浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

硬直化する政治

2012-01-31 09:19:10 | 国際・政治

民主主義の罠ともいうべき政治の硬直化が問題となっているような気がしてならない。これは、政治家が悪いとか、今の制度や政策が問題であるとか、国民が悪いとか、そういう問題ではないのではないか。

たとえば、政治家は国民の目線に立って全体像を示していない、という批判がよくある。しかし全体像を示せば明らかに国民に負担・痛みを伴う政策が必要になる場合、それで国民は納得、理解を示すであろうか。

政治家は、選挙で当選しなければ仕事ができない。当然有権者の思いを反映しなけれ政治家として活動できない以上、有権者を代弁することとなるが、その活動は必ずしも全体の国益に沿うものであるかどうかというジレンマに陥る。よく言う総論賛成でも各論反対となってしまうのである。

その解決方法としての弊害は、ポピュリズムであり、一方では独裁ということになるのであろう。

政治家の資質は問われて当然だと思うが、このように硬直せざるを得ない民主主義というものをどの程度考えるべきであろうか。政治制度論なのか、リーダーシップの問題か、個々の政策については、人口減少社会、少子高齢化社会という前提で、議論を進めることは極めて重要であると思うが、問題を一緒にしてしまうと硬直化はますます進むのではないだろうか。

以上


対立の結末

2012-01-05 12:21:19 | 国際・政治

民主主義という政治形態の中で、対立は何を意味するのでしょうか。

名古屋市の減税が河村市長の主張する10%から議会の議決で5%に落ち着いたもしくは妥協したといわれているが、皆さんはどう評価するのでしょうか。永年の対立が一定の妥協点を見出したと評価すべきか、お互いの信念を通さなかったと批判すべきか、どちらでしょうか。

しかし、少なくとも不毛な対立を続けることの問題をクリヤーし、一歩進んだことは間違いないと思います。大切なことは、これまで議論が続けられてきたということであり、妥協や信念といったことではなく、市民のための政治を進めるに至ったことを評価すべきです。

何事にも連続性という歴史が付きまとうわけで、結果を断面的に捉えるのではなく、連続性の中で修正は必ずあります。一つの政策決定には負の部分も必ず存在することを考えれば、絶対的なものは限られており、市民のためによりよいものへの修正は必然でしょう。

民主主義は時間もコストもかかる政治形態です。だからこそ、議論をしっかりすることと、より良いものへ先へ進めるという認識が必要です。対立では何も生まれません。また、時間やコストを省く効率のためだけに独裁的であるべきだという考え方は、選挙だけが民意とする考え方とするならば極めて危険であるといわざるをえません。民意の反映は議論の結果としてなされるべきなのです。

以上


謹賀新年

2012-01-04 10:10:50 | 日記・エッセイ・コラム

明けましておめでとうございます。

久々のブログ記事となります。

昨年はウサギ年であったからか政治の世界でもあちらに跳びこちらに跳びで方向の定まらない一年だったような気がします。東日本大震災という未曽有の災害、ヨーロッパの金融危機、円高、タイの洪水など、環境要因が大きかったとはいえども、政治の混乱は相変わらずといったところでしょうか。政治不信が85%を超えるという新聞記事もうなずくしかありません。

今年は辰年です。辰年は、「強さ・しなやかさ・健康・調和・強運」を運ぶ年といわれるそうですが、今まさに日本が望む言葉ではないかと思います。

そのために、「努力は惜しまない」、「打つ手は無限にある」、「決断を持って実行する」、平凡な言葉で当たり前のことかもしれませんが、信念として求められるものではないでしょうか。それが今年の抱負です。

以上