光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

雑感174(人格の遠近法)

2019-04-18 | 絵画
私のような作風は一見して遠近法を
考えていないと思うかもしれない。
しかし、画面の奥へといざなうための
表現を心がけているし、
成功したと思われると完成です。

一般的な写実、あるいは具象的な表現の作風の、
遠近法とは違ったものかもしれないが、
かなり遠近を意識して制作をしている。

写実、あるいは具象画の絵は、
画面の中の遠近を、つまり近くの物は近くに、
遠くの物は遠くにあるように表現されている。
それらは一見して遠近法があるように感じられるが、
必ずしも、それがあるわけではないから鑑賞は難しい。

抽象画でも、あるいは書道の字でも、
遠近が作品の中にあるものです。

遠近法がある作品は、
画面から、その奥へといざなう、
見る人を受け入れて大きく包んでくれる。

見る人を讃えて受け入れてくれる。
人はたぶん誰でも自らの存在を良しとして、
受け入れてほしいと思っている。

遠近法がある作品と、
見る人とが心で感応しあえるから、
受け入れてくれるから感動が生まれる。

最近しきりに考えているのは、
考えるというよりも直感的に分かったことですが、
絵画の中に遠近法があるかどうかを考えている時に、
翻然と分かった。

人間にも、
遠近法がある人と無い人がいるという事実に気がついた。
遠近法に当てはめて作品を見るように、
人にも当てはまることに気がついた。

対象の人は子どもではなく大人です。

遠近法の無い人は、
作品でいうところの奥行が無いわけですから、
印象としては受け入れではなく、
他者への拒絶です。

たぶん、そういう人は拒絶しているとは思っていない。

遠近法が深くある人から、
浅い人、そして全くない人、
本当に個々にそれぞれです。

ようするに包容力のある温かい人間性がある人格に、
遠近法があるということです。

作品の評価にたとえば、
酷いレベルでも、
祭り上げられたら遠近のないまま、
偉いと錯覚したままということになってしまう。

人も同じですね、
他者の考えを相手の立場に思いをはせることも、
それをしょうともせずにいたら、
他者の、ささやかな心の一片さえ拒絶するとしたらば、
平面のキャンバスそのものです。

人格が平面そのもので、
奥行が無い、遠近法が無いことになる。

遠近法のある大人であるかどうかを、
自戒をこめて思うことが近頃多いです。

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