浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

「自分の頭で考える日本の論点」出口治明著より

2021-05-31 08:52:55 | 国際・政治
論点21日本の民主主義は優れた制度か、から
『近代の民主主義では、第1に、選挙で選ばれた議員は全国の代表で会って、選挙区の代表ではないと自覚すること(国民代表の原理)。第2に、決議前に少数意見を尊重する十分な討議を尽くすこと(審議の原理)。だい3に、議会は行政を監督すること(行政監督の原理)。この3つの原理を大切にすることが前提になっている。・・・・・近代ヨーロッパで確立された民主主義(議会制民主主義)は、市民革命という流血の構想を経て獲得されたものである。それだけに、これらの原理原則は、欧米の伝統的政治文化として血肉化しているというる。』

改めて民主主義を考え、議会の在り方を思うとき、この3原則が十分機能しているかの自省となります。一方でこうした基本中の基本である原理が、どれだけ市民や議員の中に理解されているのだろうかという疑問にもつながっていきます。地方議会においてもこの原理は基本であり、平時においては、なかなか表には出ない原則です。また、日本においてこのような原則原理がどこまで血肉化しているのか、有事で大きく針が触れたとき、私たちはどうあるべきか、考えていかなければなりません。

佐伯啓思著「近代の虚妄」から

2021-05-06 08:27:37 | 日記
 文中にあるオルテガの「大衆の反逆」からの引用です。
「かくて、大衆とは、自らを謙虚に顧みようとする意志も、歴史から何かを学ぼうとする力も失い、自らに対する高い義務も高貴なものへの敬意も忘れ去った存在である。彼らは、彼らの生きている現在を歴史上の極めて高度な文明段階だと考えており、その有り余る豊かさと自由を持て余し、さらにその欲望を膨らませ、ほんの些細なことに不満を抱く。自分が受け取る豊かさを当然なものとみなして、その豊かさや安楽な生を可能とした条件を徹底して忘れ去っている。そして過剰なまでのデモクラシーが、まさしくこの種の「大衆」をおだて挙げ、社会の主役にしてしまったのである。」(P147)
 まさにSNSの登場によって先導される世論ということを考える時です。本来の輿論が世論となって政治が動いてしまうことや半ば洗脳的に形成される世論の危険性を一度振りかえって考えることを、知っておくことは大切かと思います。そのようなことはないと信じていますが、人というものを100%信じることの危険性も歴史が語っているような気がします。