百島ファンクラブ 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

結果オーライ。

2022年07月28日 | 百島極楽遊園地
昨日の広島県高校野球決勝戦、残念ながら尾道高校は破れました。

広島県代表は、48年ぶりに盈進高校が甲子園ヘ。

おめでとう❗

昨晩、プロ野球オールスター戦、テレビ観戦。

先発した佐々木朗希投手、球速162キロは凄いなぁ❗・・もう少し観たかったかなぁ。

やはり思い出した48年前の高校3年生の時、特別だったあの夏休み。

あの夏、甲子園球場ヘは応援に行けなくなったけれども・・。

未だに人生で1度だけ、プロ野球オールスター戦を生で観戦する事が出来たのです。

スーパースター長嶋茂男さん、、最後のオールスター戦出場、広島市民球場でした。

高校時代の仲良しだった田頭、彼のお姉さんの旦那さんが、広島カープの三村さん(二塁手、元広島カープ監督)と親友で、その縁でチケット5枚が手に入ったようです。

それで仲良し5人(田頭、砂取、滝川、半田、長江、そして僕、えっ6人かな?)で、高校最後の夏、オールスター戦観戦。

試合内容は覚えていませんが、あのスーパースター長嶋茂雄選手、試合前に独りゆっくりと球場観客席近くをグルリと一周、ナガシマという歓声に対して、ウィンクしながら歩いていました❗

スターは、片方の目を堂々とウィンクするものだと感心。

ちなみに、長嶋茂男さんは、高校時代、甲子園出場を果たしていません。

あのオールスター戦の試合後、砂取の家に皆で泊まって、朝食が大変美味だった思い出、忘れられません。

あの夏休み、父の貨物船に乗って、北海道ヘ。

もう長い間、会っていませんが、10数年前に田頭の息子が、盈進高校野球部のキャプテンをしていると聞いた覚えがあります。

それから、百島の西林寺の住職さんも、盈進高校野球部OBではなかったのかな?

思い出せば、15歳で高校入試不合格、失敗続きの始まり。

落ちこぼれ私立男子高校時代のくすんでいた青春でした。

されど、暴れたくなる青春に迷いながらも、親がいて、家族がいて、友がいて、笑いがあり、故郷があり、道に外れた人生には成らなかった。

今になって想う48年前の輝いていた青春に感謝です。

感謝出来る人生?

チャップリンの言葉ではないけど、ちょっとした勇気と想像力、そして少しのお金が必要。

過去はペーソス、未来はユーモア。

人生は、結果オーライに尽きます。



全力疾走しない百米走者。

2022年07月26日 | 百伝。
今年のオレゴンでの世界陸上も終わりました。

いつもテレビ観戦していましたが、25年間務めたメインキャスターの織田さん、中井さん、お疲れ様でした。

織田さんの最後のメッセージ「地球に生まれて来てよかった❗」・・いいね❗

高校時代、少しだけ陸上800メートルを走っていましたから、走る苦しみの後の楽しみはよく知っています。

50歳までは、ハーフマラソンを走っていました。

シニアのマスター陸上ヘは、希望すれば参加出場出来るとの事。

でも、お医者さんは、「走ってはダメです」との見解。

せっかく、地球に生まれて来たのにね❗

今日のニュース、数年前の今日起こった相模原やまゆり園殺傷事件。

14年前の秋葉原無差別殺傷事件の犯人39歳が死刑執行される。

あの犯人、凶行に使ったナイフ、わざわざ福井まで買いに来て、秋葉原で凶行に及んだ事を思い出しました。

福井ではなく、人口の多い東京秋葉原で事件を起こした方が注目を集めると考えたようです。

人間、みんながみんな夢が叶うわけでもありません。

むしろ失敗に終わる人生の方が、遥かに多いのです。

社会からの疎外感、共生が伴わない人間社会。

人間は、悩み多ければ、社会を世相を怨み、政治を恨みます。

されど、振り回されては元も子もありません。

楽しく長く生きて走る方法が見つからない時代。

それでも、死ぬまで走りたいです。

ゆっくりとね❗

中距離、長距離がダメ、無理ならば、短距離を繰り返しましょう。

全力疾走をしない百メートルランナーになりましょう。


甲子園ヘの道。

2022年07月26日 | 日本の百々巡り。
今年の広島県高校野球決勝戦は、尾道高校 vs. 盈進高校。

尾道高校の甲子園初出場の快挙と成るか?

あるいは、盈進高校の48年ぶりの出場か?

48年昔は、高校3年生でした。

明日の決勝戦は、誰もが知らない48年ぶりの因縁試合です。

尾道高校頑張れ❗

当時の尾道高校水泳部は日本一の強豪だったけど、野球部は、まだまだ無名でした。

ところが、あの夏、優勝候補として注目を集めたのが前年秋の中国大会出場した尾道高校と広島商業。

しかし、前年の夏の甲子園優勝した広島商業は、呉港によもやの1回戦敗退の大番狂わせ。

尾道高校、甲子園に行ける可能性、期待大となった48年前の夏。

しかし、準々決勝の相手が盈進、尾道高校惜敗。

盈進は決勝戦ヘ、相手は広島県高校球界ナンバーワン投手望月を擁した竹原高校でした。

しかし、エース望月は打たれて涙流してベンチに下がります。

望月は、大崎上島出身だったかな? 阪神タイガースに入団。

一度、後楽園での巨人vs. 阪神戦観たけど、プロとしては大成しなかったです。

さて、48年昔の夏、盈進高校は、歓喜の甲子園出場となります。

甲子園での盈進の試合結果は、3回戦敗退。

相手は、神奈川県代表の1年生だった原辰徳を擁した東海大相模高校。

因みに、あの夏の甲子園優勝校は千葉県代表の銚子商業。

準優勝高校は、お隣りの山口県代表の防府商業でした。

あの年、1974年青春の夏、尾道高校野球部の4番は、広島県高校球界ナンバーワン打者だった百島中学校同級生の保ちゃん・・僕も、甲子園ヘ応援に行けるはずだったのになぁ。

でも、振り返れば、何かに挑戦できた青春は、いいなぁ。

僕が出た高校には、男子高校なのに野球部もサッカー部もなくてね。

因みに、あの夏、福滋(当時は福井県と滋賀県両県)代表として、甲子園に出場した同年代の元球児が近所に居ますが、「甲子園で大敗したから余りいい思い出がない」と言います。

甲子園ヘの道、いろいろです。


前兆の物語。

2022年07月24日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
百会倶楽部です。

今日の県民福井、東京新聞のコラムから抜粋。

『西遊記』の孫悟空が天界から追放されたきっかけは「桃」だった。孫悟空の天界での仕事は蟠桃(ばんとう)と呼ばれる桃の管理人。この桃には不思議な力があり、三千年に一度だけ熟すものを食べれば仙人になれる。六千年に一度だけ熟すものなら空を飛べ、長生不老の身となれる▼桃管理人の悟空さん、まじめに働いていればよかったが、この桃を勝手に食べるわ、「蟠桃勝会」なる桃の宴会に招待されなかったと腹を立てて大暴れするわ、とやりたい放題。天界の怒りを買い、結局、釈迦如来(しゃかにょらい)によって五行山に五百年にわたって、閉じ込められる▼その桃に長生不老の不思議な力はなかろうが、不届き者に勝手に持ち去られてはたまるまい。桃の名産地山梨県。高級品種「日川白鳳」「みさか白鳳」などの桃が大量に盗まれる事件が相次いでいる▼収穫前に畑に侵入し、まだ青い実をもいでいってしまうらしい。暑い日に寒い夜。丹精込めて育てた桃が持ち去られる。生産者にとってはわが子を連れ去られたも同じだろう。許し難い▼同県では桃に続いて今度は高級スモモの盗難被害も報告されているそうだ。季節に応じて狙いを定めているのか、どこまでも人を食った盗人である▼農家を泣かせる一味が悟空のように退治されることを願おう。桃の香りが漂う平和な「桃源郷」が盗みによって、「桃減郷」となってはしゃれにもなるまい。

先日、山梨県まで出掛けて参りましたが、ちょっと手を伸ばせば桃の掴み取りも可能、そんな桃の果樹園が延々と広がる地域です。

桃泥棒は、ダメです。

今日のコラムは、桃を食べて長生不老となる伝説とモモの時間泥棒を連想させるような内容に感心しました。

桃と百は、より善い「兆」となる共通性があるような気がします。

今は、茅の輪くぐりの季節。

悪疫退散、災難除、夏越大祓いの神事です。

全国の祇園祭も含まれます。

宮中行事においては、百官男女ヘのお祓い。

今に繋がる庶民信仰として、天下万民ヘのお祓い。

息を吹きかける人形代(ひとがたしろ)も登場。

最近、その由来を説明する神社も増えてきて嬉しくなります。

広島県、備後の国の風土記に登場する蘇民将来の子孫也が原典となります。

伊勢でも出雲でも高千穂でもなく、備後の国なのです。

水無月に行う神事なのに、茅という植物は、水辺に生えます。

そして、穢れを茅とともに百々という水に流します。

多分、備後国の桃という水辺または海辺がルーツとなります。

百と桃のより近い善き兆となる前兆の物語です。






尾道市百島旧支所。

2022年07月23日 | 日本の百々巡り。

百会倶楽部です。

中国新聞の記事に、尾道市旧百島支所に関しての記載がありました。

(中国新聞より抜粋)

国の文化審議会が登録有形文化財に22日答申した旧尾道市役所百島支所庁舎(広島県尾道市百島町)は、支所廃止後も含め半世紀以上にわたり離島の百島の住民に親しまれてきた拠点だ。

百島遺産として、今後百年以上遺して欲しい建物です。

さて、どのように長期保存管理するのでしょうか?

国が、維持管理していただけるという事なのかな?


人間なんて、ラララ。

2022年07月22日 | 萬伝。

施設に暮らす95歳の独居高齢者さん、吉田拓郎さんのファンクラブに入っていて、元気な頃は、日本中のライヴコンサートを追っかけしていたとの事。

今でも日々、居室内で吉田拓郎さん歌を聴いています。

年内で芸能活動引退を表明した吉田拓郎さん、昨夜、久しぶりにテレビでお見かけしました。

痩せたなぁ・・終活かなぁ、吉田拓郎さん。

8年程昔、NHK で吉田拓郎さんと沢田研二(ジュリー)さんの対談番組以来かな?

あの時は、歳をとって太ったジュリーに歳月劣化を感じながらも、吉田拓郎さんは若いなぁと印象でしたが、あの頃から癌との闘病生活の日々が続いていたんだ。

吉田拓郎さんのデビュー当時は、東京カレッジフォーク、関西フォークが全盛の時代。

高校生だった頃、吉田拓郎という男が、広島フォーク村から突然全国に飛び出して来た感がありました。

中学生の頃は、戦争を知らない子供たち、あの素晴らしい愛をもう一度等々、関西フォークの北山修さん、杉田二郎さん等々、メッセージ性の強い大阪の深夜ラジオを夢中になって聴いたものでした。 

因みに、吉田拓郎さん、北山修さんの、杉田二郎さん、加藤和彦さん、ビートたけしさん、西郷輝彦さん(鹿児島の同じ小学校1年生まで)は、同級生となるらしい。

🎵僕の髪が肩まで伸びたら結婚しようよ・・高校生になって聴いた吉田拓郎さんの声。

当時、僕の親父は、こんな喧しい歌はどこがいいのか?と訝っていました。

吉田拓郎さん、ライヴコンサートでは、いつも「人間なんて、ラララ~🎵 広島ヘ帰ろう❗」と歌って叫んでいたと聞いたことがあるけど、今度、訊いてみましょう。

地元愛の強かった吉田拓郎さん・・確か、西城秀樹君はねぇ、と呼んでいたなぁ。

歌って踊る広島弁を駆使するPerfume パーフュムの面々。

浜田省吾、世良公則、奥田民生、吉川晃司等々を擁する広島県出身のアーティストたちの面々。

その中でも、矢沢永吉さんは、「拓郎、陽水」を超えたいと考えていたとの事。

演歌、GS、フォーク、ロック、ニューミュージック、J ポップス、Jロック。

この変遷は、多分、多分ね・・大乗仏教から小乗仏教ヘの移り変わり、海外の異教の導入かのような時代の境目だったかもしれません。

人間、皆、アイドル(偶像)になりたいのでしょう。

吉田拓郎さん作曲の歌。

作詞者は、岡本おさみ氏 (1942―2015)、鳥取県米子出身。

🎵旅の宿

🎵襟裳岬。襟裳の春は 何もない春です。

🎵落陽。苫小牧発、仙台行きのフェリー、サイコロ2つ。

個人的に思い出す好きな歌は、大作の「アジアの片隅で」、ネーネーズの「黄金の花」、猫の「地下鉄に乗って」、岸田智の「君の朝」、森山良子の「歌ってよ、夕陽の歌を」。

他にも、岡本おさみ氏の作詞作品は、沢山あります。


理想の国。

2022年07月20日 | 資本と社会の問題

世界一貧しい大統領のスピーチを再再度、掲載させて頂きます。(国連スピーチからの抜粋)

ホセ・ムヒカ氏:会場にお越しの政府や代表者の皆さま。ありがとうございます。ここに招待いただいたブラジルと、ディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。

私の前にここに立って演説した、快きプレゼンターのみなさまにも感謝いたします。国を代表するもの同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。しかし、頭に中にある厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。私達の本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?

それは可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!

そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので、作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることに、お気づきでしょうか。

これは紛れもなく政治問題ですし、この問題を別の解決の道に進めるため、私たち首脳は世界を導かなければなければなりません。なにも石器時代に戻れとは言っていません。マーケットを再びコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス(古代ギリシャの哲学者 快楽主義の祖)、セネカ(小セネカとも:古代ローマの哲学者で、皇帝ネロの家庭教師を務めた)やアイマラ民族(南米の先住民族)までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

私は、環境に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。しかし、世界でもっとも美味しい牛が、私の国には1300万頭もいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は牛肉やミルクの輸出国です。こんな小さい国なのに、領土の80%が農地なのです。

働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では6時間だけ働く人が増えてきました。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。

こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分にこんな質問を投げかけます。

「これが人類の運命なのか?」私の言っていることはとてもシンプルなものです。

発展が幸福の対向にあってはいけないのです。発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。幸福が私たちにとってもっとも大切な「もの」だからなのです。

環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。


美しい国。

2022年07月19日 | 萬伝。

毎日が「今日が一番若い日」だと言います。

もっと若かった昔、「世間に出して恥ずかしい若者」を個性として捉えて認識されるようになった時代があります。

英国在住時に花の都パリを旅していると、シャンゼリゼ通りの凱旋門近くバンク、翌日にはモンパルナスの丘で、道中二度偶然会った日本からのアベックの新婚さんと意気投合した旅の出会いがありました。

それで今夜一緒に食事しましょう、という事になり、待ち合わせたのがサンジェルマン通り。

新婚さんカップルの友人で、あの山本コウタローさんの奥さんも食事に合流するとの事。

でも、待ち合わせに彼女は来なくて、当時は携帯電話も無くて、しばらく待ちぼうけの状態でした。

すると、向こう側から見たことのある方が歩いて来ます。

同じくパリ旅行に来ていた作家の林真理子さん(現、日大理事長)です。

新婚さんから、「一緒に食事しませんか?」と声掛けしましょうか?という提案。

僕は、「いやいや止しましょう」と言いました。

後日、「パリでの旅道中記」の出会ったモデル、出来事、一風変わった日本人として描かれるだけですからね。

結局、待ち疲れて、山本コウタローさんの奥さんは来ない、3人でパブのようなレストランに入り食事、海外からの観光客もいっぱい❗

会話が弾み、世界各国のお国自慢合戦となりました。

花の都、美しい国は、どこか?

日本人の意見として通訳したのは、拙い僕の英語力でした。

僕がよく最後に締めくくりに話したのは、「昔、日本は戦争して負けました。でも負けてよかったと多くの日本人が考えています。日本は負けたからこそ懸命に働きます。でも僕は働くのは嫌い怠け者です。だからこそ、今ここで、あなた方に出会えた。運命に感謝です」

日本人にはエコノミックアニマルという強烈なイメージがあった時代です。

あの時代、僕のように仕事もせず働かない日本人は珍しく映ったようです。

あれからバブル崩壊、日本経済は「失われた30年」という表現します。

でも失われた30年以前の日本人は、黄色人種の代表して、白人社会に対してのエコノミック動物的なコンプレックスがありました。

もっと中国人も韓国人も台湾人も、経済的に豊かになり、アジア人黄色人種のブライド、地位向上を目指して欲しいなぁ・・と当時の海外在住の日本人の多く思っていた筈です。

あれから30年、韓国の台頭、中国の大躍進、その反面、アジアの日本は失われた30年と自虐的に卑下しますが、経済関連以外の世界からの日本人ヘの親密度、信頼性は、大成功した30年かもしれません。

それは、日本人といると楽しい面白いと思わせる自遊人のような日本人が増えたからです。

そんな日本人と知り合った異国人は、日本人と過ごした自分の青春の輝きを必ず子供や孫の代まで伝えますから、日本大好きな異邦人が増えるのです。

不謹慎な話をします。

今、安倍元首相の国葬ヘの賛否両論が大きな話題となっています。

安倍さんを撃ち殺した加害者41歳の人生遍歴が詳しく明るみなってきました。地元の進学校を卒業したものの母親が多額の金額を統一教会に寄進して家族崩壊、京都大学に入れる学力がありながら大進学出来ず、海上自衛隊に入り自殺未遂、その後は非正規、アルバイト生活、最後は60万円の借金。

日本の格差社会、不条理な人生に一石を投じた負の一面です。

これは自業自得という自己責任ですか?

個人の問題ですか?

社会の問題ですか?

政治政策に問題はないのですか?

亡くなった安倍さんを含めて、国会議員の2世、3世の代議士の先生方は、どれだけ経済的に困窮している貧困層を理解しているのかな?

2年前の寒い冬の深夜、広島出身の同じ歳の女性がホームレスとなり東京のバス停に座っているところを、邪魔だとして殴り殺された事件がありました。広島市内での高校時代は優秀だったとの事。

合掌

あの被害者は、ひとつ人生間違えれば、僕自身の人生だったかもしれません。

国会議員2世の広島出身の岸田首相、ホームレスになるという心配、不安は、人生にあったのかな?

安倍政権下、モリカケ問題で自殺者が出る、桜見問題も公私混同、損得にも似たり寄ったりの首相ヘのソンタク、平均的な日本人は豊かになったのかな?

個人的な意見として、国葬はどうかという疑問視です。

でも、海外からの視点から考えると、安倍元首相の死は、暗殺によって政治生命を全うしたという強烈なインパクトがあります。

それだけに国葬という行事は、海外から国賓級レベルの方々も来日、国葬費用以上に間違いなく世界ヘ向けての日本最大のアピール、広告宣伝となります。

安倍さんが目指した政治信念「美しい国、日本」。

そして、アベノミクスという経済政策。

大きな国、小さな国、面白い国、楽しい国、恥ずかしい国、自慢出来る国、戦う国、貧しい国、豊かな国、平和な国、自由な国、侵略国、独裁国。

金満国ならば、お金に賞味期限を❗

美しい国とは、どんな国ですか?

地球上では、美しい国も美しくない国もありません。

昨日は海の日、18年前は福井豪雨被災の日、3年前は京都アニメ放火事件の日。

世界一貧しい大統領と言われたムカヒ氏の国連スピーチを噛みしめます。

人災、天災は、ずっと続くのです。


君と走った青春。

2022年07月17日 | 福伝。

中学生の頃に聴いた「走れコウタロー」。

本命穴馬かきわけて~走れ走れ、面白くて楽しい歌でした❗

「走れ」という言葉は、心が走り出すような魔法の響きがあります。

爆風スランプ、ももいろクローバーZ 、なごり雪然り。

高校生の頃に聴いた「岬めぐり」。

この失恋歌の言葉、窓に広がる、いつか、この悲しみ、町に戻ろう。

悲しい気持ちなのに、未来ヘ希望を灯すような歌でした。

この歌を手掛けた山本コウタローさん(73歳)が亡くなりました。

お悔やみを申し上げます。合掌

当時、我々世代では深夜ラジオの世界でも若者の兄貴分のような存在でした。

特に受験生の間では、抜群の人気を誇ったものです。

ご本人自身、一浪して上智大学入学後、東大を目指したものの学生運動で東大入試中止の為、一橋大学ヘ進学。在学中にあの「走れコータロー」でデビュー、大ヒット。卒論は「誰も知らかったよしだたくろう」。

卒論に同年代の吉田拓郎さんをテーマにして書き上げるのも視点が斬新です。

浪人時代、同じ下宿人だった清水君を思い出します。

彼は、山本コウタローさんの大ファン。

山本コウタローさんが、浪人生に呼び掛けた事がありました。

1月のある日の早朝、学問の神様、亀戸天満宮で一緒に合格祈願をしよう❗

清水君、一応皆を誘いましたが、結局僕と二人で亀戸天満宮ヘ。

あの日の早朝、ダッシュ、全力疾走したね❗

山本コウタローさんとちゃんと握手して、お話もして激励もいただきました。

帰りに、日本橋の三越デパート前のライオン像の前でガオーと叫ぶと合格出来るというアドバイスも頂いて、清水君と二人で雄叫びました。

清水君と下宿屋に戻ると、その話題でしばらく盛り上がりました。

清水君と僕は、進学校出身ではないのです。

どういう事なのか?

分かりやすく言うと、例えばです。

世間に出しても、自慢できる恥ずかしくない子供若者。

世間に出しても自慢できない恥ずかしくなる子供若者。

僕と清水君は、どちらかと言えば、世間に出しても自慢できるような事もなく恥ずかしい若者でした。

でも、僕らは下着泥棒なんかする破廉恥な人間ではありません。

進学校出身の浪人生は、何か勉強の仕方、学力を身につける方法を知っているのです。

同居していた北海道と鹿児島出身の浪人生、それぞれ地元の有名な進学高校出身で、仲良く早稲田と中央大学法学部に両方合格、それぞれ早稲田と中央に分かれて進学、一人は裁判官、裁判長になりました。

その後の清水君、二浪目覚悟の受験結果状態。

🎵ところが奇跡か 神がかり

いならぶ名馬を ごぼう抜き
いつしかトップに おどり出て
ついでに騎手まで 振り落とす

走れ走れ コウタロー
本命穴馬 かきわけて
走れ走れ 走れコウタロー
追いつけ追いこせ 引っこぬけ

走れ走れ走れ走れ 走れコウタロー
本命穴馬 かきわけて
走れ走れ走れ走れ 走れコウタロー
追いつけ追いこせ 引っこぬけ

最後に、清水君、日大芸術学部に進学できました。

フジテレビ、日本武道館へ連れて行ってくれた清水君。

真夜中に下宿屋を抜け出して深夜スナックに連れて行ってくれた清水君。

一度、清水君と再会。

その後、消息不明。

君と走った青春を忘れません。


南アルプス市百々。

2022年07月14日 | 日本の百々巡り。

山梨県南アルプス市百々(どうどう)に参りました。

東には富士山、北には八ヶ岳、西には日本で2番目高い北岳、3番目に高い間の岳が見渡せる南アルプス市。

南アルプスの市木は桃、桃の生産量は日本一だとの事。

桃源郷マラソン大会も開催する南アルプス市。

コンセプトは「自然と文化が調和した幸せ創造都市」。

平成26年6月には、南アルプス市はユネスコエコパークに登録されています。

さて、南アルプス市の百々地区。

さくらんぼ、桃やスモモの広大な栽培畑が広がり、その中に大きな屋敷が点在して、百々という地域は、豊かな地域に映りました。

桃泥棒も徘徊しているという事、やはり僕のような者が突然現れて散策していると、不審者に映るかもしれません。

とりあえず、百々公民館ヘ。

立派な公民館でした。

あいにく、どなたも常駐されていません。

ただ、百々という地域の誇り、由緒ある歴史の由来を大きな看板の表と裏にビッシリと書き込み紹介していました。

素晴らしいです❗

百、百々という地名を、いかに誇りとして愛着があるのか、愛郷無限の一言に尽きます❗

要約すると、明治以前には元々、百々を含めて62の集落、村が存在したようです。

合併、合併、また合併して現在の南アルプス市になったとの事。

百々は、中心的な位置にあったようです。

始まりの居住は平安時代、鎌倉時代に入ると、この地域は八田御牧として甲斐源氏の有力な軍馬の供給地となり、村落の形成も進んだとの事。 

明治8年、百々、上八田の二村が合併して「百田村」が誕生。

その後、しばらく「百田村百々」は存続した後、現在、南アルプス市白根町百田(百々)となっています。

それまでの合併経緯は複雑で、南アルプス市の市制史によると、「巨摩町が誕生した昭和26年を境に以後3次にわたる合併を経て成立していきます。出発点ともいえる1次の合併は、昭和29年2月22日に源村が5カ町村合併案から外れ、巨摩、西野、百田、今諏訪の4カ町村の合併協議が成立したことを受け、昭和29年4月1日、この1町3村により白根町が誕生したとの事。」

白根町という名前は、住民になじみ深い南アルプスの白根三山(北岳、間の岳、農鳥岳)に由来しています。

そして、2003年(平成15年)4月1日に山梨県中巨摩郡八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の6町村が合併し、南アルプス市が誕生、今に至るとの事。

百々 ➡ 百田村 ➡ 白根町 ➡ 南アルプス市。

かつては、白根町百田は、今は、南アルプス市百々となっているのかな?

南アルプス市立白根百田小学校の住所表記は、南アルプス市百々です。

公民館の御近所の方に、百々の氏神様である神社を教えていただきました。

百々 諏訪神社。

地元出身の政治家、かつては、昭和の信玄公、政界のドンと呼ばれた金丸信氏による揮毫。

武田信玄は、諏訪大明神を軍神として信仰していたので、甲斐の国、山梨県にも諏訪神社が多いのは納得しますが、この神社は、所蔵品から鎌倉時代からではないかという説もあります。

この界隈には、平安時代の集落という百々遺跡がありますが、当時は、百々という地名はあり得ないと考えます。

看板にも記されている、江戸時代にまとめられた山梨の地誌『甲斐国志』によると、このように説明されています。

「本村ノ北御勅使川ニ望ム百々(ドンドン)ハ水ノ鳴ル音 北山筋(甲斐市敷島)ニ百々河・江戸ニ百々橋ノ類也」

百々は河川に近い場所で、水がドッと流れる音、様子を表しているとの事。

全国の百々には、同じような地域由来の説明が残ります。

つまり、百々という地名は、室町時代嘉吉の乱前後に、ほぼ全国同時に生まれたと推測できるのです。


深大寺 青春の杜。

2022年07月13日 | 福伝。

調布市深大寺。

上京して予備校通いの浪人生の頃、下宿していた新宿区牛込原町から、一番よく訪ねた場所。

当時、深大寺ヘは、中央線吉祥寺駅丸井ビル前からバス、あるいは京王線つつじヶ丘駅前からバスで通う不便な場所にあり、兄が暮らしていた下宿先が深大寺だったのです。

不思議な下宿屋でした。

通常は各部屋の仕切りはドアだけですが、そこの仕切りはドアだけでなく廊下側にも窓があり、それが開けた窓の役割をしている雰囲気がありました。

下宿人は、兄を含めて5人ぐらいだったかな?中央線、京王線界隈の大学生。

代々、先輩方からマージャンを教える風潮があり、雀荘のような下宿屋でした。

何故か知らないけど、「赤い鳥」の後藤さんというフォークシンガーの方も、時々、マージャンをする為に遊びに来るとの事。

紙ふうせん、翼をください・・連想します。

下宿していた大学生の先輩方、皆さん兄と同じ歳で、浪人生だった僕をよく可愛がってくれました。

亜細亜大学の軟式野球同好会に所属していた身体がゴツい先輩。

「うちの大学は楽しいぞ。短大も併設、キャンパスには女子学生がいっぱい。周辺の大学生がよく学食に遊びに来ているぐらいだ。勉強出来なくても単位も取りやすい、うちへ来い。うちの大学は楽しいぞ❗」

私立男子制の工業高校を卒業したばかりの僕としては、心が大きく頷きました。

翌年、武蔵野にある亜細亜大学ヘGo と相成りました。

さらに、武蔵野吉祥寺にある成蹊大学アーチェリー部に所属していた先輩。

とても優しい方でした。

小学校からの一貫校成蹊大学ヘ来いとは薦めなかったです。

ご本人もお坊ちゃん育ちなのでしょうが、そんな素振りは一切なくて、成蹊大学はそれなりにお上品だと言っていました。特にアーチェリー部には、お金持ちの坊ちゃんばかり、国会議員の息子もいるとの事。(後の安倍元総理大臣です)

あの先輩、今どんな想いでアーチェリーとの青春を振り返っているのかな?

ファイトです❗

さらに、いつもサンダル履きだった法政大学工学部の先輩。

自称湘南ボーイの楽しい人でした。法政大学工学部は男ばかり、亜細亜大学が羨ましいとの事。

「ルージュの伝言」がヒットしていた頃、この歌手は必ず大物になると予言していました。まさかとは思いましたが、予言通り荒井由美さんは大当たり。

旅好きだった先輩、学生時代、百島の我が家まで遊びに来たり、その後、英国で一度ロンドンを案内した際には、そっと謝礼を僕のバッグの中に置いて帰国、しなくてもいいのに、その心遣いに感謝。

いつまでも、元気であってほしい先輩です。

振り返れば、あの深大寺。

兄を含めた先輩方、最寄り駅までバスで通わなければならない不便な、あの深大寺にある下宿屋を何故選んだのだろう?

雰囲気かな?

進学後、僕は、それが嫌で、最寄り駅に歩いて行ける下宿先を選びました。

それでも、深大寺ヘすぐに行けるように中央線沿いの荻窪を選びました。

でも、僕の下宿生活は、あの深大寺のような深く大きな結び付き、絆はなかったです。

各部屋はドアで仕切られていて、卒業すれば、そのままお別れでした。

深大寺の青春。

社会人になっても、深大寺での青春群像は忘れられずにいました。

暮らしたアパートは、京王線沿いの国領、深大寺と同じ調布市内を選びました。

もう何十年も行っていない深大寺。

縁結びと蕎麦で有名な深大寺。

深大寺は、気持ちの中で遠くにありても近い青春の杜です。


愛郷無限。

2022年07月11日 | 百伝。

一昨日の土曜日夜、TBSテレビ情報7daysニュース、「今離島が大ピンチ・壮絶・イノシシ  vs. 島民全記録」が全国放映されていました。


目に染みる夏の青葉。

2022年07月09日 | 萬伝。

昨日7月8日、東名高速道の静岡県清水ジャンクションJC から、山梨県甲府へと繋がる中部横断自動車道を初めて走行しました。

目的地は、山梨県南アルプス市百々。

(中部横断と縦断の区分け、中部縦断自動車道とは、福井~高山~松本の開通を目指す自動車道)

本来ならば、静岡市に入れば、目の前をドーンと鎮座している日本一の富士山を仰ぎ見る事が出来るハズなのに、生憎、昨日の天気は気分屋の大ハズレでした。

でも、あの界隈は、車のご当地ナンバープレートが賑やかで地域振興、地域向上アピール、走る広告塔として車が多く走っていました。

故郷尾道でも、福山から脱して、尾道のナンバプレートが誕生するとか❗

びんご・・の方がいいかなぁ。

八王子、湘南、富士山、伊豆、諏訪、等々、一時話題となったご当地ナンバプレート。

でも・・・見慣れたか、見飽きたかなぁ。

やはり、長く走っている福井のナンバプレートが地味で一番馴染みます。

県外に出ると日本全国、福井ナンバーの車には案外親切かつ優しいです。

そんな事を考えながら、南アルプス市百々に到着。

百を大事にする、とても豊かな大きな地域愛。
(百々から百田が生まれた、凄いぞ❗後日、感想執筆)

そうそう、日本で2番目に高い山は、北岳です。

日本で3番目に高い山は、間の岳。

南アルプス市からは、日本1番と2番と3番の山が見えるハズなのです。

南アルプスから信州、長野県経由で帰福しました。

途中、道の駅はくしゅうに立ち寄りました。

水が美味しかったです。

御菓子のシャトレーゼは、ここ南アルプスの水を使って製造しているとの事。

道の駅はくしゅうで突然目に耳に入ったニュース。

「安倍元首相が何者かに撃たれて心肺停止」

帰り道、ずっとこの速報関連ニュースが流れていました。

福井県に入ると、安倍元首相死亡という夕方のニュース。

覚悟をもっての政治家人生、でも、こんな方法で生涯を終えるというのは、悲しいね。

今回の41歳の犯人、無差別殺傷ではなく、安倍さん一人を標的殺人にしていました。

あと15年後、あるいは30年後には出所、社会に復帰しているのだろうなぁ。

社会の中での貧困格差、孤立無援、孤独に身を置いて生きている人々は、どれだけ多く存在するのやら?

秋葉原の無差別殺傷事件、京都のアニメ放火殺人事件、大阪のクリニック放火殺人事件・・思い出すだけで社会の不安材料がいっぱい。

数日前には、中学生二人をナイフで刺して、刑務所に入りたかったという40代の男。

テロ、暴力は、民主主義ヘの重大な挑戦、冒涜だと、政治家はこぞって言います。

犯罪の土壌が広がるのは、社会の貧困層拡大、社会からの疎外感が最大要因なのでは?

政治に求めるのは、社会を明るくして欲しい、未来を明るく照らして欲しいに尽きます❗

15年後、30年後、日本社会、世界情勢は、どう変わっているのかな?

太平洋側から日本海側ヘの中部地方、横断と縦断のドライブ旅行。

目に染みる夏の青葉な一日でした。

ちょうど15年前の当日(命日となる7月8日)夕方、首相になったばかりの安倍さん、福井に選挙応援演説に来ていました。

学生時代の事を少し会話をしたのを思い出します。

そして、今日7月9日に福井入りして応援演説の予定だったとの事、

ご冥福を深くお祈り申し上げます。
合掌


文月 七月 July

2022年07月07日 | 空木宝剣

カレンダー  破り忘れて  七夕か

7月1日は、富士山の山開き。

4日は、徳島 大空襲。アメリカ独立記念日。

7日は、新暦七夕祭平塚。

9日は、浅草ほうずき市。

13日は、迎え盆。

14日は、フランス革命記念 日。

15日は、博多祇園山笠。

18日は、海の日。

19日は、福井大空襲。

20日は、恐山大祭。

24日は、地蔵盆。

25日は、大阪天満天神祭。

31日は、大阪住吉大社祭。

と、以上のような行事の7月。

忌まわしいのは、1945年の7月と8月。

広島 長崎の原爆投下や東京大空襲、沖縄地上戦の悲劇。

それに、B29による焼夷弾の大爆撃は、北海道から本州 四国 九州の津々裏々まで、焼きつくした。

その地獄図を、戦後世代は知らない。

第二次大戦1945年の夏は、日本のみならず、ヨーロッパの都市さえ破壊しつくした。

事も疎か(おろか)やかかる代に住める民とて豊かなる。

2022年7月。

ロシアとウクライナの戦争悲劇も、この夏で仕舞いにすべき。


昨日今日明日への希望。

2022年07月03日 | 福伝。

昨日からKDDI のトラブル、au のスマホを使っているので、大変です。

昨日は、半夏生、鯖寿司を食しました。

暑い暑いとはいえ、職場も家庭も移動の車もエアコンが効いて快適です。

エアコンが無かった昔の方が酷暑でした。

最近、問題となっている「底辺の職業ランキング」、馬鹿な愚かしい事を言うものです。

職業に貴賤無し、但し、給与差別有り。

格差社会、貧困社会を無くすのが、政治力。

昨日、期日前選挙に1票を投じて参りました。

表に出ると、自民党関係者が大動員されて、福井県選出の自民党国会議員が全員揃っていました。

メディアも警察関係者もいっぱい。

何事かと思うと、岸田首相の選挙応援演説があるとの事。

岸田首相のお話を最後まで聴いて帰宅。

芸能界のショウのような熱気でした。

日本の底辺となるべき職業は、政治家と芸能人とスポーツ人ではないのかと?

もっと、日本の底力を示して欲しいものです。

もっと、日本の貧困社会、格差社会に対して打破を❗

もっと、日本の元気を底上げして欲しいものです❗