立花千代の章最終話:石垣原撤退戦です。
「石垣原の戦い」は1600年9月13日に豊後国で行なわれた黒田如水(官兵衛)軍と大友義統軍の合戦です。
10月には、柳川まで帰りついた立花宗茂が、加藤清正や鍋島直茂、黒田如水らに攻められるのですが、これらの戦いをくっつけた形となっています。
大友宗麟の嫡男・大友義統は文禄の役のときに朝鮮・明連合軍に包囲された小西行長の救援要請を無視して戦線を離脱するという行為を行なったために秀吉の勘気を蒙って改易に処されていました。
西軍の毛利輝元の援助を受けて義統は豊後に上陸し、かつて大友氏に仕えていた旧臣を約3000人ほどかき集めて、9月10日に杵築城(木付城)を包囲します。
城主の松井(細川忠興の家臣)が黒田如水に援軍を要請、9月13日、石垣原で黒田軍1万と大友軍3000が激突しました。
黒田軍は如水が金銭で雇った速成的な傭兵集団であり、大友軍はかつて豊後を支配していたこともあって地の利があり、両軍は互角の戦いを続けていましたが、母里友信など黒田二十四騎・黒田八虎の活躍で、大友軍の勇将・吉弘統幸が討ち取られたのを契機に戦況は圧倒的に黒田軍優位となり大友軍は敗走して立石城に籠ることになります。
母里友信(もり とものぶ)は通称「母里太兵衛」の名で「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話で非常に著名です
「酒は呑め呑め 呑むならば~ 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士~」
黒田長政の使者・友信が、正則の屋敷で酒を勧められ、固辞するも酒豪である正則が「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」としつこく勧め、黒田武士は酒に弱いなど家名を貶める発言をしたそうです。
そこで友信はこれを敢えて受けて酒を一気に呑み干すと、褒美として、正則が秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望し、正則は「武士に二言は無い」と褒美に差し出したそうです
千代「立花は一騎になろうと戦い続ける!」
宗茂が不在の間、城の守りは妻である千代が任せられ、侍女たちとともに武装し、敵からの攻撃に備えていたそうです。
関ヶ原の戦いで敗北した際には、居館から甲冑を着て出撃、攻め寄せる東軍を威嚇したとされています。
東軍に寝返った肥前の鍋島直茂軍は、三万五千もの立花家10倍ほどの兵を率い、10月16日には筑後川を渡河し立花方の海津城を落城させ、続いて19日朝には城島城を攻略、翌20日には「八の院の戦い」で立花勢本隊と激突。
立花統次・立花鎮実・立花親雄など次々と戦死していきます。
第四話に続き、第五話も登場の長宗我部元親。
史実は元親の四男・盛親が、関ヶ原の戦いに参加したのですが、やむなく西軍に与するも吉川広家の妨害で戦闘に参加できず、西軍壊滅後土佐に帰るも改易となってしまいます
寺子屋の師匠などもしていましたが、大坂夏の陣屈指の激戦「八尾・若江の戦い」で一花咲かせました。
清正「つまらん意地を張らず、逃げ延びろ」
加藤清正は関ヶ原の戦いでは九州に留まり東軍に協力して小西行長の宇土城を開城させたりしました。
立花勢は尚も柳川城へ篭城する構えを示したため、鍋島勢はそのまま柳川城を乗りつぶそうとしましたが、鍋島直茂がこれを抑え、黒田如水、加藤清正が降伏に向けて説得に動きました。
千代「情け無用。降伏するくらいなら立花は死を選ぶ」「くらえ!サンダーボルト!!(笑)」
清正「グアーー!」(笑)
加藤清正が宗茂に開城を説得すべく、九州に進軍した折、「街道を進むと、宮永という地を通ることになりますが、ここは立花宗茂夫人の御座所です。柳川の領民は立花家を大変に慕っており、宮永館に軍勢が接近したとあれば、みな武装して攻め寄せてくるでしょう。」と聞かされたため、宮永村を迂回して行軍したとのこと・・・
清正「全く・・・相変わらず意固地な奴だな」
大友義統と千代に「トリャァー!」と斬られる清正・・・
石垣原の大敗により、大友軍は士気が低下して戦闘継続は不可能となり、9月15日に義統は剃髪した上で、母里友信を通じて黒田如水に降伏しました。
官兵衛「もはや降伏は無用!絶望の悲鳴をあげていただこう」
絶体絶命の千代です
嫡男・長政が黒田軍の主力を率いて家康に同行、武功を挙げている時、如水は金蔵を開いて領内の百姓などに支度金を与え、9千人ほどの速成軍を作り上げ出陣し、石垣原の戦いで大友軍に勝利しました。
その後、如水は西軍に属した太田一吉の臼杵城、毛利勝信の小倉城などの諸城を落としていきました。
島津義弘公は、船団で豊後の国東半島沖を通過する時、大友義統方の安岐城を包囲していた黒田如水の番船に見つかってしまいます。
この船合戦で伊集院久朝ら38人が討死し、侍女7.8人が生け捕られてしまいました
「立花宗茂と島津義弘公、出現 」
関ヶ原を突破してきました!(島津義弘公の章・最終話参照)
千代「お前! 関ヶ原で果てたのでは・・・」
千代びっくり!(笑)
立花宗茂は9月15日の関ヶ原本戦には大津城を攻めていたために参加できず、本戦での西軍壊滅を知って大坂城に引き返し、徹底抗戦しようと総大将の毛利輝元に進言しましたが、輝元はその進言を容れずに徳川家康に恭順したため、宗茂は自領の柳川に引き揚げていきます。
宗茂「黄泉から戻ってきたのさ、鬼(島津)の道案内で(笑)」
帰国の途中・宗茂と義弘公は船を安芸日向泊につなぎ、再開します。
宗茂は「朝鮮戦役」時の戦友・義弘公の船を訪れ、喜びのあまり涙を流しながら往事を語り、再会を期して別れたということです。(『大重平六覚書』)
宗茂「千代が泣いているんじゃないかと心配になってね」
千代「ば、馬鹿にするな!泣いてなどおらぬ!」
んまぁ・・・仲のいいことで・・・(笑)
千代は鎮西へ撤退してきた宗茂を、家士や従者など数十名を率いて自ら出迎えたそうです。
千代「死地から戻ってまた死地に飛び込むとは馬鹿な奴だ」
宗茂「安心しろ、俺は死なない。そう言ったはずだ」(キリリッ)
・・・・「僕は、死にましぇ~ん!!あなたが好きだから!」
『101回目のプロポーズ』ですな・・(もう古いでしょうか(笑))
でも、うっかり死んじゃう(救援が間に合わず)と・・・
千代「嘘つきめ!死なぬと言ったのではなかったか!」とすごく悲しそうな声でセリフが出ます・・・
本田忠勝「ついに紹運を得たか、道雪の娘よ」「九州まで来た甲斐があった。さあ参られい!」
東に忠勝あらば、西に宗茂あり!
千代「ここで父と貴様を越えてやる。私と宗茂でな」
宗茂「お、俺もかよ?」(笑)
父が立花道雪で義父が高橋紹運ですからね・・・
周りからの期待やプレッシャーはいかほどかと・・・
父・道雪の通り名「雷神」より、千代の無双奥義・皆伝では「雷」の文字が!
道雪は『大友興廃記』などによれば若い頃に落雷を受けて半身不随になり、以後輿の上で指揮をとっていたとされますが、落雷を受けた際に雷の中にいた雷神を斬っており、この時に雷神を斬った刀を「雷切」として傍らに置いていたという伝説もあることから、「鬼道雪」「雷神」と呼ばれ畏怖されていたということです。
島津義弘公も参戦!
「お嬢、元気か?泣いちょらんかったか?」くらい声をかけてくれるかと思ったのですが、残念ながら特別に会話なしでした(笑)
義弘公「お嬢?ワシじゃ!鬼島津じゃぞ?」(笑)
千代「宗茂は今ここにいないな?良し・・・」
義弘公「お嬢?ワシはいるんだけど?ウギャー!!」
宗茂「千代・・・わざとか?」
豊久・・・関ヶ原で死んだはずじゃ?
忠勝を倒し・・・
千代「宗茂、今より敵陣を突破するぞ」
宗茂「行こうか、ともに」 Good Luck
ゲームですので・・・とりあえず黒田官兵衛を倒したことに・・・
官兵衛「つかの間の歓喜に酔いしれるがいい」「卿らはすでに幾重にも包囲されている・・・」
いかにも悪役のセリフですな(笑)
実際は黒田如水、加藤清正が説得に動き、立花宗茂は降伏開城(柳川城)しました。
島津義弘公は国許へ帰ると、宗茂から受けた恩義に報いるために柳川への援軍を送りましたが、援軍が柳川へ到着したのは開城から3日が過ぎた後だったということです。
千代のエンディングです。
敵や炎に囲まれた宗茂と千代の二人。
宗茂が千代をヒョイッと馬に乗せます。
千代「何を・・・?」
宗茂「行け」
千代「ふざけるな!立花の誇りが許さぬ」「私も戦う」
宗茂「そうだ」「戦え」「生きて」「お前自身のために」
千代「だが、お前は・・・」
宗茂「俺は死なない」
宗茂が馬の腹を蹴って馬を走らせました・・・
遠ざかりながら宗茂の方をじっと見つめる千代・・・
宗茂は突撃していったようです・・・
千代「・・・嫌だ」
千代「嫌だあああっー!」
私、恥ずかしながら、この付近で目頭が熱く・・・
一人、敵と戦う宗茂・・・
宗茂「・・・・!?」
このシルエット・・この跳躍は・・・!!
よろよろと宗茂に近づく千代・・・
千代「嫌だ、ふざけるな・・・!」
千代「貴様の命令など、聞けるか・・・!」
千代「立花は私一人じゃない・・・」
千代「お前を失うことなど、私が・・・!」
千代「勝つのだ、二人で」
千代「生きるのだ、二人で」「これは命令だ」
エンディング終了・・・
いやー素晴らしい・・・
・・・っていうか、千代だけ、凝り過ぎでないかい?
しかし、宗茂エンディングでは・・・
馬に乗り走っていく宗茂を追っかける千代や家来たち・・
千代「貴様、勝手に城を出るとはどういう了見だ!?」
宗茂「どうって、旅だ」
千代「ふざけるな!国を放り出す気か!」
宗茂「任せた」
千代「貴様、待て!」
一人、走り去ってゆく宗茂・・・・
「ふざけるなぁぁ、ふざけるなぁぁ、ふざけるなぁ!!」
千代の声が響いてきそうです(笑)
実際、宗茂は関ヶ原後は改易されて浪人となるのですが・・・
その後、関ヶ原で改易後、大名として旧領に復帰した唯一の武将となります
「石垣原の戦い」は1600年9月13日に豊後国で行なわれた黒田如水(官兵衛)軍と大友義統軍の合戦です。
10月には、柳川まで帰りついた立花宗茂が、加藤清正や鍋島直茂、黒田如水らに攻められるのですが、これらの戦いをくっつけた形となっています。
大友宗麟の嫡男・大友義統は文禄の役のときに朝鮮・明連合軍に包囲された小西行長の救援要請を無視して戦線を離脱するという行為を行なったために秀吉の勘気を蒙って改易に処されていました。
西軍の毛利輝元の援助を受けて義統は豊後に上陸し、かつて大友氏に仕えていた旧臣を約3000人ほどかき集めて、9月10日に杵築城(木付城)を包囲します。
城主の松井(細川忠興の家臣)が黒田如水に援軍を要請、9月13日、石垣原で黒田軍1万と大友軍3000が激突しました。
黒田軍は如水が金銭で雇った速成的な傭兵集団であり、大友軍はかつて豊後を支配していたこともあって地の利があり、両軍は互角の戦いを続けていましたが、母里友信など黒田二十四騎・黒田八虎の活躍で、大友軍の勇将・吉弘統幸が討ち取られたのを契機に戦況は圧倒的に黒田軍優位となり大友軍は敗走して立石城に籠ることになります。
母里友信(もり とものぶ)は通称「母里太兵衛」の名で「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話で非常に著名です
「酒は呑め呑め 呑むならば~ 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士~」
黒田長政の使者・友信が、正則の屋敷で酒を勧められ、固辞するも酒豪である正則が「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」としつこく勧め、黒田武士は酒に弱いなど家名を貶める発言をしたそうです。
そこで友信はこれを敢えて受けて酒を一気に呑み干すと、褒美として、正則が秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望し、正則は「武士に二言は無い」と褒美に差し出したそうです
千代「立花は一騎になろうと戦い続ける!」
宗茂が不在の間、城の守りは妻である千代が任せられ、侍女たちとともに武装し、敵からの攻撃に備えていたそうです。
関ヶ原の戦いで敗北した際には、居館から甲冑を着て出撃、攻め寄せる東軍を威嚇したとされています。
東軍に寝返った肥前の鍋島直茂軍は、三万五千もの立花家10倍ほどの兵を率い、10月16日には筑後川を渡河し立花方の海津城を落城させ、続いて19日朝には城島城を攻略、翌20日には「八の院の戦い」で立花勢本隊と激突。
立花統次・立花鎮実・立花親雄など次々と戦死していきます。
第四話に続き、第五話も登場の長宗我部元親。
史実は元親の四男・盛親が、関ヶ原の戦いに参加したのですが、やむなく西軍に与するも吉川広家の妨害で戦闘に参加できず、西軍壊滅後土佐に帰るも改易となってしまいます
寺子屋の師匠などもしていましたが、大坂夏の陣屈指の激戦「八尾・若江の戦い」で一花咲かせました。
清正「つまらん意地を張らず、逃げ延びろ」
加藤清正は関ヶ原の戦いでは九州に留まり東軍に協力して小西行長の宇土城を開城させたりしました。
立花勢は尚も柳川城へ篭城する構えを示したため、鍋島勢はそのまま柳川城を乗りつぶそうとしましたが、鍋島直茂がこれを抑え、黒田如水、加藤清正が降伏に向けて説得に動きました。
千代「情け無用。降伏するくらいなら立花は死を選ぶ」「くらえ!サンダーボルト!!(笑)」
清正「グアーー!」(笑)
加藤清正が宗茂に開城を説得すべく、九州に進軍した折、「街道を進むと、宮永という地を通ることになりますが、ここは立花宗茂夫人の御座所です。柳川の領民は立花家を大変に慕っており、宮永館に軍勢が接近したとあれば、みな武装して攻め寄せてくるでしょう。」と聞かされたため、宮永村を迂回して行軍したとのこと・・・
清正「全く・・・相変わらず意固地な奴だな」
大友義統と千代に「トリャァー!」と斬られる清正・・・
石垣原の大敗により、大友軍は士気が低下して戦闘継続は不可能となり、9月15日に義統は剃髪した上で、母里友信を通じて黒田如水に降伏しました。
官兵衛「もはや降伏は無用!絶望の悲鳴をあげていただこう」
絶体絶命の千代です
嫡男・長政が黒田軍の主力を率いて家康に同行、武功を挙げている時、如水は金蔵を開いて領内の百姓などに支度金を与え、9千人ほどの速成軍を作り上げ出陣し、石垣原の戦いで大友軍に勝利しました。
その後、如水は西軍に属した太田一吉の臼杵城、毛利勝信の小倉城などの諸城を落としていきました。
島津義弘公は、船団で豊後の国東半島沖を通過する時、大友義統方の安岐城を包囲していた黒田如水の番船に見つかってしまいます。
この船合戦で伊集院久朝ら38人が討死し、侍女7.8人が生け捕られてしまいました
「立花宗茂と島津義弘公、出現 」
関ヶ原を突破してきました!(島津義弘公の章・最終話参照)
千代「お前! 関ヶ原で果てたのでは・・・」
千代びっくり!(笑)
立花宗茂は9月15日の関ヶ原本戦には大津城を攻めていたために参加できず、本戦での西軍壊滅を知って大坂城に引き返し、徹底抗戦しようと総大将の毛利輝元に進言しましたが、輝元はその進言を容れずに徳川家康に恭順したため、宗茂は自領の柳川に引き揚げていきます。
宗茂「黄泉から戻ってきたのさ、鬼(島津)の道案内で(笑)」
帰国の途中・宗茂と義弘公は船を安芸日向泊につなぎ、再開します。
宗茂は「朝鮮戦役」時の戦友・義弘公の船を訪れ、喜びのあまり涙を流しながら往事を語り、再会を期して別れたということです。(『大重平六覚書』)
宗茂「千代が泣いているんじゃないかと心配になってね」
千代「ば、馬鹿にするな!泣いてなどおらぬ!」
んまぁ・・・仲のいいことで・・・(笑)
千代は鎮西へ撤退してきた宗茂を、家士や従者など数十名を率いて自ら出迎えたそうです。
千代「死地から戻ってまた死地に飛び込むとは馬鹿な奴だ」
宗茂「安心しろ、俺は死なない。そう言ったはずだ」(キリリッ)
・・・・「僕は、死にましぇ~ん!!あなたが好きだから!」
『101回目のプロポーズ』ですな・・(もう古いでしょうか(笑))
でも、うっかり死んじゃう(救援が間に合わず)と・・・
千代「嘘つきめ!死なぬと言ったのではなかったか!」とすごく悲しそうな声でセリフが出ます・・・
本田忠勝「ついに紹運を得たか、道雪の娘よ」「九州まで来た甲斐があった。さあ参られい!」
東に忠勝あらば、西に宗茂あり!
千代「ここで父と貴様を越えてやる。私と宗茂でな」
宗茂「お、俺もかよ?」(笑)
父が立花道雪で義父が高橋紹運ですからね・・・
周りからの期待やプレッシャーはいかほどかと・・・
父・道雪の通り名「雷神」より、千代の無双奥義・皆伝では「雷」の文字が!
道雪は『大友興廃記』などによれば若い頃に落雷を受けて半身不随になり、以後輿の上で指揮をとっていたとされますが、落雷を受けた際に雷の中にいた雷神を斬っており、この時に雷神を斬った刀を「雷切」として傍らに置いていたという伝説もあることから、「鬼道雪」「雷神」と呼ばれ畏怖されていたということです。
島津義弘公も参戦!
「お嬢、元気か?泣いちょらんかったか?」くらい声をかけてくれるかと思ったのですが、残念ながら特別に会話なしでした(笑)
義弘公「お嬢?ワシじゃ!鬼島津じゃぞ?」(笑)
千代「宗茂は今ここにいないな?良し・・・」
義弘公「お嬢?ワシはいるんだけど?ウギャー!!」
宗茂「千代・・・わざとか?」
豊久・・・関ヶ原で死んだはずじゃ?
忠勝を倒し・・・
千代「宗茂、今より敵陣を突破するぞ」
宗茂「行こうか、ともに」 Good Luck
ゲームですので・・・とりあえず黒田官兵衛を倒したことに・・・
官兵衛「つかの間の歓喜に酔いしれるがいい」「卿らはすでに幾重にも包囲されている・・・」
いかにも悪役のセリフですな(笑)
実際は黒田如水、加藤清正が説得に動き、立花宗茂は降伏開城(柳川城)しました。
島津義弘公は国許へ帰ると、宗茂から受けた恩義に報いるために柳川への援軍を送りましたが、援軍が柳川へ到着したのは開城から3日が過ぎた後だったということです。
千代のエンディングです。
敵や炎に囲まれた宗茂と千代の二人。
宗茂が千代をヒョイッと馬に乗せます。
千代「何を・・・?」
宗茂「行け」
千代「ふざけるな!立花の誇りが許さぬ」「私も戦う」
宗茂「そうだ」「戦え」「生きて」「お前自身のために」
千代「だが、お前は・・・」
宗茂「俺は死なない」
宗茂が馬の腹を蹴って馬を走らせました・・・
遠ざかりながら宗茂の方をじっと見つめる千代・・・
宗茂は突撃していったようです・・・
千代「・・・嫌だ」
千代「嫌だあああっー!」
私、恥ずかしながら、この付近で目頭が熱く・・・
一人、敵と戦う宗茂・・・
宗茂「・・・・!?」
このシルエット・・この跳躍は・・・!!
よろよろと宗茂に近づく千代・・・
千代「嫌だ、ふざけるな・・・!」
千代「貴様の命令など、聞けるか・・・!」
千代「立花は私一人じゃない・・・」
千代「お前を失うことなど、私が・・・!」
千代「勝つのだ、二人で」
千代「生きるのだ、二人で」「これは命令だ」
エンディング終了・・・
いやー素晴らしい・・・
・・・っていうか、千代だけ、凝り過ぎでないかい?
しかし、宗茂エンディングでは・・・
馬に乗り走っていく宗茂を追っかける千代や家来たち・・
千代「貴様、勝手に城を出るとはどういう了見だ!?」
宗茂「どうって、旅だ」
千代「ふざけるな!国を放り出す気か!」
宗茂「任せた」
千代「貴様、待て!」
一人、走り去ってゆく宗茂・・・・
「ふざけるなぁぁ、ふざけるなぁぁ、ふざけるなぁ!!」
千代の声が響いてきそうです(笑)
実際、宗茂は関ヶ原後は改易されて浪人となるのですが・・・
その後、関ヶ原で改易後、大名として旧領に復帰した唯一の武将となります
私は三国無双2で、無双にはまりました!
三国は2・3を遊び、戦国は1・2.3やってます。
あと、おろちも買っちゃいました。