百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

おしい!百島

2013年01月31日 | 百伝。
キャプテンが、ご自分のfacebookに使われていたフレーズです。

思わず、ログインをして、「いいね!」を押しました。

僕も、Facebook と twitter には、登録しているのです。

でも、どうも書き込むのを躊躇してしまいます。

その理由は、いろいろとありますが、文字が小さくて読みにくい、書きにくい、「考えすぎ症候群」?

思いとかアイデアというのは、人間が持つ想像を自由自在に働かせる楽しみです。

名誉のためでも、よいと思います。

欲張りでも、お金のためでも、よいと思います。

かつては、日本国首相は、日本丸の船長として譬えられたものですが、昨今は、営業力をも求められます。

「おしい!広島県」の知事もそうです・・どこの自治体の首長も、地元のトップセールスマンだとの自覚を語ります。

「うどん県の香川」に重ね合わせて・・イングランド・プレミアリーグで世界に挑むマンチェスター・Uの香川選手のコメントです。

「いつもイメージする準備をして試合に出て、結果を残したい」・・いいコメントですね。

自覚と自負です。

理屈をこねるよりも、笑わせたり、感動させたりする人間の方が、アイデアも営業力も豊富なのは確かです。

百島ネットワーク商店主のような気持ちで、ひとりひとり・・今は、顧客を確保しておくのが大事です。

おしい!百島。

キャプテン・・ありがとう。

みんなの気持ちですよ。

明日から如月。

無知の涙

2013年01月30日 | 資本と社会の問題
ある事柄から、連想して思い出すことがあります。

かつて、野党第一党だった日本社会党(現 社民党)があった三宅坂の社会文化会館ビルが老朽化のために取り壊されるというニュース。

若い頃、あのビルの地下にある食堂レストランで、青森県出身の友人とビールを飲んだことがありました。

もし県民性というものがあるのならば、青森県人は、とてもユニークな人材が多いのは事実です。

一昨日、二人のユニークな青森県人の話題がニュースになりました。

一人は、大阪女子マラソン2位に入った福士加代子選手(30歳)。

もう一人は、大相撲を引退となった高見盛関(36歳)。

この両者、共に青森県北津軽郡板柳町を郷里とします。

・・この板柳町?

思い出したのは、19歳で連続ピストル射殺犯、その後、獄中作家となり、獄中結婚離婚した死刑囚・永山則夫という人物です。

貧困が生んだ犯罪として、今なお現代社会に突き刺すような問題です。

死刑制度の是非の問題も確かに考えさせられます。

青森県出身の寺山修司氏が、「その変身を信用しない」というコメントをしていたのを思い出しました。

その寺山修司氏に対する永山からの反論文も、確か相当なものでした。

北海道の網走から、青森の板柳へ、そして、金の卵として、東京への集団就職。

彼の転々とする風景は、どこへ行っても、どこに暮しても、幸せになれない「無視される不信に陥る孤独感」でした。

獄中に入っての彼は、読書三昧でした。

文字や言葉を憶えて、作家になった永山です。

その印税を、彼が殺めた被害者遺族に送ります。

人は・・人材、人在です。

人罪(罪人)にもなるし、人財(財人)にもなるのを、永山死刑囚の人生が、それを証明しています。

彼の出世作「無知の涙」・・いまだに、しょっぱい味のする、答えようのないノート文学です。

恋話 ~さばえ近松文学賞~

2013年01月29日 | 福伝。
福井市と越前市の間にある鯖江(さばえ)市が、今年から全国に発信する「さばえ近松文学賞」。

そのサブタイトルは、「恋話(KOIBANA)~それでも人は恋をする~」。

近松門左衛門の故郷は、鯖江だそうです。

近松の代表作「曽根崎心中」が、初めて上演されてから310年になるとのこと。

これを機会に日本一の眼鏡生産の街から、文化都市に転換を図っているようです。

・・合併もせず、独立独歩を目指す雰囲気のある街です。

さて、その鯖江・・さばえブランドを確立しようと、いろいろとアイデアを輩出するユニークな街でもあります。

創立者が鯖江出身ということで、明治大学の学生さんとコラボしたり、アメブロ(藤田晋社長・鯖江出身)と一緒に何か取り組んだり・・

鯖江市長の牧野百男さん、アイデア市長です。

僕も、一か月間ほど、鯖江で暮らしたこともありますから、何かと気になる街です。

福井県坂井市の「日本一短い手紙」、福井市の「独楽吟」募集にような全国区レベルの人気公募になって欲しいものです。

さばえ近松文学賞の受付も開始です。
募集内容:
恋にまつわる短編小説、400字詰め原稿用紙10枚まで。最低1箇所は鯖江に関するもの(歴史・文化・産業等)を入れてください。
題材は不問。オリジナルで未発表のものに限ります。年齢・性別・職業・国籍は問いません。
受賞作品の著作権は主催者に帰属し、応募作品は返却いたしません。

ただ、気にかかる条件があります。

ネックとなるのが、「最低1箇所は、鯖江に関するもの」という条件を外さないとね・・。

全国区での人気文学賞公募となるのは・・難しいかなと考えます。

大文字と十文字

2013年01月29日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
京都の祇園界隈に十文字町という場所があります。

かつては、この界隈から、大文字山が、よく見えたと考えられます。

その祇園には、八坂神社があります。

全国の約二千三百社に及ぶ祗園社の総本社であります。

そのお守りは、「蘇民将来子孫者也」。

・・もうひとつ、気にかかるのが、愛知県津島市にある津島神社。

東海地方を中心として、約三千社にもなる「津島神社(牛頭天王社)」の総本社になります。

これまた「蘇民将来」と深い関わり合いがあります。

その津島神社の近くに「百島(ももじま)町」があります。

さらに、伊勢地方へと南下して行くと、蘇民将来の物語は、地元伊勢での神話だと信じられています。

天照大神を祀る伊勢神宮の御膝元、伊勢の神民たる人々は、「蘇民将来の子孫」だという神話が伝えられているのです。

そう、すべてが、神話となるのです。

新しい神話作りに挑戦したいものです。

僕は、瀬戸内海の百島こそが、蘇民将来子孫発祥の地だと考えています。

話が、飛びました。

百島の余談に戻します。

ほんとうに余談になりますが・・大文字山と十文字山は、よく似ています。

雪道に思う。

2013年01月29日 | 資本と社会の問題
昨日の朝、太平洋側、瀬戸内海沿岸方面に暮らす方からのメールが3通、届きました。

雪のため大渋滞だったのでしょう。

・・車の中から送信していた方もありました。

あれぐらいの雪ならば、日常茶飯事の我々の生活では、「あのぅ?」・・ですね。

よく首都圏で、雪が降ると、千人も二千人も転倒して病院に運ばれた・・というニュースもあります。

簡単なことは、ゴム長靴を履けば、転倒することは、ほとんどありません。

ゴム長靴を用意されると、よいかと思います。

それから、冬期間、車には、スッタドレスタイヤの着用を義務化すればよいかと思います。

シートベルト着用が義務化されているのに、タイヤが、一年中、ノーマルタイヤだというのは、変です。

これから、ますます高齢者が増える社会です。

雪道での高齢者の歩き方では、危険です。

最低年金金額の保障を、生活保護受給者の金額に統一すべきだと思います。

雪道にも滑らない日本社会であって欲しいと思いました。

日本百名山の原点

2013年01月28日 | 福伝。


福井市と鯖江市との市境界に位置する文殊山(標高365M)です。

山の輪郭が、文殊様のお顔の側面に似ているでしょう。

この山の麓に生まれ育った名優宇野重吉さんは、生前「日本一の山は、文殊山だ」と古里自慢をしていました。

この文殊山・・日本百名山の原点になりそうです。

名著「日本百名山」を著した深田久弥さん(石川県加賀市生れ、福井市育ち)の母親は、福井市出身。

その関係で、深田久弥さんは、旧制福井中学校に進んだのです。

その当時の深田久弥さんが、初めて登った山が文殊山なのでした。

最近、文殊山山頂にある本堂に、少年時代の深田さんご自身の落書き(大正8年頃)が見つかったのです。

少年時代の深田久弥さん・・何度も何度も文殊山に登り、山で夜通し勉強していたということも判りました。

・・ちょっと驚くような深田さんのエピソードです。

地元では、「深田久弥 勉学遊山の山・・日本百名山の原点」と古里自慢するようです。

百々(どど)橋。

2013年01月27日 | 日本の百々巡り。

百島、もしくは百島内の地名を付けた人物は、どんな方だったのか想像を巡らしています。

例えば、百島の桂川、十文字山等々・・これは、すべて京都にある地名なのです。

相当、京の街や歴史を知らないと、名付けられません。

赤松一族が百島へ逃げ延びる切っ掛けとなった嘉吉の乱が無ければ、応仁の乱もなく、それに続く戦国時代もなかったはずです。

当然、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も歴史の表舞台には、登場しなかったでしょう。

歴史は、ほんのちょっとした切っ掛けで、大きく流れが変わるものです。

過去に学び、現在を生き、未来に希望の橋や夢を膨らませます。

百々橋・・十年にも及ぶ応仁の乱の戦いが始まる時に、東軍と西軍が対峙した京にあった橋です。


百島ネットワーク

2013年01月27日 | 百伝。
今日は、久しぶりに自宅での日曜日です。

来月の勤務表作りをしながら、のんびりした時間を過ごしています。

百島ネットワーク主宰者キャプテンの情報によると、泊と福田で、空き家再生の動きがあるとか・・楽しみです。

百島の郵便局が臨時休業しているとか・・こういうニュースは、非常に貴重な情報になります。

逆に、こちらから、百島の身内に知らせることができました。

感謝です。

百島ネットワーク主催者であるキャプテン・・ありがとうございます。

小生も、百島ネットワーク会員です。

がんばらないと!

百島ネットワーク: http://www.momoshima.net/

天神講

2013年01月25日 | 福伝。
今日(1月25日)は、福井の独特な習慣として伝わる天神講の日です。

何をするかと言うと、正月から床の間に飾る天神様(菅原道真公)の掛け軸に越前かれい(焼きカレイ)を飾り、今日は、それを食べるのです。

そして、その床の間に飾ってある天神様の掛け軸をおろして、来年の正月まで片付けてしまう日なのです。

福井では、男の子が生まれると、祖父母から孫渡しとして天神様の掛け軸を贈られる習慣があるのです。

その値段は、数万円から何十万円ものもあり、正月には、床の間にズラリと何世代分もの掛け軸を飾る家庭もあります。

この慣習・・?

おそらく、福井に関わる松平春獄、橘曙覧、橋本佐内 等が生きていた江戸時代末期の頃から盛んになったのでは?・・と思い巡らしています。

はてさて、最近、どうも、長い時間、テキスト・教科書を読めなくなっており、学習時間も減る一方で、単位取得も難しくなりつつあります。

目のせいにはしたくないけど、掛け軸の天神様を眺めて、勉強も楽しくなれば、それだけで幸いです。

鯛よりも、焼きカレイと焼きサバが、菅原道真公の大好物だったそうです。

離島のなかの離島王道

2013年01月23日 | 百伝。
「二十四の瞳」の舞台になった日本でも有名ブランドの「小豆島」。

小豆島・・大崎上島や因島も同じレベルだと思いますが・・。

百島に較べれば、大都会で巨大な島です。

その小豆島が、離島になるということを申請したとのこと。

つまり、離島振興法に適用されての地域活性化を図るとのことです。

離島振興法の意味合いが、少し霞んでくるかな?

だって、巨大島には、既にレストラン、旅館ホテル、コンビニストアだってあるはず。

離島の地域活性化、人材育成等々・・離島への助成金があれば、どんどん申請して活性化に繋がるとよいですね。

それこそ、ほんとうの離島が活性化する王道かな。

今、イメージできる離島というのは・・やっぱり、百島かな。

離島としての王道を歩んで欲しいものです。

驚きの跳躍時間

2013年01月21日 | 資本と社会の問題
映画「ももへの手紙」の舞台は、大崎下島。

映画「東京家族」の舞台は、大崎上島から。

その大崎上島は、まだ橋が架かっていません。

その大崎上島へ、元警視庁の白バイ女性隊員だった森ルイさんという方が、移住して暮らしているという話題です。

NHK E-テレビ「グラン・ジュテ~私が跳んだ日~」。

いま活躍して輝いている女性たちが出演し、壁を乗り越えて飛躍する過程を語る番組。

先日、その番組に、森ルイさんが、出演されていたとか。

彼女のブログ等を読んでいると、非常に学ぶべき点が多いのです。

昨年4月、アンテナショップ(カフェ&ギャラリー・ショップ)をオープンさせた森ルイさんという女性。

ここまでは、同じような思考順路を軌一にするのですが・・そのあとが凄い!!

自称、大崎上島親善大使として、島の魅力を発信できるアンテナ・ショップを経営しながら、WWOOF「ウーフ」の制度(仕組み)を利用しているのです。

WWOOF「ウーフ」とは、英国で、40数年ほど昔に、ひとつのアイデア(友だち作り、友情の享有協力)から出来あがった制度(仕組み)です。

簡単に言えば、受け入れ側のホストとして「食事と宿泊場所」を無償提供します。

代わりに、受け入れられる側は「ウーファー」としての支援力、その知識と経験を提供して頂くという・・お互いが助け合う交換制度(仕組み)なのです。

お金のやり取りは、無しです。

だから、国内は勿論、海外からも多くの方が「ルイさんの家」に訪問滞在します。

それが宣伝広報活動にもなり、大崎上島の魅力に繋がってゆくのでしょう。

世界に向けての発信力となる多少の英語力も必要ですが、それよりも何よりも、とても感心させられる参考となる驚くべき跳躍的な生き方です。

最近、瀬戸内海の島を舞台にしたコマーシャルも多いのですが、雪国もしくは大都会からの視点で、陽差しの明るい瀬戸内海の島へと想いを馳せます。

この二つの別世界を行き来する魅力は、驚きの跳躍時間となる、何とも言い表せない贅沢な夢心地となります。

それが、よい意味での非日常的な充実した驚きの時間、幸せな生き方になればいいと考えます。

道 

2013年01月21日 | 千伝。
柴田トヨさんの詩です。 

ご冥福をお祈りいたします。

~あなたに~

好きな道ならば

でこぼこ道だって

歩いていけるわ

辛くなったら

少し休んで 空を見て

まっすぐ 歩いて行くのよ

付いてくるわよ

あなたの影が

がんばれって

言いながら。

生き神さま。

2013年01月19日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今日は、眼科医へ・・だいぶ、よくなっているとのこと。

さて、「おじゃマップSP in 百島」・・録画したのを、もう一度観てしまいました。

百島診療所の中で、「この人らは、ええ人ばかりで、生き神さまのような人なんよ!」と言ってた方・・?.

あれ? ・・あれれ!!

同級生の保っちゃんのお母さんでした。

昔から、保っちゃんのお母さんには、とてもお世話になりました。

我らの青春が輝くのは、ひとえに保っちゃんのお母さん、そして、お父さんの御蔭様です。

保っちゃんの家で、夜が明ける朝まで一晩中、若い男女入り混じって、ドンチャン騒ぎしても・・受け入れてくださったのですから。

おまけに、朝は、おにぎりまで用意してくださっていました。

普通の家庭では、「何をしとんじゃ!」と怒られるのが必定です。

不良少年少女の不純異性行為ではないと・・信じてくださっていたのです。

・・凄いご夫婦でした。

とりわけ、保っちゃんのお父さんは、大きな人物でした。

あれは、中学二年生の時の思い出です。

とてもいい先生なのですが、生徒を「えこひいき」とするという理由で、我々同級生男子ほぼ全員で、先生の授業をボイコットしたことがありました。

授業に出ないで、裏手の八幡神社で、遊んでいました。

担任が、血相を変えて、探しに来たのを憶えています。

前代未聞のボイコット事件だったようで、あとあと大変だったようです。

親には、叱られました。

例の百島流の「風が、わりぃ事をするな」という「ならぬものは、ならぬ」のです。

あの当時の記憶が鮮明に残っているのが、保っちゃんのお父さんの言葉なのです。

「ほんとうに自分が正しいと思うなら、その行動はいい。でも、みんながやるから、何も考えずに、ついていくだけならばダメだ」

・・そんな意味を持つ重い言葉でした。

今でも、胸の中に生きて、人生の分岐点のその都度その都度に役立っています。

保っちゃんのお父さんは、戦後、台湾から百島に引き揚げてこられて、尾道市役所に勤務していました。

新尾道駅の新設には、尽力をつくされた方でした。

山陽新幹線が開通した時、広島県内の新幹線の駅は、福山駅と三原駅、そして広島駅の三駅のみでした。

その後、誘致完成した新尾道駅は、地元尾道の意地と寄付金で、出来上がったのです。

福山、尾道、三原と・・短い間隔で、新幹線の三駅があるのは、全国でも珍しいのです。

尾道市観光課課長だった時期もありました。

御存命ならば、今回の「おじゃマップ」の百島訪問・・嬉しかったと思います。

百島のいろんな人に育まれたんだな・・という想いがします。

生き神さまのようだった保っちゃんのお父さんへ。

合掌 感謝。

おじゃマップSP

2013年01月18日 | 百伝。
一昨日のフジテレビ「おじゃマップSP」は、素晴らしい番組構成でした。

瀬戸内海の広島県百島を舞台にした百島診療所と島民の交流を描いたもの。

日本は、まだまだ、宝の島が、残されているのを実感します。

一方、中国では、「鼻毛マップ」というのが、話題となっているとか。

北京の大気汚染が余りにも悪化しているために、鼻毛の長さを測るというものが発端らしいです。

空気が悪いと、鼻の中が真っ黒になり、鼻毛が伸びるのは事実です。

中国だけではなく、日本でも車の通行量が多い所に行くと、それが証明されます。

グローバル社会の基本となるのが、ローカル社会だと考えます。

今回の「おじゃマップSP」を観ての感想です。

これから in 百島

2013年01月17日 | 百伝。
昨夜の「おじゃマップ SPスペシャル in 百島」・・日本全国で何百万人もの方々が観られたはずです。

なかなか、よかったです。

フジテレビさんとそのスタッフに、座布団を百枚かなぁ。

感謝。

・・間寛平さんも観られたのかな?

・・12年前のフジ系列の関西テレビ放映「アミーゴ・マラソン in 百島」を思い出されたかな?

香取慎吾さん、小池栄子さん・・「圧倒的に人がいない場所」と言いながら、

泊地区を散策しつつ「めちゃ奇麗(な風景だね)」の一言。

・・ありがとうです。

山崎さん、シェフ川越さん・・「百島へ、ようこそ、お越しくださいました」の繰り返した言葉に、

深いお辞儀。

・・いい仕事をしてくださいました。

世良公則さん、もうちょっと長い時間出て欲しかったかな。

・・次は、百島で合宿をして欲しいものです。

それにしても、唖然としたのは、テレビ映像の中に出てこられた百島の皆さん・・。

気風が、いいです。

でも、そのほとんどの方々が、どこの、どなたなのか?

・・皆目判りませんでした。

浦島太郎のような気分になりました。

さて、百島診療所の皆さんは、ほんとうに生き神様のような救世主かも知れません。

でも、救世主は、名が広がるにつれて、高まるにつれて、これからが大変になります。

次田先生・・ゆるやかに夢が叶いますように。

田中さん・・心清く美しい人ですね。

そして、キャプテン漆原さん・・百島診療所での仕事ぶり初めて拝見しました。

全国から、見学を兼ねて、多勢来られるかも知れませんね。

その時は、健康保険証持参のうえでの診察ですね。はい!

これから・・

毎週水曜日は、「おじゃマップ」か「NHK7時のニュース、クローズアップ現代、ためしてガッテン」の、どっちを観るか悩むところです。

毎年、「・・in 百島」シリーズを放映して欲しいものです。

あれから・・

18年前の今日は、阪神・淡路大震災がありました。

また、大地震のような被災は、必ず起こるのでしょう。

人生に慢心は、禁物です。

でも、自信は、必要です。

何事も「これから」です。

黙祷。