民の憩いの場となっています。流れている水は電動ポンプで汲み上げている地下水なのですが、立派なせせらぎです。

 電動ポンプで維持されているところが問題で、ポンプが故障したらせっかくのせせらぎも涸れてしまいます。去年はこの故障で2ヵ月ほど水が止まり、2カ所のうち1カ所の鯉が全滅してしまうという事件がありました。

 市は給水車を派遣し、時々水を補充してはいたのですが焼け石に水の状態でした。大きな錦鯉の死体が腐敗し始め、辺りに異臭がする事態になりました。私も何匹か始末したのですが、今思い返してもゾッとする出来事でした。

 先々週の火曜日、そのせせらぎの水が止まりました。電動ポンプのある向かいの公園に、たまたま工事の業者らしき人々がいたので声をかけてみました。
「水が止まっているのは又ポンプが故障したからですか?」
「定期点検です。それでちょっと止めているんです。」

 直ぐさま運転再開しそうな口ぶりだったので私の方はその言葉に合点し、何の疑問も抱かずその場を立ち去りました。

 ところが、金曜日になっても水は止まったままでした。土日の休日を合わせると連続6日間も水の流れがないことになります。鯉が心配になりました。

 月曜日の朝、市役所に掛け合おうと先ず、よろず相談課(仮名)に行ってみました。
「担当部署がわからないので確認して手配します。」

 心もとない応えだったので、念のため次は公園緑地課へ行ってみました。すると今度は道路課の管轄だと言ってきました。その道路課では、
「定期点検で17日まで運転停止にしています。鯉への水補給は早速手配します。」

 やれやれ、お役所仕事というのはこうなのです。あのとき早合点せず、ちゃんとその場で念押ししていたらこうはならずに済んだものを。幸いまだ死んだ鯉はなく、鯉たちにとってあと1週間の辛抱です。



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女は一枚も二枚も上

2018-12-07 06:15:08 | 雑感
 ゴミ拾いの定番コースでのこと。歩道の上に光るものが見えました。近づいてみると金属製(?)の小さな筒状のもの、口紅でした。金色のキャップを外して中を見ると、形状からしてほぼ新品のものとわかりました。

 道でゴミ拾いをしていて判断に困るのはこの手の拾い物です。果たしてゴミなのか落とし物なのか、さてまたゴミだとしたら可燃ゴミか不燃ゴミか、二重の意味で分別に困るのです。これは多分不燃ゴミでしょうから、回収日まで保管するため家に持ち帰るのも厄介です。

 直ぐさまゴミ袋に放り込むのは思案もので、ポケットに入れて良いアイデアが湧いてくるのを待つことにしました。

 しばらくして、ふとコープに持ち込んだらどうだろうという考えが浮かびました。店頭で拾ったことにしたら落とし物としてお店が何とかしてくれるだろう、という他人任せの責任逃れです。さっそく実行に移してみました。

 その日のサービス・カウンター担当は、一番若いということもあって、以前からあまり融通の利かない子と思っていた女性店員でした。私がシナリオ通りに話してみると、
「まぁ、もったいない!」と興味津々の様子でしたが、
「拾ったの店外ですよね? 店内で拾った物ならお預かりできるのですが、
店外での物ならお断りしてるんです!」と努めて冷静にキッパリと言って来ました。

 その彼女の表情を見て、またしても良からぬ考えが閃きました。レジを済ました商品を袋詰めするための台を指差し、
「それじゃ、あの台に置き忘れたのならいいんだ、ネ?! 誰か拾ってくれるかも・・・。」
彼女が黙っていたので私の方は直ぐさま実行に移しました。

 その後、店内で買物を済ましてから件の台を見ると、例の口紅は台上から消えていました。

「シメシメ、メデタシ、メデタシ!」と思ったのも束の間。彼女にうまく仕向けられたことにやっと気づきました。したたかさや巧妙さにおいて、女は一枚も二枚も上だと思い知らされた話でした。



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一体、何を考えているんだか?!

2018-12-04 06:36:24 | 世相
 私の住んでいる所は典型的な住宅街です。そんな街でゴミ拾いの定番コースとしているのは、基本的に車道との間に植え込み分離帯のある公道の歩道や公園です。

 3年半もゴミ拾いを続けている私ですが、そんな住宅街の歩道でも時に唖然とさせられる光景を目にすることがあります。

 その主立ったものを挙げると・・・

 ● 2.5m以上ある金網フェンスを越えて投げ入れられたアルミ缶、
   ペットボトル
 ● 大きなレジ袋に入れられたイヌの死骸
 ● 冬でもないのに雪道用のタイヤ・チェーン
 ● 自転車のホイール(タイヤ・チューブを外された車輪)
 ● バス停脇に放置されたローラー付き椅子
 ● 決まって歩道にヤラカシテイル人糞

 一番目に挙げた事例には少々説明が必要でしょう。その場所は、車道との間に遮音壁と緑地帯が設けられている国道43号線沿いにあります。

 ある一帯の歩道側にだけ、なぜか2.5m以上の高さの金網フェンスが緑地帯との間に張られていて、長いことその理由がわからないでいました。また、その金網フェンスの緑地帯側には、いつも空のアルミ缶やペットボトルが散乱していることも不思議でした。

 しばらくしてこの謎が解けました。国道43号線は国交省の管轄ですから、定期的に緑地帯の清掃作業が行われます。もちろん、アルミ缶やペットボトルも撤去されます。ところが翌日には早くも、アルミ缶が投げ入れられているのです。そして2,3日経ったら元の木阿弥に。ご丁寧にも、空のダンボール箱まで投げ入れられていることもあります。

 明らかに悪意を持った誰かがやっているのです。アルミ缶やペットボトルならまだしも、一体どうやったらダンボール箱を投げ入れられるのか、妙に感心するばかりです。

 殊に、最後の事例(人糞)などは悪意の典型で、以前ブログ記事にしたことがあります。歩道上のポイ捨てゴミの最終始末屋を自任している私としては、こんなモノでも已む無く始末してやるしかありません。ただし、この最後の事例以外は市役所に通報して処分してもらっていますのでご安心ください。

 私の住んでいる所はそれなりに秩序のある街のはずなのですがこの有様です。いずれも不注意などではなく、明らかに悪意を持ってのことです。「一体、何を考えているんだか?!」世の中、心を病んだこんな悪意のヒトもいるのです。



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