百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

辛抱

2011年08月31日 | 千伝。
亀田のボクシングにしても・・

日頃の単純な練習に飽きず、ちょっとした工夫や進歩のなかに、一条の夢の導きを信じて耐えた成果が、やっと実を結ぶという。

泥まみれの根っこがあって、はじめて花や実を咲かせるのでしょう。

とても喧嘩も強そうにも見えない、ルックスもイケメン好青年に映る。

福井の我が家の近所の子が、世界チャンピオンになった。

WBA スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦、清水智信選手が、30歳、3度目の世界戦で初の王座をつかんだ。

おめでとう!

佳い首相

2011年08月30日 | 千伝。
偉くなればなるほど馬鹿になる。

多くの国会議員の先生方は、コピーやファックスのやり方も分からないのが多いとのこと。

おしゃべり以外に興味がなくなり、あとは全部秘書にまかせる。

よって、贈収賄の問題は、あとを絶たない。

東大、大蔵官僚から国会議員のエリート街道まっしぐらの人間がこのテイタラク。

おそらく、エリートの称号をつかんだ時点で、よほどの人間以外は、堕落の道にはまって行くのでしょう。

それを危惧したのが、故松下幸之助先生。

さて、日本のどじょう鍋には、醤油かソースか?

松下幸之助さんならば、「醤油の里」・・野田と答えたのに違いない。

1979年、故松下幸之助氏が私財を投じて創設した松下政経塾第1期生に、野田青年がいた。

実は、小生も・・その第1期生に応募した思い出がある。

残念ながら不合格になったが、悔しいという思い出は全く無い。

不合格でヨカッタ!・・というのが実感である。

その松下政経塾出身者から、とうとう日本の首相が誕生する。

松下幸之助氏は、採用面接では「あなたは運のええ人ですか?」とよく訊いたという。

そして、「運が強い」という即答できる人物を採用したという。

第1期生となった野田青年は「勿論、運が強い」と答えたのだろうか?

もうひとつは、「愛嬌のある人」である。

どじょうの持ち味は持ち味でも、大海原にも泳げるかな・・。

新しい日本丸の船長になる首相には、運の強さと愛嬌で荒波を乗り切って欲しいものである。

偉い首相になるよりも、佳い首相に!

喜んで善哉商売

2011年08月27日 | 千伝。
商売も、芸人タレントも同じだと思うが・・。

売れてるタレントは、どこが違うかと言えば、我々を喜ばしてくれている事だろう。

良い気分にさせてくれるタレントは、一夜にしてファンになっている。

大阪の花月などでは、お客は、新人には、なかなか笑ってくれず、厳しいと言われるが、「笑われる芸人から笑わせる芸人」が、芸人が芸人たるところの所以?

料理人は、おいしいと喜んでもらう。

歌手は、なかなか聴かせると喜んでもらう。

サービス業は、行き届いたサービスに喜んでもらう。

これが善哉の商売であって、それ以外で儲かる場合は、悪徳商売でしょう。 

善哉商売で儲からない時に、悪徳商売に智慧が巡るという陰陽の関係である。

表の仲間に入れないのが、裏にまわるのである。 

善哉商売は、あくまで、客を、信用させ、笑わす、喜ばす。

悪徳は、信用させ、だます、泣かす。

というように、信用させるまでは、同じ行為。

そのあとが、反対のようです。

喜んで善哉商売。

喜捨

2011年08月27日 | 千伝。
昨晩のNHKのヒューマンドキュメント「名物社長の採用面接」を観ての感想。

現代学生の就職活動も大変。

採用する中小企業の側も大変。

意中の人、意中の企業・・射抜くも大変。

駆け引きもあり・・的外れもあり。

パフォーマンスにも、勝敗があるということを、東京大学も一流大学院も、教えてくれなかったのでしょう。
 
どんな商売も同じと思うが、自分が、最初に採用契約をもらった業種が、やはり一番の良縁ということ。

徹底的にその業種をアタックすれば、その業界通になり、得意技となり、苦労少なく、成果が上がるになると思う。

あれもこれもと浅く薄くでは、スタートラインから遠くに行けず、いつもスタートのやり直しになる。

ひとつの業種を徹底的に、そして、次に行く。

・・という手法が一番だと、経験則から信じている。

さて、社会に出ると・・。

この世は、人気商売。

人気が、出れば商売になる。

野球でも人気者になるために活躍する。

営業マンも人気者になるには、成績を上げねばならない。

他人以上の成果をあげれば、人気もうなぎ上りである。
 
人生も、表街道と裏街道があり。

日の当たる道を選ぶ眼力を持てば、人生もそのようになると思う。

人気とは、人が喜ぶことを与うる事。

だから人が喜ぶことを巻き散らかせる人。

これを「喜捨」という。

人を喜ばすには相当タフでなければいけない。

滅私奉公の身を捨ててこそ救われるの精神でなければならない。

どんどん、捨てるように売っていくことこそ、商売うなぎ上りと云える。

だが、今は、あれもこれもやって徒労が多い。

否、楽しみが多い。

そう思わないと!

喜んで!感謝。

蘇民将来子孫也

2011年08月26日 | 百伝。
富山県高岡市まで出かけて参りました。

知人が、伊勢神宮と似たお寺が、高岡にあると聞いて、興味津々となりました。

伊勢神宮には、20代後半に何度か取材訪問した体験もあり、「おかげまいり」気分でした。

実際に行くと、伊勢神宮と似ているとは、思わなかったけど、素晴らしい国宝です。

正式な寺院名は、国宝 高岡山 曹洞宗 瑞龍寺。



ご案内頂いたお坊さんのユニークな切り口語り口も歴史秘話も面白く、楽しい時間を過ごす事も出来ました。

立山連峰に向けた門構え、総門、山門、仏殿、法堂が一直線にあり、スクエア式の回廊を持つ、雰囲気のある風格漂う寺院です。



供養というまえに、鎮魂という慣わしが、神仏の世界にあります。

来月九月、久しぶりに、伊勢(神宮)詣に行きたい気分になりました。

原点に戻れるような心持ちです。

あの頃から、ずっと、考えていたのですが・・。

モーゼの十戒にある「脱エジプト記」と同じような内容の話が、日本にも神話伝説として残っています。

蘇民将来という人物が、むかし、むかし、大昔・・備後の国 桃島に暮らしていたそうな・・「茅の輪」をくぐりぬけた神話伝説作りが面白いかなと思う世界です。

飛騨 白川郷

2011年08月24日 | 百伝。
岐阜県飛騨地方に行くと、山々の間を舟で漕いでいるようなドライブ感覚になります。

先日、ちょっとした行き違いがあり、人と会うために、白川郷まで出かけてきました。

さすがに、世界遺産に登録されるだけの地域です。

平日なのに、沢山の観光客で賑わっていました。

百島から眺める瀬戸内海の夕日の風景に思う気持ちと共通点があります。



人は、故郷という土地を活かすのでしょう。

前回と前々回、真冬の白川郷を訪ねた時には、氷の世界のような所だったにもかかわらず、滑って転倒することもなく安全でしたが・・今回は、油断しました。

今回、この場所から写真を撮ったあとに、振り返りざまに、身体ごと石の上に転倒して、右半身を打撲してしまいました。









♪井上陽水の歌が聴こえる。







人が、故郷という土地によって生かされているのかもしれません。

灯篭流しと送り花火

2011年08月19日 | 百伝。
「京都にもない。金沢にもない」というキャッチコピーがあります。

・・それは、無名の観光地でもある福井の一乗谷。

無名に近い福井の観光地である一乗谷が、ソフトバンクのテレビCMで白戸家の故郷としても、脚光を浴びているようです。

今日、ちょっと一乗谷に散歩がてら行くと、平日なのに大勢の観光客が訪れていました。

故郷の百島を想いながらも、仕掛け(歴史物語)も作る必要があるのかなぁ・・とアレコレ考えていたお盆の期間でした。

お盆を終えて・・世界遺産の白川郷、越中高岡の国宝瑞龍寺にも出かけて参りました。

さて、八月十六日は、全国各地でご先祖様の精霊をお送りする火が焚かれました。

もっとも有名なのは、京都五山送り火の大文字焼きかな。

その京都からも多くの方々が、魅了されてやってくる「送り花火」大会があります。

福井県敦賀市の名勝「気比の松原」で、毎年8月16日に行われる日本海側最大級と称される・・全国でも珍しい「灯篭流しと大花火大会」です。

我が家のベランダから、毎年八月の福井市の花火大会をすぐ近くで観ることもできます。

だから、花火は花火・・余りにも人で混み合う花火大会などには、なるべく足を向けたくないのが、正直な気持ちなのです。

今年、身内の新盆もあり、お誘いの招待を受けたので、家族で物見遊山気分で出かけてみました。

感想は・・見事でした!

夕暮れ近く、キープされていた場所に向うと、「気比の松原」の砂浜には、既に、人、人、人・・でいっぱいでした。

推定約22万人の方々が、集まっているとのこと。(敦賀市の人口の約3倍です)



夕暮れになると、厳かに読経が流れてきます。

そして、灯篭流しが、ひとつ、ひとつ、ひとつ・・増えてきます。

約6000個の灯篭が浮かんでいたとのこと。



そして、約1万3000発の花火が打ち上げられたとのこと。

当日の夜は、天候も穏やかで鏡のような海面に鮮やかな色々な帯が映えました。







そして、夜空から降ってくるような「送り花火」でした!



合掌。

山のもの海のもの

2011年08月14日 | 千伝。
21世紀になって・・

何故か、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗せられたような窮屈さは、一体どうしたものだろう。

世の中が乱れる時は、順番が狂って、秩序が無くなる時である。

待つことの辛抱が失われる。

夏のことを春に、冬のことを秋に焦ると・・

慌てる古事記(禁句だけに)に貰いが少ない、という結果が待ち受けている。

善と悪は、服に喩えたら、仕付け糸が施されたか否かが、分かれ目である。

山川、草木、山のもの、海のものが、この世にはある。

人間にも、山のもの、海のものが、種分け出来るかもしれない。

魚が好きか? 

鳥が好きか?

山彦、海彦のどちらかで・・

落ちぶれても、出世しようとも、誰もが故郷を懐かしむ。

里帰りは、若返りである。

山海の風景を眺めながら・・

水を得た魚にもなれる。

大空を舞う鳥にもなれる。

御盆傍楽

2011年08月13日 | 千伝。
今日は、お盆の日。

傍楽(はたらく)良い仕事の話。

随分前の昔、ラジオを聞いていたら、藤本浄彦さんという仏教大學の副学長で、文学部人文学科の教授が、浄土宗の法然上人の話をしていた。

この藤本さん、山口県柳井の沖にある周防大島の寺の生まれとの事。

何でも、法然上人は、80歳頃の晩年期、南無阿弥陀仏の念仏を一日六万遍も唱えていたという。

南無阿弥陀仏を、早く言うとナンマイダとなる。

仏教大學の藤本さんは、過疎化する周防大島の実家の寺でも檀家に講和し、一時間ほど念仏をあげるそうである。

島の一人暮らしの老人も、暇さえあれば念仏をあげると阿弥陀さんと一緒になれるのでちっとも寂しくないとの事。

以前から、「仏法の中において、精進するが故に、所得弘多なり」の言葉は知っていたが、その深い意味は、あのラジオ番組で理解できたような気がする。

「南無阿弥陀仏」や「南無釈迦牟尼仏」や「南無法蓮華経」は、法然や親鸞、道元、日蓮が命をかけて唱えた念仏である。

その後、何百年も日本人の精神世界を支えてきた言葉である。

よき仕事をする場合、よき仕事を得ようとする場合、この念仏で呼びかければ、仏様は答えてくださるとの事。

人を待つ時も念仏。

料理をつくる時も念仏。

皿を洗うときも念仏。

風呂の中でも念仏。

トイレは流れるので、トイレ以外は念仏。

兎に角、人がいない時は、念仏をブツブツ唱えれば、仏様がパワーを返してくれるとの事。

正直、仏教語りの仏教知らずで、念仏は無駄と思っていて、そんな暇があれば、仕事のことを算段したほうが時間の有効だと考えていたのが・・浅はかだった。

誰だって、良い仕事に就いて、よい待遇であれば頑張れる。

なのに、よい仕事が回ってこず、頑張ろうにも、どのように頑張ったらよいか分からない人、いわゆる迷っている人、もがいている人からすると、暖簾に手押し状態になる。

その閉塞感、逼迫間、疎外感を打破するのが、伝統あるお念仏だと・・藤本さんの法話でした。

今日一日、御盆傍楽の時間を過ごしました。

違った地球生活

2011年08月11日 | 千伝。
お盆が近づくと・・何故か、巡り会ったさまざまな人を思い浮かべる。

八月の同窓会予定の出欠案内には、全部欠席届け。

生まれてからこのかた、随分と多くの人と交わった。

子供の頃のお年寄りは、勿論亡くなっている。

青年時代の知り合いも、生きていたにしても、会う確率ゼロの人も多い。

会ってみたい人もいるが、その全員に会うとなれば、映画300本分の時間が必要かもしれない。

とりわけ、地球の裏側に暮らす人となれば、尚更かもしれない。

同じ地球の同じ場所、同じ時間の空気に住んだ事実はあるにしても・・

いったん、違った人生の川の流れに乗ると、海まで合流出来ないようである。

同じ地球にありながら、実は、違う地球に生きているのかも知れない。

傍観者

2011年08月10日 | 千伝。
女子高生殺人事件。

近所の人が、30分も悲鳴を聞いたりしているにも関わらず、助けようとしたり、様子を見たりはしていない。

手を差し出すことや、ひょっとしたらというお節介がない時代になってしまっている。

昔、1985年(昭和60年)6月、豊田商事の永野が、惨殺されたが、マスコミのレポーターが囲むなかでの惨劇であった。

1985年(昭和60年)・・かいじん21面相のグリコ・森永事件、日航ジャンボ機墜落事件。

あの時分から世の中は、他人事は人事。

傍観者が増えてきたようである。

愛国心

2011年08月10日 | 千伝。
今年の八月の日程は、百島には帰省できない状況。

日帰り圏ならば、いいのだが・・。

一昨日、福井商業が大敗。

甲子園まで応援して帰ってきた近所の子が「本音は、ホッとした」と言っていた。

わが愚息もそうだが、「強制的な応援参加なんて嫌なんだ!」と言っていた。

一方、広島県代表の如水館高校が、13回裏にサヨナラ勝利。

小生、出来るものならば、甲子園まで応援に行きたいぐらい嬉しかったけど・・。

この郷土愛の意識差異は、何だろう?

子供の頃、百島では、4月3日が、山登りの日であった。

リュックの中に、お菓子なんかを入れて、山に登った。

小学何年生のいつだったか・・リュックを置いて遊んでいたら、勝手にリュックの中身を盗まれて食べられてしまったことがある。

盗んだ子も、そんな悪気がなく、当たり前のような下品な光景である。

悔しい涙をこらえて、家に帰って、その事を親や兄に話したが、「しょうがない。そういう人間もいるんだ」というような言い方で諭された。

ある意味、謙譲の美徳である。

それから、十数年後、中国を含めた発展途上いわゆる後進国という地域へ旅をした際、同じような体験をした。

勝手に自分のパックを開けられて、「・・欲しい」と強請られた。

まるで、昔の日本の田舎の情景である。

人の施しが当然であるという村社会・・それを、後進国と呼ぶのかもしれない。

後進国社会は、個人の権利よりも愛国心的社会義務を課せられる。

今日8月10日は、ハートの日だとか・・。

朗らかに、強い気持ちで!

祖国愛

2011年08月09日 | 千伝。
今日は、ナガサキの原爆忌。

長崎市長の平和宣言「ノーモア・ヒバクシャを訴える被爆国・日本が、どうして放射線の恐怖に脅えるようになったのか?」

暑い八月は、さまざまな事を思い起こす。

ただ、愛国心やら祖国愛とは、どうも違う。

万が一、日本が再び戦争状態に陥っても、大部分の日本人が徴兵を拒否するであろうと思う。

英国では、移民系の多い街で暴動が起こっているとか・・でも、英国は戦争状態になれば、大部分の白人系英国人は、戦いに出向くと思う。

・・百島中学校の英語の先生から、欧米人は、たとえ自分が100%過失があって交通事故を起こしたにせよ、自分から「すみません」とは決して言わない・・と教えて貰った。

何かあると、とかく「すみません」という謙譲精神のある日本人の美意識感覚からすると、欧米人の感覚に違和感を抱いたのは、昭和60年(1985年)ぐらいまでかな?

かいじん21面相のグリコ森永事件、日航ジャンボ機の墜落事件・・そして日本経済のバブル期への突入の時代・・「もっと休もう!ニッポン」の掛け声があがった頃からである。

・・そして、日本人も自ら進んで「すみません」と言わなくなった。

保身というよりも、何かあれば訴える、訴えられるという・・第三者の介在を必要とする国・社会となったのである。

国、社会がある程度豊かになればなるほど、守るべきものが増えて仕事も増える。

例えば、安全保障の警備、訴訟のための弁護士等々を備える。

・・それを先進国と呼ぶのかもしれない。

先進国社会は、祖国愛的社会義務よりも個人の権利が優先される。

祖母

2011年08月08日 | 千伝。
昔、祖母の口癖・・。

「上を見たら星(欲しい)だらけで、下を見たら星(欲しい)のけもない」とよく言っていました。

子供心にも、苦労人の優しさを感じたものでした。

そのおばあさんも今は、天高く星になって輝いています。

そんな気持ちで、ご先祖が見た夜空を、ご先祖と同化して眺めて観ましょう。

きっと、良い兆しに出会うような気がします。

今日は、立秋の日。