三千家の流祖 宗旦
なくなられたのが 1658年 12月19日
お家元さんでは (万治元年11月19日)の旧暦で
毎年11月に行われています
我が家は クリスマス茶会に合わせて 12月
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ちゃんと草取りをして
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/04/fcc48123a1e1be744be40fe08eea24bc.jpg)
筧も青竹 湯桶も出しました
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床は 流祖宗旦
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/41/a0cea9350ac7420049a24547c615e411.jpg)
こんなお顔だったのかな ?
本来 遠忌茶会だと 三つ具足がよいかもしれませんが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6b/447b72a426f7b263dc387e97c3621530.jpg)
宗旦狐 ?
いえいえ 白蔵主です
同じ狐という事で 12月は宗旦狐に化けていただきました
宗旦狐は 黄狐
白蔵主は 白狐
お着物着てるから 分りませんね
お話しは色々あるのですが ・・・
永徳元年に、和泉にある耕雲庵の住侶に白蔵主という僧がいた。
白蔵主は稲荷大明神を常に信仰して、毎日法施を怠らなかった。
ある時、竹林にて片足を失った三本足の白狐に出会い、連れて帰って慈育した。この狐には霊性があり、
吉凶を告げたり、盗難を防いだりした。
その狐の子孫も三本足であり、寺内に住んでいたという。
白蔵主には狩猟が好きな甥がいたが、白狐はこの甥を恐れ、
白蔵主に化けてその甥の家に行き、殺生の罪について語り、戒めた。
しかし、この甥は、狐が白蔵主に化けていることに気付き、
鼠の天ぷらで引き寄せ猟してしまうが、狐は最後はなんとか罠を外して逃げる。
狂言にもなっているようですが
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花入れは 丹場市野雅彦さんの線紋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/59/af3555e38007973416e0391eb6738dca.jpg)
棚は尚歌棚
棚板が 短冊・色紙・筆になっています
天板が色紙で
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/e7/c10a1dc69e172f7326bd43839c93a0f4.jpg)
棗は 歌棗
漆壺齊さんの 松風棗
不昧公は 松の字を上下に分けて書かれましたので
すむひとも とうひともなど かたおかの
山松風と誰のときくらむ
と歌が描かれています
歴代 漆壺齊さんが作られますので
形は何種類かありますけれど
サイズは中棗
私のは 蓋が面取りしてあります
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