リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

ロングステイ

2009年01月29日 | 住まう
リタイアしたら、自宅をしばらく離れて住んでみたいと思うところがあります(よね?)。

自分の場合は日本なら、京都や奈良、長崎とか函館、あるいは信州。
海外なら、ハワイはもちろん、香港をはじめとする東南アジア。うって変わってアラスカとかカナダの小都市。

まだ行ったことのないヨーロッパはかなりイメージが希薄ですが、イタリアやスペイン、ポルトガル。フランスやイギリスのいなか町、アルプスや湖の望めるスイスの地方都市、北欧の夏・・・。

挙げていけばきりがなく、そんなにあちこちに滞在できるわけもないですが、それぞれの土地での生活を想像していると夢は膨らみます。

これから時々、それぞれの町での暮らしをイメージしてブログを綴ってみたいと思います。

成田で初雪

2009年01月26日 | 旅する
今年も会社で恒例の成田山新勝寺へ参詣してきました。

朝の天気予報では「曇りときどき晴れ」だったのですが、スカイライナーが京成成田駅に着いたときはもう小雨が降っていました。

今年は不景気が予想されるからか、私たちが裏から本堂に案内されたときはもう立錐の余地がないほどでしたが、詰めていただいてなんとか座れました。
今回は前もってタイコの轟音も予測できたのでビックリせずにすみました。

参拝を終えていつものように宴会が始まるとまもなく雨が雪に変わっていました。
雪見酒と洒落こみましたが、酔っていたのか初雪の写真を撮るのを忘れてしまいました。

出かける前に拝見した先輩のサイトでステンドグラスのことが書いてあったので代わりにその写真です。

そうそう、おみくじは今年も「吉」。昨年同様、一年間財布の中に入れておきます。

誰も知らない町に住む

2009年01月24日 | 住まう
いつの頃からか、「知った人のまったくいない町にひとりで住む」という想念に取り付かれていたことがあります。

今はもうあまりそうは思わなくなっていますが、こんなことを考えていたというのは、現実からの逃避願望でもあったのでしょうかねぇ。

イメージしていた風景はいつも北の小さな田舎町。さむざむとした空気が流れる中をひとりで歩いていく自分がいます。
誰も自分のことを知らない、知っている人はひとりもいないこの町で、どうやって暮らしていこうというのか・・・。

だけれども、過去やシガラミがまったくない世界で始めるもうひとつの人生というものを生きてみたい、という思いがあったのも確かです。

もしかしたらボクらの青春時代に多くの若者があこがれた高倉健さんの役柄イメージを追っていただけかもしれません(笑)。

三ノ輪から浅草まで

2009年01月20日 | 楽しむ
週末、ひさびさに予定がなく、おだやかそうな天気予報だったので散歩に出かけました。

この正月は風邪を引いて家に閉じこもっていたので初詣もしていませんでした。
日比谷線の三ノ輪から七福神を巡りながら浅草へ出てみようと、カミさんと二人出かけました。

三ノ輪駅から大通りの1・2本裏道を、冬のおだやかな陽射しを浴びながら梅林寺、寿永寺などを横目に(門が閉まっている寺が多い)南に向かえば昔行ったことのある樋口一葉の記念館にたどり着きました。
建替えたらしくすっかり立派な区立の施設になっていて、隣には公園も整備されて落ち着けました。

さらに南に下って、『飛不動』として有名な正宝院。(飛不動の絵馬にはホントに飛行機関係の会社やCAなどのものがありましたよ。)
酉の市で賑わう鷲(おおとり)神社吉原神社と巡りました。




そろそろお腹も空いたので浅草へ向かおうとビル街を歩いていると入口に黒服を着た男の人が立っている店が目立つようになりました。ボクらの前を歩いていたごく普通の格好をした女の人がそのうちの一人の黒服ににこやかに挨拶してビルの中に入っていきました。

カミさんは初めて見る光景にドキマギしていましたが、小生とて真昼間から客引きが出ているとは想像もしなかったので、ちょっと緊張して歩きました。
そうです、昔、吉原だったここは今やソープランドが林立する場所でした。

山谷堀の跡地公園に沿って待乳山聖天。言問通りを渡って二天門から浅草寺へ。
本堂から仲見世・雷門方面を望むと黒山の人だかりがこちらへ押し寄せてきているのがわかります。
一月も中ごろになってもまだまだ初詣の客は多いようです(ボクらもですが)。



人ごみを避けてそのまま西へ、奥山から国際通りを渡って今半ですき焼きを食べて帰りました。

都合、10に近い寺社にお参りしてしまいましたが、ご利益はいかに??

駅のホームはこんな感じ?(つづき)

2009年01月17日 | レイアウト製作記
こっちの写真は2番線、3番線にあたる島式ホームを望んだものです。
 
こちらのホームの中央部にはスレートの屋根がついていて、両側に座れるベンチがついています。
軒からは番線表示板がぶらさがっており、柱には藍色に白文字のホウロウの駅名標示がついています。

ベンチにすわっているのはお母さんと男の子。蛇口のとなりに立っているお姉さんらしい女の子が何かお母さんに話しかけています。これから親戚の家にでも行くところでしょうか。それとも大きな町へ買い物に? 親子の楽しげな会話が聞こえてくるようです。

その左のものは何でしょう??
やや、これは懐かしい! 
昔、ちょっと大きめの駅には必ずあった‘洗面所’ですね。

夜行列車が到着した朝には行列ができていたり、蒸気機関車のススで汚れた顔や手を洗う人たちに重宝がられた施設でした。


こうしてレイアウトにモノや人形を配置してディテールを加えていくと、自分の中で勝手にいろいろな物語を作って楽しんでいることに気づかされます。

レイアウト作りの楽しみをまた一つ見つけた気分です。
楽しみが尽きないように、ゆっくり時間をかけて作っていくことにしましょう。

駅のホームはこんな感じ?

2009年01月14日 | レイアウト製作記
線路を全部つなげる前に駅の場所を確定する必要があって、先に駅舎とプラットホームの製作に入りました。

いずれもキットになっているものを組み立てていけばよいのですが、ウェザリングや設置するモノに凝りだすとキリがなくて、思いのほか時間がかかってしまいました。

上の写真は駅本屋のある対向式ホームの待合室。
赤いトタン屋根の中には新聞を読んでいる紳士と黄色い和服を着たおばさん風の人がすわって‘汽車’を待っています。

花壇の中にある駅名標はKinko’sの超縮小コピー技術でなしえたもので、駅名はご要望(?)どおり『ゆめさき(夢前)』にさせていただきました。

ちょっと見にくいかもしれませんが、ホームにはちゃんと白線のテンテンもいれました(当時、今のような黄色い点字タイルはありません)。

大きさは、1/150なので駅名標示板の幅が約7ミリです。

このホームの表面処理用についにエアブラシも買い込んだんです。
子どものころ、憧れだったエアブラシ・・・。

どうも、書いてて熱くなってきたのでつづきは、次回に。


ラジオ講座を聴いてたよ

2009年01月10日 | 懐かしむ
またまた、古いハナシで恐縮ですが・・・。

高校時代の受験勉強に『旺文社の大学受験ラジオ講座』というのを聴いていました。

ラジオ講座というと、すぐ高石友也の『受験生ブルース』の唄を思い出す世代です。

♪夜は悲しや 受験生
テレビもたまには 見たいもの
深夜映画も がまんして
ラジオ講座を 聞いてるよ

全国のいろんな地方局でいろんな時間に放送されていたはずですが、ボクが聴いていたのは文化放送の22時スタートだったと記憶しています。
(夜になると中国地方でも東京の電波が入ってきたのです。)
私立志望だったので聴いていたのは、英語・現代国語・古文(この言い方、なつかしい!)・日本史などだったでしょうか。

先生も結構ユニークな人ぞろいで、単に詰めこみではなく、ユーモアも交えての講義なのでけっこう楽しんで聴いていました。

テキストを広げて放送開始を待つ時間、わりと好きでした。
最初にかかるブラームスの「大学祝典序曲」を聴くと、必ずあの頃のことを思い出します。

実をいうと、ボクの受験勉強はほとんどこのラジオ講座一本でした(恥)。

ヨーガをもう少し

2009年01月07日 | 楽しむ
昨年10月から毎週1回、10回にわたってヨガ教室に通いました(うち、2回欠席)。

ヨガではなく、ヨーガというのが正しいと最初に言われましたが、まぁそんなことはどうでもよく、毎回マットの上で一時間強、呼吸法や手足・胴体のストレッチに近いような運動(と言ってよいかどうか)をしてきました。

その結果、どうなったか? といえばどうもなりはしません。
たかだか週一の運動でどうなるものでもないのは当然です。ただ、運動のあと、身体がスッキリしたように感じたのは確かなようです。

なんとなく身体が軽い、肩や首の痛みが和らいだよう、姿勢をよくしようという気持ちがはたらく・・・などの兆候はみられました。

本当は毎日、習ったことをやるように言われたのですが、とてもそんな気は起きないし、時間もとれません。
かといって、ほかの運動を始める決心もつきません。

相変わらず、ものぐさなままなのですが、ホンの少しはよい感じもあるので、もう1クール、同じ教室に通ってみようと思います。

ね正月

2009年01月04日 | 住まう
みなさん、どんな新年をお迎えですか?

こちらは年末から年始にかけて(いまも)カゼをひいてしまいました。

最初の兆候が12月28日の日曜日。少し熱っぽくて身体がだるく午後から半日寝ていました。
29日は会社で一日会議だったのでムリしてマスクをして出席していましたが、やはりその夜から次の日また体調を崩してゴロゴロ、ゴロゴロ。

大晦日、急に入った葬儀で寒いところにいたのがいけなかったみたいで、またぶりかえしてしまい7時すぎにはふとんに入り、新年も朦朧と迎えました。

それ以来、少しずつ良くなったつもりでちょっと出かけたりチョコマカと鉄道模型の製作をしたりしたのがいけなかったのでしょう。ついに熱は38度まで達し、正月休診の病院に連絡して診てもらいました。

幸いインフルエンザの判定は今のところマイナスでしたがこれからさらに熱が出るようなら潜伏期間かもしれないと脅されました。

カミさんにも叱られているのですが、少し調子がよくなるとすぐいろいろ動いてしまう悪いクセが今回の失敗のようです。性格を直さないといけないようです・・・。

明日からは仕事、今日一日きちんと休んでしっかり治さなくては――。

新たな年にむかって

2009年01月01日 | ひとり言
あけましておめでとうございます

関東地方は元旦からよい天気に恵まれ、まぁ穏やかに新年を迎えることができました。

昨年、特に秋以降は、公私ともいろんな行事があって多忙な中、経済の急激な悪化も重なってとても慌しい日々でした。

とりわけ、年末に相次いで近しい人を失ったことは身体の中にまだまだ割り切れない感情で残っています。

記憶や経験は、年が変わったといって過去のものになるわけではありませんが、そうした人間の心に区切りをつける意味でも正月をはじめ季節の風習が残っているのでしょう。

「一年の計」というほど大げさではありませんが、迫りくる困難や試練から逃げずに、勇気をもって立ち向かっていこうと思います。

リタイアするのは、もう少しガマンしなくてはなりません。