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ベントなどを写真で紹介したいと思い開設をいたします。

公園五連ジャ

2013-11-30 20:06:57 | 日記
 今日は、横浜市営地下鉄「坂東橋」から、「港が見える丘」から「山下公園」まで公園5連ジャを散策いました。5年程前の桜の花が咲くころ、この丘陵地を散策したことがありますので、今回は、2度目となります。丘陵地に上がって来てみると横浜市内を一望でき、青空のもと遠く木陰から、丹沢山系、その向こうには、富士山がクッキリと傘雲を乗せて、美しい姿をみせていました。初めの公園は、団地の名もない小さな公園で、船のスクリューを椅子にしているところが、何となく横浜らしい発想と感心しました。

(名もない公園、何故かポンプがあった)

(船のスクリューを椅子にしてあった)
 ここを後に、次の公園「唐沢公園」に行くと周りの一部が展望台のごとく一段高く、木陰から、先ほどの丹沢山系や富士山が絶交のロケーションで目に飛び込み、又とない「富士の傘雲を被った姿」をカメラに収め、「山手イタリア山庭園」と向けて歩いていました。

(唐沢公園)

(横浜市内の向こうに丹沢・富士山)

(傘雲が段々と近くに)

(富士の傘雲)
 しかし、行きかう人も疎らで、ゆったりとした気分で進んでいくと「山手イタリア山庭園」入口が見えてきました。中に入ってみるとカメラを持ったグループが思い思いにシャッターを切っていました。私もこれと思う風景を切り取りカメラに収め、次の目的地「元町公園」へと足を伸ばしました。

(山手イタリア山庭園入口)

(旧内田邸外交館の家)

(同 表庭)

(同 表庭)

(同 表庭)

(同から市内を望む)

(野外館店)

(イタリア公館正面)
 次の元町公園には、シニアーの方々が、木陰で休んでおられ、坂を下って行くと弓道場で4人のの方々が、作法に則り的に向け弓を射っていました。更に下りて行くとプールがあり、窪地で日当たりが良いせいか、猫ちゃん6匹程がじゃれたり、昼寝をしたり、水辺を謳歌しておりました。ここでもシャッターを切り、次の目的地「横浜外国人墓地」向かった。

(元町公園入口付近)

(元町公園)

(同じ)

(弓道場)

(公園内のプール)


(猫ちゃん)

(プール横の水のステージ
 外国人墓地は、元町公園に隣接しているので、丘へ登り切ると直ぐに見えてきましたが、入口付近は道路工事で、ガードマンの手旗信号により、人も車も整然とこれに従い行きかっていました。
 外国人墓地入には、入口からロープで閉鎖されており、中へは入れないので、やむを得ずその場から、シャッターを切り、次へと進んでいきました。

(横浜市内を背景に、外国人墓地入口付近)


(外国人墓地)
 港が見える丘公園入口には、観光バスが1台が待機しておりました。大仏次郎記念館(横浜市芸術文化振興財団)、旧イギリス領事館、フランス領事館遺構等がありましたが、水曜日のため、これら何れの館も閉館となっておりました。風景を見ながら、気の向くままシャッターを切り、ここを後に、丘を下りて人形の家へと向かいました。

(大仏次郎記念館をバックに)

(噴水と大仏次郎記念館)

(旧イギリス領事館)

(旧イギリス領事館)


(フランス領事館遺構)



 人形の家と山下公園の「世界の広場」を繋ぐ歩道橋の基の広場には、「パルタールパビリオン」があり、立札によると、フランス、パリの市場の骨組みの一部を横浜市が譲り受けて、前述のフランス領事館遺構に通ずる場所として設置したとありました。

(遺構からパビリオン・パルタールへと続く小道)

(同じ)
この歩道橋を渡って行くと人形の家の二階に通ずるように、出入り口が設けられた設計でありました。更に、進んでいくと山下公園に入りました。

(マリンタワーを背景に右手前人形の家)

(赤い靴の人形)

(山下公園通り)

(世界の広場から人形の家)

(同じくバックに人形の家)
 最初に、「世界の広場」に入りましたが、黄色を基調にしたイチョウの並木の緑系と黄色とのバランスが素晴らしく、紅葉がマリンタワが一層引き立っていまた。

(世界の広場に通ずる花のトンネル)
 次は「石のステージ」「「水の守護神」「沈床花壇」「元日本郵船所有の氷川丸」「大桟橋」「レンガ倉庫」等と、次つぎと目に入ってきます。

(石のステージ)

(同ステージからマリンタワー)

(同じ)

(マリンタワー)

(山下公園から、横浜港を一望)

(水の階段)

(氷川丸を右に赤煉瓦・ランドマーク)

(氷川丸)

(マリンタワーを背景に沈床花壇)

(沈床花壇から大桟橋)

(水の守護神)

(大桟橋を背景に、手前に「カモメ」の水兵さん)

(ワンちゃんの散歩)

(赤煉瓦倉庫方向)
 山下公園の中間に位置するところには、横浜港内、ベーブリッチ等を周遊する3コース程の遊覧船に、乗船人、下船する人大勢いて、船の大きさや所要時間もコースによりマチマチでありますが、下船してくる人々は皆楽しかった様子で、ニコヤカな顔で下船して来る姿を見届け、公園五連ジャの散策を終えました。



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長屋門公園にて

2013-11-21 15:42:04 | 日記
 今日は、長屋門公園へいって来ました。この場所は、相模鉄道線の希望が丘又は三つ境駅から20分程の所にある公園です。長屋門公園の名称は、この公園に、横浜市認定歴史的建造物に認定されている旧大岡家長屋門(きゅうおおおかけながやもん)と旧安西家主屋(きゅうあんざいけしゅおく)があり、この二つの古民家の「大岡家”長屋門”」からの名称のようであります。
 バンフレットによると、養蚕業の歴史は古く、日本では弥生時代に中国大陸から伝わったとされています。特に、明治時代にかけて隆盛期を迎え、この大岡家にあっもて生糸の生産・加工を家業として、大きく事業を興していた模様であります。
 もう一方の古民家は、元禄から続いて現当主13,4代を数え、天保期には「和泉村」の名主を勤めていたことを当家に所蔵される「相模国村高控帳」によって明らかにされている旧家の建物で、年代は明らかではないが、間取りや構造から、江戸時代中期(18世紀頃)のもとされている。
 この建物(現在の泉区)を平成2年に横浜市に寄付され、平成3年から、移築復元に着手して、同4年に6月に竣工したとありました。これらの建物の文庫蔵や穀蔵には、当時使用されていた農具や時代を示す古文書等が整然と展示されていました。
 一方、この晩秋の風物詩とも云える菊の展覧会が、この公園で行われておりました。主に盆栽仕立てのものが多く出品されており、主催者と思われる方に、盆栽仕立てについて伺ってみると、”盆栽道”にしたがって育てれば容易とのことで、生け花や書の様に〇〇××流と云うものはないそうであります。
 盆栽仕立てをする場合には、前年の6月頃又は9月頃に、刺し芽をして苗を作り、翌年、その苗にふさわしい台木に植え付けて、形を整えて行くようでありますが、卓越した技術と眼力で、施肥や芽の勢いなどを確り見極め剪定して行くには、やはり基礎知識を身に着け理解する必要があるとのことであります。
 これには、講習会等の指導を受けると容易に知識は身に着けられて、3、4年もすれば何とか展覧会に出品できる様になると云っておられました。
 誰もが、余暇を如何に楽しめる時、空間に加えて、仲間を作りそれが継続し活力となるかを、今回、もしみじみと感じさせられました。

(旧大岡家の正面、公園の入口にもなっている)

(大岡家の蔵)

(繭を運ぶかご)

(眉から糸を取り出す器具)

(取り出した糸を更に大きく巻き取る器具)

(旧安西家)

(安西家の裏木戸)

(旧安西家の裏に設置された休息広場)

(安西家の広間から奥座敷の様子)

(同土間の様子)

(菊の展覧会出品物)

(同じ)

(同じ)

(同じ)
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北海道からのレポート

2013-11-16 17:30:49 | 日記
 北海道からのリポ-トを掲載いたします。今回の北海道は、自然遺産で有名な知床オホーツクであります。11日に出発したので、大雪の影響があるかと心配して行って見ると何と積雪は、全くと云う位ありませんでした。防風林の日蔭になっている場所にわずかに雪が残っている状態でありました。大雪は、日本海側に降り積もったようであります。
 当日は、二番機で羽田空港を離陸し、一路女満別空港に向けたが、天候は、本州の一帯は曇っていましたが、北海道十勝の海岸が見える頃からは晴れ間が出て来て、帯広空港を眼下に見ながら、程なく阿寒湖の全容が姿を現し、和琴半島がクッキリと見えました。
やがて、美幌峠を真下に防風林で真四角にクックリと刻まれた畑が、豆腐を並べたよう晩秋いや初冬の収穫が終った田畑が、碁盤を見ているか如く眼下に映え着陸いしました。
 それから、女満別の町を通り抜け、一路、清里町をめざして車を走らせました。車窓からは、収穫を終えた農家の家々が、晩秋の終わりの風景にピッタリと収まり、道路には、季節風の通り道になる場所に鉄製の防雪板高さ4メートル位の囲(吹雪で道路が雪で埋まるのを防ぐ)いを風上に当たる場所に延々と設置し、真冬に備えてありました。
 また、道路は、甜菜(ビート「砂糖の原料」)を満載したトラックが、四方八方から集まり、加工場に向けて、数珠繋ぎで車が走っていました。この風物詩も精糖工場作業が終える2月末頃まで続く光景であります。
 この知床地方は、ビートや小麦の栽培が多く、全ての収穫を終えた農家の仕事は、今は、秋まき小麦の冬枯れ防止のための農薬散布や来春の圃場作りに精を出しておりました。
 真冬の12月から3月末位までは、網走に隣接する「濤沸湖(とうふつ湖)」に子ずれの白鳥を見ることが出来、また、2月から4月初めまでは、オホーツク海に「流氷」が現れ、一夜陸側方向から風が吹くと流氷は何処かに消えて、風向きが海側から吹くとまた姿を現す。この寄せては返す流氷も4月初めには、太平洋に流れ出て、5月中過ぎ頃からは、水温の低い海面に対し、気温が上がり空気が暖められ上昇することから、「蜃気楼」が見られる(「四角太陽の日の出」や水平線上に「ビル等)ようになります。長かった知床の冬も終わり、原生花園のお花畑の鑑賞する季節になると春が来と感ずるものであります。これが知床旅情です。
 今回は、車窓からの初冬の風景を満載いたします。ご堪能下さい。


(クッシャラ湖に張り出した「和琴半島」)

(鉄製の防雪板)

(空港から知床への道)

(中央右奥雌阿寒岳を望む)

(収穫の終わった畑)

(秋まき小麦の圃場)

(冬を待つ農家のたたずまい、手前ビート運搬車)

(同じく農家のたたずまい)

(馬鈴薯の収穫を終えた畑、左奥は知床連山)

(ビートの出荷を待ち、刈置き状態)

(玉ねぎの出荷前の貯蔵風景、乾燥を兼ねる)

(ビートの収穫を終えた畑を来年の圃場作りに精を出す)

(秋まき小麦の冬枯れ防止の消毒に精を出す)

(夕景の女満別空港証空の田畑)



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掃部山公園へいって

2013-11-07 19:43:49 | 日記
 今日は、掃部山公園へ行ってきました。掃部山の名称は、「井伊掃部頭直弼」の銅像を建立したことから、この名称となった模様であります。
 井伊直弼氏の銅像の碑によれば、安政5年に日本の近代に先駆した氏は、内外の激動に耐え日米修好通商条約を締結し、安政6年に未来の発展を予見するかのように、横浜を世界の海洋に向かって開港した。
 明治14年大老を邉慕する彦根藩士有志により、開港に際しての功績を顕彰するため記念碑を建立する計画をたて、明治17年、この地の周辺の丘を求め掃部山と称し造園を施し、明治42年に銅像を建立しこれを記念した。となっておりました。
 しかし、別の立札には、戦中の金属回収によって、銅像を軍に納付するため撤去され、現銅像は、昭和29年横浜市の依頼により、「慶寺丹長」が制作したもので、重量4トンを(当初の台座「妻木頼黄」の設計で、高さ6.7メートル)再健したとなっていました。
 なお、軍に納付した銅像の姿は、「正四位上左近衛権中将」の正装で、高さ約3.6メートルを測りとなっておりましたので申し添えます。当時の金属回収は、一般家庭に於いてもナベ、釜に余裕がある金物があれば、自治会を通じ供出させられたとこを思い出しますが、戦争は、世の中を一変させられました。
 この公園は、銅像以外はベンチを備えている外何もなく、銅像前の広場と一段下に、同じ程度の広場が備わっているだけですが、見晴らしはよく、桜木町駅周辺はもとより、東京湾を遥かに望むことが出来、清々しい気分になりました。
 この公園に併設して、和風庭園がありましたが、池周辺には、街灯の地中配線工事のため、残念ながら立ち入り禁止となっていました。しかし、子供ずれの親子が弁当を広げ楽しげに会話が弾んでいる様子でした。周りには、遊具が備わっており、周辺に居住する市民の憩いの場としては最高の場所となっていました。
 道路一本挟んで、伊勢山皇大神宮がありましたが、11月であることから、「七五三」祈願の真っ盛りで、親子は勿論のこと、祖父母共々我子・我孫の末永い慈しみを祈願している様子が、伝わってきました。平和な日本、微笑ましい光景は何よりであると感じさせられました。

(井伊直弼氏の銅像)

(井伊直弼氏と背景にランドマークタワー)

(同広場)

(和風庭園広場)

(同広場)

(和風広場でたわむれている子供達)

(掃部山境内)

(境内への鳥居)


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弘明寺公園と弘明寺観音へ行って

2013-11-02 16:22:56 | 日記
 今日は、弘明寺公園と弘明寺観音へ行ってきました。弘明寺公園は、京浜急行の弘明寺駅改札出口から直ぐに公園入れ口となっています。
 公園が小高い丘陵地と云うか山になっていて更に、展望台があることから、見晴らしもよくて、ランドマークタワーが間地かに見える他ベーブリッジなども見えていました。今回、文化遺産に指定された富士山も見える位置にありますが、残念ながら、気温が高かいため、遠くは霞んで見えませんでした。
 公園には、広場が四つ程あり、グランドゴルフやケートボール等の外、子供達が遊べる滑り台やジャングルジムなども整備されておりまして、市民の憩いの広場では、幼稚園児を連れたお母さん達大勢が、何やら食事をしたり、青空市の様なことをしておりました。
 一方、この公園には四方から入れる様に入口があることから、散歩コースにも最適の様で、"お子様連れプラス1"のおじいちゃん家族にも巡り会い、お孫さんがはしゃぎながら、楽しそうに散歩をしている姿がとても愛らしく見えました。
 公園を一周すると線路を挟んで反対側に下りてきますが、そこには、弘明寺観音がありました。この観音様は、坂東三十三観音の十四番所、瑞応山 弘明寺 (弘明寺観音)がありました。
 この坂東三十三観音は、源頼朝の信仰心から生まれた観音札所巡礼と立札があり、坂東と云うのは箱根の坂道から以東を指すのだそうです。源平合戦で戦った供養と永い平和の祈願が盛んになり、源頼朝の厚い観音信仰と多くの武者が西国三十三観音霊場札への思いが結びつき、鎌倉時代の初期に坂東三十三観音霊場が開設されたとありました。その後、秩父三十四観音霊場(埼玉県秩父市・秩父郡横瀬町・秩父郡皆野町・秩父郡小鹿野町に点在)祀られ、加えると日本百観音霊場になるとありまた。
 この坂東観音様の所在地を現在の都県別に調べて見ると、東京1ケ所、神奈川県9ケ所、埼玉県4ケ所、千葉県7ケ所、茨城県6ケ所、栃木県4ケ所、群馬県2ケ所となっていました。 また、この観音様三十三ケ所を巡礼するのが大変であれば、鎌倉市にある寺院の「杉本寺」から始まり、「円覚寺」で、それぞれのお寺を巡礼して、三十三観音の巡礼に替える事が出来る様であります。


(公園展望台)

(ゲートボールで一汗流すシニァー達)

(ランドマーク、ベーブリッジ等一望)

(親子一家で散歩)

(弘明寺観音山門)

(山門のニォー様)

(弘明寺商店街)
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