てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#422(司馬遼太郎 街道をゆく湖西のみち編)

2022年02月03日 21時23分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
「近江からはじめましょう」
街道をゆくシリーズはここから始まった。

二日目、朝、晴れ。
本日は琵琶湖西岸を北上して「街道をゆく1 湖西のみち」で訪問している場所を訪れます。


まずは、園城寺(三井寺)へ

弁慶の引き摺り鐘が有名ですね。

ここは街道をゆくでは来ていないけど、オイラ一度来たかったので・・・、

大きな敷地のお寺ですね、さすが天台寺門宗の総本山。


国宝の金堂。


御朱印ゲッツ


映画の撮影のロケ地にもなったようです。


それにしても空は晴れてるけど、冷えるなぁ~。

寺の隣接する場所で見たかった水路があります。


琵琶湖第一疎水、かって琵琶湖の水をこれで京都まで流していたんですね。

よく見ると重々しい扉が開いています。

「近江」
というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。
京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、
粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。
「近江からはじめましょう」
というと、編集部のH氏は微笑した。お好きなように、という合図らしい。

街道をゆく1 湖西のみち

(朝日新聞出版 司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページより)
司馬遼太郎は1970年の粉雪の舞う季節に取材訪問されています。

では湖西を北上していきます。


車は、湖岸に沿って走っている。右手に湖水をみながら堅田をすぎ、真野をすぎ、さらに北へ駆ると左手ににわかに比良山系が押しかぶさってきて、
車が湖に押しやられそうなあやうさをおぼえる。



「小松(北小松)」という古い漁港がある。


北小松の漁港。

司馬遼太郎が50年以上も前にここに来たのか・・・、

この漁村を通りすごそうとしてふと自然石を組んだ波ふせぎが古い民芸品をみるように鄙寂びているのに気づき、下りて浜へ出てみた。
波うちぎわで老婦人が菜を浸け、左右に振りながらあらっているのをみて、
「なんの菜ですか」と、やや期待をかけてのぞくと、これどすか、大根葉どす、とごく平凡な回答がもどってきた。



司馬遼太郎はこのあと漁港から集落へと散策する。

私の足もとに、溝がある。水がわずかに流れている。
村のなかのこの溝は堅牢に石囲いされていて、おそらく何百年経つに相違ないほどに石の面が摩耗していた。
石垣や石積みのうまさは、湖西の特徴のひとつである。



おそらくこの溝を見たんだろう。

こんな溝ひとつ見て、感心したり推察したりやっぱり凡人ではないですね。

この漁港から湖岸をわずかに北へ行くと、山がいよいよ湖にせまり、その山肌を石垣でやっと食いとめていったふうの近江最古の神社がある。白髭神社という。


御祭神は猿田彦命。


白髭神社といえば、


湖の中に立つ鳥居ですよね。

逆光だけど・・・、

おっいい感じ。


白髭神社をあとにして、さらに北上する。

高島町で左折して比良山系へ向かう、目指すは朽木。



私ども(筆者ら)は、湖西の岸から安曇川をさかのぼって、やがて川の流れとともに南へ折れた。


その折れたあたりに野尻という字がある。そこに、朽木氏の館があった。



おそらくここが朽木氏の館跡の資料館ですがこの日は休館でした。残念


いま、この字野尻の安曇川の彎曲点に立っている筆者の胸にせまるような悲しみをおぼえさせる。
すでに日が暮れ、山も谷も暗く、ヘッドライトの光芒がわずかに河畔の枯草を照らしている。



興聖寺にやってきた。


寺の横にある庭園を見にきたのだが、雪で埋まっていて入れませんでした。

せめて説明板だけはじっくりと読む。

司馬遼太郎はこの庭園を見て、こう書いている。
室町貴族のぜいたくというのは、庭石を諸国から曳いてくることだったそうだが、流寓の将軍としては寺の前の川から石をひきあげさせるのが精いっぱい、この世でやれる贅沢だったのだろう。
足利義晴という歴史上無名にちかい室町将軍がこの地上に残した痕跡というのは何もない。あるとすればこの庭だけなのだが、しかしはかないことに庭の名は伝わっていないのである。


興聖寺のある高台から川のある方向を見る。


朽木をあとに
カミさん推薦の場所へ向かいます。


マキノ高原のメタセコイヤ並木です。
滋賀県映えスポットNo.1だそうで。

たしかに凄い


最後に、北国街道とその脇街道から、

海津へ向かいます。

海津の村は、いかにも宿場めいた家並が街道に沿っている。昼間というのに人通りはほとんどなく、北の涯の町にまぎれこんでしまったのではないかという感じがする。



家と家のあいだにすき間のあるところがあって、のぞくとちかぢかと水が満ちていた。


湖へ・・・、


出ると、鳥がパタタタタ・・・と立っていく。


おぉこれは立派な石垣が、

あとで調べてわかったのだが、これら海津浜の石積みという。

逆も、

それぞれのお宅より素晴らしいレイクビューが見られるのでしょうね。

思わず、ちゃぷちゃぷ

なかなか冷たい。

家と家とのあいだに、石段がある。その石段をのぼれば、ふたたび街道になり、先刻見た家並みがつづいている。なにか透きとおったような寂しさを感じさせた。


最初に読んだ時”透きとおった寂しさ” とはどういう感じのことを言うのかオイラにはわからなかったが、
ここに来て、なんとなく分かったような気がします。


さてと近江の国もここで終了。
司馬遼太郎が訪れた場所に立って、見て、感じて充実した二日間。

なぜ彼は何度も足を運ぶほどに近江を好んだのだろうか?

安土城址、北小松の古港、白髭神社、海津の湖岸・・・、
オイラも近江の地特有の何か心地よいモノに少し触れることができた気がします。

カミさんは少しつまらなかったかもね・・・
それでもオイラは大変満足な気分で帰路についたのでした。

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