戦国無双3・豊臣秀吉・お市・浅井長政の章・第2話や竹中半兵衛の章・第1話は 「稲葉山城の戦い」です。
稲葉山城は岐阜城とも言われ、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にあります。
1541年 斉藤道三が、守護土岐頼芸を追放し、1547年 織田信秀が、頼芸派の家臣と稲葉山城下まで攻め入るも大敗(加納口の戦い)します。
1549年に斎藤道三は娘・帰蝶(きちょう)を織田信長に嫁がせ、同盟関係にありましたが、道三が1556年の「長良川の戦い」で息子の斎藤義龍に討ち取られたこともあり、再び敵対関係にありました。
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1560年の桶狭間の戦で駿河国、遠江国の太守今川義元を討ち、尾張国を平定した織田信長の課題は隣の大国、美濃国攻略でした。
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1562年、信長は徳川家康と清洲同盟を結んで互いに背後を固めました。
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1564年に北近江の浅井長政と同盟を結び、斎藤氏への牽制を強化しましたが、その際、信長は妹・お市を輿入れさせました。
この同盟によって信長は上洛経路を確保し、美濃国攻略の足掛かりとしました。
信長は大いに喜び、通常は浅井側が結婚資金を用意するのが当時のしきたりでしたが、信長自身が婚姻の費用を全額負担したとされています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/good.gif)
竹中半兵衛の章・オープニングムービー
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1561年の4月に斎藤義龍が急死し、まだ14歳の斎藤龍興がそのあとを継ぎました。
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1564年、斎藤龍興の家臣で菩提山城主の竹中半兵衛が、稲葉山城をのっとるという珍事が起こります。
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竹中重治と安藤守就が造反し、挙兵。稲葉山城を攻め、龍興らは城を捨て、竹中らが城を半年間占拠しました。
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信長は1561年7月に美濃に侵攻しますが、斎藤勢は半兵衛(竹中重治)の伏兵戦術で織田勢を破ったとされ、1563年にも新加納で織田勢と戦い、このときも半兵衛の戦術のために斎藤勢は勝利しました。
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主君・斉藤龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、一部の側近だけを寵愛して重治や西美濃三人衆を政務から遠ざけていました。
このため1564年2月、弟・重矩や舅・安藤守就とともに龍興の居城・稲葉山城(後の岐阜城)を16人の部下とともにわずか1日で奪取しました。
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信長は竹中半兵衛に城を譲るよう迫りますが、半兵衛は主君の龍興を諌めただけで、あっさりと城を返上してしまいました。
信長は1564年には、美濃国東部の鵜沼城、猿喰城、堂洞城を次々と諜略などにより支配下に組み込んでいきました。
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1566年、信長は美濃国の墨俣に稲葉山城攻略のための拠点(墨俣城)を構築しました。(木下秀吉(豊臣秀吉)が築城に成功)
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「濃姫」という通称は「美濃国出身の高貴な女性」という意味です。
帰蝶を信長に嫁がせた後の正徳寺で会見した際、「うつけ者」と評されていた信長が多数の鉄砲を護衛に装備させ正装で訪れたことに大変驚き、道三は信長を見込むと同時に、家臣の猪子兵助に対して「我が子たちはあのうつけ(信長)の馬をつなぐようになる」と述べたと『信長公記』にあります。
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1556年長良川の戦いで戦死する直前に斉藤道三が、婿の信長に対して美濃を譲り渡すという遺言書を残したと『信長公記』にあります。
この道三の国譲状を大義名分として美濃進出があり、子ができなかったとされる濃姫ですが、斎藤氏、土岐氏の血を引く濃姫が信忠を養子に迎え、信長は家督を信忠に譲り、美濃と尾張の支配を信忠に委ねています。
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半兵衛「信長もしつこいなあ。何度攻めれば気がすむんだろ」
信長は1560年桶狭間の合戦以降4度攻めますが敗退しました。
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斎藤龍興「半兵衛、信長に包囲されておるぞ! 何とかせい!」
半兵衛「龍興様がこんなんだから、攻めたくもなるよねー」
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秀吉「さ、敵将を倒して手柄立てちゃるで~!」
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ねね「お前さま、ガンバってね!」
1561年秀吉は寧々(ねね)と結婚![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_pink.gif)
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信長「サルめ、城内まで攻め入ったか」
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柴田勝家「そのようでござりますな・・・」
勝家さんは、秀吉の活躍がおもしろくなさそうです。
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信長「長政・・・うぬの働き、期待している」
長政「はっ義兄上のお役に立てるよう精進します!」
信長「危ういほど濁りなき目よ・・・行け、長政」
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勝家「(長政を)守ってやるわ」
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市「長政様、市もお手伝いします!
」
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秀吉「ったく、見せつけてくれるのう!」
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長政「市、そなたが一緒だと、勇気の沸き方が違うな
」
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長政「足手まといなものか。そんな市が好きなのだから
」
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半兵衛「わ・・・ごちそうさま、もうお腹いっぱいだよ」
・・・ホンマやね(笑い)
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濃姫「夫婦の絆を深める最上の方法・・・何かわかるかしら?」
「修羅場を乗り越えることよ」
・・・どんな修羅場?
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市「敵将には可哀想なことをしました」
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勝家「御意のままお進みあれ」
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市&長政の必殺技![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_pink.gif)
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子に茶々(豊臣秀吉側室)・初(京極高次正室)・江(徳川秀忠継室)がいます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_pink.gif)
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孫に徳川家光・豊臣秀頼・千姫(秀頼・本多忠刻正室)などがいる毛並みの良さです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
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信長「斉藤も堕ちたものよ。サル、早々に滅ぼせ」
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光秀「信長殿は、この美濃を乗っ取ろうというのですか」
市「お兄様にとって、美濃など通過点にすぎません!」
・・・美濃など・・・美濃など・・・
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勝家さん、さりげなく長政狙ってませんか?(笑)
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半兵衛「ねえ、光秀さん。織田信長ってどんな人なのかな」
光秀「厳酷ながらも人をひきつける魅力を持つと聞きます」
半兵衛「あ、俺無理、そーゆー人」
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ねね「油断しちゃダメだよ。斉藤家にも、まだ人材は残ってて、たとえば明智光秀って子は男前で有能だからね!」
秀吉「ほう、男前じゃのう・・・わしの手柄にしちゃるわ!」
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明智光秀は美濃国の守護土岐氏の一族で、斎藤道三に仕えるも、1556年道三と義龍の争いの際、道三方に味方し、義龍に明智城を攻められ一族が離散したとされます。
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長政「半兵衛、浅井家に来ぬか。そなたの力を借りたい!」
半兵衛「俺さ、皆が寝て暮らせる世にしたいんだよねえ」
1564年8月に自ら稲葉山城を龍興に返還した竹中半兵衛は斎藤家を去り、北近江の浅井長政の客分として東浅井郡草野に3000貫の禄を賜りますが、約1年で禄を辞して旧領の岩手へと帰り、隠棲しました。
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半兵衛「誰かが城に呼び込んだりしたのかな~」
「誰がやったんだろね~。安藤さん、知らない?」
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安藤守就「ひ、ひいい。も、申し訳ござらんかった・・・」
1567年、斎藤家の重臣で、西美濃三人衆である安藤守就(北方城主)、稲葉一鉄(曽根城主)、氏家ト全(大垣城主)が、信長に内通し、信長は稲葉山城下に進攻しました。
安藤守就は、竹中半兵衛の舅でもありました。
三人衆の寝返りには、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が貢献しました。
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官兵衛「城一帯に火を放ち、敵をあぶり出すのが良策かと」
信長「城の中にはサルがおるが?」
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官兵衛「犠牲なくして天下は平定できませぬ」
・・・冷徹なイメージがつきまとう官兵衛です。
官兵衛が信長に臣従するようになったのは、1576年あたりです。
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1567年、西美濃三人衆の寝返りで信長は小牧山城から出陣、稲葉山城の西の峰続きにある瑞龍寺山に布陣すると、8月2日に稲葉山城下町の井口を焼き討ちし、稲葉山城を厳重に包囲しました。
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稲葉山城攻めの際、豊臣秀吉(藤吉郎)は城背後からの攻撃を進言、蜂須賀小六ら7名、岩戸口から浸入、薪小屋に火をかけ手柄をたてました。
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道三自慢の堅城も裸城となり、8月15日、斎藤龍興は城を捨てて長良川を舟でくだり、伊勢長島へ逃亡しました。
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柴田勝家は、1557年の稲生の戦いで信勝に与して信長に逆らったことが響いたのか信長の尾張統一戦や美濃斎藤氏攻めではもちいられなかったそうです。
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官兵衛「秀吉殿、城に火を放たせたのは私。すべての責は・・・」
秀吉「わーっとる。主をかばうために悪役に徹せんでええ」
秀吉「そんなお前の笑顔がわしは見たい。わしに仕えんか」
官兵衛「御意に沿わぬ決断を迫る時が来てもよろしければ・・・」
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半兵衛「うわ、怖っ! 暗そー・・・そして性格悪そー・・・」
官兵衛「敵を統率していたのが、このような子供とはな」
半兵衛「人を見た目で判断するの? 失望したよ」
官兵衛「卿の真似をしたまでだが」
竹中半兵衛と黒田官兵衛は豊臣秀吉の参謀として活躍し、「二兵衛」と並び称されました。
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濃姫「あの半兵衛がいるのね。懐かしいわ」
「私が美濃を離れて・・・何年ぶりかしら」
「泣きっ面の半兵衛、成長したのね」
半兵衛「今では、知らぬ顔の半兵衛で通ってるんですよ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/3f/5aecfdf44d0a7abe1fa4212e995bc414.jpg)
半兵衛「いろんな意味で、すごすぎる人だ・・・ でも、誰もあなたについていけないでしょうね」
信長「で、あるか」
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秀吉「お主、斉藤の家臣にしとくにゃもったいないのう」
半兵衛「あなたもサルの名に甘んじてる人じゃないと思うな」
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秀吉「面白い奴よ! どうじゃ、わしに仕えんか?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/19/89f4bf1c5ce8e25873a18bb7b7ebfac4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/4b/1fdf399ad165186ead3afe89a00be0ae.jpg)
半兵衛「なんとか追い払ったけど、斉藤も時間の問題だね」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/04/72a8d44f4d8a8cd3dd59362ae5cff6fc.jpg)
秀吉「わしは皆が笑って暮らせる世を目指しとるんじゃが」
半兵衛「了解! じゃ、皆が寝て暮らせる世、作りましょう」
秀吉「すり変わっとる、すり変わっとる!」
半兵衛「しょうがないな。じゃ、皆が笑って寝てられる世で」
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市「無事に勝てましたね、長政様!」
長政「市、これからも頼む。共に、幸せな国を築こう」
市「はい、どこまでもお供します・・・」
1570年、信長が浅井氏と関係の深い越前の朝倉義景を攻めたため、浅井家と織田家の友好関係は断絶しましたが、長政と市の夫婦関係は周りが羨むほど仲睦まじかったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ec/717d4768b95642b1a6421db0e3c2b3da.jpg)
信長「睦まじいことよ・・・」
信長は念願の美濃国を手中にし、稲葉山城を岐阜城と改名し居城としました。
これにより尾張・美濃という濃尾平野を抑えた信長(33歳)は、有力な戦国大名となり、井口を「岐阜」と改め、「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになりました。
1567年、信長の侵攻により斎藤氏は滅亡し、信長は、浪人していた重治(竹中半兵衛)を家臣として登用したいと考え、美濃攻めで頭角を現していた木下藤吉郎秀吉(羽柴秀吉)に勧誘を命じ、秀吉は「三顧の礼」で重治を誘いました。
重治はこのとき、秀吉の才能を見抜き、信長に仕えることは拒絶するも、秀吉の家臣となることを了承したとされますが、このエピソードも後世の創作の色合いが強く、近年では弟・重矩と同様に信長の直臣として登用に応じた物という見方がされています。
稲葉山城は岐阜城とも言われ、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にあります。
1541年 斉藤道三が、守護土岐頼芸を追放し、1547年 織田信秀が、頼芸派の家臣と稲葉山城下まで攻め入るも大敗(加納口の戦い)します。
1549年に斎藤道三は娘・帰蝶(きちょう)を織田信長に嫁がせ、同盟関係にありましたが、道三が1556年の「長良川の戦い」で息子の斎藤義龍に討ち取られたこともあり、再び敵対関係にありました。
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1560年の桶狭間の戦で駿河国、遠江国の太守今川義元を討ち、尾張国を平定した織田信長の課題は隣の大国、美濃国攻略でした。
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1562年、信長は徳川家康と清洲同盟を結んで互いに背後を固めました。
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1564年に北近江の浅井長政と同盟を結び、斎藤氏への牽制を強化しましたが、その際、信長は妹・お市を輿入れさせました。
この同盟によって信長は上洛経路を確保し、美濃国攻略の足掛かりとしました。
信長は大いに喜び、通常は浅井側が結婚資金を用意するのが当時のしきたりでしたが、信長自身が婚姻の費用を全額負担したとされています
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竹中半兵衛の章・オープニングムービー
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1561年の4月に斎藤義龍が急死し、まだ14歳の斎藤龍興がそのあとを継ぎました。
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1564年、斎藤龍興の家臣で菩提山城主の竹中半兵衛が、稲葉山城をのっとるという珍事が起こります。
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竹中重治と安藤守就が造反し、挙兵。稲葉山城を攻め、龍興らは城を捨て、竹中らが城を半年間占拠しました。
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信長は1561年7月に美濃に侵攻しますが、斎藤勢は半兵衛(竹中重治)の伏兵戦術で織田勢を破ったとされ、1563年にも新加納で織田勢と戦い、このときも半兵衛の戦術のために斎藤勢は勝利しました。
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主君・斉藤龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、一部の側近だけを寵愛して重治や西美濃三人衆を政務から遠ざけていました。
このため1564年2月、弟・重矩や舅・安藤守就とともに龍興の居城・稲葉山城(後の岐阜城)を16人の部下とともにわずか1日で奪取しました。
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信長は竹中半兵衛に城を譲るよう迫りますが、半兵衛は主君の龍興を諌めただけで、あっさりと城を返上してしまいました。
信長は1564年には、美濃国東部の鵜沼城、猿喰城、堂洞城を次々と諜略などにより支配下に組み込んでいきました。
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1566年、信長は美濃国の墨俣に稲葉山城攻略のための拠点(墨俣城)を構築しました。(木下秀吉(豊臣秀吉)が築城に成功)
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「濃姫」という通称は「美濃国出身の高貴な女性」という意味です。
帰蝶を信長に嫁がせた後の正徳寺で会見した際、「うつけ者」と評されていた信長が多数の鉄砲を護衛に装備させ正装で訪れたことに大変驚き、道三は信長を見込むと同時に、家臣の猪子兵助に対して「我が子たちはあのうつけ(信長)の馬をつなぐようになる」と述べたと『信長公記』にあります。
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1556年長良川の戦いで戦死する直前に斉藤道三が、婿の信長に対して美濃を譲り渡すという遺言書を残したと『信長公記』にあります。
この道三の国譲状を大義名分として美濃進出があり、子ができなかったとされる濃姫ですが、斎藤氏、土岐氏の血を引く濃姫が信忠を養子に迎え、信長は家督を信忠に譲り、美濃と尾張の支配を信忠に委ねています。
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半兵衛「信長もしつこいなあ。何度攻めれば気がすむんだろ」
信長は1560年桶狭間の合戦以降4度攻めますが敗退しました。
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斎藤龍興「半兵衛、信長に包囲されておるぞ! 何とかせい!」
半兵衛「龍興様がこんなんだから、攻めたくもなるよねー」
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秀吉「さ、敵将を倒して手柄立てちゃるで~!」
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ねね「お前さま、ガンバってね!」
1561年秀吉は寧々(ねね)と結婚
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信長「サルめ、城内まで攻め入ったか」
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柴田勝家「そのようでござりますな・・・」
勝家さんは、秀吉の活躍がおもしろくなさそうです。
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信長「長政・・・うぬの働き、期待している」
長政「はっ義兄上のお役に立てるよう精進します!」
信長「危ういほど濁りなき目よ・・・行け、長政」
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勝家「(長政を)守ってやるわ」
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市「長政様、市もお手伝いします!
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秀吉「ったく、見せつけてくれるのう!」
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長政「市、そなたが一緒だと、勇気の沸き方が違うな
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長政「足手まといなものか。そんな市が好きなのだから
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半兵衛「わ・・・ごちそうさま、もうお腹いっぱいだよ」
・・・ホンマやね(笑い)
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濃姫「夫婦の絆を深める最上の方法・・・何かわかるかしら?」
「修羅場を乗り越えることよ」
・・・どんな修羅場?
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市「敵将には可哀想なことをしました」
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勝家「御意のままお進みあれ」
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市&長政の必殺技
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子に茶々(豊臣秀吉側室)・初(京極高次正室)・江(徳川秀忠継室)がいます
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孫に徳川家光・豊臣秀頼・千姫(秀頼・本多忠刻正室)などがいる毛並みの良さです
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信長「斉藤も堕ちたものよ。サル、早々に滅ぼせ」
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光秀「信長殿は、この美濃を乗っ取ろうというのですか」
市「お兄様にとって、美濃など通過点にすぎません!」
・・・美濃など・・・美濃など・・・
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勝家さん、さりげなく長政狙ってませんか?(笑)
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半兵衛「ねえ、光秀さん。織田信長ってどんな人なのかな」
光秀「厳酷ながらも人をひきつける魅力を持つと聞きます」
半兵衛「あ、俺無理、そーゆー人」
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ねね「油断しちゃダメだよ。斉藤家にも、まだ人材は残ってて、たとえば明智光秀って子は男前で有能だからね!」
秀吉「ほう、男前じゃのう・・・わしの手柄にしちゃるわ!」
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明智光秀は美濃国の守護土岐氏の一族で、斎藤道三に仕えるも、1556年道三と義龍の争いの際、道三方に味方し、義龍に明智城を攻められ一族が離散したとされます。
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長政「半兵衛、浅井家に来ぬか。そなたの力を借りたい!」
半兵衛「俺さ、皆が寝て暮らせる世にしたいんだよねえ」
1564年8月に自ら稲葉山城を龍興に返還した竹中半兵衛は斎藤家を去り、北近江の浅井長政の客分として東浅井郡草野に3000貫の禄を賜りますが、約1年で禄を辞して旧領の岩手へと帰り、隠棲しました。
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半兵衛「誰かが城に呼び込んだりしたのかな~」
「誰がやったんだろね~。安藤さん、知らない?」
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安藤守就「ひ、ひいい。も、申し訳ござらんかった・・・」
1567年、斎藤家の重臣で、西美濃三人衆である安藤守就(北方城主)、稲葉一鉄(曽根城主)、氏家ト全(大垣城主)が、信長に内通し、信長は稲葉山城下に進攻しました。
安藤守就は、竹中半兵衛の舅でもありました。
三人衆の寝返りには、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が貢献しました。
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官兵衛「城一帯に火を放ち、敵をあぶり出すのが良策かと」
信長「城の中にはサルがおるが?」
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官兵衛「犠牲なくして天下は平定できませぬ」
・・・冷徹なイメージがつきまとう官兵衛です。
官兵衛が信長に臣従するようになったのは、1576年あたりです。
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1567年、西美濃三人衆の寝返りで信長は小牧山城から出陣、稲葉山城の西の峰続きにある瑞龍寺山に布陣すると、8月2日に稲葉山城下町の井口を焼き討ちし、稲葉山城を厳重に包囲しました。
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稲葉山城攻めの際、豊臣秀吉(藤吉郎)は城背後からの攻撃を進言、蜂須賀小六ら7名、岩戸口から浸入、薪小屋に火をかけ手柄をたてました。
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道三自慢の堅城も裸城となり、8月15日、斎藤龍興は城を捨てて長良川を舟でくだり、伊勢長島へ逃亡しました。
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柴田勝家は、1557年の稲生の戦いで信勝に与して信長に逆らったことが響いたのか信長の尾張統一戦や美濃斎藤氏攻めではもちいられなかったそうです。
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官兵衛「秀吉殿、城に火を放たせたのは私。すべての責は・・・」
秀吉「わーっとる。主をかばうために悪役に徹せんでええ」
秀吉「そんなお前の笑顔がわしは見たい。わしに仕えんか」
官兵衛「御意に沿わぬ決断を迫る時が来てもよろしければ・・・」
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半兵衛「うわ、怖っ! 暗そー・・・そして性格悪そー・・・」
官兵衛「敵を統率していたのが、このような子供とはな」
半兵衛「人を見た目で判断するの? 失望したよ」
官兵衛「卿の真似をしたまでだが」
竹中半兵衛と黒田官兵衛は豊臣秀吉の参謀として活躍し、「二兵衛」と並び称されました。
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濃姫「あの半兵衛がいるのね。懐かしいわ」
「私が美濃を離れて・・・何年ぶりかしら」
「泣きっ面の半兵衛、成長したのね」
半兵衛「今では、知らぬ顔の半兵衛で通ってるんですよ」
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半兵衛「いろんな意味で、すごすぎる人だ・・・ でも、誰もあなたについていけないでしょうね」
信長「で、あるか」
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秀吉「お主、斉藤の家臣にしとくにゃもったいないのう」
半兵衛「あなたもサルの名に甘んじてる人じゃないと思うな」
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秀吉「面白い奴よ! どうじゃ、わしに仕えんか?」
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半兵衛「なんとか追い払ったけど、斉藤も時間の問題だね」
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秀吉「わしは皆が笑って暮らせる世を目指しとるんじゃが」
半兵衛「了解! じゃ、皆が寝て暮らせる世、作りましょう」
秀吉「すり変わっとる、すり変わっとる!」
半兵衛「しょうがないな。じゃ、皆が笑って寝てられる世で」
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市「無事に勝てましたね、長政様!」
長政「市、これからも頼む。共に、幸せな国を築こう」
市「はい、どこまでもお供します・・・」
1570年、信長が浅井氏と関係の深い越前の朝倉義景を攻めたため、浅井家と織田家の友好関係は断絶しましたが、長政と市の夫婦関係は周りが羨むほど仲睦まじかったそうです。
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信長「睦まじいことよ・・・」
信長は念願の美濃国を手中にし、稲葉山城を岐阜城と改名し居城としました。
これにより尾張・美濃という濃尾平野を抑えた信長(33歳)は、有力な戦国大名となり、井口を「岐阜」と改め、「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになりました。
1567年、信長の侵攻により斎藤氏は滅亡し、信長は、浪人していた重治(竹中半兵衛)を家臣として登用したいと考え、美濃攻めで頭角を現していた木下藤吉郎秀吉(羽柴秀吉)に勧誘を命じ、秀吉は「三顧の礼」で重治を誘いました。
重治はこのとき、秀吉の才能を見抜き、信長に仕えることは拒絶するも、秀吉の家臣となることを了承したとされますが、このエピソードも後世の創作の色合いが強く、近年では弟・重矩と同様に信長の直臣として登用に応じた物という見方がされています。
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