リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

小銭入れをまた失くした

2022年10月28日 | ひとり言

リタイアして5年以上たちますが、財布はいまだに勤めていた頃のものを使っています。
いわゆる長財布というタイプのもので、お札を広げたままの状態で背広の胸の内ポケットに入れていました。いまは上着を着ることも稀なので、みっともないですがお尻のポケットに入れたり、カバンに収納したりすることがほとんどです。

お札以外にカードやレシートなどを放り込んでおくには便利で、サラリーマン時代はほとんど最初からこのタイプのものに何代かにわたって慣れ親しんできました。
ただ、財布自体のスリムさを保つために小銭入れは別に必要なのが弱点といえばそうで、リタイア生活にはベストな方法とも思えませんが長年のクセでそのままになっているわけです。

スーパーのレジなどで財布と小銭入れを使い分けるのも面倒だな、などと思っていたら一種のセルフレジというのでしょうか? 自分で会計をする機械の登場で慌てずに小銭の整理も兼ねて支払いができるようになりました。ただ、財布と小銭入れ両方を出し入れするときにきっとスキが生まれたのでしょう。だいぶん経ってから小銭入れの紛失に気づきました。

小さいのにけっこう収容力があって、近所の散歩用に小さく折りたたんだ札を何枚かと家の鍵の予備を入れておいたのでちょっと残念なことをしました。

財布をひとつにしとけばよかったのか、メインの財布の紛失でなくて幸いだったのか、なんともいえませんが、小さいものは失くしやすいのは間違いなさそうです。小銭入れの紛失はこれで何度目でしょう?

古稀の祝い

2022年10月23日 | ひとり言
むかしは数え年でやったのでしょうが、今年満70歳を迎えたということで子どもたちも集まって古稀の祝いをやってくれました。孫の一歳の誕生日も併せて7本のろうそくと1本の小さいろうそくを立てたケーキもみんなでいただきました。

自分たち夫婦が70歳近辺、子どもの世代が40歳前後、もう孫をもつこともないかな? と思っていましたが、わからないものですね。

ただ、年々住みにくくなっていく地球やわが国の将来を考えると、老い先みじかい自分たちはなんとか逃げおおせても、子や孫の世代にとっては容易でない時代を迎えることになるのでは? と思えて、心配のタネが増えたともいえます。もちろん家族の暖かみや子孫をつないでいくことの歓びは何事にも代えられないものですが・・・。

経済が振るわず人口も減っていくわが国は、そろそろ拡大再生産ではない身の丈にあった幸せの追求を志向する政策に変えていく方がよいと思うのですがね・・・。

映画 ダウントンアビー2

2022年10月18日 | 楽しむ
テレビドラマ「ダウントンアビー」の映画版を観てきました。今回はその2作目<リンク>です。2021年早々に公開された前作も映画館まで足を運んで楽しみました。今作は3匹目のドジョウ? 狙いの作品ということになりますね。

なにが気に入ったのか自分でもよくわからないのですが、テレビのシリーズはシーズン1から6まで全56話を録画してあり、繰り返し観ているばかりか、タイトルと内容がわかるように一覧表のようなものまで作ってしまいました。

カミさんに言わせると「貴族たちが館のなかで食事のたびに着替えてるばかり(笑)・・・」。そうとも言えますが、20世紀初頭からの英国貴族の優雅さと爛熟ぶりを時代背景とさまざまなエピソードを交えながら際立ったキャラクターでうまく表現していると感じています。

自分とはかけ離れた時代と背景という意味では、日本の時代劇を楽しむのと似ているのかもしれませんね。

こうした連続ドラマで楽しめるものがもっとあればいいのに、と探していますが、好みに合うものを見つけるのはなかなか難しいものですね。

散歩できるよろこび。

2022年10月13日 | 楽しむ
今年6月、ひさしぶりのぎっくり腰が治らない内に突然の脳梗塞で入院。さいわい麻痺は残らなかったものの、その不自由な生活のせいで腰痛が余計にひどくなり退院後もマッサージや整形外科で治療に努めましたが、脚にしびれが出たりして一時は家の中でも杖をついて歩くほどになってしまいました。脚力や筋力、体力がずいぶん衰えてしまいました。
おまけにめまいの症状に襲われたりして、いつもどこかに不調があるというウツウツとした時をすごしてきました。

それでも長かった暑い季節もようやく秋めいてきて、週2回のマッサージのおかげか脚の筋肉も少しずつ回復しつつあるような気がします。

杖が便利なのはほんとうに不調が生じてよくわかりましたが、それでも頼ってばかりいると筋力の回復は難しいこともわかり、涼しくなった近所を少しずつ杖なしで外歩きするようにしてきました。
そうして今週ようやく入院前に散歩していた1時間ほどのコースをまたなんとかたどることができるようになりました。

初夏の青々とした稲田はもうとうに稲刈りが終わり、黄色い地面と畦道の朝露にぬれた雑草たちの景色が新鮮です。空もすっかり高く晴れ上がり、街路樹も少しずつ色づいてきていました。
日光連山や富士山、秩父から丹沢の方まで並ぶ山々ももうすぐくっきり見えるようになるでしょう。

少しずつでも体力を取り戻すようにしていきたいと思います。

別の場所で暮らしていたら・・・。

2022年10月09日 | 楽しむ

夢翔庵の号よろしく、ときどきあらぬことを想像してひとり楽しんでいることがあります。

別の時代、というのは想像力のおよばないこともあるので、別の場所で生きていたらどんな感じだろう? と考えます。また行ったことのない土地だとなかなか思い描きにくいので、これも曽遊の地(行ったことのある場所)に限られるけど、という前提になります。

たとえば30代終わりのころ仕事で行った宮城県伊豆沼近辺の初冬の風景がときどき鮮やかに甦ってくることがあります。農家の納屋の土壁の少しくずれた様子とか、採る人もなく枝にぶら下がって少しずつ色が濃くなっていく柿の実とか、夕餉の紫の煙があたり一帯を覆っていく情景とか・・・、まあ日本人なら誰でもが想像できる我が国の田舎の一般的な風景かもしれませんが、脳裡に浮かぶのは自分だけの景色だと思います。ある時の一瞬を憶えていてときどきそれが甦ってくる――、ってありますよね? ありませんか?

時代も季節も違う今、その中に自分が居ると仮定すると、どんな暮らしをしているのか、どんな思いで生きているのか想像してみます。
あるいは、今この瞬間に、あの場所はどうなっているんだろう? どんな人がどんな生活をしているんだろう? などと思ってもみます。

そんな想像をすることがときどきあるので、また何処かの場所が甦ってきたら回想してみましょう。

木口小平と木山捷平

2022年10月02日 | ひとり言

木山捷平(1904-68、写真はWikipediaから)という小説家をご存知ですか?
井伏鱒二や太宰治が著名な「阿佐ヶ谷会」の文士の一員です。
実は自分もそのことで名前を知っているというだけで、作品に触れたことはないと思います。だから、「姓はキヤマ、捷平はショウヘイと読むのでいいんだよな・・・」ぐらいの印象しか持っていません。

もう一人。木口小平(きぐちこへい 1872-94)という人がいます。
大学時代に帰省した折、父が姉と一緒に岡山方面(たぶん備前焼の伊部か、刀剣で名高い長船か)へドライブに連れていってくれたことがあります。その途次、備中高梁に近い山沿いの道を通っていたとき父が中腹にへばりつく家を指して「あれが木口小平の実家だぞ」と言いました。姉が知っていたかどうか憶えていませんが、自分は「だれ? それ」という反応でした。その時はじめて聞く名前でした。

父は「死んでもラッパを放しませんでした、のキグチコヘイを知らないのか!?」と、相当あきれた様子で自分が子どものころ教わったであろう英雄譚(?)を聞かせてくれました。戦前は教科書にも載るほどの有名人だったようです。それ以来、自分のアタマの中にはキグチコヘイという呼びやすい名前がエピソードとともに刻み込まれました。

その後、郷里の小説家、井伏鱒二と阿佐ヶ谷会について知るにつれ、木山捷平という名前が木口小平と似ているように思われ、おもしろく思っていました。

たまたまですが、二人とも岡山県の出身(木山捷平は今の笠岡市)というのも混乱を呼ぶ(自分だけですが)にふさわしいですね。