百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

定年日和

2006年03月28日 | 千伝。
先週申請していたIC付きのパスポートが発行されたので、今日1万6千円支払って受け取った。

・・何だかなぁ。

「定年日和」を観ながら、第二の人生って・・何だかなぁ。

そんなもの・・日和見の人生のような気もしました。

希望社会なら満足です。


天秤

2006年03月27日 | 千伝。
「ナルニア国物語」の映画を観に行った。

コンビニに行くと、春休みで自転車に乗った中学生が駐車場を占領して、たむろして動かない。

車でクラクッションを鳴らしたら、一斉にこちらにガンを飛ばしてきた。

片手を挙げて挨拶すると、何故かあっという間に、皆な逃げて去った。

毎年、5億円程、納税している70歳過ぎの実業家が、10年ほど前、年始会で、「人間というものは、人生のやり直しは、53歳までかなぁ」と言ってたのを思い出す。

今日は、市役所へミスを指摘。

公務員は、どうも自分のミスを素直に認めようとしない。

ニートも、どうも労働をしないという頑固さがあるらしい。

現代の日本社会で、自分を無能と評価されるという事体が、苦痛になるようである。

実際、組織内で、出世、高ポジションに上り詰めた途端、無能な人間になっている輩が多い。

こんな無能な上司・・とは言っても、それで組織を辞めることは、自分が無能であったということにも繋がる。

まだまだ若くて社会的にも人生経験もなく希望があった時代と社会に出てから50才に手が届くようになるまでの人生体験を経た時代と・・自分自身の天秤にかけてみると・・。

どうも、不思議だ。

吹けば飛ぶような軽い、若かった頃の方が、天秤にかけると、思い切り良く飛び上がる。

人間というのは、どうも自分の「無能さ」を認めがたいようである。

でも、自分の無能さを認めたうえで生きた方が、すいすいすいと生きていけるような気がする。

今日一日・・感じて思ったことでした。


一所懸命

2006年03月10日 | 千伝。
風呂に浸かって、一日を振りかえると、走馬灯のように映像が甦ってきます。

あっという間の一日も、案外あっちこっち(遠近オチコチ)しているのが理解できます。

ビデオのコマどりのように、随分忙しく頑張っている自分に、ねぎらいたい気分が湧いてきます。

この温泉に浸かったような気分を自宅の風呂で味わうことが出来るのも、風呂を一日の回想の場所としたことによります。

眠る時は、満天の星を想像しながら、宇宙に包まれて眠る。

眠ることも、休むことも決して無駄なことではなく、すべてのことに意味があるということが、一所に懸命になるという言葉を生んだと思います。

食事の時は、テレビを見ながらのナガラではなく・・

この米は、この卵は、この野菜は、この魚は、この肉は、この豆は、何処で、誰がが作って、頂いているものだろうと思っていくと、随分な宝物を頂いているという感謝の気持ちが、自然に起こります。

一所懸命の深い意味が、少し理解できたようです。

感謝に深謝です。