夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

美しいフラ

2015年08月01日 | アート・文化


フラはあくまでも美しくあって欲しい。
その昔、ステージへ向かうクムフラから話しかけられた時の爽やかな記憶が忘れられない、ステージに立つ前から漂う気品というものを感じたからだ。

ステージにはレイ・カーネ先生がスタンバイされていていつものヴァンプを弾きはじめる。
するとどうしてもいつもの曲になってしまい、目的の曲にならない。

苦笑しながらフラガールたちがまたスタンバイする、そうしてまたヴァンプがはじまると同じ結果になる。
会場も笑いに包まれるが、そのうち心配になってくる。

カーネ先生はお構いなしで、「ソリー、ソリー」
なんとか目的の曲を演奏しフラガールたちは無事(?)フラを終えることができた。

神に捧げるという厳粛さと性への礼賛、ストーリー性と隠された裏の意味、楽園の踊りは「高度な遊びの精神」を備えている。
どの国の踊りも音楽、歌と一体化された完成度が感動を呼ぶのではないだろうか。


閑話休題、郷里の金融機関にビジネスプラン募集みたいなポスターが貼られていた。
家康くんのイラストがあったことから市がバックアップした地域活性化プログラムの一環だろう。

郷里は、川と湖、海といった地の利、温暖な気候、古戦場であった台地が広がり、家康くんの江戸以前からの伝統「ものづくりの風土」から産業が起こった。
木工、織機、楽器やバイク、自動車といった産業は、高度成長や生活様式の変化とともに発展してきた。

しかし景気の後退と日本全体を襲った産業の空洞化は、ものづくりの街をシャッター街化するまで追い込んだ。
ポスターの詳細はわからないが、そうした郷里を取り巻く深刻な経済事情を物語っているのではないだろうか。

翻って見るにこれまでの「ものづくり」なり「ビジネスモデル」誘致は、単体で機能する企業やモデルの受け入れでしかなかった。
それはネット社会の到来と中国はじめ東南アジア諸国の台頭とともに、より複合的な要素を求められている。

織機やオートバイ、楽器といった「モノを作れば売れる」という時代をはるかに通り越して混沌とした状況を突きつけられている。
もはや求められるビジネスプランとは産業や企業といった括りを超えた資源を生かすモノでなければならないと思う。

金融機関はそうした資源や情報が集中する宝の山であるはずだ。
ポスターを貼って汲汲とするのでなく、自らアセンブリメーカーとしての機能を発揮すべきではないか。


美しさとは内面から出てくる知性や理性、精神的なものも含めて光り輝やくものだと思う。
嗚呼、あの時のクムフラに逢いたいものよ。




Beautiful Hula / Polynesian Dancers

Hula Halau O Olana 2014 - Uhiwai - Wahine - Auana


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