百島ファンクラブ 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

松尾氏の2.26日。

2019年02月28日 | 千伝。

元共同通信ワシントン支局長でジャーナリストの松尾文夫さん(85歳)が、日本時間2月26日未明、訪問先の米ニューヨーク州内のホテルで亡くなられました。

(1956年、共同通信に入社。特派員として米国やベトナム戦争を取材。71年に米中和解を予測する論文で注目された。81年から84年までワシントン支局長。論説委員、関連会社社長を経て、2002年ジャーナリストに復帰。09年の著書「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」などで「相互献花外交」を訴え続けたことが評価され、17年度の日本記者クラブ賞を受賞。今回の訪米も、日本とアジアが一層の和解を進める必要性を説くための取材だったとのこと。)

折しも、ベトナムのハノイでの米朝首脳会議。

今日は、地元紙(福井新聞)の今朝のコラムを紹介したく下記に載せさせていただきます。

【越山若水】松尾文夫さんの疎開先は福井市の手寄辺りだった。福井空襲の夜は家族とともに荒川を渡り東へ逃げた。その途中、焼夷(しょうい)弾が田んぼに落ちるのを目の当たりにした▼幸いにも降りかかってきたのは、ナパームの炎ではなく泥水のみ。不発弾だった。命を拾ったこの瞬間が、米国というものを知り抜こうとしたジャーナリストの出発点になった▼松尾さんは共同通信の特派員として騒乱の中にあった1968年の米国を見ている。キング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺、ニクソン氏の大統領選勝利の年である▼記者の経験としてすさまじい出来事ばかりだ。名著「銃を持つ民主主義」の中で本人も「ワシントンで取材できた幸運をかみしめている」と述懐している▼ちなみに同書の文章は「が」が極めて少ない。論旨を分かりにくくするから逆接の接続助詞を意図して避けたものらしい。簡単にはできないことで、本人が後書きで少し誇らしげに明かしている▼松尾さんが亡くなったニューヨークは、特派員として最初の赴任地だった。米国にこだわり続けた生涯の旅を、米国で終えたことは本望だったろうか▼きのう2回目の米朝首脳会談が始まった。「米国第一はニクソン政権で始まった」「日米安保は米から中国への引き出物だった」。米国の本質を鋭く指摘してきた松尾さんが、会談をどう見たかはもう聞けない。

さて、亡くなられた2月26日は、1936年(昭和11年)当時の陸軍青年将校たちが、下士官兵1483名を率いて、政府中枢を襲った日本のクーデター未遂事件の日(2.26事件)。

奇しくもその日、松尾文夫さんの祖父松尾傳蔵氏が、首相の身代わりに暗殺された日でした。

時の首相は、岡田啓介氏(福井出身)、その首相秘書官が義弟となる松尾傳蔵氏・・・全ての公職を辞して、義兄である岡田首相の傍らで無給で働いていたそうです。

「わたしが、岡田だ」と言って、銃弾を受けたとのことです。

地元駅前にある岡田氏と松尾氏の銅像です。

今でも、2月26日の松尾の祥月命日には、地元の人々が慰霊祭を行っています。

福井の地に骨を埋めたいと生前言われた・・・松尾氏のご冥福を祈ります。

合掌


高松山。

2019年02月25日 | 空木宝剣

木漏れ日の 下に苔むす 可部の山

 

標高339メートルの高松山。

東京タワーより少し高い目線で、可部の街が望める。

    

1221年、承久の乱以降。あの「敦盛」ゆかりの熊谷氏が地頭として、この地を治めたとある。

道元禅師21才の頃か。


百まで数えて。

2019年02月25日 | 百伝。

昨日の午前中、奥越の勝山まで参りました。

朝から、賑やかで、楽しい「囃子」も聴こえてきます。

 

福井県の代表的なお祭りのひとつ、奇祭「勝山左義長まつり」です。

午後から、県立美術館へ。

昨年亡くなった障害者でもあった「画家吉田ヨーゾーの人生を語る座談会」に参加。

「まっとうな人生を送る奴やまともな人間は、絵なんて描かない」とパネリストの方(吉田氏の友人の画家)の言葉が印象的でした。

書道展も見学。

「百」という文字が、沢山書かれており興味深く眺めていました。

夜、NHKスペシャル「大往生」を観ました。

自宅で看取られるのは、今や殆ど難しいというのが、現実社会。

義務教育であった百島中学校を卒業して、50年近い歳月が経ちましたが、その間、今もずっとフリーター感覚で仕事しているような気もします。

 最近、60歳を過ぎた同年代の多くの方々の職業が、無職やらアルバイトやら元会社員、元○○と紹介されると、仲間意識が芽生えます。

百姓仕事ではないけど、百まで数えて、最後に自分の仕事を見つければよいのです。


金柑玉魂。

2019年02月24日 | 千伝。

ストレスを生む基本条件として、早口で喋る、早飯である、仕事を断らない、休日を取らない、権力を手離さない等々、あと二つぐらい要因がありましたが、忘れました。

来年は、還暦となる皇太子殿下・・・そして、来年以降、2月23日が、日本の象徴となる天皇誕生日となります。

普通の一般人は定年退職、年金生活者に入るけど、新天皇は、これからが世界へデビュー。

ストレスとなりませんように。

ニッポンの象徴(日本のシンボル)として励み、日の丸を掲げます。

チューリップの種を植えています。

みるみるうちに、芽を出しています。

「不便だけど、不自由ではない」という離島、山間暮らし。

「便利だけど、自由ではない」という都会暮らし。

最近、たまたま、食した金柑に癒されています。

ぷ~んと放つ柑橘系の鋭い香りに癒されています。

「完熟 きんかんたまたま」という商標で売り出されています。

・・・美味です!

たまたま出会った金柑の香りに元気がでました。

梅とか、桃とか、サクランボとか、柿とかも含めて、日本果実のシンボル。

一年中、春夏秋冬にも「きんかんたまたま」。

金柑玉魂。


亀山宮。

2019年02月21日 | 空木宝剣

早鞆や 歴史の潮目 和布刈かな

亀山天皇 (1249~1305)の時代に、蒙古来襲「元寇」があった。

文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)二度に渡って、北九州が戦場となった。

亀山宮は、それより約100年前に起こった壇之浦の戦い(1185年)の関門海峡を見守っている。

 

唐戸市場界隈が埋め立てられた頃、少年野球で打ったボールが、たまたま亀山宮の鳥居の山という字の、左隅に挟まってから何十年。

山の左隅に挟まっているのが、見えます。

「触らぬ神に祟りなし」ってことで、そのままとの事。

今では、野球少年がお詣りにくる神様でもあるそうな。

ナショナルの商標が、懐かしい。

災い転じて福をなす場所かも知れない。

壇之浦と元寇、ジンギスハンになった義経とフビライハンまで思いを巡らす場所でもある。



岡本かの子忌 (1889年3月1日~1939年2月18日)

2019年02月21日 | 空木宝剣

雨水にて ふと立ちえくす 六十九

平成最後の年2月8日に、「団塊世代」の名付け親、堺屋太一さん(1935~2019)が亡くなった。

享年83歳。

団塊が20才の頃、1970年の大阪万博があった。

岡本太郎(1911年~1996年)が59歳の時、千里が丘に太陽の塔がそびえ立つ。

昭和45年の事である。

それから3年後の1973年、第一次石油危機。

堺屋氏38歳時に刊行されたのが「油断」。

それからさらに3年後の1976年に「団塊世代」。

「あれから、40年」

「一山行き尽くせば一山青し」

青年はあっという間に、老人となりにけり。

2025年の大阪万博は、団塊世代が後期高齢者となる、2025年問題の年でもある。

「団塊よ元気か?」と言ってもらいたい生みの親は、もういない。 


みかづき。

2019年02月17日 | 百伝。

「万国の労働者よ、団結せよ」と墓碑に刻まれているマルクスの墓が荒らされているとのこと。

マルクスは、ロンドン北部にある墓地に眠っており、墓の上部に大きなマルクス胸像(頭部)があり、ちょっと異様というか、世界史上の変革者という趣きのある墓でした。

30年ほど昔、僕がマルクスの墓を訪ねた時は、多くの若い男女が、マルクスの墓を囲むようにして、目を閉じて何か夢想している光景が、脳裏の刻まれています。

マルクスという人物とは、エンゲルスとともに、資本主義社会をブルジョアジーとプロレタリアートの対立としてとらえました。

そして、プロレタリア階級の勝利によって、無階級社会 を実現していくという社会理論(社会主義、共産主義)で、ソ連のスターリン、中国の毛沢東、そして、今に続く北朝鮮の金政権が誕生したのです。

その後、ソ連は崩壊して、中国は、どう考えても矛盾だらけの資本主義を取り入れて、市場開放した共産主義の階級社会です。

所得格差がほとんど無い理想社会を唱えたマルクスですが、その理想実現を妨げるのが、人間の疑心暗鬼、邪欲、人間は権力を持つと、それを手放すのが怖くなるのでしょう。

マルクスが唱えた無階級社会では、敗者復活制がなかったのでは?

かつて、「日本は、世界一の総中流階級の国と・・・生きていたらマルクスも称賛するであろう」と言われたのにね。

今の日本社会の非正規雇用の労働者の多さ、パートやアルバイトの賃金の低さも問題です。

最近、「バイトテロ」「カスハラ」と評される飲食店での不適切な動画投稿やら、家庭内での我が子への虐待死報道・・・悲しいです。

偏差値教育が原因なのかなぁ・・・と、NHKの金曜ドラマ「みかづき」を観ての感想です。

学習塾の教育方針、もともとは学校の用務員で、勉強の進捗度についていけない「落ちこぼれ児童、生徒」に学ぶことの面白さ、楽しさを教えるのを理想とするドラマ内容なのですが、その学習塾が、進学塾に変化していくと、偏差値教育が重視されて、落ちこぼれた者は、救われない教育に警鐘を鳴らしているかのようなドラマ仕立てです。

そう、日本の教育・教養社会では、一度、失敗、落ちこぼれたら、這い上がるのは、大変です。

七転び八起き、落ちこぼれると起き上がるのも、理由が必要です。

今日は、休み。

遅くまで、ベッドの中で寝ていました。

起き上がるのも、理由が必要です。

やはり、きょういく、と きょうよう は、大事です。

今日行く場所がある。

今日用事がある。

歳取って、毎日休みだと、ずっと寝てしまいそうです。

寝たきり、まっしぐらです。

人間は、いつまでも、自由で、元気よく、生きていきたいものです。

仕事は、リハビリ気分でも、通うべきだと考える還暦過ぎた60代の面持ちです。

今朝、やっと起きて、新聞を開いてみると、日本の活火山の位置を示した記事がありました。

瀬戸内海だけが、奇跡のような空白地帯となっています。

子供の頃、元気でも、楽しくもないのに「元気です」と答えたような百島小学校、中学校の思い出が甦りました。

これからも「空元気でも、元気です」と答えましょう。

きょういくときょうよう。

日の丸と三日月に。


天空飛ぶ時代。

2019年02月15日 | 百伝。

空飛ぶ自動車が、現実のものになる時代となりました。

既に、空飛ぶドローンは、世界中で利用されて、AI(人工知能)と共に、もっと進化活躍する幅が広がるのでしょう。

そして、更には、人間の移動手段としての乗り物への技術進化です。

来年には、中東のドバイ、米国のロス、ダラスでは、空飛ぶ自動車の公共の輸送実験を試みるようです。

中国では、パイロットのいない無人の空飛ぶ自動車が、タクシーの代わりに実用段階のテストに踏み込むとのこと。

地上では、無人の自動車、自動化運転の車の開発も現実のものとなりつつあります。

その未来の輸送手段は、障害物の少ない空のルートの方が、いちはやく制するかもしれません。

10年以内には、公共の輸送方法として、空飛ぶ自動車が当たり前になり、20年以内には、空飛ぶ自家用車も珍しくない時代になっているのかもしれません。

そうなると、百島界隈は、一変します。

松永湾から、向島、因島の海域が、重要度を増します。

僕は、預言します。

空飛ぶ時代になれば、都道府県の行政区域は、道州制に移行します。

現在の都道府県別の最低賃金も、全国一律化となります。

そして、活火山もなく、大地震からの災害レベルの低い日本で最も安全な地域が、瀬戸内海、山陽道なのです。

しかも、中国、四国地方のほぼ真ん中の位置にあるのが、百島です。

中国州あるいは、中国四国州となれば、備後地域が一体となって、州都になります。

まさしく、ビンゴです。

世界にも馴染みやすい名乗りを挙げて、Bingo City です。

百年後、日本の首都は、Bingo City となっていても不思議でも何でもありません。

道路も橋も、既存の交通網、ルート、輸送、交通手段の大変革時代が迫る、空飛ぶ時代です。

魚類が、海から地上に這い上がり、足掛かりとなる脚力のある動物に進化して、さらに羽根やら翼のある空飛ぶ命まで現れました。

人類は、宇宙まで飛ぶ運命にあるようです。


ちょっとが遠い場所。

2019年02月13日 | 千伝。

今日は、遠江まで遠出して、富士山を眺めるつもりでしたが、京から家内が戻って来るので取り止め。

郊外の丹生郡越前町(旧 宮崎村、織田町)まで出かけて参りました。

ここ数年、評判も高く、お値段は安く、マスコミにも紹介されて、前々から、一度は行きたいと考えていた・・・福井県丹生郡織田にある剣神社のすぐ側にある超人気の手作りのお惣菜屋(じんべい)さん。

野菜は自家菜園の野菜を使用し、無添加で出来立てのお惣菜が食べられます。

地元のお母さんたちが、毎日約40種類もの品揃えを用意します。

地元の野菜、食材を、丁寧に美味しく調理しています。

多分、日本一安くて、美味しいと思う食べ放題バイキングです。

・・・種類も豊富です。

曜日によっては、ぼた餅やカレー食べ放題というスペシャル・メニュもあるとのこと。

・・・選ぶのが本当に大変です。

しかも、お値段が、採算が釣り合うのかと考えるぐらい、ナント!・・・756円(税込み)。

そして、どれもこれも美味でした。

有り難くいただきました・・・御馳走までした。

帰り道、剣神社に参拝。

そう、ここは、織田信長、織田家のルーツとなる地でもあります。

福井に暮らし始めた頃、この界隈の宮崎村(越前焼き陶芸の拠点)、織田町は、とても美しい光景が映えた思い出深い地でもあります。

・・・独特の味わいのある空気感が漂う世界。

当時の宮崎村の村長さんは、日本の自治体首長の中で、いちばんの最高齢者でした。

その村長さんから、恐縮至極、僕たちの結婚式に祝電とお祝いを頂戴したのが、昨日のことのように思い出されます。

もう一人、この界隈の方で、去年の今頃に亡くなられた方を思い出します。

僕よりも数歳若くて、同年代の女性の方でした。

親孝行の方で、病床の寝たきりのお父様の見舞いによく来られて、ロッカーの中、ベッドの周りをきっちりと整理されて帰られていました。

でも、経済的には困窮状態のようで、控えめの態度が余計に、いろいろと考えさせられる状況になりました。

病院側も、患者さんのご家族には、いろいろと、アレコレ必要とするものを持って来てください、買って来てくださいませんかと、お願いすることが多々あります。

そのなかでも、洗濯物だけは、持ち帰って頂かないとなりません。

ご家族の方が来られないと、洗濯物は溜まるばかりで、連絡をしないとなりません。

さもなければ、クリニーングに出すとなると、出費になります。

貧困状態となると、そのクリニーングの経費だけも、大きな負担となります。

僕は、立場上伝達しなければならない役職でしたが、個人的には、何も伝えませんでした。

リネン庫から使える処分待ちのものを持ち出し、勝手にロッカーの中に用意していました。

自分勝手に解釈すれば、同情論かもしれません。

物事の善し悪しは、誰も決められません。

あの方は、いつも帽子をかぶられて、今思うと、抗がん剤の副作用で頭髪が抜けていたのでしょう。

年末ぐらいから姿を見せなくなり、訃報を聞き、それから、数か月後、寝たきりのお父様も逝かれました。

世の中には、理不尽なこと、不都合なこと、それが悲しみにつながるようなことが、沢山あります。

貧富の格差が大きい社会は、とても幸せな社会には映りません。

食べ放題バイキング700円・・・美味で楽しい至福な食事でした。

また明日も行きたいけど、ちょっとが遠い場所です。

人間は、命は、動いているからこそ、生きているという証となるのでしょう。

感謝

合掌


テンニース (1855~1936)

2019年02月09日 | 空木宝剣

成金や 資本焚き火に 暖をとる

時代が進めば、ほころびが出たり、寸法が合わなくなったりする。

ほころび程度は、修正すればオッケイであるが、寸法が合わなくなったら新しくしなければならない。

これは、成長する子供の衣服と同様の事である。

ゲマインシャフト(共同社会)が綻びれば、ゲジェルシャフト(利益社会)に。

ゲジェルが行き詰まれば、ゲマインが懐かしくなる。

行ったり来たりの堂々巡り。

平成の次の時代は、スマホやカード決済のキャッシュレス時代。

キャッシュレスといっても、まさか物々交換までフィードバックしないだろうが、案外、資本主義の終焉は、こんなところから始まるのかも知れない。 


いやはやなんとも金曜日。

2019年02月08日 | 千伝。

今日は、金曜日。

今日は、日本一適当なタレントとして人気のある高田純次さんの話。

この方・・・嫌いなタレントではありません。

・・・面白い人です!

高田純次さんの名言。

「歳とってからやってはいけないこと。説教と昔話と自慢話。俺は、この3つが無いから、エロ話しかしない。」

高田純次さんの故郷は、東京都調布市国領。

彼のパワースポットは、近所の多摩川だそうです。

国領・・・ぼくが、社会人になりたての頃に暮らした懐かしい場所です。

高田純次さんのエピソード、以前にも書いたかなぁ?

新宿から京王線沿線調布駅の2つ手前に「国領駅」があります。

当時、新宿発の京王線最終電車の終着駅が、「つつじヶ丘」という駅(国領駅から新宿寄りの2つ手前の駅)

最終電車に乗ると、終点のつつじヶ丘から国領まで、何度か、深夜1時間ほど歩いて帰ったこともあります。

そうなると、同じく西方向へ帰る人間が、「つつじケ丘」周辺の自転車を盗み乗りをして帰る人間が多くなります。

とりわけ、週末の金曜日の深夜は、いやはやなんとも多発。

甲州街道(国道20号線)界隈は、警察官やパトカーの取り締まりが多かったです。

ある日、とあるラジオ番組を聴いていると、全国的に売り出し中だったタレントの高田純次さんがゲストで、国領の思い出話をしていました。

やはり、京王線最終電車の帰宅途中で、「つつじケ丘」から「国領」まで帰る時の話題を取り上げていました。

高田さん、この方は、公共の電波で凄いことを言うものだと驚いた記憶があります。

「俺は、自転車泥棒をしたことがあってね。その自転車に乗って、つつじヶ丘から国領まで帰る途中にパトカーに追われたことがあってね。パトカーから警察官が下りて、追われたものだから、狭い路地に入って、その自転車を、その辺の家の塀の中に放り込んで逃げたことがあるよ。若気の至りとはいえ・・・。」

この正直な高田純次さんの告白・・・ちょっと似た逸話があります。

借金取りに返金を迫られた男の話。

「あの時、借金した私は、今の私ではない。過去の私だ。」と取り合わないのです。

怒った借金取りは、その男を殴りました。

殴られた男は、暴力を振るわれたと訴えます。

すると今度は、「殴った私と、訴えられた私は、別人だ。」とやりかえします。

これは・・・万物は流転、諸行無常の世界。

高田純次さんの番組、たまに観ます。

「じゅん散歩」・・・いいね!

高田純次さん、「福井の方向には、足を向けて寝られない」と笑いながら言ってました。

1984年、高田純次さん36歳の時、初めてレギュラー出演となる仕事を、福井で得たのです。

それが、福井のテレビ局の「いやはやなんとも金曜日」という地元ローカル番組の司会業、今で言うMC。

この仕事を貰った御蔭様で、高田さん、貧乏生活から脱出、世に出たきっかけにもなったとのこと。

高田純次さん、今は「金曜日の妻たちが高齢者になった界隈」で暮らしているようですが、国領で暮らしてほしいなぁ。

そして、高田純次さんから、福井への説教、福井での昔話、もっと地元の自慢話を聞かせて貰いたいものです。

歳とっても、愛と希望に生きる高田純次さん。


とあるプライド。

2019年02月06日 | 百伝。

今朝のテレビ鑑賞。

朝ドラ「まんぷく」主演は、あの「万引き家族」出演の安藤サクラさん。

インスタントラーメンを発明した同じ名字の安藤百福をモデルとしたドラマです。

NHKの国会中継・・・国会だけではなく、地方議会も同じく、政治家業を生業にしている二世、三世の政治家が多いなぁ。

裏番組の民放チャンネルにを替えると、15年ほど昔の木村拓哉主演の「プライド」が放映されていました。

挿入曲に、クィーンの歌がいっぱい♪

若い頃のキムタク(木村拓哉)は、顔立ちも恰好いいね!

共演している役者の皆さんも、15年昔は、20代か、30代かなぁ・・・若い!

芸能人も二世、三世も多いけど、そこは、やはり競争社会、淘汰される役者稼業は、政界よりも厳しいのでしょう。

ふと、高校時代の同級生の一人を思い出しました。

第一志望の高校受験に失敗して入学した私立高校の男子校の通学範囲は広くて、岡山県、愛媛県からの入学者もいました。

・・・その分、いろんな連中がいました。

1年の時のクラスメートに、顔立ちのよい二枚目、ハンサム、恰好いいというのかな?

因島から通学していたK君も、顔立ちのよい一人でした。

入学した頃は、わりと仲が良くて、帰宅後や休みの日には、互いに電話をしたりする仲で、因島のことや、百島のことを話題にしていたような記憶があります。

その後、付き合う仲間も変わり、2年生からはクラスも変わり、時々、廊下で会うとよもやま話をするぐらいで、友人関係の距離感も離れていきました。

彼が、高校卒業後、どこに進学したのかも知りませんでした。

そして、突然、彼の名前が、高校の仲間内で降って沸いたように話題になったのが、「Kが、全日本歌謡選手権に出て、勝ち抜いている」とのこと。

当時、日本歌謡選手権という歌謡番組があって、10週勝ち抜ければ、プロの歌手になれるというテレビ放映の勝ち抜き歌謡選手権です。

その日本歌謡選手権から輩出したのが、今は大物の五木ひろしさん、八代亜紀さん等々。

K君が、そんなに歌が上手いとは?・・・ちょっと驚くのと同時に、あの高校の同級生からスターが生まれるのかという不思議な感覚でした。

「あのKが、芸能界のスターになる」・・・彼が、テレビに出て歌っている姿を見て、不思議な想いの時間、日々。

そうなると、とても不思議な出来事が起こるものです。

神奈川県に暮らす友人の所へ遊びに行った帰り、大和だったかな?・・・南林間だったかな?

下宿先の杉並の荻窪に戻るために、小田急線に乗って、新宿経由で中央線に乗り継がなければなりません。

たまたま乗った小田急線の電車に乗った車内に、どこかで見た奴が、吊り輪に手を持たれて立っていました。

「う~ん、う~ん、・・・Kか?」

彼も、ビックリしているようで、お互いの近況報告。

彼は、あの時、神奈川の私大に通っているとのこと、これから都心で歌のレッスンを受けに行く途中で、10週勝ち抜いたあとのことを考えているようでした。

同世代の郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹に関する感想と、芸能人との交流を楽しそうに話していたのが、思い出されます。

今風に言う「上から目線」ではないのです。

Kは、そういう人間ではありません。

悲しかったのは、あの頃の20歳前後のぼくが、「下から目線」で彼、Kを見上げて話していたことでした。

互いに、一時期仲良しだったことを思い出して、そして、卒業。

小田急線での、まさかの奇跡のような偶然の再会でした。

あれ以来、彼とは一度も会うこともないですが、応援はしていました。

そして、日本歌謡選手権、9週目も勝ち抜いて、彼が10週目の勝ち抜きチャンピオンになれるか、どうか?

残念ながら、最後の最後の悲しい哉、10週目で、彼は、落ちてしまいました。

それから、1年後か2年後・・・再び、高校の仲間内で、K君の話題が降って沸いたように盛り上がりました。

当時、ぼくは、雑誌やらラジオに投稿して賞金稼ぎのようなバイト、テレビや映画のエキストラをしたり、学生時代をそれなりに楽しんでいたのでしょう。

その時、再び、K君の話題・・・彼が、俳優として、テレビドラマに出演しているとのこと。

当時、名優天知茂さん主演の人気テレビ番組「江戸川乱歩の美女シリーズ 怪人21面相」明智小五郎のアシスタント小林少年の準主役で、K君が出演しているのです。

どんな経緯があったのか知れませんが、天知プロに所属している俳優とのこと。

エキストラを経験していた僕からすると、台詞を持つとプロの俳優なのです。

彼、K君は、俳優になったのです。

その後、何本かの映画にも出演しているはずです。

高校の同級生からスター誕生の瞬間でした。

勿論、地元因島でも、大騒ぎだったとのこと。

因島出身の東ちづるさんも、ポルノグラフィティのメンバーも、まだ子供の頃の昔話です。

ところが、また1年後か、2年後。

同級生からの話では、K君が帰省中に、とあるトラブルが発生。

ここでは書きませんが、残念な出来事でした。

社会人になる前の学生時代の「あっという間の出来事」でした。

とにかく、彼が輝いた一時期は、我々の青春の中の1ページでもありました。

ある意味ひとつの・・・青春のプライドです。

彼、K君が表舞台から遠ざかり、その後、活躍登場したのが、今、日本代表をする勢いのある女優安藤サクラさんの父親でもあり、天知茂さんの付き人をしていた年長者の俳優の奥田英二さん。

長く生きていれば、いろんな人間と出会います。

人生の成功、失敗、栄光、落胆・・・どれもこれも、人生舞台です

今度、ロンドンで出会ったレディ・シヴ(ミセス・シヴ)のことを書いてみたいなぁ。

かつて、英国のバレエ界、社交界でも活躍した方の老後の世界です。

・・・眠い。

先日のNHKのブラタモリ・・・福井が舞台でした。

タモリさん曰く、「世界広しと言えども、駅前に恐竜が叫んでいる所はないだろう」と言ってました。

恐竜も、生きているプライドがあったのかなぁ。

 


三つ子の魂、百まで❗

2019年02月03日 | 百伝。

邪気を射る❗

今日は、鬼は外。

鬼(おに)は、「き」とも呼びます。

邪気は、邪鬼。

射るは、炒る。

豆は、魔滅。

大豆は、病気や災いなどの「魔」を滅ぼす力があるとのこと。

今日は、平成最後の節分。

炒った豆で、邪気を追い払いましょう。

平成とは?

内(うち)平(たいら)かに、外(そと)成(な)る。国内が平和で、他国との関係もうまくいっているという願いが込められた地平天成(ちへいてんせい)。

➡平成となりました。

まさに、家の中は穏やかで、世間も平和で安定しているという「福は内」です。

人災、天災の多発、パソコン、スマホの登場、インターネット社会での生活変化、日本の平成時代でした。

明日は、立春。

立春、立夏、立秋、立冬の前日が各季節の節分となり、これを四立(しりゅう)と言います。

平成から新元号の風潮しかり。

世界広しといえども、これほど言霊精神を生活文化として大切する国はありません。

子供の頃の節分の日には、兄と一緒に、百島の泊地区内のあっちこっちに鎮座するお地蔵さんやらお稲荷さんにも、お豆を供えて歩きまわった思い出があります。

三つ子の魂百まで。


節分・立春。

2019年02月03日 | 千伝。

春は、梅、桜、桃、色とりどりの花が咲きだすので、一番よい時季です。

夏は、ギラギラと暑くても、涼しい風が吹くと心地よく、一番よい時季です。

秋は、夜空に星がまばたき、月も美しく冴えるので、一番よい時季です。

冬は、一面真っ白な雪が降り積り、別世界に心躍るので、一番よい時季です。

・・・良寛さんも、一茶さんも、同じことを言われています。

「大変なのは、どの人も同じ。人は、自分の不幸しか見ようとしない。他人の不幸までは見ようとしない。」

「人間の心は、猿のようなもので落ち着かない。欲望の樹から樹へ次々と飛び回っている。」

「心の持ち方で、この世は、地獄にも、極楽にもなる。」

お金があっても、給料が多くても、他人から「ああしなさい。こうしなさい」と命じられながら、仕事をこなすだけの人生に喜びを感じる人は、ほとんどいないでしょう。

自分の心を落ち込ませて生きていくのであれば、貧しさとは、お金がないというのではなくて、意欲を失っている状態を示します。

それを、貧乏神と呼びます。

追い払いましょう。

今日は、節分。

鬼は外。

福は内。

明日は、立春。

 


In the year 2019

2019年02月02日 | 空木宝剣

如月や 小草生月 おらが月

今から200年前の1819年には、良寛(1758~1831)さんも、小林一茶(1763~1827)も生きていた。

一茶のおじさん64歳、良寛さん73歳の生涯。

「裏をみせ 表をみせて 散るもみじ」は、良寛さんの辞世の句。

「めでたさや 中くらいなり おらが春」は、1819年一茶56歳時の句。

2019年のイッサは、USA。

地球は光の乗物。

太陽と言う映写機は、さまざまな事象や色彩を、地球の表面に映し出す。

「もっと光を」と言って83歳で亡くなったゲーテ(1749~1832)は、一茶や良寛さんより先輩だが、長生き。

句読点のない俳句は短い。

一二三四五六七八九の九に点を打つと丸となって、十(とう)となる。

NHK広島局の、お天気お姉さん勝丸氏によると、小草生月とは、2月の別称とのこと。

この2月で、69才となり、一茶のおじさんより5才年をくった小生としては、次の良寛さんの73才を、句読点のノルマとすべえ。