リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

乗り物はなんでも好き!?

2022年05月29日 | 楽しむ
 
古いアルバムを見ていたら汽車だけでなく、飛行機も相当好きだったようだと思い当たりました。

子どもの頃、わが家と親しかった飛行機乗りさんがおみやげにブリキのおもちゃをよく持ってきてくれました。飛行機好きになり、いずれはパイロットに! と、夢の夢を描いたのも飛行機好きが昂じたのか、その人への憧れか。

写真はいただいたばかりの旅客機のおもちゃを持って悦に入っている様子です。たぶん、日本航空のダグラスDC-6かDC-7というプロペラ機終盤のモデルだと思います。

それでもやっぱり汽車も好きなことに変わりはなかったようで、おしゃれしたネクタイにはSLの刺繍がしっかり入っています(見えるようにわざわざ出している?)。

懐かしいわらび餅の味

2022年05月21日 | 懐かしむ

この季節、カミさんがときどきコンビニでわらび餅を買ってきてくれます。透明のパックに入っている簡易な和風スイーツとでも呼ぶのでしょうか。自分ではなかなか買わない商品です。

ここ2,3年で何回かいただきましたが、けっこう美味しいんです。冷蔵庫で冷やしているためか、まわりのきな粉は常温ですが、中身のデンプンがヒヤっとしてとろけるように喉を滑り落ちていきます。わらび餅って、こんなに美味しいものだったっけ? と感慨ひとしおです。

熾烈な競争を繰り広げるコンビニ業界のトップシェアのお店で夏場に何年も販売している商品ですから、きっと評判もよいのでしょう。

わらび餅といって一番古い記憶は奈良でのおやつだったと思います。それ以前にも食べていたのかもしれませんが、記憶にはありません。

東大寺二月堂への裏参道の階段を上ると二月堂とは反対の左側の建物に当時「お休み処」と暖簾か旗竿の案内があって、一緒に旅行していた何人かで入ってお茶とわらび餅(奈良だから「葛もち」と言っていたかも)をいただいたことを憶えています。

ただ、味の方は記憶が定かでなく、たぶんその時代の素朴なものだったのではないでしょうか。とてもコンビニで何年も定番であり続けるほどの実力はなかったと思います。それでも奈良で(はじめて?)食べたという記憶とともに味覚としてではなく、わらび餅というその名が特別な思いとともに懐かしく思い出されます。

ふるさとの平家伝説

2022年05月15日 | ひとり言
NHKの大河ドラマで源平合戦のシーンをいくつか見たもので、思い出した話を一席。

わがふるさと、広島県の瀬戸内地方には平家の伝説に因む地名や旧跡がいくつもあるようですが、自分が知っているのをいくつか紹介します。

まず、平家谷と呼ばれる地区。同じ町内ながら奥深い谷にあるので訪れたのは大人になって帰省の折の一度だけ。名前だけは子どもの頃からよく聞かされていてちょっと神秘的な感じも持っていましたが、平家の落人伝説は全国至るところにあることを知ってからはあまり感興も湧きませんでした(むしろ栃木県の湯西川温泉で見た立派な漆器などの方がホンモノらしく思えました)。

それより面白いのが土地の名前。能登原(のとはら)という地域が海寄りにあるのですが、これは平教経(たいらののりつね)が自分の「能登守」にちなんで名付けたとか。今は枯れてしまった大きな松の木があって、教経が憩んだときこの松に弓をかけたから「弓掛松」と呼び、その名のお饅頭もありました。

ここから先は子どものころに聞いた冗談のような話で、能登原の先に田島という島があるのですが、その手前に「矢の島」という小島が浮かんでいて、潮の流れにのって流れてきたと。これに向けて能登守教経が矢を放ったのでその場所に止まったという荒唐無稽な伝説(ちょっと調べたら、島が流れてきたのではなく放った矢から根が生えてそこに留まったという話も)。

呉市にある音戸ノ瀬戸というところを浚渫していたところ、日が暮れそうになったので平清盛が扇で夕陽にむけて仰ぐと工事が間に合うように太陽が留まった、という話と同レベルのシュールさというか、ふざけた面白さでしょう。

鏑木清方展

2022年05月10日 | 楽しむ
近美で開かれていた展覧会。3月ごろから行こう行こうと思いながら、上野に比べて竹橋がなんだか遠く感じられ、閉幕間近になってようやく重い腰をあげました。

ゴールデンウィークで天気もいいし、テレビでも都心はあちこち混雑しているという話題が多いので、それでなくてもNHKの日曜美術館などで取り上げられると尻上がりに来館客が増えるのは必至。
迷いながらも終わってから行かなかったことを後悔した展覧会も数知れず・・・。今回はすっかり出不精になった気持ちと身体にムチ打ってやっとこさ6日午後の予約を入れて出かけてきました。

感想は、観に来ておいてよかった! に尽きますが、やはり相当な混雑ぶり。いつものことながら行儀よく並んで順序を追って観ている中には入らないで、タイミングで前にいる人の少ない作品を選んで一点々々に集中するようにしました。

ある程度堪能した後、久しぶりに図録を、と思い見本を持ち上げると想像以上の重さ! さらにレジには20・30人ほどの行列。外の常設のミュージアムショップも入場制限をしているみたいで結局(その場での購入は)諦めました。

ところで、この展覧会には普段以上の比率で和服を着た女性の姿が目に付いたのですが、あれはどういうお気持ちなのでしょう?
清方の美人画に負けない自信がおありなのかな? というのは意地悪な見方ですよね。歌舞伎を鑑賞する時のように、その世界にふさわしい気持ちを表そうとされているのでしょうね。

薬師寺の堂宇に泊まった思い出

2022年05月05日 | 懐かしむ

唐招提寺への小径を思い浮かべていたら思い出したことがありました。大学に入学したその夏のことか、翌年のことかちょっと記憶に自信がありませんが・・・。

サークルの夏の全体合宿(日吉館泊)の前に分科会(彫刻班)で西ノ京・薬師寺の堂宇のひとつに泊めてもらって何泊かであちこちを巡りました。今思えばどういう伝手があったのか、貴重な体験でした。今更ながら先輩たちに感謝です。

当時薬師寺は高田好胤師が金堂復興で走り回っておられた頃で、境内は相当荒れており、築地塀など穴が空いていたり崩れかけていたりするほどでした。東塔のみがいにしえの姿を凛と現わしており、あとは講堂や聖観音の居ます東院堂ぐらいで、本尊の薬師三尊はシンプルな建物の仮金堂に移っていらっしゃったと思います(そのおかげで薬師如来の宣字形の台座も四方から鑑賞できました)。

われわれの泊まったのは北側の唐招提寺への小径に面した塔頭のようなところで、早朝、決まった時間に起きて講堂まで歩いて般若心経や薬師如来本願功徳経のお勤め、宿舎のまわりの草取りなどして食事は別のところでいただくようになっていました。朝夕の食事のときには「食作法(じきさほう)」というものを皆で唱えて、一粒の米粒も残さない作法でいただきました。

精進料理かと思っていたら、いきなりの夕食に苦手なトリのホネ付き肉が出たりして面食らったことも覚えています。なにしろ少しも残してはいけないのですから・・・(あれは、どう処分?したことか)。

今、ストリートビューであの小径を辿ってみると、意外に変わっていないな、という感じもしました。奈良の田舎じみた風景が残っているのはありがたいものです。
また訪れることができる日を思って――。