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大塚・歳勝土遺跡公園を訪ねて

2013-07-25 20:13:21 | 日記
 今日は、大塚・歳勝土遺跡公園を訪ねました。この公園の遺跡は、パンフレットによれば、弥生時代中頃の竪穴住所跡85軒ですが、古くなった住居を何度も建て替えたり、建物を広げたりと同一場所に新しい住居を建てたりしたものを延べ軒数で数えると115軒あったとありました。これら住居は、同一時期に建て替え等を行ったものではなく、長い年月を経て、大塚ムラが営まれていた間に住居が幾度も立て直され、捨てられた事を示(住居跡地同士が重る)していると考えられそうであります。
 また、この公園を管理している職員に高床の建物の存在を質問したところ、竪穴住居3~5軒に1棟の高床式倉庫を設けて、穀物の貯蔵にネズミの食害を守るために、ネズミ返しを設けていたと説明がありまた。
 これら竪穴住居集団の回り600mほどを幅4m深さ2mの溝が掘られ外敵などから防御する知恵を働かしていた模様であります。
 加えて、住居地に隣接した「方形周溝墓」とよばれる形をした四方に溝を掘って囲み、中央に棺を埋設して祭る一方、溝にも子供と見受けられる棺が発掘されたとありました。これら遺跡は、昭和61年に国の史跡として指定されている。
 この外、公園内には、江戸時代中から後期の民家「旧牛久保村」名主をつとめていた「長澤家」を移築した建物が保存されておりました。この民家は、主屋と馬屋が平行し建てられていて、「武蔵南部特有の形」をしているとありました。
 「南面」には、床の間、中の間、いろりの間、広間、「北面」には、オキノヘヤ、ヘヤ、流し、この他、土間があり、総面積148.73平方メイトル(45坪)となっておりました。
 一方、横浜地下鉄センター北駅近くに、横浜歴史資料館があり、前述の大塚・歳勝土遺跡の資料始め、原始、古代Ⅰ、古代Ⅱ、中世、近世、近現代の6つを各室に分けて、それぞれの時代の人々の暮らしぶりを再現し、当時の生活に用いられた物も展示してありました。
 この他、体験学習コーナーやミュージアムショップ等も設置されており、横浜らしく、この資料館は人々の生活に関するものに限定した資料館であった。
 (横浜開港記念館、遺跡文化財センター、横浜都市発展記念館)
 今回の大塚・歳勝土遺跡公園は、今から2000年程前から、集団生活の住居地域の安全や墓まで備わっていたことを見て、正しく、ゆり籠から墓までを考慮して、集団生活をしていたことに、関心させられ帰宅したところでありました。

(竪穴住居)

(竪穴内部模型)

(竪穴調査現地)

(高床倉庫)

(方形周溝墓)

(長澤家移築現況)

(長澤家移築前)

(長澤家土間)

(手前いろりの間)

(古代絵巻)


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