浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

岐阜県自閉症協会総会にて

2013-05-29 09:49:47 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、岐阜県自閉症協会の総会にて、1時間ほどの講演をすることとなり、私自身の、自閉症、知的障害、発達障害に対する考え方を話す機会がありました。協会に関係するようになって2年余りですが、勉強したこと、経験をしたことなどを通じて感じたことを関係者や会員の皆さんに聞いてもらいました。専門家でもない私が、自閉症のお子さんを持つ保護者の皆さんや専門機関の皆さんに話をするということで、話す内容も迷いましたが、議員としての考え方を踏まえたものとなりました。

 以下、レジメをつくった際の簡潔な用紙を作成しましたので、このブログに披露したいと思います。(話と少し違うものですがご了承ください。)

 

<社会的課題><o:p></o:p>

 

・白紙の状態で福祉の政策を考え検証し、また状況を知る前に、福祉の精神を捉えていく必要がある。そのためにも自分自身の考え方、いわゆる自らの福祉の思想をしっかりと持つことが大切ではないかと考える。その導入として、バンク‐ミケルソンの思想となった。それをベースに議員として何をすべきか考える。<o:p></o:p>

 

・花村春樹「ノーマリゼーションの父、バンク‐ミケルソン、その生涯と思想」<o:p></o:p>

 

・(P11から)表現とすれば当たり前のことかもしれないが、現実的にどれだけ多くの人が理解を示すことができるかが課題となる。また、当然のことといえば当然のことであるが、当事者でないことからくる無関心もある。<o:p></o:p>

 

・沖縄岐阜県人会。大城氏。歴史と現状。あえて今まで使ってこなかった「差別」という言葉を使う。「独立」の動きもある。政治化する理想の前に、そうした歴史や現状を考え、沖縄人の「心」を知ってほしい、という訴え。反省<o:p></o:p>

 

・関係者を持ったことがない者にすれば、自閉症、知的障害に対する知識はほとんどない状況で理解が進まない。複雑で多様な障害から、理解ができないこと。また、コミュニケーションができないケースが多く、接点を持っても理解できないということになる。そうであっても、理解に努める努力が要求されるのではないか。<o:p></o:p>

 

・「勝手に壁をつくる」。社会的弱者と接したとき、何とかしなければならない、無慈悲な人間と思われる、何もできない自分がある、心の負担を感じたとき、壁をつくってしまうことになる。<o:p></o:p>

 

<個別的課題><o:p></o:p>

 

・色々のケースが考えられるため、個々の対応の難しさがある。福祉政策、または制度を考えると、どうしても画一的・硬直的にならざるを得ず、それぞれの要望にどうこたえていくか、制度外の問題にどう対応していくかが絶えず問題になるということ。<o:p></o:p>

 

・こうしたことから、何か手を打たなければならないとか問題が起きる前に対応していこうとする制度や政策の考え方(当然、画一的・硬直的になりがち)から、基本的な部分は別にしても、ここに事後に要望にこたえていく政策の在り方を考えていかなければならないであろう。<o:p></o:p>

 

・ライフステージを通してどのようにサポートしていくかである。もちろん中心は保護者の皆さんであり、社会や行政がどのように寄り添っていくのか、基本的なラインを考えていく必要がある。そのための手段としてプロフィールシート(ライフステージシート)も一つの方法であり、教育や療育、就労、生涯学習を考えていくということである。縦糸と横糸を織り込んでいくように、きめ細かなそれぞれのステージをつないでいくようなものが理想的である。

 

<行政的課題><o:p></o:p>

 

・こうした課題を大きくとらえると、現在の行政的課題もそれに対応することが必要になる。しかし、今の縦割りの行政区分の中で総合的なサポートをと考えると十分におこなわれていないのが現状ではないか。それぞれの部署はそれぞれに一生懸命対応していても、権限範囲が限られる以上、限定的にならざるを得ない。<o:p></o:p>

 

・教育、福祉、医療、雇用などその他の行政の区割り、また、国、県、市の縦の区割りなどの通常の行政形態では限界があると言わざるを得ない。通常の組織形態では限界があり、新たな組織形態の必要性を感じる。先の、政策の画一的な問題でもそうであるように、柔軟な個々の対応が不十分であるという声には応えることができないのが現状である。<o:p></o:p>

 

・こうしたことから、政策の実施や施設の運営にあたっては、行政の内部化によるものか、民営化、または市場化すべきかが問題となってくる。どうすべきか慎重に判断していかなければならないであろうが、少なくとも、行政の内部化は、職員が硬直化する問題や、民営化や市場化にはコスト的な問題が発生するなど、お互いに補完し合いながら、ベストのサービスを考えていくことになる。<o:p></o:p>

 

<政治的課題><o:p></o:p>

 

・基本的には、福祉政策は、権限財源ともに国の制度に基づいて行われるため、地方自治においては限界があるのが現状。地方分権と言いながらも、こうした分野には決められた財源しかおりない。しかし、自主財源の中でどれだけ障害施策を行うかが重要になってくる。全体の財政規律の中で、どれだけ配分できるかであり、予算編成権を持つ首長の権限が大きいということになる。<o:p></o:p>

 

・財政規律の面からいえば、税収入もかつてのような右肩上がりの状況は望むべくもなく、一方で、高齢化による社会保障費の拡大や、先般外部監査報告で行われたように、公共施設(建物だけでなく、道路や橋梁などもふくめる)の建て替えや維持管理の財政需要が膨らんでくる状況にある。長期的な視点で議論すべき状況にある。<o:p></o:p>

 

・「社会を変えていく」という活動が今後極めて重要になってくる。もちろん、政治化を動かしていくという力になることだけでなく、社会的認知が結果的に社会を変える、政治を動かすということになるのではないかと思う。投票行動だけではなく、それも政治参加であることを知ってほしい。<o:p></o:p>

 

<自発的コミュニティの形成><o:p></o:p>

 

・先の政治的活動、いわゆる社会活動するためのコミュニティの形成が重要となる。本会である自閉症協会もすでに認知されたコミュニティであると言ってよいのであり、参加者の意見を集約していく活動グループの形成が何よりも重要である。結果として、活動が、世間に認知され、社会を変え、政治を動かしていくことが、改善につながっていく。<o:p></o:p>

 

・少なくとも多くの人と接点を持ち、人間関係をつくっていく、地域に入っていく、などの活動を通して、少しでも多くの人に理解されることになる。既に本会はそのような活動を行っておられるわけですが、少しでも多くの人が参加し、一緒に活動していくコミュニティが形成されればよいと思う。<o:p></o:p>

 

・また、議会や行政側にとっても、そうした活動でない限り、声として政策に反映していくことができないという現実がある。理解と実現という双方向での活動を期待する。みんなで制度や政策をつくっていくという気持ちが大切。<o:p></o:p>

 

<包括的支援体制の確立と組織化><o:p></o:p>

 

・改めて言うまでもなく、今課題として取り上げた課題を解決していくためには、知的障害、自閉症、発達障害の包括的な支援体制が必要になってきている時期ではないかと思う。当然のことながら、そうした体制は組織化という問題も出てくる。<o:p></o:p>

 

・後で説明する岐阜市総合教育支援センターでも発達障害を中心とした相談業務、県の希望が丘でも医療体制の充実する計画となっているが、必要なものであるにしても、利用者の要望に十分こたえることができるかという疑問も残る。包括的な支援となれば、当然いろんな分野での連携が必要になってくると思われ、やはりもう少し総合的な体制が望まれるのではないか。<o:p></o:p>

 

・行政にとっても、ハードソフト含めて一元化した総合センターのほうが効率的に支援できるのではないかと思う。センター機能を有する組織をつくるだけでもある程度、利用者と行政の双方のミスマッチを解消できるような気がしてならない。<o:p></o:p>

 

<岐阜市の政策、他について><o:p></o:p>

 

・恵光学園 民営化問題とハードソフトを含めた体制の検討<o:p></o:p>

 

・特別支援学校 就労支援のための企業説明会<o:p></o:p>

 

・岐阜市総合教育支援センター (資料)<o:p></o:p>

 

・スポーツ・芸術などの文化的活動の促進<o:p></o:p>

 

・障害者優先調達推進法 市役所の率先 (標記法律については、平成24627日に公布され、平成2541日より施行。本法律では、平成2541日から、国等による障害者就労施設等からの物品等の調達の推進等に関し、障害者就労施設等の受注の機会を確保するために必要な事項等を定めることにより、障害者就労施設等が供給する物品等に対する需要の増進を図ります。)<o:p></o:p>

 

・雇用促進法 市役所の率先

 

<さいごに><o:p></o:p>

 

「物事を変えるには壁を崩さなければなりませんが、その壁が常に自分たちの『外部』に存在していると考えることは、物事を単純化する見方です。そう考えている限りは、本当の意味で物事を変えることにつながらない。」(政治的思考‐杉田敦)<o:p></o:p>

 


小平市の住民投票問題ニュースを見て

2013-05-23 08:01:37 | 国際・政治

 3日ほど前のニュースでしたが、小平市の道路拡張に反対する住民投票への活動について取り扱ったものについて気になったことがあるので取り上げます。

 昨今の民主主義制度を考え直す動きとして住民投票制度、つまり住民が直接政治的判断に参加していこうという動きです。そうした活動は住民が自らの周りのまちづくりや政策について関心を持ち、実際に活動しようとすることは極めて大切なことであり、政治的関心事に参加、活動することを否定するものではありません。住民投票制度も法律で認められる重要な民主主義の政治的決定手段です。

 しかし、こうした住民投票制度で考えなければならないことが2点ほどあるのではないかと思うのです。

 まず、1点目は、住民投票の争点となる対象が、行政区域の範囲内においてどれだけ法的拘束力があり、住民投票制度の意義があるか現実的な問題としてとらえなければなりません。つまり、今回のケースでいえば、住民投票によって反対が決定されても法的拘束力はないということであり、現実的に考えれば何のための住民投票か明確にされていないのではないでしょうか。活動そのものに意義があるとするのであれば、争点の目的が少し違うということです。この点についてはコメンテーターもそのような発言をしていました。住民投票とはどういうものかの意義、そして現在の民主主義制度とはどう言うものかを理解する必要があります。そもそも住民投票そのものに多大なコストがかかります。何でも住民投票にかけ、政策判断を住民が自ら選択していくというわけにはいきません。また、単に住民投票による多数決が全面的に正義であるということが担保されるかどうかを考えなければなりません。現在の代表制による民主主義制度が、ベストではないとしてもベターの制度として政治は進められているということを再認識していく必要があると思います。

 2点目は、1点目で指摘したような現実をとらえれば、私たちの代表として選ばれた政治家、議会を動かすことを主体に活動すべきではないかと思うのです。ニュースの範囲内で、この所感を書いていますので、そうした活動は十分していたと言われれば問題は少し違うかとは思いますが、現実的な活動の成果を求めようとするならば、制度の中で実現していく実効性を求めると言うことが必要です。一般的な話として、現在の政治不信、政治家はあてにならない、議会は何もしてくれないといった批判があるのは確かです。しかし、政治家や議会のとって、住民から負託された責任は十分持っていると思います。たとえそうしたずれが生じているとしても、現実的には、先ほど申し上げた制度の中で変えていくという努力をすることが大切です。今回のケースでは、そこのところが報道されていませんでしたので、勝手なことを言うようですが、活動の実効性を考えれば、活動の意義が満たされます。

 批判的なように書きましたが、活動そのものを否定するものではありません。私自身は、こうした市民の活動が、社会を変えていくと信じています。今の日本は、戦後、与えられた民主主義制度として成り立っているため、決して勝ち取ったという意識が私たちにない所に問題があるのではないかと思います。それは決して今の制度が間違っているということではなく、私たち一人一人が十分理解したいないのではないかということです。明治、大正の戦前の政治史を読んでいると、先人達がいかに民主主義を勝ち取ろうとしてきたかを改めて感じます。戦争をはさんで大きく変わった政治制度が、戦後の政治的な歴史もふくめ、今一度問い直す時期に来ているのかもしれません。

以上