リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

がんばれ! 広島カープ。

2023年07月27日 | 楽しむ

この7月は用事で二度も広島に帰省しました。一年ぶりのことです。
わりと急なことだったので飛行機の予約も直前となり、往復ともに奥まった座席で窓からの景色も眺められませんでした。
いわば点から点への移動で、距離のわりに旅行した感じもなく非連続の印象でした。

とはいうものの地元の空港からレンタカーを駆って走っていると慣れた道とはいえ「帰ってきたな」という思いが徐々に湧いてきます。なかでも空港に降り立った途端目立つのが赤い色! 言わずと知れたわが広島カープにまつわる看板や幟などで、帰省の思いも一入(ひとしお)です。

プロ野球のペナントレースも後半に入り、好調なカープへの応援もつい熱が入ります。以前は地元球団の勝敗を翌日の新聞で知ること(テレビのニュースでは報道しないことも)が多かったのですが、いまはCS放送やSNSなどでほとんどの試合をリアルタイムでチェックできるようになりました。

去年までは、試合を観戦していると負けることが多いような気がしてあえて大事な試合は見ないようにしたりしていましたが、今シーズンは逆になぜか見ていればたいてい勝つ!(ってことはないですが)確率が高いように思えます。
さぁ、このまま突っ走れ!! 広島カープ!

「コホナオスマカ」拾遺

2023年07月16日 | 鉄道を楽しむ
この話を書いたのはついこの間のように感じていましたがもう十数年前(2009年2月)のことなんですね。このブログも、その間9年間の中断をしていましたから当然の感覚かもしれませんが・・・。
旧国鉄客車の重量を表す記号として「コホナオスマカ」という分類があることを書きました。

今回はその記号の根拠というか、なぜそのカナが使われていたのか知らないこともあったので、本やネットを調べていたら「ホントか?」というようなヘンな命名や面白いものがあったので紹介しようと思いました(あ、こんなことに興味がある方は少ないでしょうから、どうぞ無視してくださいね)。

最初の「コ」が重量22.5トン未満の車輛。それから5トンきざみで記号が変わっていちばん重い47.5トン以上が「カ」となるのですが、最近読んだ本には、「コ」は、小型の「コ」。「ホ」はボギー車(注)、「ナ」は並み! 「オ」はご想像通り、大型。ここからが面白いのですが、「ス」は、すこぶる大きいの「ス」。「マ」は? まったく大きい(へんな日本語)! 最後の「カ」は、かくべつに大きい「カ」だとありました。

出典が出ていなかったのでどこまで公式なものか疑わしく、ほかでもあちこちでいろんな説を探してみました。
「ホ」は基本形→本形→ホンガタ→「ホ」。
「ナ」は、中型をナカガタと読んで「ナ」。
「ス」はスチールカー(鋼鉄車)。さらに重い45トン級の車輛ができてここらが最大だろうとマキシマムの「マ」としたとの説が有力らしい。ますます大きいの「マ」、まことに大きいの「マ」という説もあるそう。
ところが、その後新聞紙輸送の超重量級の荷物車ができて、これはカナワヌと「カ」――。笑い話としてはおもしろいけどこれはちょっとウソっぽいですね。「濶大(かつだい)」からの「カ」あたりが妥当かも。知らない言葉でしたが、広辞苑にも「闊大貨物」(鉄道で、制限以上の大きさや重さのある貨物。闊大品。)という項目がありました。

注「ボギー車」とは、二軸四輪などの台車二組の上に車体を載せた鉄道車両。各台車は別々に回転するため、線路のカーブを容易に通過できる。(小学館『デジタル大辞泉』から) 「コ」から「カ」まで客車は基本ボギー車ですから、この重量レベルのみボギー車から「ホ」というのは説得力があまりないですね。基本の「ホ」あたりが妥当なところでしょうか。

善光寺式阿弥陀三尊

2023年07月07日 | 楽しむ

気づいたらもう久しく小金銅仏というものに接していないような気がします。丈六仏や等身の仏像も迫力や表情、きめ細かい衣文表現など観るべきところが多いですが、飛鳥から白鳳(奈良前期)にかけての小金銅仏にはなんともいえないあどけなさを持つものも多く、今風にいえば「かわいい仏さま」ということになるでしょうか。

東博の法隆寺館に行けば献納宝物である四十八仏にいつでも会えますが、ここ1,2年さぼっています。法隆寺館が建て替えられる前は木曜日のそれも晴天だけの開館だったので日にちを選ぶ必要がありましたが、今は東博が開いていればいつでも観られるはずなのに、かえってそうなると怠けてしまうのかもしれません。

それはそうと、亡くなった父が遺したもので実家から持ってきたものに写真の善光寺式と呼べそうな一光三尊像がありました。自分が若い頃にはなかったものですから多分そう昔でないころに骨董市か古道具屋で見つけたものでしょう。木製の凝った台座はもとの所有者が愛玩(ここは、念持仏としての「信仰」というべきか)していたのだろうと想像できます。単なる土産物ということもありうることですが・・・。

博物館にご無沙汰のときはこんなもので自らを愉しませたりしています。父親の思いも受けて大事にしたいと思います。