光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

近鉄百貨店橿原店にて

2013-10-24 | 絵画
近鉄百貨店・橿原店での二人展が近付いてきました。

すずきゆきお・村岡顕美
洋画二人展
会期は11月28日(木)~12月4日(水)
関西地区にお住まいの方々のご来場をお待ちしております。

近鉄橿原店の展示は今年5月の個展以来となります。

DMの案内文を以下に

「橿原店でおなじみの作家、すずき・村岡両先生による初の
二人展を開催いたします。すばらしい個性の競演を
お楽しみ下さいませ。」

  メインサイト『すずきゆきおの世界』 

===================== 
すずきゆきお・村岡顕美 洋画二人展
2013年11月28日(木)~12月4日(水)
最終日は午後5時まで

近鉄橿原店 5階 美術サロン橿原市北八木町3-65-11
TEL:0744-25-1111(大代表)
=====================

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ ブログランキング・にほんブログ村へ

どこに行きたいのですか?

2013-10-22 | 絵画
マロン(犬)と手枕坂を上り切ったとこで声をかけられた。
この道を下がると何処に行くのですか?
老夫婦に訊かれた。

私より、たぶん10歳ほど年上の夫婦?
あるいは私と同じぐらいの年齢かも?

鏡に写る自分を、どうやら実年齢より
10歳ぐらい若く見積もって見ている私ですから、
たぶん同世代でしょう。

あの~、どこに行きたいのですか?駅ですか?バス停ですか?

私が散歩する場所のお寺は曹洞宗の総本山で
広大な境内と墓地の敷地。
参拝者や墓参、あるいは観光で来た人たちが、
方角が分からなくなり迷うようで、
よく道を訊かれる。

引っ越してきたばかりで、どんな場所なのか探索です。

では、この坂を下っていくと右手に仁王門、左にというか正面に勅使門。
その奥に仏殿・・・と教えた。

たったの3点セット。情報は多すぎると混乱しますから。

散策なら、それが楽しめるように地理を教えるが、
駅に行くならば迷わないように地理を教える。

絵におきかえれば、何を描きたいのか、なぜそれをモチーフにしているのか、
それを曖昧模糊では第三者に語りかけられない。

たんなる呟きの独り言になってしまう。
私は、生徒に向かって、
あなたは何を訴えたいのか、どうしてその色なのかを訊く。
その答えが正確になるまでキャッチボールをする。

気の向くままの散策でも、何々辺りをブラブラするとかの目的がある。

まして絵の制作では、
今、何をしているかを制作の中でたえず問いかけなければ。

色彩と形象での問いかけ。
何ゆえにこの色なのかを問いかけるわけです。
一瞬の閃きのような感性を育てるのは、
自然発生というわけにはいかないのですね。

  メインサイト『すずきゆきおの世界』 


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ ブログランキング・にほんブログ村へ

制作モードへの切り替えは。

2013-10-20 | 絵画
今日は制作モードに入りづらかった。
雨が降っているからという訳でもない。

だからと言って休むのはシャク。
アトリエに置いてある本を拾い読みをしていたら、
その本の内容とは全然無関係に、
今、描いているものが、どうして腑に落ちないかが分かった。

アトリエで手元にある本は、
既に読んだものしか置かない。
絵とは、まるっきり無関係ないその本を、

拾い読みとは言えない、
ただパラパラとページをめくっただけの約数分だったが、
今、描いている10号の絵が腑に落ちないのが、
何ゆえに躓いて先に行かないのかが分かった。

七分ほど進んでいた制作でしたが、
壱からやり直し!

前のイメージの形象が消されていく。
ほんのわずかの構成のズレが気になっていて、
それを直すにはリフォームでは駄目で、
建て直すしかないのが分かったから、
壱から出直しです。

制作の出口が方向性が見えてきたので、
雨が降っていても気持ちは晴天になっていく。

拾い読みの文字の中に、
確か、「金融に支配される世界」という文字があったような気がするが、
仙人化を目論む私には縁遠い文字ではないか。

たんなる、残像としての文字。
だとしても私には考えられない
私の作品とも、まるっきりかけ離れた世界。

こういう不思議こそパラレルワールドだろうか?

  メインサイト『すずきゆきおの世界』 


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ ブログランキング・にほんブログ村へ

イメージを狩り入れる時はふいに訪れる。

2013-10-13 | 絵画
ランダムに色を塗っていくのを、
延々と続けていく過程は、
作物が自生してくるのを待つ
気の長い農夫のようかもしれない。

ただ一瞬のタイミングの時は農夫から狩人に変わるのです。

ランダムに色を塗っていくだけでは絵は仕上がらない。
意識の作用は不思議でランダムにしていながらも、
表面のみの調和された画面に整えようとしてしまう。

それではイメージは生起しない。
袋小路に陥ってしまう。

そこから脱出するために、
わざというか、破れかぶれに調和されてきた画面上に、
破調をきたすことを試みる。

するとその破調を修正しようと意識はするものです。

その作業の中で、
突然に、一瞬、姿をあらわすように、
イメージの片鱗が見えてくる。

この時、農夫から狩人に変貌する。
イメージの片鱗を捕らえるのですね。

とらえたら、
イメージが生成しやすくするために、
今度は狩人から農夫になるのですね。

ランダムな色と形の集積を、
イメージを生成させるものへと形象させていく。

その作業の過程に言葉もあらわれる。

たとえば「顕れる」という具合に。

あるいはプネウマのようならば、
「いのちの風」という具合に。

その時々によって「・・・」は、さまざまである。

作画を言葉で表すと、
何て分りにくく理屈っぽいのだろう。

音楽家は言葉の前に音を楽しむと思うのですが、
同じように画家は色彩と形を心地よくしようと楽しんでいるのですが、

言葉で説明すると、何だか訳が分かりづらくなってしまう。(苦笑)


  メインサイト『すずきゆきおの世界』 


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ ブログランキング・にほんブログ村へ

アウトプット !

2013-10-03 | 絵画
インプットとアウトプットという言葉を、今、まさに今考えていた。
制作を数日休むとスムーズに表現するのが難しかったりする。
アウトプットする回線が繋がっていないのか、
なかなかスイッチオンにならないこともある。

たえず休まずに制作をしていると、
頭で、あ~でもない、こ~でもない!と考えるよりも早く
イメージが自生してくるものだが、
つまりアウトプットしやすいモードに入っている。

つまり井戸は汲み出さなければ水はない。

若い時はインプットするのに夢中だったが、
美術だけではなく様々な分野も貪欲に知りたい、
吸収したいと励んだが、

初老の今は、
アウトプットの比重が多くなっている。
多様な展覧会が開かれていても、
自分が必要としないものは行かない。

その意味においてもインプットは少ない。

現実問題として間違いなく残りの時間は少ないであろう。

アウトプットが主にならざるをえない。

そうは言っても手元に読みかけの本が、
常時、数冊あるし、
じっくり聴こうと思うCDもある。

ゴミのようなテレビや新聞は殆ど見ないし読まない。
それに費やすのは一日に延べ10分くらいかな。

残り時間の残量が分からないから、
なおさらアウトプットです。

創作の井戸は、
制作によって汲み出さないと水が枯れますからね。
なおさらアウトプットです。

  メインサイト『すずきゆきおの世界』 


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ ブログランキング・にほんブログ村へ