百島ファンクラブ 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

今日まで、明日から。

2019年04月30日 | 千伝。

昨日は、平成最後の「昭和の日」

今日は、平成最後の日。

明日は、令和最初の日。

多分、明日からも、いつものように生きると思います。

生きる意味とは何か?

何故人は苦しむのか?

大切なものは、何か?

明日から令和となる時代に向かう、今の若者たち、これからの若者たちへ。

小難しい仏教用語の因縁果報やら三法印やら涅槃寂静も興味深いけど、お釈迦様の逸話の方が分かりやすいかもしれません。

お釈迦様は、若い頃から、さんざん悪口を言われても全く怒らなかったという事。

贈り物を言葉に置き換えるという考えが、お釈迦様の意味する悟りです。

その理由は、誰から何か嫌な贈り物を渡された時、それを受け取らない場合、その贈り物は、誰のものになるのか?

・・・若者たちへの問いかけです。

受け取らなければ、その言葉も贈り物も、ずっと送り主のものだという逸話です。

若者へ・・・この問いかけの意味すること、解るかな?

好む、好まぬは、それぞれの生き方です。

美味、不味いも、それぞれの考え方です。

昭和も平成も、苦しくも悲しくも、楽しくも嬉しくも、生きてこられた時代でした。

さて、今朝の平成最後のラジオ深夜便からのメッセージ。

田圃の肥えとなるのは、耕す人の足音。

月日も季節も元号も分からない認知症の高齢者の幸せは、介護者の優しい声かけ。

はて、平成最後となったディナーは、施設内での検食でした。

有り難いものです。

とても美味でした。

平成最後の頂いた美食に感謝です。

 

そして、この拙なるブログに集う皆様へ。

令和の時代にも、楽しい時間が、より多くなりますように。

心朗らかに、穏やかに、優しく、強い気持ちで、ファイトです。

何よりも、笑顔になれる時間が大切。

平成の時代と皆様へ、一言お礼を。

感謝です。


平成最後の山登り。

2019年04月30日 | 空木宝剣

呉線沿い吉名の鷹の巣山頂からの眺め。
(大崎上島方面から四国まで)

大三島方面を望む。

戦後の高度成長を牽引した宰相、池田勇人を生んだ吉名の駅は、無人駅である。

光海八幡宮の境内に、総理大臣池田勇人の胸像がある。

吉名駅から鷹の巣山の途中に、小さな音羽の滝あり、天龍の池あり。


池田勇人 (1899~1965)

2019年04月30日 | 空木宝剣

天龍や これが勇人の 宏池かい

竹原も、昔から土砂災害があったと見えて、天龍を閉じ込めた、砂防ダム天龍池が存在する。

大正5年は、池田勇人16才の頃、昭和8年は、池田勇人34才で、大病を克服した頃。

戦前の砂防ダムは、起工から竣工まで、18年の時間を要する人海戦術だった。


児(ちご)の火。

2019年04月26日 | 千伝。

明日から、10連休だとか、もうすぐ「令和の時代」だとか、明るい大きなニュースです。

毎日365日が連休でもある認知症の高齢者にとっては、全く関係なく、それを支えている現場の介護職にとっても無縁です。

2025年(令和6年)には、認知症の高齢者人口は、約800万人にもなるというのに、それでも、令和の時代は、日本の黄金期となるとの未来予測もあります。

少子化、労働人口減少が、よい方向に導くとのこと。

昭和から、平成に変わったときは、英国に居て、テレビニュースを観て知りました。

当時は、昭和天皇が危篤時から、英国メディアが大騒ぎ・・・特にタブロイド紙の報道は、戦争犯罪人として天皇ヒロヒトを糾弾したひどい報道でした。

「死んだら、喜んでダンスを踊ろう」とか、それでも、日本では知り得なかった大正天皇と昭和天皇の親子関係、皇室のタブーや経済界、解放同盟のタブーを制約なしで日本の闇部分を報道していたのが、記憶に残っています。

かなりショッキングな日本関連のニュースを意図とした報道ばかりでした。

当時の日本は、Japan as No.1 として、世界中から嫉妬と羨望の注目を浴びていた国でした。

中国は、とても貧しい国という印象で、中国人は「何故、敗戦国の日本が豊かになって、中国は貧しいんだ」という声を聞いたものです。

・・・僅か30年で、中国が、こうも変わるとは?

喪に服した平成の始まり、それでも、平成の時代は、もっと大きな明るい希望のある、世界は、日本の時代になると信じていました。

経済停滞、失業者増加、年間自殺者3万人超え、昭和の中流意識から所得格差拡大の平成へ。

平成の30年間・・・その間、「失われた10年」とか、「失われた20年」とか言われたものです。

それでも、「平成ありがとう」と振り返ります。

さて、一昨日、地元のパワースポットでもある文珠山の山頂に平成最後の「文」という灯りが点きました。

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福井、鯖江の両市にまたがる文殊山(もんじゅさん)で二十四日夜、「児(ちご)の火」がともされた。標高三六五メートルの山頂付近に「文」の文字が幻想的に浮かび上がった。文殊山は、奈良時代初めの七一七年に泰澄大師が開いたと伝わる。児の火は江戸時代の書物に記されている行事だが、由来は詳しく分かっていない。文殊山を広く知ってもらいたいと一九九八年から、登山愛好者でつくる「県文殊会」が電飾で再現している。会員らは午後六時半ごろ、「文」の字をかたどった電球四十八個を一斉に点灯した。眼下で北陸新幹線の高架橋工事が進む中、薄い青色の山肌にオレンジ色の文字が浮かんだ。

(中日新聞記事より抜粋)

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奈良時代、東大寺荘園開田指揮におとずれた僧「行基」が文殊山頂上に到着したことを住民に知らせるため、山頂で火を炊いたとの言い伝えに基づいているとのこと。

この文殊山(標高365M)・・・不思議な山で、文殊観音様の横顔にも似て、遠くから眺めていると、とても大きな山に見えて、近づくと、とても小さな山に映ります。

日本百名山の名付け親である深田久弥氏は、旧制福井中学の学生の頃、この文殊山に何度も登り、寝泊まりもしていたとか。

この山から、白山へと続き、深田久弥氏は、日本各地の名のある山に登り、「日本百名山」を著したのです。

文殊山麓で生まれ育った名優宇野重吉さんは、「日本一の山は、文殊山」と言い続けていました。

平成最後の「児の火」・・・意味不明、由来も不明です。

が、多分、令和を照らす明るい灯りとなるような気もします。


田端義夫 (1919~2013 )

2019年04月26日 | 空木宝剣

ばたやんの 歌で昭和が 甦る

NHKラジオ深夜便。

田端義夫のオンパレード。

大利根月夜、別れ船、帰り船、玄海ブルース、島育ち等々、昭和の歌謡曲が、平成の終いに流れてくる。

大正8年生まれの、ばたやんは、謂わば、団塊の親世代。

ほぼ全員、戦争体験者。

昭和21年の「帰り船」は、さぞや、引揚者を涙させた歌に違いない。

昭和37年、団塊が、12歳の頃に流行った島育ち・・・♪ 赤い蘇鉄の 実も熟れるころ かなも年ごろかなも 年ごろ 大島育ち

東京オリンピック前、高度成長序盤の流行歌は、瀬戸内海の、島育ちの少年の心にも残っている。

マドロスにはならず、マドラスの靴を履いてしまった猫も、はや69才。

平成は、ほぼ子育てに終始した時期。 

令和前夜。

和つながりで、昭和の時代を懐かしむ。

尾上柴舟(1876~1957)の詩


インボリュート曲線

2019年04月24日 | 空木宝剣

平成の 渦より跳ねて 滝のぼり



宇宙の渦、海の渦、陸の渦、時間の渦。

人間を取り巻く環境は、さまざまな渦に取り巻かれている。

🎵薄紫の藤棚の下で歌ったアベマリア

インドネシアの果実 マンゴスチン

平成時代30年の渦巻きも、本日4月24日を入れて僅か1週間。

今日は、平成最後の水曜日。

明日は、最後の木曜日。

明後日は、最後の金曜日、、、、と続いて、5月1日は、令和最初の水曜日となる。

昨日も今日も、平成最後の恵みの雨。

カープ打線の歯車が噛合い、なんと、の勅令(1593年) 6連勝。

インボリュート曲線打法で、鯉患いを打破。

五月晴れの青空天井を、鯉の滝のぼりといくべえ。

平成最後の18日に亡くなった「カープ応援歌」の有馬三恵子さんに向かって、合掌。


花桃と禅の里。

2019年04月22日 | 百伝。

今日から、ヨガ・ストレッチを始めました。

初めて行う場所は、花桃の里に決めていました。

2年ぶりかな? 

3年ぶりかな?

久しぶりに訪ねた花桃の里は、お隣の大野市の山間部にある地域住民の手作りの趣きのある、まさしく桃源郷のような里です。

先週出掛けた坂井市の山間部にある「しだれ桜の里」の大人気も凄いけど、ここ「花桃の里」も人気急上昇です。

平日にもかかわらず、県外からの花見客も含めて大賑わいでした。

前回の花見の時は、お店が全く無くて、今は、カフェがありました。

数時間に一本しか走らない線路内も自由に入って横断できたのに、今は、規制ロープが張られて、立ち入り禁止になっていました。

その数時間に一本の電車も、今の時季は毎日が満員だったそうです。

めまいがするぐらいの花桃の世界ですが、ここでは、ストレッチ、ヨガは、行いません。

個人的な桃源郷は、ここではありません。

ここから歩いて15分程のキャンプ場にあります。

 

リバーサイドとか、レイクサイドとか、シーサイドとか、呼び名を付けると、いいかもね。

向こうの竹林を越えると、九頭竜川が流れています。

山の向こう側には、西日本最大のスキージャム勝山があります。

・・・ 誰もいません。

でも、数年後には、ここにも花見客が押し寄せて来るかもしれません。

限界集落のような地域の民さんが、コツコツと種を蒔いた花桃の世界。

夏には、泳げます。

秋は、これまた素晴らしい紅葉の世界が、広がります。

自治体が、本腰を入れて観光化を推し進めると、この界隈は大化けするかもしれません。

それが、善いのかどうなのか・・・判りません。

ここで、2時間程、誰もいないので、ゆったりとストレッチ、ヨガをして、座禅して、お弁当食べて、お昼寝。

帰り道は、大野の芝桜を見ながらのドライブ。

 途中、永平寺町に立ち寄って帰宅。

花桃と禅の里・・・今日一日、まさしく桃源郷で過ごしたような気分でした。

感謝。


しだれ桜。

2019年04月19日 | 百伝。

ちょっと山間部に行くと、垂れ桜ばかりの公園があり、満開状態でした。

今の時期、福井には、またひとつ、最近人気急上昇、県外からも花見客が増え続ける「はなもも」の花が咲き誇る桃源郷の里のような場所があります。

個人のご尽力によるものだから感心します。

佐賀県、島根県、鳥取県、そして福井県。

同類項のような目立たない県という地域だけど、別に不自由な生活ではありません。

多分、見所、食べ処、いっぱいです。

帰り道、全国でも知る人は知る「けんぞう蕎麦屋」さんへ。

ご主人とも、バッタリ会いました。

五合蕎麦を注文。

美味でした❗

さて、市会議員選挙の期日前投票に行って参りました。

こういうローカル色豊かな選挙は、やはり地元選出の知り合いの候補者に一票を投じます。

尾道でも市長選、市会議員選挙期間だとの事。

高校時代には、百島からは、赤松さん、村上さんの2名を市議会に同時輩出していた程、余裕綽々のパワーがあったんだろうね❗

はて、病院に行けば、高齢者の受診者が多いね❗

垂れ桜を見に行けば、これまた高齢者が多いね❗

この差は、なんだろ?

寝たきりも、引きこもりも、自分自身の生き方、考え方、感じ方、その体験が大きな要因となるかもしれないけれども、やはり、それよりも大きな要因は、人間嫌いにならないような地域社会の指針、政治哲学、地元での暮らしやすさ、働きやすさ、明るさ、朗らかさ、穏やかさ、強い気持ちかな。

人間嫌いでも、立つこと、動くこと、働くこと。

馬鹿を垂れ 垂れ桜見 仰ぎ美桜(みゆ) 

(五七五 17文字)

桜は桜 見事はしだれ

(五七五七七 31文字)。


もの凄い価値観。

2019年04月17日 | 千伝。

ノートルダム寺院(大聖堂)。

その名のある大きな聖堂は、フランス語圏各地に鎮座されています。

日本にも、ノートルダム聖心や清心という学校名がありますね。

置かれた場所で花を咲かせなさい。の渡辺和子さんを思い出します。

昨日の燃えていた寺院は、パリにあるノートルダム寺院(大聖堂)。

パリの中心地となるシテ島のノートルダム寺院。

平清盛、西行が生きていた時代に着工、鎌倉時代の800年程昔からフランスの人々から仰ぎ見られた歴史的、かつ芸術的文学的な建物です。

ここで、ナポレオンの皇帝戴冠式、スコットランド女王の結婚式も行われています。

石の固まりのような見事な建物で、燃えるのかな⁉ と思っていると、天井裏は木材製だとか?

昔、パリに行った時、ノートルダム寺院の屋上に上がって、パリの風景を眺めながら、このまま空に身を溶かして、ずっとパリに居たいと❗と、隣の人が叫んでいたのを思い出しました。

そういう風景、家族、職場、人生への思い入れがあれば、幸せなんだろうね🎵

ノートルダムの鐘の物語。

さて既に一日だけで、ノートルダム寺院パリの再建の寄付金が1000億円近く集まっているとのこと。

もの凄い価値観だね❗


寛容の道。

2019年04月13日 | 千伝。

福井地方の桜も散り始めていますが、桜吹雪の中を歩くのも楽しいものです。

今日は、午後から、近所の桜並木道を散策。

ふと思ったこと。

県外から帰福時に一般国道を走ると、どの県境にも、「ようこそ福井県」という大きな青い看板が、必ず設置されています。

これって、案外、福井県民の誇りになるかもです。

隣県の石川県も、岐阜県も、滋賀県も、京都府も、こういう歓迎看板を県境に設置していません。

観光客集客力全国1位の京都府などは、歓迎看板は、必要ないのかもしれませんね。

でも、奈良県吉野地方は、凄かったです。

「吉野人は歓迎、送迎」だらけの看板が目立ちました。

多分、同じく県内の奈良市中心部、明日香界隈の大和への対抗意識もあるのでしょう。

さて、近所の散歩道。

平日の午後、やや寒い日和、ほとんど誰も歩いていません。

この桜小道、日本の桜名所百選の一つに選ばれているのです。

にもかかわらず、歩く人の姿は、まばらです。

両手を大きく広げて、ゆったりと歩けます。

街の中心方向では、地元の若いプロの女性シンガーの写真撮影が行われていました。

福井から全国に名が売れるように、励むように、ヒットを期待しています。

こういう挑戦は、若者の特権だからね❗

いいえ、高齢者の特権かもしれません。

東京へ向かうのではなくて、地元から活動、発信して欲しいものです。

今夜のNHKの72時間は、東京ドームでの巨大転職フェア。

人生は思い通りにならないものの、転職は、プラス思考でないとね❗

非正規社員が、正社員になる難しさは、経営側の力量不足です。

そして、若者から高齢者まで、日本全国の百万人以上の引きこもりの皆さん❗

日本の未来は、あなた方の声、生き方によって、変わります。

ここ2年ぐらいで、コンビニ店の人手不足も大変みたいです。

数年前までは、コンビニでバイトすれば、いろんな仕事をはやく沢山覚えられると言われたのにね⁉

全国の最低賃金の統一をいちはやく達成すること。

非正規労働者の時間給を、欧米のように、正規社員よりも引き上げること。

さすれば、人手不足問題も解消するだろうに❗

日本社会は、引きこもりの方々には、理解と優しさ、強い気持ちで受け入れるべきです。

引きこもりの皆さん、または社会復帰した皆さんを弾き出す社会は、さらに大きな弱者だらけの社会に成ります。

日本社会は、寛容の道を優先すべきです。


吉野山奥千本まで。

2019年04月12日 | 百伝。

古来より日本一の桜の名所として知られてきた奈良県吉野山まで参拝いたしました。。

一目千本・・・古来桜が多く、ソメイヨシノの原木である白山桜(シロヤマザクラ)と呼ばれる山桜を中心に約200種3万本の桜が密集しているとのこと。

吉野山の山下の北から山上の南へと順に上がり、下千本、中千本、上千本、そして、奥千本と呼ばれています。

上千本の展望台から、中千本、下千本を眺めた風景です。

因みに、上千本は、歌舞伎「義経千本桜」の舞台となった場所です、

昨日の時点で、下千本では、桜が散り始めていました。

中千本、上千本は、満開の状態でした。

この上千本から、さらに登って行くと、吉野山の最深部となる「奥千本」です。

かつて、古来日本では、花見の宴と言えば、梅の花でした。

(新しい元号となる「令和」の引用も梅の花の宴からです。)

それを、800年ほど昔、日本、日本人の代表の花となる美意識を「桜の花」に変えたのが、月と桜の花をこよなく愛した漂白の歌人 西行です。

「願わくば 花の下にて 春死なん そのきさらぎの もち月の頃」

「何となく 春になりぬと 聞く日より 心にかかる み吉野の山」

その西行・・・奥千本に、三年間も幽居したと伝わっています。

小雨降る冷たい中、長くつを用意して、参拝。

この界隈(奥千本)は、残念乍ら、桜は蕾状態で、まだ咲いていません。

でも、素晴らしい、ちょっとしたハイキングでした。

そして、到着。

ここが、奥千本の名の由来となる場所にある「西行庵」です。

若い頃から、興味のあった場所です。

 

でも、西行が、三年間、この地で隠遁したとも思えませんが、何度も足繁く吉野山の参拝していたのも事実です。

西行が生きた時代から、約500年後、あの芭蕉が、奥の細道へ行く前に、二度、ここを訪ねているのが何とも不思議です。

帰り道、振り返れば、西行庵が小さく見えました。

白山桜が満開となると、ここは素晴らしい風景になるのは、想像がつきました。

ただ、豪雨災害なのかな?・・・山肌半分が禿山のような状態でした。

現在、この奥千本は、「奥吉野シロヤマザクラ再生プロジェクト」として、杉の木を伐採し、桜の木を植える作業が続けられているとのこと。

10年後の桜満開を想像じながら、再び来れたらいいなぁと思いながら、あとにしました。

しかし、ここ奥千本に来るのは、体力が必要です。

足腰が丈夫な時でないとね!

以上。

当日は、生憎の冷たいの中の写真撮影、メモの出来も今一つでした。

寒さに震えながらの散策でした。

以下、桜散る下千本、賑わう中千本、写真撮影愛好家の多かった上千本、簡単な報告とさせていただきます。

日本三大桜名所でもある青森県の弘前城公園の桜、長野県の高遠城址の桜も大変素晴らしいけど、吉野山の一目千本桜は、別格でした。

吉野山全体の規模も大きく、日本古来の白山桜に酔い知れました。

そして、西行が、異常なほどに「吉野山の桜の花」に憧れ、恋していたのがよく分かりました。

カール・ブッセの「山の彼方」という有名な詩があります。

  山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う。

  ああ、我ひとと尋め行きて、涙さしぐみ帰り来ぬ。

  山のあなたになお遠く、幸い住むと人の言う。

百島の愛宕山の頂上からも、かつては、色鮮やかだった桃の花が見える風景を想像しました。


チューリップ・バブル。

2019年04月07日 | 千伝。

世界の片隅と、世界の中心と。

白山が見えるベランダに置いた鉢植え。

いつの間にか、チューリップの花が咲いていました。

チューリップにすれば、安心して咲き誇れる場所が、世界の中心なのでしょう。

人間も同じく、安全装置(安全な人間関係)のある場所が、世界の中心となるのでしょう。

世の中には、多くの命が集まる場所は、大都会、もしくは密林ジャングルです。

膨大な金や物や情報が集まる人工的な場所は、落ち着きません。

かつて、チューリップの球根バブルがあったオランダの歴史を思い描きます。

投資するのであれば、自分の欲しい花(企業)にするのが正解でしょう。

世界の片隅となるのも、世界の中心となるのも、命の咲かせ方、気持ちひとつ、心の中。


「百」、千年先まで。

2019年04月05日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

幼い頃から、「百」という文字に異様に興味を抱いていた僕ですが、この歳になって気づいたこと。


百とは、めでたき文字で、万(まん)と朕(ちん)に相通ずるものだと確信しました。


万葉の時代、もも、百敷(ももしき)とは、帝(天皇)の御所、宮中を意味しておりました。


今日は、「令和」を引用した万葉集の梅花の宴の中で読まれた歌32首の中で、「百」がついた名の人物が詠んだ歌を取り上げます。


万葉集の中で、一番多く歌を詠んだのが、大伴家持・・・万葉集の実質的な編集者です。


その父親が、大伴旅人・・・今、話題となっている梅花の宴の邸宅の主なのです。


天平2年(730年)、今から1300年ほど昔の平城京(奈良)時代。



わが園(その)に梅の花散る ひさかたの天(あめ)より 雪の流れ来るかも(大伴旅人)


(わが家の庭に梅の花が散る。はるか空から、雪が降って来るのかも)


               ↓


これを受けての大伴百代の歌。


梅の花散(ち)らくは何処(いづく) しかすがに この城(き)の山に雪は降りつつ(大伴百代)


(梅の花が散っているのはどこだ? それにしても この城の山には雪が降り続いている)


散りゆく梅の花を、意図的に雪に間違えて、梅の花は、雪なり。と笑いを誘う、とばけて詠んだ歌です。


はて、大伴百代(百世)とは、どういう人物だったのかな?


万葉集に、他にいくつか歌を詠み残しています。


ミヒャエル・エンデの名作「MoMo モモ」・・・時間泥棒から時間を取り返す少女の物語を連想します。


時間の花(百花)が、天から降りてくるのです。




百の万葉集。

2019年04月03日 | 百伝。

一年に何度もアレコレと定期検査を受診していますが、今日は、一番ドキドキする造影剤を使ったCTの受診検査でした。

半年に一度、大動脈の太さを測定するのです。

通常の大人の大動脈の太さは、3センチとのこと。

6センチになると、人工血管への置換手術を勧められます。

現在、僕の大動脈の太さは、約5センチ。

多分、拡張性心筋症を発症して、足取りが重くなった時点から、大動脈への負担が増大したのだと、今になって理解できます。

大動脈解離になって以来、自分のスレット(裂け目)のある大動脈をCT 写真で見ていると、生きていることが不思議です。

これからの半年、また次の検査まで、血流、血圧、自分との闘いです。

さて、今日は、春の甲子園の決勝戦(東邦vs.習志野)をラジオで聴きながら、40年ぶりに万葉集を流し読んでいました。

ラジオの解説者が、面白い事を言ってました。

今回の決勝は、平成vs昭和の高校が戦っているみたいだったと、勝者は、平成であるとも言っていました。

例えの言い方は好くないのですが、習志野のチームは、昭和の戦いでよく見せた奇襲作戦が多かったようです。

ダブルスチールを試みたり、二塁走者がサインを盗んだりしていたと優勝候補だった星稜チームから抗議されたり、美獏の応援とか・・・昭和の時代、かつての千葉県は野球王国でした。

平成最初と最後の優勝校は、東邦・・・愛知県へのイメージは、いつも思う。

「広島県のライバルです」

さて、話題を万葉集に戻すと・・・これまた再発見。

とりあえず、図書館から借りた本を速読。

20代の頃に詠んだときは、全然興味も湧かない、面白くもなかったのですが、40年ぶりに読むと、驚くことばかり。

現代人との面持ち、人生観とも、全然変わらないし、あとがきの説明で、当時の万葉じんの思想観、生活感がピュアで、出雲の神様スサノオとオオクニヌシノミコトのように二面性を備えているのは事実かもしれません。

あの万葉の時代、列車も車も走らない交通手段の一番の移動手段は、「舟」でした。

あの当時、日本の人口は、百万人ぐらい暮らしていたのかなぁ?

ほとんどが、現代人の先祖であり、わりと海や大きな川の近い場所で暮らしていたんだろうなぁ。

瀬戸内海は、今で言う、高速道路のようなものでした。

そして、いつの時代の人間も、「自分も空を飛べたらいいのに」と、空想もしています。

万葉集の中で、よく使われている言葉があります。

もも、百、ももしき、百敷、百世 等々・・・嬉しくなります。

安治という、言葉もあります。

楽しみが増えました。

じっくり、万葉集を、いろんな角度から深く読んでみたいと思います。


令和へ。

2019年04月02日 | 百伝。

卯月四月に入りました。

昨日、今日と、こちらは霙混じりの寒い日々です。

13歳の春、百島中学校の「潮の香」に投稿した俳句。

梅咲けば 桜咲くのは 何故だろう

今日のこちらの桜の開花状態は、五分咲きぐらいかな。

代替えに、10年ほど前に植えた苗木も、どんどん成長します。

昨日は、新しい元号の発表。

令は、零とか霊に通じるという言質もありますが、そう思いません。

令は、個人的には、「励」を思い浮かべます。

和は、そのまま、英単語を使えば、リラックスの和み。

励は、ストレッチの励み。

ぼく個人の「令和の意義」は、ストレッチとリラックスの時代と訳したいものです。

今日は、図書館に出かけました。

ちょうど、坐った席の真ん前に「万葉集」がらみの書籍があったので、手に取りました。

今回の「令和」は、万葉集から引用されたとのこと。

それも、梅の花を愛でる宴を大宰府の大伴旅人の館で行ったとのこと。

その大伴旅人、任地の大宰府での勤めを終えて、奈良の都に帰任の途中、鞆の浦に立ち寄って詠んだ歌も万葉集に残っていました。

当時、奈良時代・・・あの界隈は、どうだったのかな?

桃の島は、あったのかな?

万葉集・・・しっかり詠んでみたくなりました。

今年、出来るものならば、平成最後の桜咲く時期、奈良県の一目千本桜の吉野山へ参拝したくなりました。

無理ならば、来年の令和最初の春かなぁ。

来年は、福島県の三春町にある三春滝桜にも参拝したいなぁ。

三春の語源は、梅、桃、桜・・・三つの花が咲いてこそ、ほんとうの春が来るということだそうです。

 

ストレッチは、励む。

リラックスは、和む。

・・・令和の時代へ。