リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

年の暮れ

2007年12月30日 | ひとり言
今年もいよいよ押し詰まってきましたね。
世間的には相も変わらずよくないことが多い年だったようで、来年こそはよい年に――というフレーズが目立ちます。

年が変わるから何かが一転するというものではなく、時間は常に連続している――ことはわかっているんですが、日本人は新年になにかと区切りをつけたがりますよね。

昔は正月にみんなが歳をひとつ取ることになっていましたし、歳末というと借金取りが取り立てにくるという災難(?)に見舞われ、年が越せるか、餅が買えるか、といった風俗を見聞きしたものです。

そう言えば、実家は商店をしていたもので年の暮れに集金を手伝わされたことがあります。
これはやったことがある人しかわからないと思うのですが、とってもイヤな仕事でした。

借りているのは向こうのはずなのに、集金にいくと払う、払わないに関わらず妙に居丈高になる家が多かったような気がします。
おかげで、何の後ろめたさのないこちらがなぜか屈辱感のようなもの(?)を味わってしまうのです。
あの時は本当に「商売はいやだな」と思いました。

今はもうこんなことはないのでしょうが、こうしたことの積み重ねで大学まで出してもらえたのも事実です。

今年もあと少しです。
皆様、よい年をお迎えください。

ブルーマン

2007年12月27日 | 楽しむ
この12月から始まった「ブルーマングループ」の公演に行ってきました。後輩から招待を受けたのです。

ニューヨークを中心にやっていた舞台を日本に持ってきたのはこの後輩の力です。
彼が担当していた得意先の経営者がブルーマンに興味を持たれたのが発端でした。
あれからもう4年ほど経っています。

それからの地道な活動と計り知れない紆余曲折があったことでしょう。
そしてようやく東京で日の目を見ることになったのです。

会場入り口で観客を迎えていた彼に心底「おめでとう」と言ってあげました。
彼はその経営者から見込まれて、この公演を実施する新会社の社長に就任しました。

公演は成功のようで、満員の観客も満足の様子でした。
舞台の批評などまったくできませんが、100分の間、大口を開けて笑いながら楽しい時間を過ごしました。
余談ですが、開演前とつぜん小生の名前が電光掲示板に表示されて会場に紹介されたのには驚きました。(観客に手を振るのが精一杯でなんと紹介されたのか本人にわからなかったのでいまだに???が残っています。)

興味のある方はご覧になってみてください。場所は六本木ヒルズ、テレビ朝日前の特設劇場です。

色鉛筆とパステルと。

2007年12月23日 | 楽しむ
私淑する詩人の立原道造が好んで使っていたからでしょうか。
いつごろからか、自分の周辺にパステルや色鉛筆が集まるようになりました。

もちろん勝手に集まったわけではなく、買ったりもらったりしたものたちです。(写真はその一部)

ヘタなくせに会社の「絵画クラブ」というサークルに入っていたので、会費の剰余分で画材を配ってくれたりしたものもあります。
あるいは子どものころからの憧れだった多色の色鉛筆が欲しくて、あるとき意を決して購入したこともあります。(これにはかぐや姫の『神田川』も影響しているかも。おっと、あれは「24いろのクレパス」か。)

いずれリタイアして時間ができたらパステルや水彩画も習ってみたいと思います。
でも、こうして並べてながめているだけでも幸せな気分になりませんか? 

メリー・クリスマス!

南伊豆弓ヶ浜

2007年12月19日 | 旅する
写真のサカナはなんに見えます?(クリックして大きくして見てください。)
素材は小さな風車でできているんですが、意図しているところは間違いなく南伊豆の名物「金目鯛」でしょう!
所は伊豆急下田駅のホームです。

今回はとくに「鉄道の旅」ということではなく、一泊のホネ休めに行ってきました。
とはいうものの、往復きちんとスーパービュー踊り子を選んで乗りましたけどね。
ちなみに、同じ特急でも普通の踊り子号SV踊り子号とでは車両がまったく違うんです。同じ料金なので伊豆方面へはぜひ窓の大きいSV踊り子号をご利用ください。

前もそうでしたが、南伊豆といってもこの時期はけっこう寒いんですよね。おまけに風が強くて、観光はほとんどしないで温泉と食べ物三昧の週末でした。

件の金目鯛、今回は刺身と煮付けでいただきましたが、さすがに地魚、おいしゅうございました。
平目もおいしゅうございました。
伊勢海老も、と言いたいところですが、何年か前行ったとき伊勢海老を食べ過ぎて、それ以来ちょっと遠慮ぎみです。

肝臓くん、元気でよかった!

2007年12月16日 | ひとり言
この前の二日酔いがあんまり強烈だったのと、その後の宴会であまり飲んでないつもりだったのに翌日に残っていたこともあって、ちょっと不安になって医者に駆け込みました。
背中のあたりが鈍く痛いようなイヤな感じもありましたし・・・。

こんなときどんな病院を選べばよいのか迷ってしまいます。

数値の控えがある人間ドックを受けた処に電話してみましたが、医師はいるものの治療が中心ではないみたいで、先方の事務担当者もあまりお奨めしないフンイキがありありでした。

総合病院も考えてみましたが平日しかやっていなかったり、何時間も待たされたりではそれだけで疲れきってしまいそうです。

結局、勤め先の隣のビルにある○○クリニックというところに電話で症状を伝えてみたところ、そこにはそのものずばりの「肝臓内科」という診療科があるというではないですか。

都心の診療所らしくテキパキとした応対ですぐに血液検査をしてもらって、30分で結果がわかりました。

ガンマGTPは高いものの、肝臓もすい臓も基本的には問題なし!
「お酒もそうだが、運動をして体重を少し減らせば中性脂肪にもいいですよ。」とのご託宣。

これから忘年会の季節。安心しすぎず少し計画的な飲酒と運動をこころがけようと思います。
毎日の運動といわれてもなかなかできないんですけどね。
任天堂のWiiFitというのはどうでしょう?

宇宙家族ロビンソン

2007年12月13日 | 懐かしむ
なぜか突然、思い出しました。 『宇宙家族ロビンソン』
テレビ番組です。憶えてますか? 中学生でしたから昭和40年代の前半だったと思います。

未来の話ですが、ファミリードラマの登場人物そのままの状態で、つまり家族みんなで宇宙を冒険する話です。(どこの星に行っても空気があるらしく、みんな平気で歩いているのがおかしかった。)

この物語で好きだったのが召使的な役割で登場したロボット「フライデー」です。
後のスターウォーズに出てくるR2D2とC3POを足したようなキャラクターで、「警告、警告」といって騒ぎます。攻撃を受けるとジャバラのような腕がビロ~ンと伸びて気を失うのがおもしろくてよく真似をしたものです。

もう一人の印象的なキャラクターが「ドクター・スミス」。家族に対していじわるばかりするのですが、なぜか憎めないタイプでした。

この番組を毎週欠かさず見ていたのですが、高校受験の前の日ぐらい止めときなさいと言われ寝てしまったらそれが最終回だったんです。今でも残念に思ってます。こんなことなら受験に失敗しても見ておくんだった!?

元上司の死去

2007年12月09日 | ひとり言
30代の中頃2年ほど上司だった会社のOBが先日急逝されました。脳卒中で65歳でした。

入社以来ずっとマーケティング畑にいた自分は仕事にも自信が出てきて、ノッていたころでした。
そこへまったく違う部署から異動になったこの上司は当然ながらマーケティングの知識やプランニングノウハウも持ち合わせていませんでした。

同業の会社でもそうなのですが、だいたいマーケ系の人間というのはネクラというか、おとなしいというか、よく言えば思索型・理論型のタイプが多いのですが、この上司はビジネスを「切った張った」で勝負する破天荒な人柄でした。

6時すぎになるとよく飲み屋から電話がかかってきて呼び出されたものです。まだ仕事だと断ったり遅れていくと、段取りが悪いなどと叱られました(笑)。
また、あるときはメンバー全員での合宿(宴会旅行)を提案され、しぶしぶ箱根につきあったこともあります。

今思えば、タイプのまったく違う部署に来てずいぶん気苦労をされたんではないでしょうか。あの一連の行動もメンバーと溶け込むための方法だったのだと思えば納得もいきます。

実はその後、自分が他の部署や仕事を経験するにつけてこの上司の言っていたことが少しわかるようになりました。
上司から見たら当時のじぶんは自信過剰気味で優等生ぶったつまらない人物に見えたに違いありません。

多くの上司に出会えて勉強をさせてもらいましたが、この上司ほど強烈な印象を残した方もありません。
棺に横たわったお顔に別れを言いながら、箱根の旧街道を汗をかいて一緒に歩いたことを忘れないと誓いました。

ご恩返しができませんでした。ありがとうございました。


鉄道の旅~挫折篇

2007年12月06日 | 旅する
列車に乗って、どこ行こう――。
と考えた末、記念すべき第一回目の旅は房総方面と決めました。

内房線の五井から小湊鉄道というディーゼルカーに乗って、終点は上総中野駅。今の時期ならまだ紅葉に間に合いそうなので途中の養老渓谷で降りて、昼をはさんで3時間あまりの散策タイム。

養老渓谷駅に戻って上総中野経由、今度はいすみ鉄道(旧国鉄/JR木原線)で外房の大原まで約50分。JR乗り換えまで小1時間あるので食堂でビールでも飲んでゆったり帰ろう・・・、という計画でした。いずれの鉄道も本数が極端に少ないので綿密なプランを立てたわけです。

実行のタイミングを1・2度逃したあと、先週末早朝いそいで一眼レフを携えて駅に向かいました。
予定していた電車より早いのに乗れたので幸先がよいと思っていたらJRで事故の放送――。不安を抱きながら接続が早そうな路線を選んで五井をめざしましたが、総武線快速の津田沼時点で小湊鉄道への乗り継ぎに間に合わないことがケータイのネット接続で判明しました。

次の小湊鉄道は1時間40分後。それでは計画がすべて狂ってしまいます。しばし悩んだ末、同じ経路を逆方向に・・・。

今回はあきらめて早々に帰宅してしまいました。まだ朝10時すぎ。カミさんからは「あら、帰ってきちゃったの(残念)。」と言われるし、長い一日になりました。


ひどい二日酔い

2007年12月03日 | ひとり言
先日、連休の前の日にお酒を飲みすぎてしまってせっかくの休日が一日フイになるようなひどい二日酔いに悩まされました。

休みの前ということもあり、一緒に飲んでいた面々が気の置けないメンバーだったということもあり、お酒が大好きなワインだったこともあり、もう一軒とハシゴしたこともあり・・・と、言い訳はいくらでもできますが、この歳になって体調管理ができないようではと、後悔をいくらしてもたりません。

美酒のあとに残ったのは激しい頭痛と気持ち悪さとあいまいな記憶喪失感、それに自己嫌悪だけ。ホントに誰にも文句の言えない体たらくでした。

「ひどい二日酔いのときは何をしても駄目。ただ布団の中で恐れ入っているしかない。」と言ったのは伊丹十三だったでしょうか。
できることなら彼が表現したようにアタマの中からホソ長~い「二日酔いの虫」を引っ張り出したい心境でした。

「もうお酒なんか飲みたくない。」とその時は真剣に思うのですが、いつのまにかこの苦しみを忘れているんですよね。
(サルより劣る)大反省。

新橋駅の汽笛

2007年12月01日 | 鉄道を楽しむ
いま、週に一日は汐留にある会社に通勤しているのですが、正午と午後3時・6時に汽笛が聞こえてくることに最近気づきました。

まだ確かめてはいないのですが、新橋駅前にある蒸気機関車にちなんだ汽笛ではないかと想像しています(ナマの音ではないとふんでいますが)。

首都圏にお住まいの方ならご存知ですよね。新橋の日比谷口に置いてある(鉄ちゃんなら「居る」と表現したい)SL。
C11という型式の292番機です。
昭和20年製の戦時設計と言われる第4次型で、砂箱と蒸気ドーム被いが簡易なかまぼこ型なのが特徴です(普通は円筒形)。

超高層ビルが林立するオフィス街にSLの汽笛が聞こえる――なんて、いいじゃないですか。
目を閉じていれば昔の田園風景をまい進する真っ黒な姿が浮かんできます。

因みに新橋駅にはゆりかもめ乗り換え口に「鉄道唱歌の碑」やC58の動輪が展示されていますし、汐留の一角には「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」という施設もあります。