ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

馬鹿げてる

2007-05-18 17:56:27 | Weblog
不明のヨット、和歌山沖で12日ぶりに発見 全員無事(朝日新聞) - goo ニュース
このニュースを聞いて無線の故障かと思っていた。
それにしても本当に馬鹿げている。
外洋に出るヨットに無線も衛星電話も積んでいないなんて考えられない。
今は地球の裏側に居ても連絡が取れ合う時代なのにどうしてだろう。
先ずマナーとして、もしもの時に備えて連絡がとれる装置を積んでおくこと必要だ。

話せなくても位置を知らせる装置は絶対に装備していなければならない。

今は渡り鳥やウミガメに装置をつけて四六時中移動を追跡出来る時代なのだから海や山へ行く人は必ず何か位置情報を自分の関係者に伝えることができるようにして出かけるようにしなければならない。

自分では大丈夫、遭難などしない、と思ってはいるだろうけれど、計画をする時は悪い状況も想定して対処方法を事前に考えておくことが必要だ。

冒険も安全を確保出来なければ無謀になってしまう。



街へ行くとそこはお祭りだった

2007-05-13 16:01:29 | Weblog
五月に入ってお祭りの季節になった。
昨日街へ用事があって出ていくと太鼓の音があちこちで響いていた。
車を降りて先ず出くわしたのはハッピを着たいなせな若者達が大きな太鼓を十台程並べて威勢良く打ち鳴らしていた。
前には可愛い子供が同じハッピを着てお兄さんたちを見ていた。
子供たちが大人になるまでずっと興味を持ち続けてくれればお祭りも段々と昔のようになってくるのだろうけれど、それは分からない。
次は天井の低いアーケードの下で子供を肩の上に乗せて獅子舞をしている田舎から出てきた獅子連だった。
獅子被った子供が肩の上に立ってぐるっと回るのだが天井から下がっている看板にぶつかりそうになって見ているものはつい「わあ 危ない」と声を出してしまった。
すると今度は車道へ出て大勢が輪になった。
一人が子供を肩に乗せると又その下に人が入って、一二三と声を合わせて押し上げる。そして又その下に一人入って上の三人を掛け声に合わせて皆で押し上げる。一瞬前にのめるようになって、危うく声を上げそうになったが、うまい具合に四連継は立ち上がった。
凄い。一番上の子供も大変勇気がある。一番下の人は本当に力がある。二番目三番目の人は不安定な状態でよくも立っているものだ。
これからも是非伝統を受け継いで欲しい。

街中の商店街でお城のところにある主神社のお神輿が三台置かれていて、周りを大勢の人が取り囲んでいた。子供の神輿、大人の神輿、女の人神輿だった。
ずっと車に神輿を積んでスピーカーでお神輿がきたことを知らせながら走るだけだったのに大勢の人がかき比べをしていた。
本来のお祭りがかえってきたようで嬉しかった。
少しずつ時代が変わりつつあるのかもしれない。


亡き母も明日は母の日

2007-05-12 21:15:52 | Weblog

母が亡くなって一年が来る。
時の経つのは本当に早いものだ。

昨日洗面タブに花が置かれているのを見て
ちょっと邪魔だったので妻に言って退けてもらった。
それにしても二日前に習っているフラワーアレンジメントの
花を持って帰って飾っているのに、と怪訝に思っていた。

今日になって仏壇の隣の床の間に置かれているのに気付いた。
私の母に花を贈ってくれたのだ。

ただ黙って感謝?

いや 声を出して「ありがとう」と言おう。

母の日のプレゼント

2007-05-12 17:42:46 | Weblog

息子の嫁から花が届いた。
明日は母の日だ。
今年は実母を亡くして寂しいと思うけれど旦那の母親に早々とプレゼント贈ってくれた。
受け取った私は「おかあさん花が届いたよ」と大きな声で妻に呼びかけた。
箱を開けて見ると花の中にあるメッセージに「お母さんいつまでも ハツラツ二」と自筆で書かれていた。

家内には父母を亡くしてしまった嫁のよき理解者としての母親になってもらいたい。

今日も友達と話していて、幾つになっても男はどちらかと言えば父親よりも母親の事を思い出す、という話になった。
女も同じだろう。日々の付き合いを見ていれば明らかだ。

男は寂しいけれどそれが男と女の役割なのだから仕方ない。

それでも父の日を楽しみに待つことにしよう。

高野連

2007-05-09 17:22:43 | Weblog
高校野球の特待生問題が盛んに報道されているけれど、今まで高野連の人たちは実態を知らなかったのだろうか。
そうだとすると全く可笑しな話だ。
高校の実情を全然分かっていない人々が組織を運営していることになる。

地方の公立高校でも特待生がいるらしい。
お金は出なくても優先的に入学出来る枠があると聞く。
地方だと甲子園に出場すると選手の応援ののぼりや横幕がその地区に飾られることになるのだが高校によっては殆どの生徒が野球留学の為幕が街に出ない。
これが現実なのだ。現実は認めよ。
特待生を云々するよりも先ずどうしてこういったことが蔓延していったかを高野連が謙虚に反省すべきだ。

実態を知ったその時点で指摘をし改善をしていれば問題は起きなかったのだ。

常々思っているのだが、高野連がアマチュアリズムを旗印にするのであれば甲子園大会は純然たる高野連の大会にすべきだ。
新聞社が拡販に利用したりしてはいけない、と思う。
特定の新聞社のこれまでの貢献は貢献として、そう云ったしがらみのない状態で新しく再発足すべきではないだろうか。

規律を確りと決めて、特待制度は認めるべきだ。
どのような境遇に居ても能力のある子の才能が伸ばせる環境は整えておくべきだ。

それにしてもスポーツがお金になる時代が来たものだ。

エキスポランドのジェットコースター事故

2007-05-09 16:14:49 | Weblog
エキスポランドのジェットコースター事故は起こるべくして起こったものだ。遊園地とは人を幸せにするところなのに事業者はその本質を理解していなかった。死者を出す事故を起こし最大の不幸をもたらした。安全が守られていない遊園地なんて地雷原で坊主たたきをしているようなものだ。危険を排除して安全を確立して始めて安心して家族で楽しめるのだ。100%の安全は保証出来ないとしてもそれに近付ける最大限の努力はしなければならない。探傷検査の義務を知らなかったとかゴールデンウイーク明けに検査を先延ばしにしたとか常識では考えられない。人が沢山来る前に検査をして安全に乗ってもらう、という姿勢が遊園地の事業者には求められているはずだ。事故が起きてしまって始めて問題点が明るみに出て来る。エレベータ事故・原発の報告違反など次々と出て来てうんざりさせられる。一体何処に原因があるのだろうか。経済最優先の時代だからだろうか。会社の論理が最優先で社会通念などお構いなしなのだろうか。それにしても安全をおろそかにすれば必ずそのしっぺ返しを受ける。そして被害者は何時も当事者ではなく利用者であったり、全く関係の無い人々なのだ。

それにしても六十年余りも無事に過ごせてありがたいと思っている。

幻の牡丹餅を買いに行くが・・・

2007-05-05 21:15:36 | Weblog
今朝は幻の牡丹餅を買いに八時半に家を出た。
歩きである。車の通らない道を選んで歩いた。
川沿いの人影も無くなった桜並木をひたすら歩いていると前を七十恰好のご夫婦がまるで機械仕掛けのように同じ調子で左右左右と手を振り足を合わせて歩いていた。後ろから見ると奥さんがご主人の少し右後ろを歩いているように見えた。きっと亭主関白なのだろう、と想像した。以外と早足で追いつかなかった。国道へ出て横断歩道でやっと一緒になった。ちらっと見ると二人はきちっと横に並んで信号の変わるのを待っていた。奥さんが左肩にバッグを掛けているように思ったのも間違っていた。何も持たずウォーキングスタイルだった。信号が変わったところで私は前を歩きだした。二人は右に曲がると思っていたが後に足音がついてきた。川沿いを少し歩いて左へ曲ると二人はそのまま真直ぐ歩いて行った。十五分ぐらい歩いて再び川に出たところで先ほどのご夫婦に出会った。やはり同じように歩いていた。そこで二人の歩き方の不思議が氷解した。奥さんが旦那さんの右の後ろポケットに左手を入れて歩いていたのだ。奥さんの体が弱いのだと思った。亭主関白どころか思いやり一杯の素晴らしい旦那様だったのだ。人のことなど外からは分からない。

橋を渡ってもう二十分程歩いて目的の牡丹餅の売店への道を山の上の施設で確認すると遠くまで来すぎていた。引き返して山を目指して県道へ出て信号を渡ると目的の牡丹餅を売っているお店だった。急ぎ足で店内の陳列へ向かったが、そこにはもう売り切れてありませんでした。やはり私には幻の牡丹餅でした。楽しみは残しておこう。

元気な人に会った

2007-05-02 11:09:42 | Weblog
昨日しまなみ海道の道の駅よしうみいきいき館の前で完璧なサイクリストスタイルの五十過ぎの方に会った。ヘルメットを被り黒い短パンでシャツは黒を基調に目立つアブストラクト模様のものだった。後ろの荷台には旅の必需品を確りと結んでいた。典型的な余暇を楽しむ自由人に思えた。しかし話し掛けてみると意外にも多忙な時間の合間を縫ってサイクリング楽しんでいるのだった。大阪を出発して徳島へ出て足摺へ一泊して高知県の檮原から四国カルストを経由して松山へ出て今治へ来たそうだ。私などは車でも思い付かない一寸大変な距離だと思うけれど、全然疲れた様子もなかった。ただ途中で急ぎの仕事の電話が入って、四国カルストの一泊と道後温泉の入浴が出来なかったのが残念だったと話ていた。それにしてもタフな人だ。何を考えながら走っているのだろう。ひたすら前を見ながら目的地を目指すのだろうか。周りの景色は楽しめるのだろうか。恐らく体全体で行く先々の空気を感じながら走っているのだろう。帰りは今治からフェリーで大阪へ帰るそうでした。

家内に話すと「おとうさんも 何かしてみたら」とまたまた厳しい。

時は過ぎ行くけれど

2007-05-02 10:38:04 | Weblog
桜花のトンネルもあっという間に衣替えを済ましてしまった。
新緑の道には清新さが溢れていて清清しい生気がある。
又一歩踏み出して行こうと云う気持を起こさせてくれる。

これからどのくらいこの道を歩くのだろう。