浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

「最大多数の最大幸福」は正しいか

2010-06-28 07:31:55 | 国際・政治

功利主義を代表する「最大多数の最大幸福」の考え方は、政治思想として正しいかどうかという問題であります。つまり、公共政策において、この理念の問題点を指摘しなければなりません。

共同社会における社会の最大効用を求めることは、政策として間違いないように思われますが、一方で最大幸福を求める過程で、個人の犠牲を強いてしまう可能性を考えなければならないということです。また、その最大幸福が、金銭的な物差しの価値観で測るとき、人間の幸福とは物質的な面だけで測れるかどうかということになります。

身近な例を言えば、岐阜市では2年前に、市岐商・立命館問題がそうであったかと思います。定員割れしていない人気校である市岐商が、将来の少子化を見越し、また建物のに改築に費用がかかるという理由で、立命館高校にしようというものです。立命館高校であれば、最初の土地や建物の無償譲渡や貸与のコスト的問題を除き、市税の将来負担もなくなり、将来の子供の教育や地域の活性化(これはきわめて疑問ですが)になるとするものです。

立命館高校誘致が最大幸福になるのかという問題は別にして、ここで問題になるのは、多くの署名を集め反発した市岐商の生徒やOB、そしてその関係者、また私学関係者や教育者です。いわゆるこの人たちにとっては幸福ではないという感情であり、価値観であったわけです。

結果を言えば、岐阜市議会は僅差で、立命館誘致を否決しました。皆さんはどうお考えですか。

「最大多数の最大幸福」には、一方で犠牲者がいることを決して忘れてはならないということではないでしょうか。

以上