今年もいよいよ押し詰まってきましたね。
世間的には相も変わらずよくないことが多い年だったようで、来年こそはよい年に――というフレーズが目立ちます。
年が変わるから何かが一転するというものではなく、時間は常に連続している――ことはわかっているんですが、日本人は新年になにかと区切りをつけたがりますよね。
昔は正月にみんなが歳をひとつ取ることになっていましたし、歳末というと借金取りが取り立てにくるという災難(?)に見舞われ、年が越せるか、餅が買えるか、といった風俗を見聞きしたものです。
そう言えば、実家は商店をしていたもので年の暮れに集金を手伝わされたことがあります。
これはやったことがある人しかわからないと思うのですが、とってもイヤな仕事でした。
借りているのは向こうのはずなのに、集金にいくと払う、払わないに関わらず妙に居丈高になる家が多かったような気がします。
おかげで、何の後ろめたさのないこちらがなぜか屈辱感のようなもの(?)を味わってしまうのです。
あの時は本当に「商売はいやだな」と思いました。
今はもうこんなことはないのでしょうが、こうしたことの積み重ねで大学まで出してもらえたのも事実です。
今年もあと少しです。
皆様、よい年をお迎えください。
世間的には相も変わらずよくないことが多い年だったようで、来年こそはよい年に――というフレーズが目立ちます。
年が変わるから何かが一転するというものではなく、時間は常に連続している――ことはわかっているんですが、日本人は新年になにかと区切りをつけたがりますよね。
昔は正月にみんなが歳をひとつ取ることになっていましたし、歳末というと借金取りが取り立てにくるという災難(?)に見舞われ、年が越せるか、餅が買えるか、といった風俗を見聞きしたものです。
そう言えば、実家は商店をしていたもので年の暮れに集金を手伝わされたことがあります。
これはやったことがある人しかわからないと思うのですが、とってもイヤな仕事でした。
借りているのは向こうのはずなのに、集金にいくと払う、払わないに関わらず妙に居丈高になる家が多かったような気がします。
おかげで、何の後ろめたさのないこちらがなぜか屈辱感のようなもの(?)を味わってしまうのです。
あの時は本当に「商売はいやだな」と思いました。
今はもうこんなことはないのでしょうが、こうしたことの積み重ねで大学まで出してもらえたのも事実です。
今年もあと少しです。
皆様、よい年をお迎えください。