てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#459(鯖街道と大原三千院編)

2024年05月05日 20時30分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
タイトルに鯖街道と大原三千院とあるが、実のところオイラの主目的は興聖寺の庭園を見ることであります。
2022年2月に残雪により見ることが叶わなかったその庭園⇒ブラオイラ#422
司馬遼太郎ファンであるオイラ、数十年前に司馬氏が見たこの庭園を一度は見ておかないと気が収まらないのであります。

(今日拝観することができました


著書「街道をゆく」では、この庭園についてこう書いてああります。

高名な造園家の名が出た。
「このお庭ばかりは飽きがこないとおっしゃいまして、毎年一度はお見えになっておりましたが、このごろはお歳を召されて、もうそんなにお気楽にお見えになりません」


オイラも一度は見たかったのです。

昨日はガッツリ庭いじりをして、それをブログで投稿して少々ヘトヘトになっていたましたが、旅程表を立てないと気持ちものってこないので、
眠気に襲われながらもGoogleマップを見ながら簡単に行き先だけでも計画を立てました。

相変わらずの汚い字で読めませんので 以下に書き出しますと、
鯖街道と大原三千院
若狭三方IC-若狭瓜割名水公園-熊川宿-興聖寺 旧秀隣寺庭園(足利義晴の庭)-桑野の渡し跡-大原三千院-北小松の漁港-針江生水の郷-愛発舟川の里展示室-ブラタモリ鉄道と舟の交差点-敦賀IC
となっております。


早朝にカミさんと出発、
丘陵にあるハリウッドサインならぬメガネの鯖江サイン👓を通過します。


最初の目的地である小浜の若狭瓜割名水公園に到着、


瓜割の滝は、


間近で見ることができて迫力があります。


ちなみにこの気になる名前ですが、瓜も割れるほどに冷たい水から名付けられています。

ほんまかな・・・、ということで、
チャプチャプ

「ヒャー冷たーい!」ってほどでもなかったでございまする

名水公園もいいね。



さぁ鯖街道を京都方面に向けて進みます。

(鯖街道:若狭で獲れたサバなどの海産物を京都まで運んだ道)

熊川宿、以前来たことがあります。


道の駅があって、


無料の資料館もあります。


いろいろ知識を習得、いくつになっても興味は尽きない


旧宿場も整備されて残っていますね。




滋賀県の朽木に入り、オイラが行きたかった街道脇の高台にある興聖寺に到着です。


一応、本も持参してきました。


おぉ、これを見たかったんだ。


こう書いてあります。
室町末期の将軍の荒涼たる生涯をしのぶのにこれほどふさわしい光景はないだろうとおもった。むろん、観光という自然破壊のエネルギーはこの朽木谷までおよんでおらず、やってくる観光客もいない。
たしかにGWというのに、ここには我々しかおらず墓参りに来られている一行しかいませんでした。


足利幕府第十二代将軍足利義晴の時代、京の治安はみだれ、無頼の者が横行し、義晴も管領の細川氏に圧迫され、ほとんど身一つでこの朽木谷に身をひそめたというがその潜居の場所がこの興聖寺でした。
この枯山水の庭園はその憂さ晴らしにつくったといわれています。
かっての将軍はこの高台より眼下を望んだことでしょう。




京都の大原に入りまして、三千院参道前の駐車場に停め、


しばらく参道を歩きます。


このあたり紫蘇が名産のようです。


しばらく歩くと御殿門に到着。


院内の建物内の撮影はNGですが、お庭はOKです。


なかなかのレベルです。


新緑もすばらしいが、


もみじが多いので紅葉の時期だと恐ろしいほど美しいのでしょうね。


目の保養になります。


そしてゲッツ!


昼食もここで、鯖街道にちなんで鯖寿司定食にしました。


一品のからし椎茸が旨かったので自分みやげに買っていきます。


あと母の日にお袋へ渡す、しば漬けとショルダーバッグを買います。


しそソフトクリーム。


それにしてもさすが京都ですね、観光客のほとんどが外国人だったように思いました。
その大原三千院をあとにして、琵琶湖湖西を北上します。



前にも来たことがある北小松の漁港をチラリと寄って、(司馬遼太郎も訪れています)


白髭神社を通過し、


針江生水の郷にも寄り、なかなかいいショット


そして福井まで戻ってきました。

疋田の舟川の地へ、


舟川の里展示室に入ります。


敦賀からここ疋田を経由して、琵琶湖、京都へと昔から物を運んでいました。


おっ、


てへへ、


ここに来たのは、以前ブラタモリで紹介されたから、


ここだね


江戸から明治へ、舟から鉄道へ、まさにここが時代の移り変わりを象徴するポイントです。

江戸末期の舟川は廃れ、明治で左の道路に鉄道が通ったのです。

このアーチ橋はその遺構。


かっての鉄道跡を歩いていくと、ほうら出ました旧駅跡です。


疋田駅跡地。


こんな山中に明治に鉄道が?と疑問に思うところだが、
敦賀から関西方面への輸送は当時として極めて重要なルートだったといいます。
<国土交通省 日本の鉄道史より抜粋>
鉄道開業とその後の鉄道網の伸長
明治2年11月、東京と京都を結ぶ幹線と、東京・横浜間、京都・神戸間及び琵琶湖畔から敦賀まで
の三支線、計四路線の鉄道を建設するという政府決定がなされた。これが、我が国における鉄道建設計画の最初である。



今日は、庭園に水と盛りだくさんでしたね。
そろそろ帰りま~す。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (みらちゃん)
2024-05-06 17:48:06
景色のいいところですね✨
行ってみたいです!

https://mirachan.muragon.com/
返信する
みらちゃんさんへ (ヒゲ親父)
2024-05-06 18:34:44
コメントありがとうね~。
天気も良くて、景色もすばらしかったですよ~。
チャンスあらばぜひ行ってみてくださいね~。
返信する

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