浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

デモ行進に思う

2010-10-20 09:47:37 | 日記・エッセイ・コラム

景気の低迷、政治の停滞を感じずにはいられないという方は多いのではないでしょうか。格差の拡大がもたらす結果は、個々にとらえれば小さな固まりでしかないストレスが大きなマグマとなり、社会変革の圧力となりうる、ということを政治家は忘れてならないと思います。

中国のデモ行進はまさにそのストレスのマグマが一部噴き出していることを表しています。少ない報道ですが、ヨーロッパでもデモが頻発しているようです。

日本は、そこまでの格差があるのか、またおとなしい日本人というべきか、どちらか、また両方かわかりませんが、大規模なデモが行われていません。たまにデモ行進があっても過激ではないため、マスコミもほとんど取り上げていないのが現状かもしれません。

しかし、そうしたデモ行進が、社会のひずみの一つのバロメーターとするならば、政治家は真摯に受け止めなければならないでしょう。よく行われる署名活動も同じであり、たとえ少数といえども民主主義の在り方として尊重されなければならないのは言うまでもありません。

以上


戦略的互恵関係とは

2010-10-19 09:05:39 | 国際・政治

今、大きくとりださされている尖閣諸島問題の中国との関係において、菅総理は、「戦略的互恵関係において・・・・」という発言を多用しています。

「互恵」とは辞書では、「たがいに特別の便宜・恩恵などをはかりあうこと」とありますが、一方で、「戦略」とは、「戦争、闘争のはかりごと」となっています。

おそらく「戦略的互恵関係」を多用している意味は、「友好を前提に両国の発展のためにお互いの国益を相談していきましょう」という意味で使っているのではないかと思います。

しかし、領土問題の本質にこのような言葉が当てはまるのでしょうか。経済的な互恵関係であれば、外交としての話し合いは、お互いの利益のために話し合うことができると考えられますが、歴史的背景を踏まえた領土の帰属については、所詮、お互いの主張は平行線をたどることになるのではないかと思います。つまりどちらの言い分も譲れないところとなるのが結果であり、先送りの結論しか出ないことは歴史が証明しています。

さらに言えば、中国は経済大国となり、一党独裁の国です。経済戦争や外交戦争のパワーゲームとなれば、すでに日本をしのぐ力を持っていると認識すべきであり、求心力という国の力を考えれば、パワーゲームにおいて民主主義の日本は求心力を失う可能性が多分にあると思われます。

「戦略的」とされる日本の方針がなかなか見えてこないのが現実です。高度成長を経て、金の力で物を言わせてきた外交戦略を振り返ったとき、この国の戦略的互恵関係のバックボーンは何であるのか考えなおさなければならない時ではないでしょうか。

以上


ジュニアハンドボールにて

2010-10-18 10:07:43 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、私が代表している岐阜MHCのジュニアハンドボールクラブに、トップアスリートである宮崎大輔選手を招へいし、10周年記念事業として、講習会が開催されました。

岐阜MHCは、森川先生が県立岐阜商業や市立岐阜商業でハンドボールを教えられた後、ハンドボールの普及及び振興を目指し、10年前にジュニアを教えるクラブチームを立ち上げられた団体です。多くの教え子が先生の熱意に賛同し、設立当初の様々な困難を乗り越え10年を迎えました。

私自身は、その教え子の一人である高校時代の各高校選抜チームの国体選抜チームメイトが立ち上げにかかわっていた関係から、かかわりあいを持ち現在は代表として動いております。

そのジュニアチームの監督が大崎電機で宮崎選手の先輩ということで、記念事業に招へいしようということの運びになりました。

宮崎大輔選手は、脚力、跳躍力、持久力などすべての運動能力を競う各スポーツ界のアスリート大会で優勝した、優れた運動能力を持つアスリートとして有名です。そんな有名な選手ということもあり、子供たちの身ならず親御さんたちも大変喜び、大会は盛況のうちに終えました。

こうしたことが少しでもハンドボールの普及や振興になり、低下しているといわれる子どもたちの基礎体力の向上に役に立てればよいと思っています。

以上


もう一つの交流社会

2010-10-16 09:21:44 | 日記・エッセイ・コラム

今、地元のグランドゴルフ大会にあいさつに行ってまいりました。

高齢者の皆さんの軽スポーツは、年々盛んになっており、公園や、広場、空き地でグランドゴルフ、ペタンク、ゲートボールに興じる高齢者を見かけることも多くなりました。それぞれの町内で仲間が集まり、一つに競技を楽しむ形も、もう一つの交流社会といえるのではないかと思います。30年前はあまり見掛けなかった光景ではないでしょうか。

軽スポーツに興じる皆さんは、本当にお元気です。練習も早朝から、また大会も早朝に行われます。そうした体の健康という面もさることながら、精神的な気力の充実、人とのふれあいという面で、生活の一部として楽しんでいるのではないかと思います。

街が元気になるということは単に交流人口が増えるという経済的な側面でとらえるだけでなく、こうした光景が見られる街というのも重要な要素ではないでしょうか。

そうした街づくりに少しでも応援していきたいと思っております。

以上


交流社会

2010-10-15 09:39:27 | 日記・エッセイ・コラム

最近いろんな交流会に招かれ、多くの人のお話を聞く機会が多くなりました。

先週は、ある個人美術館の館長のお話、昨日はステンドグラスの作家のお話と続けて美術文化に関するお話を聞く機会がありました。参加者の意見やら感想が語られ、講演会や生涯学習のような一方的な勉強会ではなく、語り合う楽しい会でした。

こうした交流会は、概ね、20人から30人と大きな会ではないのですが、テーマに沿って結構濃密な話し合いが行われ、教養という面で刺激を受けることが特徴であるといえます。年齢を問わず、知識や経験を受けることは、自分にとってもとても参考になります。

昔はこうした会合が、お酒を一杯飲みながら個人的に行われていたような気がするのですが、いまやペットボトル1本で夕方の6時半から遅い時は10時過ぎまで語り合っています。興味がある話題では時間も忘れます。夜に行われるため、世代を問わず出席できることも大きな特徴でしょう。

市会議員が出席すると選挙活動だと思われがちですが、私自身は刺激を受けるためだと思っていますので、時間の許す限り参加していこうと思っています。

以上