リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

6/6 SAKAE SP-RING 2010 名古屋Blue note ライブレポ

2010年06月08日 | ライブレポート

さてさて。お待ちかね、次は名古屋Blue note。
搬入を終えてから長い待ち時間。
どう過ごすかは各々でした。
直人とゆうだいさんは手羽先で一杯だけビール飲んだ後、風味堂さんの弾き語りをBlue noteで聴いてたとか。
一生はそのままBlue noteでライブを堪能。
私と拓は同じくBlue noteでライブを見た後、CLUB QUATTRO と OZON
を観に。
でもCLUB QUATTROは入場規制がかかってて入れなかったんだよね。
さすがフェス。すごいわー。
たまたまタイミングが合わなくて、OZONも演奏終わっちゃってたんだよね。
結局、Blue noteで聴いたPredawnさんのみ聴けました。
ガットギター弾き語りの女の人で、素敵な歌声とギターに思わず眠くなってしまう感じ。
以前教えてもらってたピアノの先生の言葉を思い出しました。
「音楽を聴いて眠くなるなんて、最高に素晴らしいことなんだよ。
それだけ自然な呼吸だったってことだから!」と。
会場のお客様の1/3がうとうととしているのが分かりました。
あちこち歩き回って、盛り上がって、ちょっと疲れてるお客様に彼女の歌は
最高の心地良さだったんだと思う。
旅も3日目になる私も、すごーく気持ちよかった。
もったいなくて眠いの我慢して聴いてました。
彼女の英語は血が通っていた。意味、じゃなくて感情が英詩にのっていたなぁ。
わたしもあんなふうに英語曲を歌えたらなぁ。
ああ、気持ちよかった。。。。


名古屋に来ることが決まったあたりは、さすがにBlue noteに怖気づいていたのですが
もうね、関係ない、ってわかったから。
それよりもライブできることに心構えと準備をしようと決めたわけです。
Blue noteのすぐとなりに朝日神社って神社があって、お告げはもらわずともご挨拶はさせていただこうと
手を合わせてお参り。
「本日となりの名古屋Blue noteで演奏させていただきます。
ご縁あってこの地に参りました。どうぞよろしくお願いいたします。」とだけ。
お参り終わって鳥居をくぐった後、なんだかちょっとだけ怖かったその朝日神社が
全体的にぽーっと光るような気がして。

お告げはいらない。霊感も封印。
とはいえ、センサーは健在。
これはどんなシステムなんだろ???
霊感を封印することで逆に勘が研ぎ澄まされてくようでした。
目の見えない人がより多くの情報を知ることができるような、そんな感じ??


そうして準備に取り掛かったわけです。
対バンさんたちがほとんどメジャーなアーティストさんだってことで。
もちろんそういう緊張もないわけじゃなかったけれど。
コンセントレーションがとてもうまくいったと思います。
しかし、楽屋がきれーー!
ワイングラスからティーカップ、冷蔵庫からスタッフ用楽屋、アーティスト用楽屋と
分かれてて。会場のモニターもしっかり完備されている。
さすがBlue note。


とうとう迎えた本番は、本当に、気持ちよかったです。
照明が最高。音響も最高。そして霊感を封じた私はセンサー感度抜群。
バンドの音が全部聞こえました。多分あれは耳で聞いてたんじゃないな。
音と一緒に各メンバーの感情も流れ込んできたから。
同じように、お客さんのそれも流れ込んでくるようでした。
もう、なんだろう、どうしようもなくお客さんに親近感を感じてしまう。


世界中の名だたるアーティストたちが、ここで演奏してきた。
その人たちがこの場所に残していった思い、緊張、熱狂、テンション、歴史。
なんだかそれら全てが私の背中や足元をそっと後押ししてくれてるみたいでした。
何が見えたわけでも何が聞こえたわけでもない。でもそう感じたの。
そんなみんなの、音楽を深く深く愛する気持ちが幾重にも重なって私に降りてくる。
すごく、力強くて、とても楽しかったんです。
昨日の三国ヶ丘の楽しさとはまた別の楽しさ。
濃厚で純粋なワインのような、そんな芳醇な時間がそこにありました。

もちろんね、無名の私たちですから、
前に演奏されてたジルデコさんの時に比べてお客様は半分以下にも減っていたよ。
途中で席を立ったお客様が5人ほどおられた。
つまんなそうにしていたお客様もぽつぽついた。
でも、もう、それでもいいんです。
ここでこうやって自分たちの音楽を奏でられる貴重な時間をめいいっぱい活かすだけ。
そうやって歌って奏でているうちに、少しずつ、私たちに耳を心を傾けてくださる方々が増えてきて。
最後には鳴り止まない拍手をたくさんたくさん、いただきました。
にわかに信じられなかった。
メンバーが楽器を置いてはけ口に向かっても鳴り止まなかった。
それどころか、スタンディングオベーションをしてくださってる方が3人も!

脱ぎ捨てたショールをステージに忘れてきてしまって、取りに戻ったときも拍手は続いていて、
あまりにもったいないことでもう一度生声で叫びました。
「ありがとうございました!」と。


あの時あたたかい拍手を下さった皆様、SexRexを観てくださった皆様、
本当にありがとうございました!!


また、またここで演奏できたら。いいな。
格式が高いからとか有名になれるからとかじゃなくて、
純粋に音楽を愛するスピリッツがあそこにはあった。
人生を楽しみ尽くしたいろんな人種の方々のPower of Loveがそこにあった。
もっと成長できた私で、もう一度このステージに立てたら。

次はどんな風景が見られるんだろう。


そんなご縁があるといいなと願いつつ。
SexRex、初Blue noteライブでした。


応援してくださった皆様、ホントにありがとう。
おかげさまで自分たちの全力を出して演奏できました。
そして、ここまでSexRexをSexRexとして成り立たせてくださった、
かつてメンバーだった皆様、サポートメンバーだった皆様、
関わってくださった全ての方々。
いつもお世話になってる皆様。

本当に、ありがとう。

これからもこの経験を糧に、もっといいライブや音楽を
お届けできるようにしていこうと思います。


これからも、どうぞよろしくお願いいたします!

 


6/5 蝦蛄企画ライブ『Happy songs vol.9』 ライブレポ

2010年06月08日 | ライブレポート
さてさて。
まじめ~な話はこのあたりにしておいて。

次の日の6/5は三国ヶ丘fuzzにて蝦蛄さん企画ライブ、『Happy songs vol.9』に
参加してきました。

9回目になるというこのイベントは午後15時からスタートという長丁場なイベントなのですが、お客さんが始めっからいっぱい!
参加してるバンドさんバンドさん、皆さんとってもいい方々で、
まさに蝦蛄さんのお人柄をあらわしたイベントでありつながりだなぁって思いました。
fuzzというハコもとてもよかった。
なんだろうね、とても居やすいの。
長い時間ずっとそこにいても疲れない心地よさがあって。
ここはかつてEGO-WAPPIN'のよっちゃんと森さんがよく出演していたハコらしいです。
二人でユニット組んでやろうって決めて、ギターと歌で参加してたんだって。
よっちゃんもここで歌ったんだぁ。。。
なんだかいろんな感慨がありました。

面白いバンドさん、楽しいバンドさんいっぱい出演されていたけれど、
蝦蛄さんの「ねこジャンキー」って歌に撃沈されました。。。。
可愛いロックテイストの歌なんですが、振り付けもあったりしてとっても楽しいのです。
ボーカルのゆうこりん、かわいすぎる。。。。
あーうー、かわいい。。。よだれ出ちゃう。。。(下品。。汗)
ゆうだいさんが「こういうバンドで叩きたい」ってこぼしてました。笑
気持ちすんげーわかるわーー!
ねこジャンキー、無料で配布してるとのことで早速ゲット。
歌詞を見るとさらに歌の内容がわかってますます好きになっちゃいました。
内容は、猫だいっすき!って内容なの。
「私の欲求 満たして肉球~♪」って歌詞があるのですが、
卑猥な意味にとらえる私。。。(下品。。2弾)
私が歌うと。。。。「私の欲望 満たして肉○~♪」(さあ、みんなで韻をふんでみよう)
になる。。。爆爆

蝦蛄さん、ほんっとすいません!!
素敵な歌を汚している!!

けど、MCでそれ、しゃべっちゃった。。。。
ねこジャンキー、好きすぎて汚してしまう私。。。
ああ、この気持ち誰かわかって。。



さてさて。
そしてSexRexの出番がやってきて。
会場はそれまで出演されていたバンドさんの熱気で十分すぎるくらいあったまってました。
私は前日の「役割をまっとうしよう」って意気込みに少々圧迫され気味でめちゃめちゃ緊張していました。
でもね、ステージ立ってみて、わかった。
あはは、笑っちゃうくらいわかった。
あーもー、そうね、私は私でしかないのだわーってなった。

熱気が、ものすごいのです。
今まで感じたことないくらい、すごいの。
それだけSexRexを求めてくれている。
手拍子うながさなくても、あおらなくても、自らすすんでこの空間を楽しもう、全力で味わい尽くそうとしてるお客さん、お客さん、お客さん。。。。
最前列のお客さんの数名がSexRexの曲を一緒に口ずさんでくれてるのよ?!
ああ、もう、本当にすごいことだわ。
ツアーやってきてよかった。
いろんな場所で出会ったバンドさん、そのバンドさんのつながりでもらったチャンス、
そこで出会った人たち。
たくさんの人たちのつながりが今、ここに集約されてる。
この人たち満足させられる為なら、一体何を惜しむというのか!

あちこちでライブしているときいつも感じるのは、
「私のエネルギーをぶつけすぎてはびっくりされてしまう」ということ。
だからいつもセーブして歌うのです。

でもね、ここは、違うの。
出しても出しても、「もっとちょうだい!もっとちょうだい!」って。
よっしゃ!これでどうじゃ!これでどうじゃ!って出すんだけど全然足りない。渡しきれない。
真っ裸にされた私の中から出てきたのは、『渇望』でした。

以前ね、ヴィヴィアンに「SexRexは渇望を歌うバンドだから」って言ってもらったとき、
ああ、それは変えていかなくちゃだわって思ってました。
カラカラに乾き続ける歌なんて、きっと誰も聴いてくれないからって思ってた。
それに、なんだか嫌だったの。
確かに渇望するのが私自身の生き様かもしれないけれど。
もっと幸せな歌を届けたいじゃない?って思ってた。

けど。
ここに来て、原点にかえった気分。
ああ、あははは。
隠したって無駄だわ。
私の歌う原動力はやっぱり渇望だった。
生きる底力みたいなもの。追い風を待つんじゃなく、作ってやる!ってそんな感じ。
そのスピリットを歌に乗せたとき。人の何かに触れるみたい。
希望にも似た渇望はバンドだけじゃなく、会場のお客さんの気持ちを一気にひとつにしてくれました。

ワンマンの時以上の熱気。
私がかつて東京ハウリングレコードを観に行ったときの、あの熱気。
モッシュが生まれて、ダイブが生まれて、最前列に行けばたくさんの人たちに手を伸ばされて。

ああああ、もう幸せ!!!!

ダブルアンコールまでもらって。
ハコはもうBGM流しているのにお客様が手拍子をやめてくれなかった。
ああ、これは本当にすごいことだよ。
ありがとう、ありがとうね!!


蝦蛄さんはじめ、Happy songs vol.9に参加されたアーティストの皆さん、
観に来て下さった皆さん、
本当に本当に!ありがとう!!


ライブが全部終わったあと。
打ち上げに参加させてもらっていろんなおしゃべりをしました。
少々やりすぎな(?)トークもしつつ、もういっそのこと三国ヶ丘に住んじゃおうか、なんて思ってしまう私たち(笑)

すごく去りがたい気持ちをぐっと抑えて。
12時半ごろライブハウスを後にしました。

直人は始終恍惚の表情で「バンドって、いいね」って言ってた。。。笑
ほんと、ね。
幸せなことだよね。



そんな三国ヶ丘fuzzでのライブでした。

今、を生きろ。3

2010年06月08日 | 本音と実情

帰り道。
山々の空気がとても気持ちよく、去りがたく、
山の中腹にあったスペースに車を止めてお昼寝を。
木漏れ日までやわらかくて。
そのまま2時間ほど眠ってしまいました。

そのあと、さて、帰ろうと帰路についたところ、
来るときも通って気になっていた神社をまた通ったのです。
その名も「丹生川上神社下社」。
どうやらここは、日本最古の水の神様の神社のようです。
好きに生きるって決めたあとにすぐまた神社に吸い寄せられちゃうってどうよ?
とも思ったけれど。
めったに来るところじゃなし、お告げは聞かない、ご挨拶だけさせてもらおうと境内に向かいました。


そしたら。
ここで運命とも言える大きな出会いがありまして。
改めて私が歌うことの意味、そして鑑定師を続けてゆくことの意味を得られたように思います。
あまりに素敵過ぎる出会いだったものですから。
ブログに書くことがどうにもためらわれます。
また別の機会に。
個人的に聞きたいと望んでくださる方がいらっしゃったらその機会にお話します。


私が天河神社からまっすぐ帰ってしまっていたら。
お昼寝があとすこし長引いてしまっていたら。
好きに生きるって決めたのだから神社には寄らない、と通り過ぎてしまっていたら。
あそこで出会った4人の方々の一人でも欠けていたら。

きっと私は今も闇の中だったでしょう。
そして。その次の日のライブ、そしてその次のライブで大きな目覚めをもらうこともなかったかも知れません。


ここで私が得たものは。
年末で出会ったマイケルからもらったメッセージに精通するものでした。
2012年。
この年数が一体何を意味するのかはまだ定かじゃありません。
でも、そのために私が出来るかもしれないことがわかってきた。
使命だとか宿命だとか、そういう重苦しいものには感じられない、
もっとごくごく自然の、役割のようなもの。


この奈良に来て。
迷っていた私を本当に救ってくれたのは、人でした。
そしてその人にめぐり合わせてくださったのは、きっと、神様なのだと思います。
神様はただただ選択肢をくださるだけ。チャンスをお授けになるだけ。
私はそれを自分で選び、目を見開いて歩くだけなのだと。

私もそれを誰かにできるかもしれない。
きっと神様って存在よりもずっと近い場所でお手伝いができる。
そのための道具はもうすでに手の中にある。
そのための場所も、すでにある。
音楽も、歌う場所も。仲間もいる。
鑑定師としての方法も哲学も、能力もある。

あとは、
実践するだけ。
特別なことは何もいらない。
だってすでに手にしてる、手にしてきたじゃないか。


こないだ朝までお話してくれたミキさんの言葉がリフレインするようでした。
「歌って、鑑定して、それがリカちゃんじゃない。」って。


ああ。
この道を選んできたのはこのためだったのかと思えば。
今まで辛かった事もこれから辛いであろうことも、なんでもないことに思えてきました。


私は、私の役割をまっとうしよう。
それを阻害してしまうもの、よどませてしまうものからはさよならしよう。

 

ここに連れてきてくれた全ての出来事、関わってくれた全ての存在に感謝します。
本当に、ありがとう。

望んでいた場所はここではないどこか、じゃなかった。
たった今、こここそが。
私を活かす場所であり、生かされている場所。


生かされているのだから。
活かしていこう。
この場所を、今を、活かしきろうと思います。


神主さんにいただいた言葉の一部を、ここに書かせていただきます。

日本は無宗教であり、多神教なのです。
すべてのものに神様は宿っていると考えられてきた。
だから日本がさまざまな宗教を受け入れることはごく自然なこと。
自分だけじゃなく、いろんな存在が神様としてそこにある。
だから自分じゃない誰かを気遣うことができる。
それが、日本人の心なんです。

神社は神様が居るところではない。
神様なら、道端にある石ころにも宿っていますから。
神社は、人の心を解き放つ場所なんです。
神様が居ることを忘れがちになる日常から、穢れ、つまり気が枯れて元気がなくなったとき
もう一度自分を思い出す場所であり、感謝発起を思い出す場所なんです。

 

生かしていただいてありがとうございます。


今、を生きろ。2

2010年06月08日 | 本音と実情

難波に到着し、そこから電車で三国ヶ丘へ。
三国ヶ丘で車をレンタし、ダリンと共に奈良へ。
二人っきりの旅は久しぶりです。
少し楽しくて、でも少しさびしくて、そんな不思議な感じで奈良県へ突入しました。

奈良県へ入ったとたん、空気が一気に変わるあの感じは一体なんなんでしょうか?
ツアー中、移動のために少しだけその県をつっきることがありましたが、
それだけでも空気が全然違う。

奈良、三重、京都、この三県はすぐわかります。すげえっすよ?
車の中にいてもわかる空気の違いは、やっぱ神のおわすとこだからでしょうか。


天河大辨財天のある天河村を目指し、山々を縫って駆ける時間は本当に気持ちよかった。
新緑のふきだす木々、木々、木々。
山、山、やま、
宝石のような川。
どれもこれも言い表しようのない心地よさにあふれてて、
なんだかぐんぐん元気になる感じ。

地図で天河村を見たときに勝手に想像してたのは
うっそうたる森の奥地、でしたが、全然違う!
もっと軽やかで美しくて、天女の羽衣のような緑ばかりでした。

なんだかもー、すんげーテンションあがっちゃって。
車の窓をおろして叫んじゃいました。

「こんにちはーー!!葛飾区から来ましたーーー!」
って。笑。
ダリンは隣で大笑いしてました。


そして到着。
思っていた以上にこじんまりした神社。
山と山の間にあるここは時間がとまったような、音がほとんどないところでした。
ただ、さーーっと流れる水の音だけがある。

そんな中、バイクで到着した3人の旅の方々がやってきまして。
「ここってパワースポットなんでしょ?」
と、どやどやとやってきた。
あ、う。
ちょっとニガテなタイプの方々。
境内から本殿から遠慮なくパシャパシャカメラを撮って、
本殿のとなりに置いてあった大太鼓までどんどこ素手で叩いてらした。

人のする事は基本的にジャッジすべきじゃない、とはいえ。
畏れを知らない日本人が増えすぎです。

パワースポットがどうとか言ってたけど、ここ天河村全体がすでにパワースポットじゃい。
そんなんも感じられなくなっちゃった癖になんでパワースポット、パワースポットと騒ぐのでしょうか。


ま、でも。。。
窓おろして叫んでた私も似たようなものなのかな。。。
ちょっと反省。ごめんなさい。


そういう人間の勝手な部分も全部受け入れてくださる神様って本当に、本当に。。
ああもう、言葉になんない。
頑張って生きなくちゃ、って思うばかりです。

 

本殿にお参りさせていただいとこ。
天河大辨財天さまは背を向けたまま、ちらともこちらを向いてくださらなかった。
「何も言うことはない、さっさと去ね。」
「今のお前には何も言うことはない、天の岩戸を3枚くらい開かないとたどり着けないとこに居るから。」

と、おっしゃって、あとはブドウをお召しになってた。


あ、ちゃー。。。


おみくじをひかせていただいてもやっぱし「凶」。
さすがに落ち込んで、その意味を飲み込むまで境内にあったベンチに座らせてもらって
じっくり考えさせてもらってました。

ダリンもおみくじをひいたのですが、お告げとおんなじことが書いてあったそうです。
私のおみくじは浅草寺でいただいたのと似たような内容。
何をしても全然ダメ。とにかく深く反省して神仏にすがりなさい、と。
すがる気持ちでここへ来たのですが、うむむ。
その神様に「何も言うことはない」と言われちゃったら。


これはもう、決定的です。
「好きに生きろ」ってこと。


つまりは、自分ですべて決めなくちゃダメなんだと思ったのでした。
おみくじやお告げをもらおうとする姿勢が今の私にはダメなんだわ。

わかった!天河大辨財天さま。
とにかく自分で岩戸を開いていくよ!

落ち込んでてもしゃーない。
さて、帰ろうか。

でもその前に。
お守りを誰かに買って帰ろうかな、と社務所を訪れると
さっぱりとした薄茶色の袈裟衣を来たお巫女さんがにこにこと近づいて来てくださって。
お守りそれぞれの値段やらをうかがいながら、実はおみくじで凶が出て少し落ち込んでいたんですって話に。
そしたらお巫女さんは春風みたいにふふって笑って
「ウチは凶が多いんです。だから全然お気になさらなくて大丈夫ですよ。」
とやわらかい京ことばでおっしゃった。
ああ、なんだろう。この感じ。
一見さんお断りを食らった修学旅行生が旅館の女将に優しく慰めてもらったような。
威厳ありすぎる営業先でお叱りをくらったあとに、
そこの秘書さんに「ウチの社長はいつもあんななので。」と
お茶を出してもらえたような。


天河大辨財天社のお巫女さんはお巫女さんっぽくない方が多かったです。
昭和のお母さんを思わせてくれる安心感。
素敵だなぁってぽーっとなっちゃいました。
あの時お話してくださったお巫女さん、ありがとうございました。

 

そして、バスの中で反省してたことを改めて決意。
霊感は、封印します。

神社やお寺におまいりにいってもご挨拶だけ。
お告げは、いただかない。
まずは自分で今を生きなくちゃ。


そんなこんなで天河大辨財天を後にしました。


今、を生きろ。

2010年06月08日 | 本音と実情

6/3の夜22時半。
東京を出発したバスの中、私はほとんど眠れませんでした。
昼間に行った浅草寺でもらったおみくじの内容と、
久しぶりに出た「凶」という意味をじっくり考えていて。
そしてそのまま思考は過去をたどり続けました。

大学を卒業してバイトに明け暮れていたあたりからスタートし、
まだ歌うことが怖くて怖くて仕方なかったあの頃の私と一緒に
深夜の高速をカーテンに仕切られた長細い部屋の中で巡らすのです。

まるで脳内映画館。
鮮明に思い出す過去たちは
今よりもずっと真摯で今よりもずっと怖いことだらけで
今よりもずっとドラマのような生活を送っていたこと、
そして、ずっとそばで支え続けてくれていた歴代彼氏たちのありがたさと
一緒に表現していた仲間の熱さを感じて胸にこみ上げるものがありました。

霊感と呼ばれるセンサーを磨き始めてから、
私の時間はどうやら少し違ってきてしまっていたようです。

足元にある地雷に気付けるから?
未来がわかるから?
霊視は便利?とんでもない。
おかげで知らなくていい情報を知らされて失うものの方が多いことに気付いたのです。
未来の情報に踊らされて今をしっかり踏みしめることが出来なくなっている臆病者の自分に気がついた。

ああ、なんて無様。

私は何がしたくて新卒就職を捨てたのか。
迷いなんて、髪の毛一本分もなかった。
安定した生活を送ることで私が私を見失い、誰かの決めた幸せとやらを堪能する恐怖。
そして自分じゃない誰かの満足の中で飼いならされて死んでいく私のスピリット。

視界に入った笑顔がぐにゃりとまがりそうになる、
そんな世界から抜け出したかったから、
私は故郷を捨てたのに!
私は「生きて」いたかった!
わたしは「私」を生きていたかったから、だったのに!


バスの中でこっそり泣いてました。
愚かさに、自分の弱さに泣きました。


それでも、鑑定師という職業を捨てきれない逡巡たる思いの答えはどこにあるのか。
これは一生続くのか。
こんな愚かな私に人の人生の糧となる何かをお渡し続けることができるのだろうか。
純粋に誰かを助けたいという気持ちは嘘じゃない。
でもそれで金銭をもらってよいのか。
今をしっかり踏みしめることのできない私がいたように、
そんな第二、第三の私を量産してるだけにすぎないのではないか。

もしかしたら。
その答えは奈良で得られるかもしれない。

朝日の中難波へ到着し、そのまま天河大辨財天へ向かったのでした。