遅咲きの月下美人が21時頃に満開になりました。
過酷な夏を乗り越えましたが、花が十分育つには活力が不足していたようです。
花も花飾りもささやかな開花でした。
(参考:2015年7月の写真)
同じ株の花は一緒に咲くのが普通ですが、この日の根元に近い花芽は開花を見送りました。
線状降水帯の異常な降水量により想定外の水害が発生したので本当に驚きました。
終日テレビのニュースを見守りました。
鬼怒川の堤防決壊の現場には言葉もありません。
陸からの救出が出来ないためヘリコプターが活躍する様子には頭が下がりました。
長雨で家に閉じ込められた位で文句は言えないと、深く反省しました。
台風18号の影響で怪しげな気象配置になり、記録破りの雨が降り続いています。
「線状降水帯」がゆっくりと通過しているため、波状の豪雨が続き、時々落雷があります。
携帯電話に崖地の人は準備するようにという避難勧告がありました。
もう咲かないと思っていた月下美人に花芽を見つけて驚きました。
今年新しく80cmほど伸びた細い茎の先端に花芽が付いたのです。
月下美人は予想外の時期に予想外のポイントに咲くような気がします。
終日雨の予報で外出もままならず、2階からカキの木を眺めていて、カキが色づいたのに気がつきました。
枝の都合で逆さになったカキの実が、そこだけ目立っていました。
下から近づいて、アップで撮ったカキの実です。
無事にきちんと熟すか、その前にカラスに食べられてしまうか、予断は出来ません。
久し振りに蔵前鼻黒稲荷に立ち寄りました。
何だか非常にさっぱりした感じでした。
周辺の建物が無くなり、左右と裏手が全部駐車場になり、孤立した状態でした。
念のため、2010年7月の写真を見比べてみました。
神殿の背後には建物があり、右手には植込みがあります。
神社の先行きが心配になりました。
境川の御所ガ谷橋の上流にある堰跡橋です。
この辺りには1924年に下流の奥田地区の水田に用水を供給するため奥田堰が建造されたようです。
1960年に使命を終えた堰が廃止され、1983年には奥田堰跡碑が建立され、その時架橋されたのがこの堰跡橋です。
堰跡橋の上から境川の上流を見渡したところです。
現在では街中を流れる護岸のしっかりした川ですが、昔はこの辺りから用水を取り入れていたのでしょう。
堰跡橋の左岸の地形を眺めながら、往時の奥田堰を偲びました。
藤沢市役所新館脇の植込みに江の島弁財天道標が2基あります。
元禄2年頃、検校杉山和一が江の島道沿いに48期建てたと伝わる道標です。
目の不自由な人のため、彫が深くなっていると言われています。
正面に草書体の江の島道らしい文字があり、右面に「一切衆生」、左面に「二世安楽」と彫られています。
現存する12基が市指定の文化財に指定され、この2基は市内から移設されたものです。
「曇り時々雨、突風、雷に注意」という気象情報が毎日続いていますが、
期待もせずに見上げた一本松の向うに「いわし雲」を発見しました。
文字通りの直ぐに変わる「秋の空」で、数時間で曇り空に戻りました。
子供たちの楽しみは、何と言っても売店巡りです。
それでもお客より売り子の方が多い店もあります。
賀来神社のTシャツで、スーパーボールすくいに熱中している女の子です。
男の子には人気がなさそうです。
お父さんが子どもにやさしく話していました。
いよいよ夏休みが終わります。
氏子手作りの祭りです。
お囃子も少年少女が中心で、家族が応援団のようでした。
ちょっと雨脚が強くなると、子供達は手水場に逃込んで空を見ていました。
雨の中、お父さんと子供がのんびりと遊んでいるように見えました。
木陰で雨が遮られる場所は小さな子ども連れで賑わっていました。
今年も鵠沼の小さな神社・賀来神社の祭礼が行われました。
江ノ電鵠沼駅前の石畳が、バリアフリー対策ですっかり変わったので、ちょっと戸惑います。
雨模様が続き、お神輿も合羽を着ていました。
それでも雨間を見て、町内を巡行したようです。
夏休みが終わり新学期が始まる直前です。
雨にも負けず、子供たちで一杯でした。
子どもは神殿に興味がないようで、神殿前は空いていました。