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南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

戦国無双3・北条氏康(河越夜戦)

2010-05-24 | 歴史(戦国・維新・島津など)
戦国無双シリーズ3作目で北条氏康が初登場し、武田信玄や上杉謙信とからめて関東三国志の再現ができるようになりました

『信長の野望』シリーズでは、優秀な軍師・家臣団を持つ武田信玄や、トップクラスの戦闘力を誇る上杉謙信などを選びたくなりますが、ビジュアル重視?の戦国無双ファンでは、どのくらい注目されているでしょうか?(笑)


北条氏康の章・第1話は1546年の、日本三大夜戦の一つ「河越夜戦」です。
北条氏康軍と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍が武蔵国の河越城(現在の埼玉県川越市)の付近で戦闘し、北条軍が勝利を収めた戦いです。
河越夜戦は、同世代の毛利元就による厳島、織田信長の桶狭間と並んで戦国三大奇襲作戦ともされています。




戦国大名のはしりとして有名な北条早雲(通称・伊勢新九郎で在命中は北条と名乗ったことなし)は、今川氏の武将でしたが1493年に堀越公方の子足利茶々丸(11代将軍足利義澄の兄弟)を襲撃して滅ぼし、伊豆国を奪い(伊豆討入り)東国戦国期の幕開けとなりました。
さらに関東管領の山内上杉氏と扇谷上杉氏の争いなどに乗じて、小田原城を奪取し、相模から伊豆にかけて地盤を固めていきました。

早雲の嫡男・氏綱は1519年に父が死去後、性を伊勢から北条へと改めました。
1530年扇谷上杉家に嫡男・氏康と共に、小沢原の戦いで勝利、1537年に河越城を奪取しました。
1538年足利(義明)・里見連合軍に大勝(国府台合戦)し、武蔵南部から下総にかけて勢力を拡大。
父・早雲の代より主従関係にあった駿河国の今川氏親との駿相同盟に基づいて甲斐国の武田信虎(信玄の父)と甲相国境で争いましたが、1536年に今川義元が家督を継承して甲駿同盟が成立(信虎の娘・於豊が今川義元に嫁ぎ婚姻同盟を結んだ)すると、北条氏は今川氏と争い(河東の乱)今川氏から独立します。



1541年に氏綱が死去し氏康が第3代当主になりました。
1545年、駿河の今川義元は、関東管領・山内上杉憲政や扇谷上杉朝定等と連携し、氏康に対し挙兵(第2次河東一乱)。
窮地に陥った氏康は武田信玄の斡旋により、東駿河の河東地域を義元に割譲することで、義元と和睦しました。

1546年、山内・扇谷の両上杉氏と足利晴氏の連合軍、およそ8万の大軍(一部の北条方の武士を除く関東の武士すべてに号令をかけ)が北条領に侵攻し、北条氏に奪われていた河越城を包囲したのでした・・・


北条綱成が守る河越城には3千の兵のみ、救援にきた氏康の兵も8千のみと圧倒的に劣勢。
氏康は両上杉・足利陣に「これまで奪った領土はお返しする」との手紙を送り、長期の対陣で油断を誘いました。


山内・扇谷の両上杉氏達「相模のうつけ(氏康)に、早雲があの世で孫の不甲斐なさを嘆いているぞと伝えておけ(笑)」


氏康「それで泣きながら戻ってきた、と?・・・」
氏康「上出来だ


氏康は義弟・北条綱成と連携して、連合軍に対して夜襲をかけました!
偽りの降伏を上杉軍は受け入れず、逆に北条軍を攻撃しまたが、氏康は戦わずに兵を引かせたことより上杉軍は北条軍の戦意は薄いと思い込みました。


氏康「憲政、貴様の阿呆面拝みに来てやったぜ」
1546年5月19日の夜、氏康は自軍六千の兵士たちに鎧兜を脱いで身軽にさせ、上杉連合軍に突入すると、上杉軍は大混乱に陥りました。


河越城の戦いで北条氏康に大敗を喫し、1547年には小田井原の戦いで武田晴信(信玄)に大敗を喫した上杉憲政は、1557年ごろ越後の長尾景虎(上杉謙信)のもとへ逃れていきます。

1561年3月には鎌倉鶴岡八幡宮において、養子としていた長尾景虎に上杉性と関東管領職を譲渡しました。


氏康の章では、家臣や一族を思いやる場面が随所に出てきます。

城内で戦況を見守っていた綱成がこの機を捉えて足利晴氏の陣に「勝った、勝った」と叫びながら突入すると足利軍は総崩れとなりました。
北条氏綱に評価され、綱の字や氏綱の娘を与えられ北条一門に加わった綱成は、河越夜戦では、半年余りを籠城戦で耐え抜くという大功を挙げ、北条軍大勝のきっかけを作りました。
「地黄八幡」の旗指物を立て北条軍の先鋒として、里見義堯との国府台合戦、武田信玄との駿河深沢城の戦いでも活躍。


武田氏は信濃平定に向けて、1548年には信濃の一勢力・村上氏との上田原の戦いがあり、やがて北関東において越後の長尾氏と対立する北条氏と連携する必要がでてきます。


氏康は1551年、駿河興国寺城を奪うもこの後、義元により撃退。
1554年、今川義元が三河に出兵している隙を突いて再び駿河に侵攻するも、義元の盟友・武田晴信の援軍などもあって、駿河侵攻は進みませんでした。


氏康の背後から、そろそろと近づく「まろ(今川義元)」

まろ「ひでぶ!!」(笑)

まろ「妹によろしくの

まろ(今川義元)の父・今川氏親(うじちか)の母・北川殿は北条早雲の姉でした。
第7代当主・今川氏親の五男として生まれ、4歳で仏門に入れられた義元は、1536年に長兄・氏輝が急死、次兄・今川彦五郎迄もが相次いで死亡した後、異母兄・玄広恵探との当主争い(花倉の乱)に勝利し、今川家第9代当主となりました。
この花倉の乱の時に北条氏は義元を助けたのですが、義元が甲斐の武田信虎の娘(定恵院)を正室に迎え、武田氏と甲駿同盟を結んだことで、怒った北条氏綱軍が駿河富士郡吉原に侵攻する「河東の乱」が生じたいきさつがありました。

まろ(今川義元)は北条氏康や武田信玄の義兄弟でもあります。
氏康は今川氏親の娘(義元の妹)瑞渓院殿を正室として、氏政、氏照、氏邦、氏規らをもうけています。


足利 晴氏(はるうじ)は、戦国時代の第4代古河公方です。
河越夜戦で大敗すると、古河公方としての力を失い、1552年に公方の座を子の足利義氏に譲らされ、1554年には古河城を攻められ、氏康によって相模国波多野(神奈川県秦野市)に幽閉されました。


【古河公方】
室町幕府の征夷大将軍が関東十ヶ国における出先機関として設置した「鎌倉府」の長官を「鎌倉公方」といいます。
第5代鎌倉公方・足利成氏が、「享徳の乱」勃発時の1455年に、鎌倉から古河(茨城県古河市)に本拠を移し、初代古河公方となりました。
以後、古河公方は政氏・高基・晴氏・義氏と、約130年間引き継がれました。

北条氏綱の娘が足利晴氏のもとに入嫁(芳春院)し、次の古河公方になる足利義氏の母となります。
氏綱は自らを古河公方足利氏「御一家」・関東管領であるとし、周辺の伝統的豪族に対して、後北条家による関東支配の正統性を主張しました。


【関東管領】とは、室町幕府が設置した鎌倉府の鎌倉公方を補佐するために設置した役職名です。
関東一円の武士を掌握し次第に、鎌倉府以上の力を持つようになり鎌倉公方と対立していくことになります。
1416年に起きた上杉禅秀の乱を契機に山内上杉家の世襲となります。
庶流の扇谷上杉家と山内上杉家との争いが起こり、堀越公方を攻め滅ぼした伊勢宗瑞(北条早雲)を関東に招き入れた事によって後北条氏の台頭のきっかけを作ってしまいます。



信玄「おことが相模のうつけ殿かね」

氏康の幼年期は、ちょっとした物音にも驚くほど気が小さく、周囲の人々も心配していたとのこと。
少年期には評判の芳しくなかった北条氏康の代わりとして、北条綱成を北条家当主に擬する動きまであったそうです。



若年の朝定(ともさだ)が扇谷上杉家(おうぎがやつ)の家督相続したのを好機と見た北条氏綱に1537年7月に河越城を攻められ、朝定は敗走して以後は松山城を居城とします。
1541年、長年抗争していた宿敵・山内上杉家の上杉憲政と和睦し、北条氏康に対抗しますが、河越夜戦にて古河公方、山内上杉氏は大打撃を受け、扇谷上杉は朝定が討死して滅亡してしまいます。


北条家は関東南西部で勢力圏を拡大し、戦国大名としての地位を固めることになります。
当主を失った扇谷上杉家は滅亡、本拠平井城へ敗走した関東管領の山内上杉家も戦いを契機にこの後急速に勢力を失い、数年後には上杉憲政が居城の平井城を追われ、越後の長尾景虎を頼ることになります(上杉謙信の関東征伐につながります)。



戦国無双シリーズ


戦国無双3・北条氏康(河越夜戦) 1546年
戦国無双3・武田信玄&北条氏康(駿相の戦い) 1554年
戦国無双3・上杉謙信&北条氏康(関東出兵) 1560年
戦国無双3・武田信玄&上杉謙信(川中島の戦い) 1561年
戦国無双3・武田の駿河侵攻(上杉謙信の章) 1568年
戦国無双3・武田信玄&北条氏康(三増峠の戦い) 1569年



戦国無双3・毛利元就  (中国防衛戦 )
戦国無双3・毛利元就  (木津川口の戦い)
戦国無双3・毛利元就  (上月城の戦い )
戦国無双3・竹中半兵衛  (中国攻め )
戦国無双3・真田幸村(上田城の戦い)
戦国無双3・毛利元就 (立花救援戦 )
戦国無双3・島津義弘公 (九州征伐編)
戦国無双3・立花宗茂   (九州征伐編
戦国無双3・真田幸村 (忍城の戦い)
戦国無双3・立花宗茂   (小田原討伐 )
戦国無双3・立花千代の章第2・3話
戦国無双3・島津義弘公 (伏見城の戦い)
戦国無双3・真田幸村(沼田城の戦い)
戦国無双3・立花千代  (杭瀬川の戦い)
戦国無双3・立花宗茂   (大津城の戦い )
戦国無双3・島津義弘公 (関ヶ原突破戦)
戦国無双3・立花千代 (石垣原撤退戦) 
戦国無双3・真田幸村   (大阪の陣) 


ifの世界
戦国無双3・毛利元就  (最終話 )


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