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リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

「コホナオスマカ」拾遺

2023年07月16日 | 鉄道を楽しむ
この話を書いたのはついこの間のように感じていましたがもう十数年前(2009年2月)のことなんですね。このブログも、その間9年間の中断をしていましたから当然の感覚かもしれませんが・・・。
旧国鉄客車の重量を表す記号として「コホナオスマカ」という分類があることを書きました。

今回はその記号の根拠というか、なぜそのカナが使われていたのか知らないこともあったので、本やネットを調べていたら「ホントか?」というようなヘンな命名や面白いものがあったので紹介しようと思いました(あ、こんなことに興味がある方は少ないでしょうから、どうぞ無視してくださいね)。

最初の「コ」が重量22.5トン未満の車輛。それから5トンきざみで記号が変わっていちばん重い47.5トン以上が「カ」となるのですが、最近読んだ本には、「コ」は、小型の「コ」。「ホ」はボギー車(注)、「ナ」は並み! 「オ」はご想像通り、大型。ここからが面白いのですが、「ス」は、すこぶる大きいの「ス」。「マ」は? まったく大きい(へんな日本語)! 最後の「カ」は、かくべつに大きい「カ」だとありました。

出典が出ていなかったのでどこまで公式なものか疑わしく、ほかでもあちこちでいろんな説を探してみました。
「ホ」は基本形→本形→ホンガタ→「ホ」。
「ナ」は、中型をナカガタと読んで「ナ」。
「ス」はスチールカー(鋼鉄車)。さらに重い45トン級の車輛ができてここらが最大だろうとマキシマムの「マ」としたとの説が有力らしい。ますます大きいの「マ」、まことに大きいの「マ」という説もあるそう。
ところが、その後新聞紙輸送の超重量級の荷物車ができて、これはカナワヌと「カ」――。笑い話としてはおもしろいけどこれはちょっとウソっぽいですね。「濶大(かつだい)」からの「カ」あたりが妥当かも。知らない言葉でしたが、広辞苑にも「闊大貨物」(鉄道で、制限以上の大きさや重さのある貨物。闊大品。)という項目がありました。

注「ボギー車」とは、二軸四輪などの台車二組の上に車体を載せた鉄道車両。各台車は別々に回転するため、線路のカーブを容易に通過できる。(小学館『デジタル大辞泉』から) 「コ」から「カ」まで客車は基本ボギー車ですから、この重量レベルのみボギー車から「ホ」というのは説得力があまりないですね。基本の「ホ」あたりが妥当なところでしょうか。

THライナーで銀座まで

2022年11月13日 | 鉄道を楽しむ
体調不良が続いて、伸ばし伸ばしにしていた年に一度の胃の検診を受けにひさしぶりに電車に乗って都心まで出かけました。
今回はいきなりの内視鏡ではなく、予約のための予診のためだけにわざわざ出向かされました。

時間をうまく合わせて、全席指定のTHライナー<リンク記事>を銀座まで予約し、近年引っ越した勤めていた会社を覗きがてら築地まで。
多少覚悟はしていましたが、やはりタクシーがつかまらないのでブラブラ歩きですがよい散歩にもなりました。思ったよりもしっかりと杖なしで歩けて少し自信も取り戻しました。

THライナーの座席は前向きになっているので、通勤していた頃の車窓風景が座ったまま眺められる贅沢を味わえます。びっくりするほど変わったということはなかったですが、長年工事をやっていた途中駅の高架化がようやく完成していて、新しい風景も望めました。

新たな胃カメラの予約も取れて、昼過ぎには家に戻ってきましたが、近々検査でもう一度電車に乗ることになりそうです。今度は反対側の座席を予約しておきました。

三つ子の魂

2022年04月22日 | 鉄道を楽しむ

昭和30年代から40年代前半の蒸気機関車や機関区が載った懐かしい写真集を眺めていて、ふと自分が小さい頃の思い出がいくつかよみがえってきました。

父親が大切に保管しておいてくれた古いアルバムを開いてみると、いくつか心の中の情景とシンクロする写真を見つけることができました。

上のモノクロ写真は昭和32年11月のもので日付とともに「今津河原にて」という父親のメモがついていました。その名も懐かしい「今津」とは広島県東部、当時の松永市(現在の福山市今津町・南今津町あたり)の海沿いの地域で、地図でみると本郷川か藤井川の最下流の鉄橋と思われます。

当時5歳の自分はどんな気持ちで汽車を見ていたのでしょう? よく蒸気機関車が発車する時の音を真似て遊んでいたのを覚えていますから、そうとうに興奮状態だったのではないでしょうか。山陽本線がまだ電化されていない時代です(線が見えるのは通信線でしょう。倉敷・三原間の電化は昭和36年)。

シャッタースピードが遅かったのか、ちょっとブレて走っているSLは当時この地域では大型の旅客牽引機C59と思われ、好きだったこのパシフィック機がいつもいたずら書きの主人公でした。

『蒸気機関車よ 永遠に 杉江弘写真集』

2022年04月10日 | 鉄道を楽しむ
図書館から借りてきたSLの写真集です。発行は2017年ですからわりと最近出版された本です。

杉江弘、という著者名に記憶はあったのですがすぐには蒸気機関車とは結び付きませんでした。
帰ってわが読書記録を著者順で検索すると十冊ちかい著書が該当し、そのほとんどが航空機関連のものでした。そうそう、JALの元パイロットで最近は航空評論家としてもTVなどでお見かけする杉江氏でした。こちらのご趣味をお持ちだとは・・・、撮り鉄の面々には既知のことかもしれませんが、迂闊でした。
略歴を拝見すると1946年生まれで慶應義塾大学の鉄道研究会OBでもありました。自分より6歳年上です。

この写真集は1960(昭和35)年から1973(昭和48)年の記録とありますからまさに蒸気機関車の黄金期を全国的に網羅してあり、計算すると著者が中学生から20代なかばの作品とわかります。
著者も「あとがき」で「多くのプロやアマチュア鉄道写真家から『(自分が)もう少し早く生まれていれば』との声をよく耳にして・・・(以下略)」と育った時代と場所への幸運を記されていますが、自分などが子供のころ憧れた機関区や蒸気機関車がモノクロの写真から改めて湧き上がってきた感を持ちました。

自分より世代的にさらに遅れてきた年代でリタイアした今も熱心に鉄道写真のブログを続けている友人がいますが、この写真集の時代から大きく様変わりした現在で、さまざまな被写体に興味を持って愛しみ続けているのには敬服しています。と同時に、乗り物が好きという趣味は一度とらえられるとなかなか消えるものではない、ということも自分を含め改めて実感しました。

大村線のハイブリッドカー

2022年01月16日 | 鉄道を楽しむ
先日(もう去年のことですが)の佐世保への旅行で利用したJR九州の大村線。長崎~佐世保間は以前も乗りましたが、佐世保線と長崎本線に挟まれていて、佐世保市の早岐(はいき)駅から諫早駅に至る路線で、ほとんどが非電化ですが、博多からの特急ハウステンボスを佐世保線経由で乗り入れさせるため早岐―ハウステンボス間のみ電化されているみたいです。

当初ここを走るのが「ハイブリッド」と聞いたので、てっきり新開発の交流電化とディーゼルとのハイブリッドと勘違いして楽しみにしていたのですが、そうではなくディーゼルと蓄電池のことで、小海線などと同じなんですね。だからパンタグラフは付いていないわけです。

ホームを間違えて一時間後に乗った電車は前照灯の周りと前面全体に門の字形にたくさんのLEDがついていて、昼間だったので周囲の電飾は消えていましたが、点いていればまるで昭和時代のパチンコ店を彷彿させるド派手なデザインです。

この列車の形式が「YC1系」というのも変わってるなと感じましたが、なんとYasashikute Chikaramochiとドアなどにわざわざ書いてあるのです。命名した方たちは洒落ているつもりなのでしょうが、鉄道のオールドファンとしては、いかがなものか! 本来の車両識別記号として遊びすぎではないのか! と輸送機関としての本質をないがしろにしてほしくない感想を持ちました。

個人的感想は別として、大村線の駅は難読というか、なかなか風情のある名前が多いですね。早岐もそうですが、彼杵(そのぎ)や南風崎(はえのさき)なんて、素敵ですよね。

「リニア新幹線」って必要?

2021年04月09日 | 鉄道を楽しむ
鉄道で旅することは大好きですが、ただしそれも車窓からの風景を楽しめる現在の新幹線まで。それでも新しい路線ほどトンネルが多くなって「早く移動する」ことだけが優先される鉄路にはあまり興味がわきません。

新幹線が全国あちこちへ伸びてきている昨今は旅の途中が風情のあるものにはなりにくくなってしまいました。そこへ持ってきてリニア中央新幹線というのをJR東海が自己資金で作るということで、品川~名古屋間の建設を進めています。ただ、現在は静岡県はじめ地元の反対で工事が止まっているようですが・・・。

一企業として事業拡大の理屈はいろいろ付けられるでしょうが、その理由が公共の益にかなうものというなら、国土や自然を保全する前提も守ってほしいものです。大深度地下を通るということでそれを逃れようとするなら説得力がちょっと足りないですね。大災害をいくつも経験し環境保護が叫ばれている今、狭い国土を穴だらけにして構造物を作る意味、意義がどれほどあるのでしょう?

何より、車窓を愉しめない鉄道なんて、閉所恐怖症でなくてもオッカナイし、災害リスクに備えるための大動脈輸送の二重系化(JR東海のHPから~ヘンな日本語!)のためなら、移動手段は鉄道だけでなく道路や空路・海路だって選択肢になるはずです。そもそも新幹線はヒトの移動しか担っていないですよね?

投資が取り返しのつかないことになる前にリニア建設は中止して、内田百鬼園先生に倣って掘ったトンネルの有効活用でも考えてはいかがでしょう? 
増え続ける原発の汚染水の保管、なんてどうでしょう?


THライナー

2020年12月01日 | 鉄道を楽しむ
JRの高崎線や東北線(今は宇都宮線というのか)に通勤用の快速電車ができて何年になるでしょう? 私鉄沿線住まいの当方としてはずいぶん羨ましく思ったものです。もともと付いていた東海道線や横須賀線のグリーン車もしかり。勤め人にとって朝晩の通勤時間とその混雑状況は毎日のエネルギー消費の結構な割合を占めるものと思います。

ムカシ、赤羽に住んでいた頃はたった30分ほどで会社に着きましたから、京浜東北線に地下鉄銀座線の定期券でしたが敢えて中距離電車に乗って尾久で留置線にいる長距離列車たちを眺めながらわずかの時間を楽しんだものです。帰りも上野で少し並んで始発の電車に座って帰ることもありました。10分ほどの小さな旅でした。ボックスシートのあちこちで楽しそうな酒宴が始まるのを横目で見ながら・・・。

今年6月、遅ればせながらわが沿線にも通勤時間帯を意識した優等列車“THライナー”が導入されました。都心に出かける時、この電車の時刻に合わせて2度ほど利用しました。自分の最寄り駅が停車駅になったのがラッキーでした(なぜ選ばれたのか、いまだによくわかりませんが)。ネットで座席予約もできるので見通しのよさそうな席を取ったら窓側が戸袋の壁部分で失敗したりしましたが、前に向いて走る気分や地下鉄内の駅を通過するのも新鮮でした。

そういえば先日の帰省の折の新幹線もネットで座席まで予約してクレジットカード払い、入出場はsuicaやpasmoでできるんですね。便利になったものです。


貨車が好き

2020年07月22日 | 鉄道を楽しむ
現在、鉄道輸送を担うのは一部のタンク車(タ)などを除いてコンテナ車(コ)一辺倒になってしまいましたが・・・。

昔の貨車というとまず真っ黒の車体で屋根がついてるかどうかで有蓋車(ワ)と無蓋車(ト)に大別され、さらに積む貨物の種類によってさまざまな形があり、車種・用途ごとに記号がつけられていました。

たとえば、カ=家畜車、ツ=通風車、レ=冷蔵車、ホ=ホッパー車、ナ=活魚車、シ=大物車、チ=長物車、セ=石炭車、ポ=陶器車・・・。
御覧のように、貨物の種類が容易に連想できるカタカナ記号も多かったようです。

これに加えて、積載量の多寡によっても記号が定められており、これが傑作で軽い方から「(記号なし)」「ム」「ラ」「サ」「キ」となります。
小さめの無蓋車は「トム」や「トラ」、一番ポピュラーだった有蓋車が「ワム」、コンテナ車はたいてい「コキ」です。

貨車が好きだというのには、この記号の面白みも多分に含まれているような気がします。乗っている列車が駅に近づいてスピードがだんだん落ちていき隣りの待避線にいる貨物列車の横腹の記号を何を運んでいるのか想像しながら眺めたものです。

Photo by H.Arakawa

西日暮里駅の乗り換えがわからん。

2011年02月10日 | 鉄道を楽しむ
なぜか乗り換えでいつもひっかかるんですよ。西日暮里駅。

先日も地下鉄千代田線からJR山手線に「スイカ」で乗り継いで高田馬場駅で西武新宿線乗り換えの自動改札を通ろうとしたら「ピンポ~ン」。タッチ面が赤く光って改札口が通せんぼをするではないですか。

何度かやってもダメだから一旦JRから出るかとそちらの改札に触れると、こちらも「ピンポ~ン」。
精算口の係員に通れないこととここまでの経路を告げると、50円足りないので差し引かせていただきますとのこと。

再度西武新宿線の入口から入り直して一件落着ですが、どうも腑におちません。
大体、チャージしてあるカードを使っているのになんで追加料金(?)が生じるわけ??

過去にも常磐線の松戸だか金町だかから乗って西日暮里駅で乗り換えたときも同じようなことがあった記憶がよみがえります。
あるいはJRから地下鉄に乗り換えるときもあとで面倒なのでわざわざ一旦改札を出てカードを入れ直したことも何度かあります。

お酒を飲んで帰る夜に西日暮里駅を使うときなど、けっこう緊張するというか、混乱しますよ。

鉄ともあろう者が初歩的なことかもしれませんが、常磐線って縁が薄かったせいか、わからんのですよね。

日光軌道

2011年01月07日 | 鉄道を楽しむ
新年初日の出勤は挨拶まわり程度だったので、帰りに東武鉄道東向島駅にある「東武博物館」に立ち寄りました。

東向島というと聞きなれない地名かもしれませんが、その昔の駅名が「玉の井」だったと言えば、お心当たりのあるご年配の方々もいらっしゃるんではないでしょうか。ボクらの世代ではもう過去の話としてしか知りませんでしたが、漫画家滝田ゆうさんの『寺島町奇譚』で印象付けられた土地柄です。

平成元年に開館して一度しか行っておらず、2年ほど前にリニューアルしたのをきっかけに再訪を考えながらなかなか果たせないでいました。
今回、『なつかしの日光軌道』という特別展がそろそろ終了ということでしたので、ようやく時間を作りました。

日光に路面電車が走っていた、ということを聞いたことはあったのですが、昭和43年に廃止になったその路線の片鱗さえわが眼では伺うことはできませんでした。

会場では路線図などとともに電車が活躍していたころのビデオも放映されていて、現在とあまり変わらない沿線風景の中に溶け込んでいる軌条を見ることができました。
終点の馬返からは明智平までケーブルカーまであったのですね。オドロキです。

今度日光に遊ぶときには、路盤や橋脚の跡などをたどってみるのもおもしろそうです。

当時の模様が見られるホームページをみつけましたので、リンクを貼らせていただきました。

木のまくらぎ

2010年11月10日 | 鉄道を楽しむ
「木の枕木(まくらぎ)」って、ヘンな言い方ですよね。
木製だからまくら“木”って言うんだろう!? と思うのが当然です。

ところが、最近の枕木はコンクリート製のものがほとんどで、木製のものを見かけることがめっきり減りました。とくに首都圏では絶滅状態になっているのではないでしょうか。
(写真は大糸線穂高駅)

ただ、この「まくら木」と呼ばれるようになった経緯について、ある事実を知り「なるほど!」と納得しました。

試しに和英辞典で「まくら木」を引いてみると、“tie ”<米>“sleeper”<英>ということで、材質を表してはいません。

汐留にある旧新橋停車場の鉄道歴史展示室のビデオで知ったのですが、明治初年日本が鉄道を敷くにあたって技師長になったエドモンド・モレルという英国人が当初鉄製のものを輸入する予定だったのを日本の森林資源の豊富さから木製にすることを進言したというのです。

想像するに木製になったために“sleeper”の訳語として「まくら“木”」となったんではないでしょうか。もし、鉄製から始まっていたらなんと呼んでいたのでしょうね。


新型スカイライナーで成田山参詣

2010年10月07日 | 鉄道を楽しむ
この9月末にも恒例の成田山参詣に行ってきたのですが、今回初めて新しいスカイライナーを利用しました(往路だけ)。

京成上野の地下駅で待っていると入ってきたのは白と濃い青のいかにも精悍(というよりちょっとコワい?)な面構えの8両編成。山本寛斎さんのデザインだそうです。



以前のスカイライナーは塗り替えてからちょっとデザインというには程遠いセンスでしたから、外見だけでもずいぶん都会的に映ります。



日暮里の駅もきれいになって、国際空港に向かうのにふさわしくなった様子ですが、いかんせん乗客が少ない! 土曜の朝の出発はこんなものなんでしょうか? 羽田が国際化された後がちょっと心配になります。



京成高砂からこの路線は北総線に入ってどんどんスピードが上がってきます。最速160km/hという感覚は沿線の田園風景とも相俟って新幹線と見誤るばかりです。標準軌だし、安定感もありますね。



それはさておき、この路線は成田“空港”へのアクセス用で、新勝寺最寄の成田駅は通らないのです! われわれも空港まで行って京成本線で引き返してきたのですが、年間を通して相当にぎわう成田山への参詣客や地元に対して、このダイヤは理解を得られているんでしょうかね?

帰り、本数も減りシティライナーと名を変えたちょっと古びた昔の特急を利用していて、表づらだけお化粧をしてるような感じを受けました。

路面電車の復活を

2010年09月07日 | 鉄道を楽しむ
中欧旅行で訪ねた都市ごとに路面電車が元気よく走っているのを見て、なんともいい光景だなと思いました。

クルマの列のあいだを信号を守りながらそろそろと進む電車は地元の生活に溶け込んでいるみたいで、住む人にとって頼もしい存在ではないでしょうか。

日本でも路面電車が活躍する街はなんだか活気が漲っているような印象を受けます。
小さいころ親戚に行くと飽かず眺めていたひろでん(広島電鉄)。
自分の20代ぐらいまではまだ街の真ん中を走っていた京都市電(クルマを運転して軌道内に入ったらレールに乗って滑ったような記憶がある)。
長崎や函館でも路面電車は市民の足として愛されているように見えました。

香港島では2階建てのトラム(写真)がガンガン走っていて喧騒をいや増すような、でもあたたかな存在でした。

近年わが国でもさまざまな角度から路面電車の良さを見直してLRTなどとして復活・新設させる動きが少し見られるようになってきました。ぜひあちこちの街に路面電車が走るようになってほしいですね。


「鉄道模型ショウ2010」と居酒屋

2010年07月29日 | 鉄道を楽しむ
今年も銀座松屋で「鉄道模型ショウ」が開かれました。今年で32回目だそうです。

鉄ちゃん仲間の中でも「模型鉄」と言われる我らは、ここ10年ほどは欠かさず見学に行っています。そしてもちろんその後「批評会」を催すのですが・・・。

今年もその計画を練っていたら、模型鉄でない鉄仲間が聞きつけて話が大きくなり、結局会社関連のメンバー8名が集まることになりました。

夏休みということもあって昼間は少年たちでごった返すのですが、夕刻ともなればムカシの少年が中心になりますから会場もなんとなく落ち着いてきます。

毎年行っている模型鉄はそれこそ目を皿のようにしてウロチョロしますが、その後を楽しみにしてやって来た連中はちょっと手持ち無沙汰ぎみ(当然か)。
最初から居酒屋の方に直接行くというフトドキモノもいるので、適当に切り上げて今宵の宴席、「三州屋銀座店」へ。

集まった8人はもともと同じ会社の人間なのですが、近年のいろいろな事情を経て、そのうちの5人はすでにOBです。
これが単なるOB会ならそのうち会社への愚痴なども出てきそうですが、鉄道が取り持つ関係なのでその話をしている分には心地良く酔いが回っていきました・・・。

JR東日本「ウイークエンドパス」を使って

2010年07月08日 | 鉄道を楽しむ
先日JRの駅で「ウイークエンドパス」という企画きっぷのPRを見かけたので、ちらしを一枚貰ってきました。

帰ってよく見ると、北は宮城・山形、西は新潟・長野・山梨(の一部)・伊豆まで関東甲信越プラス南東北のほとんどのエリアが土日2日間8,500円で乗り放題となっています。

時刻表で通常の運賃を調べてみると、東京から福島までが片道4,620円。この前行った長岡も同額。新宿からなら信濃大町。つまりそれ以上遠くまで行けば元が取れるということみたいです。

さっそく「どこへ行こう?」と空想が始まります。実際に行くかどうかはわかりませんが、こうして考えているだけで幸せな気持ちになれるんです。

ひとつ浮かんだのが風光明媚といわれている行ったことのないローカル線を楽しむ旅。

朝早く新潟まで新幹線を使えば、そこから少し引き返して新津からの磐越西線で会津若松まで3時間弱かけて行き、お昼を食べてから今度は直通が日に3本しかない只見線に4時間半乗ってまた新潟県の小出まで戻り、新幹線で帰ってくれば十分日帰りできることがわかりました。

新幹線も入れると11時間ぐらい乗っていることになりますが、耐えられるでしょうか? でも磐越西線と只見線を一気に走破するチャンス! 行ってみたい気もします。

土日を使って一泊にすればもっと楽かもしれませんが次の日の会社を考えると・・・、やっぱり日帰りかなぁ(あくまで空想です)。