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平等とはなんだろうか

2021年04月12日 22時22分33秒 | 世間話
こんばんは

特別何か思想めいたものを思いついたわけではないのですが、仕事も早く終わってまったりしていたので書いてみようと思い立ちました。
最近はコロナショックともいうべき時代の変化によりさまざまなものが変化してきていますね。
そんな中で就活生や個人事業主などのお店や女性の社会進出・平等なんて言葉を最近よく耳にするなぁと思っているのです。
それぞれいつも思うことがあるので、暇ですし語ってみようかなと思います。

まずは就活生ですね。
というか大学生のことですね。
リモート授業がつまらないから休学したいとか退学するだとかいうのは目的を見失っているだけだと思います。
大学は高校生とは違って割とガチなバイトができたり、酒が飲めるようになったり、危ない遊びができるようになったり、女性と大人なことができたりして人生の中でも発見の多い瞬間なのではないでしょうか。
その後の何十年かは、結婚して次の世代を育てるだけの作業ゲーですからね。せいぜいこの瞬間を楽しむべきだと心底思うわけです。
で、楽しむのはいいのですが、縛りがないと案外その自由もつまらないものになってしまうというのがなかなかに面白いと俺は思います。
どういうことかというと、何か目的があるなら大学なんてどうでもいいはずです。何も目的がなく、上記のようないろんな偶発的発見を体験経験してみたいと思う人が大半ですから、そういった偶発的事由が起こりそうなイベントが起こらなくては始まりません。
そして、偶発的な事由を求めている人は、自らイベントを起こす気力はあまりないのです(体感)
ですから、大学のダラダラ授業でもちゃんとした意味があるのです。高い金を出して偶発的なイベントを求めていっているのです。
誰が好き好んで飲んだ翌日の1限にあくびをしながら行くのでしょうか。それは義務感だけではなく、「昨日酒飲んでまじつれーわー」と仲間に言いたいからですね。
たったそれだけのことで社会の一員になった気がして、自分のすべてが肯定されたような気がして、あぁ俺って生きていると実感するというわけなんですよ。
そういう観点からしたらリモート授業はつまらないかもしれないですね。すみません。
でもまぁ大学生という肩書でいる間は本当に遊んでいてもわからないのですから、大いに遊んでいればいいんじゃないかと思うんですよね。
金がないからそんなことは無理よというのも十分理解できるのですが、それは外的要因なのであって学生自らが休学退学するというのとは別問題ですよね。
とにかく肩書がある間はリモート授業の間ずっと株をやっていてもいいし、オナニーしていてもいいし、ゲームしていてもいいし、バイトしていてもいいのです。
社会人かフリーターという身分になったら、そんな気軽にあれこれできるほど余裕はなくなりますからね。フリーターであっても任される仕事の内容によってはそれに集中しないといけなくなりますからね。
それに、やっと就活生の話になりますが、大学なんて「大卒」の肩書を手に入れるためのイベントでしかなく、私立で4年制なら400万円くらい出して「大卒」という称号をもらうイベントなわけですよ。
超有名大学でもない限り大卒なんてみんなどんぐりの背比べですよ。でもそんな当たり前の称号すら持っていないとしたらどれだけこの社会で微妙な目にあうのか想像できるのでしょうか。
何度も言いますが、金がないから高卒でもしょうがないじゃないかというのはごもっともです。それは今回の問題の例外になります。しょうがないものはしょうがないのです。来世で頑張りましょう。
で、結局何が問題なのかというと、就活なわけですよ。
大学生が自分のやりたいことをやるというだけで就活に失敗しているという特集を最近よく目にするのですよ。
俺はこれをみていつも不思議になります。就活なんて面接で演技するだけの簡単なお仕事じゃないですか。
人事が欲している言葉を出して、グループディスカッションでは必要な態度を取り、他と差別化できるようなエピソード(嘘)を用意して披露するだけでいいのですよ。裏取りなんてコスパ悪いことしませんよ。
それで落とされる企業は自分の能力では入れない企業。セリフや演技で通用しない企業や特殊な採用方法をしてくる企業は、もはや普通の人が採用されるのは難しい企業。
それこそ一部の秀才や企業が求める特定の技能を図るためのもので、普通に普通のことができる普通の人間が欲しい企業は、そんな普通の演技をする大学生がいれば採用してくれるのですよ。
そして、そういう企業を探さないのが問題なのです。面接で言うセリフや演技、エピソードなんてみんな似たようなものですよ。自分のキャラに合わせて楽しい系かじっくり系かみたいな差しかないですよ。
そんなほぼ同じレベルの奴らが同じステータスで殴り合う戦場では、より戦いやすいフィールドを選ぶべきだということは明白だと思います。
この時点で超有名企業は候補から外れますよね。記念受験くらいはいいかもしれないですが、ほぼ間違いなく筆記か書類審査で落ちますよ。落ちないとしたら遊ばれているだけです。それかあなたがハイパー可愛いかです。まぁ可愛い時点でレアキャラですがね。
でも就職してすぐにブラックだったり倒産したりするような会社は嫌ですよね。男ならどうせ営業職みたいなものしかないでしょうし、辛いのは最初から分かっていますよね。
何せ我々は普通の人ですから、体を張るくらいしか取り柄というかできることがないわけで、技術があったらそっちで就職できるわけですからね。
そうなってきたら腹を決めて「売りやすいものを売りたい」となるはずです。誰もが欲しがるものほど売りやすいし、自分の能力や運に左右されにくいと考えるはずです。
とくれば、選ぶべきは業界No1ですよ。言うまでもなく引く手あまたで売りやすいでしょ。何の興味もなくたっていいじゃないですか。どうせ売ることに変わりはないんですから。
熱意で売るなんて「売れないから」やっているだけですよ。押し売りのさわやかバージョンみたいなものです。
売れるというぁ業界No1の営業には余裕があります。何せ商材がみんな欲しがっているものだからです。
四季報でしたっけ?それを開いて探すのは業界No1、これだけです。後は勤務地と給料そのた諸々でしょうかね。あまり高望みしないのがいいと思いますよ。どうせそういうところには入れないですからね。
ですから、就活に失敗するなんてほとんどの場合あり得ないと思うわけですよ。一つも内定が無いなんてありえないのです。
もしもそうなるとしたら、必要な演技ができていないだけです。受けるべき企業を受けていないだけです。
社会に出たら演技なんてレベルではなく、社会人という皮というかキャラを被って生きていくのですよ。その予行演習みたいなものです。人事の採用担当に精一杯の演技を披露してやりましょう。
そこで得た経験がその後の社会人生活の糧になりますからね。そういった経験もなく、もしくは不十分な経験しかせず、結果内定もなく非正規労働者に落ち着くとなれば、自然と微妙な人になっていってしまうのはもはやしょうがないことなのではないでしょうか。
目的をもって長い間準備をして羽ばたくような人以外は、みんなどこかの企業の歯車の一つですからね。その中にも入れず、働き盛りにパートのおばちゃん達と同じ仕事をしているのだとすれば、それは仕事ではなくバイトの延長なのだと考えてもらいたいものです。


1つの話題に時間をかけすぎていますが久々に語っていきましょう。本当にこの手の話題が多いし、特集するだけして投げっぱなしなのは問題提起というのではなくやけ酒して叫んでいるようなものですよねまったく。
次は事業主というかこのコロナ禍で被害を受けているお店ですね。
大変だと思いますよ。お客さんが来ない、出歩かないというのは、そもそも金を落としてくれる人が来ないわけですからね。
もはや不況ともいうべき状態でしょうね。というかみんなそう言ってますね。
で、感染が拡大して今巷を騒がせているような変異ウイルスなんて目じゃないくらいの凶悪変異ウイルスが発生するのは怖いのですが、これも時代の流れなのではないでしょうか?
どうみたってコロナに関係なく倒産や閉店している店がありますよね?これは緩やかな死を迎えるはずだったお店が、急な逆風でたちまちお陀仏になっただけではないでしょうか。当然の帰結というものでしょう。
当然事業主からすればたまったものではないでしょうから、援助しろしろとうるさいわけですが、もはや焼石に水状態なわけで、どうにもならないでしょうということなんですよ。
政府も緊急で対策を打たなくてはならないから、そんな酒だかギャンブルだかに消えるような金を事業主と言われる人たちに配りまくるわけですね。
俺も仕事柄いろんな事業主の方と話をしますが、本気で生き残りをかけている人はそうでない人とは全然違いますよ、雰囲気から違います。
ネットでもなんでも自分の能力を最大限使おうとして奮闘しておられますよ。そういう人にこそ金を配分するべきですよ。
寝て起きて困ったーというだけの個人事業主の価値なんてどこにあるのでしょうか。この効率化が叫ばれる時代に中途半端な事業を行う事業主と呼ばれる人たちは一体何なのでしょうか。
あんなに頑張っている本物の事業主を見た後では、なんちゃって事業主にしか見えず、もっと言えばサラリーマンにもなれないような中途半端な人間なのではないかとすら思えます。
もう還暦を迎えたような人は年金の積み立てがなければ辛い老後を送るだけですから自業自得ですが、40代くらいで行き詰っているおじさん達は何がしたいのかよくわかりません。早めに見切りをつけてサラリーマンにでもなればいいのにと心底思います。
まぁでもそれは田舎だからなのかもしれませんね。都会で一旗あげようと思えば、ロマンもあるかもしれませんしね。散ればそれだけいい思い出かもしれません。どうせ20代以降は一種の作業ゲーですからね。
そんなわけで事業主と呼ばれる人たちのピンキリぐらいを目の当たりにすると、本当に救う価値があるのか?死ぬ気でやっているのか?と考えないわけにはいかない今日この頃なわけですよ。


それでは最後に男女の平等について。そろそろ手が疲れてきたので手短に。ほんとはこの話題が主だった気がするけどね。
男女平等というのは究極的な理想だといつも思います。感覚的な分かりそうなものですが、現実的ななかなか難しいですし、思想的な面からもいろんな平等があってバランスが難しいのだなといつも思います。
世が世ならそんな自由な議論なんてできなかったかもしれませんし、思想信条の自由で頭の中だけで展開されていればよかったような思想もちらほら散見されるくらい今は自由な世の中です。
アホも秀才も同じ話題で同じ土俵(SNS)で議論というか意見を叫びまくるというカオスが日々繰り返されているわけですね。
俺が思うにどれも正しいですよ。ネットで叫ばれているポリコレ思想や過激なフェミニストたちの意見にだって一定の正しさがあると思っていますよ。
でもね、俺の考え方はより消極的だと思っています。結論を言えば、そんなん無理じゃねってことです。本質的にも実質的にも平等なんてないのですよ。
俺が思うに人間は脳が発達した動物ですよ。生まれて大きくなってつがいを見つけて交尾して子をなして育てて死ぬ、ただそれだけの動物ですよ。
その輪廻の中でたまたま今はつがい同士がちょっと発達した頭で死ぬまでの一時をどのように過ごすのか考えてみているだけのことですよ。
一部の過激なポリコレ思想やフェミニストたちが言う差別された女性というのは一体どのような場面の誰のことなのでしょうかね。
俺は人間皆動物という思想ですから女性がーとか男性がーという議論はどうせ平行線だろうから遊びでやっているんだろうと思っているのですが、少し真面目に考えてみようと思います。
まず、家事育児を女性に押し付けがちというのは男性のよくないところです。子供から好かれるのはお母さんと決まったわけではないでしょう?育児は死ぬまでに行うべき動物としての使命ですよ。
ですから、仕事が忙しいと言っても育児や家事に積極的に参加することには意義があります。疲れすぎて体調を崩すようではおかしな話ですが、動物としての使命の前では趣味だのなんだのに費やす時間なんて究極的には意味がないと思うのです。
それは同時に女性にも当てはまります。育児をするために子を孕み産むというのは女性にのみ与えられた使命というか技能です。未だ人類は機械の中で人間を培養することは倫理的に許されていませんからね。
となれば、その大事な動物的使命の前では、男性がどうだのこうだのというのは些細な問題なのです。
よってお互いの主張は甘えに他なりません。どちらかがどちらかに寄りかかろうとすればするほど議論はこじれるのです。
とはいえ子を産み育てるのは男性の精子と女性の卵子なしでは成り立ちません。となれば、肉体的にも有利な男性が仕事をして金を稼ぎ、女性がうまくそれを使うことで子育てを行うという構図は効率的な構図ではないでしょうか。
そしてこれは男女を逆転させても同じなのです。結局のところ子を産み育てることに意味があるのであって、男性と女性が社会においてどちらが活躍し金を稼ぐかなど些細な問題なのです。
もっと言えば男性と女性がケースバイケースにおいてお互いの役割を理解し、子を育てるという共通目標に向けて、お互いがお互いの利益を考えるべきなのです。
そういった動きを考えれば、思想家の皆さんがなんとかパターン化しようとしているこの男女平等という問題はあまりにもケースバイケース過ぎてパターン化したそれが誰にでも当てはまりそうで当てはまらないものになってしまうのです。
1つの場面はどのような切り口から論じても同時に別の切り口から補うことで解決してしまうというのが人間なのです。
そう考えれば、男性社会であれ女性社会であれ能力は正当に評価されるべきですね。活躍しようとして能力を示せば当然に評価され、その機会が与えられる。それが正しい世の中ですよね。
というか、俺の究極的な思想である人間皆動物の考え方からしたら、どう気持ちよく生きるかなんてことを考えだしてしまっている時点でなかなか収拾は難しいと思いますよ。
何せ傲慢になってしまった人は、実は自ら機会を捨てていたにも関わらず、自分が欲しいと思ったときに機会が与えられないことに不平不満言い出すのですからね。
例えばよくある例として、もっと自分のことを評価して欲しいと願う女性がいたが、女性だからと軽視されて評価されなかった選ばれなかったということがあったとします。
これを見てフェミニストたちは「女性蔑視」だとか「不平等だ」とか言いますが、すべてにおいて上記なようなことが起きているのでしょうか?自分はそうは思いません。ケースバイケースです。
なぜならその前後の文脈がないからです。なぜ軽視されたのでしょうか?1つしか選ばれないとしたら、なぜその1つになれなかったのでしょうか?
それは女性だからという理由だけなのでしょうか?自分のプレゼンに問題はなかったか?成果物が誰もが称賛するほど優れたものであったのか?
世の中において評価されるというのは一概に言えないことが多いと思います。自分の会社もそうです。明らかに有能な人よりも会社の在籍年数が長いだけの無能が上司になることが多いです。
つまり、評価されるだけの要素を積み重ねなければ、他者との競合に勝てないということなのです。女性だから勝てないというのではありません。男性だから勝てないこともあるのです。
求められるその「1つ」にはどれだけの要素が詰まっているでしょうか?それを正しく見定めていますか?性別の問題だけで片付くような問題ではないのです。選ばれなかったのはきっと勝てるだけの要素が足りなかったのです。
あなたが普通に仕事に行って業務時間内で仕上げた成果物よりも、目の下にくまを作りながら寝る間も惜しんでその「1つ」について考え続けた末にできたフラフラの相手の成果物とどちらがよりその「1つ」に対して熱意を込めているでしょうか。その熱意の時点で要素の一つに劣っています。
もしくは、時間内で成果物を仕上げたこと自体が評価される場合もあるでしょう。今後もコンスタントに良案を持ってくる可能性があると思われれば残業している相手よりも要素の1つで勝っています。
もしくはどうしても評価して欲しいから権力者に実力以外の部分で要素を勝ち取ろうとする輩もいるかもしれません。色仕掛け、賄賂、七光り、考えただけでも裏の要素はいっぱいあります。
しかしながら、どれもこれもケースバイケースです。自分が入った会社の評価に携わる人たちがどのような要素を求めているかに対し、自分がどれだけ応えられるかによってどれだけ素晴らしいと自分が考える良案も凡案になってしまいます。それは「合っていない」だけなのです。
それを「女性だから」「女性蔑視だ」と声高に叫ぶことがどれだけ愚かで滑稽なことか分かるはずです。差別されるような職場は論外です。自分から辞めるべきなのです。そういった職場では男女に関係なく誰かが誰かに虐げられているはずです。健全ではありません。
そうはいってもこの世の中簡単に職を変えられるものではありません。先ほども言いましたが、訓練した演技でようやく入れた会社なのです。まぁまぁの待遇だしどうしたものかと考えて、個々が折り合いをつけていくものでしょう。外野がギャーギャー騒ぐものではないのです。
ましてや自分の能力が足りないことは棚に上げて女性蔑視だなんだと叫ぶようではあなたが害悪になってしまいます。
どのような状況であれ、抑圧された環境でなければ、ほんの些細なことであっても評価される機会はあったのです。その時の自分が関係ないことを考えていたか何かでそれに応えていなかったことを今更後悔しても遅いのです。
それに、本当に実力がある人は人から持ち上げられなくても頭角を現すものです。誰でも容易に想像できるはず。あなたにそれがありますか?
今の環境では無理だと思うのであれば、頭角を現せる環境へ行くべきですし、そこまでのやる気がないのなら素直に平凡でいるべきです。
ただ、平凡であれば何かで評価されるために他とは違う要素が必要になります。それは女性だ男性だという話以前の問題だというのは明白なのです。
最近実によく思います。女性を起用しようとする流れは本当に女性側が求めているものなのかと。政治家にしろそこらへんの上司にしろです。
ですが、周りから持ち上げられただけだとしても、信念をもってその企業の利益を追求したりする実際に実績を作れればそれは能力があるということになります。
きっかけは些細なことなのかもしれません。能力さえあればきっかけは何でもよくて、結局は評価されるということなのでしょう。
ですから、平凡な人がさも能力があるかのような立ち振る舞いをするのは限界があります。過激な思想にまみれても中身は平凡。当たり前の体格差やセンスの違いで吹き飛ばされてしまうような個性なのです。
もっと分をわきまえるべきですね。自由な世の中になって誇大妄想を現実だと誤認識してしまっているのでしょう。
所詮は人間も動物です。できることには限りがあります。普通のことを普通にやるのが人間の一生です。そこに+α人間の社会をよりよくする働きができるのは長い長い人の世にあっていつも一握りの人間たちなのです。
能力があるなどと、評価されるはずなどと過信しないことです。自分が逆の立場だったらどうでしょうか。逆に女性を優遇したら男性蔑視にあたらないのでしょうか?やはり優れているであろう要素を探すものではないでしょうか。
その時相手が男性だろうと女性だろうとより多くの要素を積み上げてきた方に仕事を任せるものではないでしょうか。それが普通でしょう。
言ってしまえば今の男性たちが担っている社会的責任を女性の皆さん全員が負いたいと思っているのか甚だ疑問だと思います。
一部の野心家女性はそれこそが生きがいで楽しみであると答えるかもしれません。ですがそれは男性の側にしたって同じこと。野心家以外は普通を望んでいるのです。
お互いに普通を望み合う男女は自然とお互いのことを考えるはずです。きれいごとで終わらせておくべきなのです。体格差において女性は男性の性のはけ口にされやすく被害に合いやすいです。
しかしそれはDVに出た男性を厳罰に処せばいいだけのこと。女性の立場を優遇しすぎることとは根本的に考え方が違うのです。
弱きものを守るというのは古い考えでありながら、今の男女が本質的に持っている思想であると言えます。
それは体格差からおのずと明らかなのですが、極端なケースバイケースに心を痛めすぎた過激なフェミニズムやポリコレ思想は一種の病気ではないかと思います。
この社会の裏の顔。人間の良くない部分がたまった吹き溜まりのような部分を長く見つめすぎてしまったのです。もはや嫌うことでしかコミュニケーションが取れないかまってちゃんかもしれません。
俺が思うに病気の一種とされる性同一性障害はどういったメカニズムなのでしょうか。女性ホルモンが分泌されている男性だとかそういうことでしょうか。憶測でものを語るべきではありません。
しかし、物理的に女性とされるものや男性とされるものが分泌されているから女性だ男性だというのならまだしも、ゲイやレズはただの変態性の一種ですし、本来口外せず自分の中だけで楽しむべきものだったはずです。
男性だと勘違いした女性、女性だと勘違いした男性というのは、生まれてきた後の思想形成において何らかの要因があるのではないでしょうか。
それを病気だなんだと言ってしまえばそれまでですが、男性だと勘違いしてしまった女性はどうすればいいのでしょうか。
しかしそれは悲観することではないと思いますし、口外して理解を求めるというのもおかしな話だと思います。
それは「変態」だからです。おっぱいが好きーとかおしりが好きーとか言っているのと同じです。
オナニーのおかずを教えられて「どう?」って言われても返答に困りますよね?そりゃあなたがいいと思うならそれでいいよって思いますよね。
それと同じですよ。「俺は男性が好き」「私は女性が好き」「俺は女性だと思うわ」「私は男性だ思っている」これらはすべてその手のオナニーをしていますと言っているようなものです。
オナニーのネタを教えて「気持ち悪い」と言われてもやっぱり~と思うのに、ゲイだレズだを自分からカミングアウトして理解されないから傷つくなんていい迷惑です。
もっといえば自分の性癖を明かして相手を困らせた挙句自分が望む答えを出してこないからお前が悪いと言ってくる姿勢は、さながら露出狂が急に飛び出してきて全裸を披露して去っていくような気持ち悪さを感じます。
相手が見たいと思っていないものを無理矢理見せて、社会的な勢いをかさに着て、相手に同情やそれらしい発言を求めるのがやりたかったことなのでしょうか?
そんなオナニーで興奮しているのなら今すぐやめるべきです。そんなやり方は不健全ですし、オープンな変態と変わりない、露出狂のそれと同じだと思います。



いやーすっきりしました。
自分の考えだって偏っていますからね。やっぱり誰かしらから批判されるのは当たり前の持論だと思います。
でもまぁこういった持論を頭の中ではなくてこうしてブログに書き込めるなんて日本はいい国ですよね。
誰かに伝えたくて書いているわけではないので、偶然ここにきてしまったひとがいたら、ここで読んだことは忘れてもらいたいと切に願っています。


それではまた次回。


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