光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

雑感137(ともかく笑顔)

2016-08-25 | 精神世界、道徳
先日のことです。
何気なくショーウインドーを見た時、
不機嫌そうな顔をした初老の男性の姿が映っていた。
ぎっく!とした。
自分の顔ではないか。

かねてから私の持論というか偏見を持っていて、
世の中、不機嫌な、あるいは怒ったような顔をしている、
おじいさん、おばあさん、が多いと思っている。

苦虫を噛みつぶしたような顔をして歩いている。
特に男性のほうが多い。
その例にもれずに私がショーウインドーに映っていた。

今朝、妻が、
なるべく努めて朗らかに笑って過ごしたいわね。
何があっても、笑っていたい。

あなた(私のこと)近頃、
何となく鬱々していて、...らしくない。

そうかな?

そうよ!
何でも良いから笑って朗らかにするようにしたい。

朝が早いのに電話のベルが鳴った。
電話の用事が終えたら、
水道を使っていたのに
水道の栓を閉めるのを忘れた。

あなた、水道の栓を絞めていない。

いつもなら弁解するところ、

さっそく実行。

はっはっ!と作り笑いの馬鹿笑いをしたら、
妻も作り笑いで、はっはっ!と応じた。

馬鹿らしくなって本当に可笑しくなって、
次々と何ってことないことに、
いちいち可笑しくなって二人して笑っていた。

歳をとるとホウレイ線の関係で、
不機嫌でなくても怒っているように見えるものです。

ですから、
おじいさん、おばあさんは、
心がけて、
微笑むくらいでないとまずいよね。

しげしげとお互いの顔を見ていると、
本当だと思って、
またゲラゲラ笑ってしまった。

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
(テサロニケの信徒への手紙、5章16~18)」

天の石屋度に天照大御神が隠れてしまうと、
地上は真っ暗闇になってしまい、
禍々しいことがわき上がった時に、

天のウズメノミコトが、
剽軽な踊りをすると神々が笑ったという話しが、
「古事記」にあります。
そして笑い声につられて、
天照大御神が岩屋度から出てくると、
また明るい世の中になった。

笑いが禍々しさを吹き払っていく
キッカケになっていった訳です。

聖書から古事記から引用せずとも、
笑うことは良い。

不機嫌に小言を言いがちな私は、
それを初老のせいにせずに、
ともかく笑って朗らかにしていたいものです。

世の中の矛盾も、
笑って笑い飛ばすのが良いかもしれない。

今日は特に愉快なことがある訳ではないが、
何だか朝から朗らかな気分になっている。

鬱々していて気分が晴れていないとの、
妻からの指摘は驚いた。

図星です。

年齢と共に笑わなくなっていくものを、
まして鬱々とさせる事があっても、
だからこそ、
笑って笑い飛ばせ!です。

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雑感136(新たな一歩)

2016-08-19 | 精神世界、道徳
時間を小まめに作って断捨離をしている。
マトマッタ時間を作ってから、しようと思っていると、
たぶん断捨離をするのが面倒になって、
結局は何も手をつけることが出来ないと思う。

過去の自分を、もう今の自分には不必要なものを捨てるのが、
断捨離だというのだろうが、

それにしても、
今となれば不要な物を大事にしまっているものです。
背広も2着残して捨てた。
デパートの外商に友人がいた関係で、
10年ぐらいに亘って上下の背広を注文していた。

既製服ではなく注文服ですから、
身体にぴったりと合って、
そして何よりも品物が上等だった。

外商の友が退職するまでは、
背広を作るのを付き合って買っていたが、
今は上下の背広を着る機会はほとんど無いので、
2着を残してほとんど処分した。

勿論のこと本も、かなり多く処分した。
先日は履かない靴も処分。
どうしてこんなに使わない傘があるんだろうか、
よって傘も、
写真も、そして書類も手紙も処分した。

箇条書きをすれば項目別に、
まだまだ多くの種類の物を捨てている。

断捨離をすると風水に良く、
運命が開けると誰かに聞かされたことがあるが、
別にそういう期待を持ってしているわけではなく、
もっと現実に即した考えの元に、
断捨離をしている。

私も妻も高齢者の仲間入りをしているが、
まだ共に、それぞれの仕事がある。

今、まだ幸いにして健康で、
行動の範囲も含めて以前と変わらないでいても、

いつか、近い将来に、
片づけたりするのが億劫になると思う。
今の体力が5年先、10年先にもあるわけがない。

今の内に断捨離をしておかなければと思ったわけです。
父の介護を数年した経験が断捨離をするキッカケになっていると思う。

それと同時に、
自分自身の絵画を総決算していくには、
過去の自分として不要になったもの、
さらに必要とするものを区分、整理しなければ、
それを、しっかりと自覚するためにも断捨離が必要ということです。

とは言っても、
断捨離で物を処分することは、
どこか後ろ向きの考えかもしれないと思ったりする。

何かを捨てるということは、
かなりエネルギーを使う。

疲れもする。

親友の神父に、
雑談している時に、
断捨離は、どこか後ろ向きの思いにとらわれて、
気分が落ちこんだりする。
人生のお終いを意識する終活の一環を
具体的にしているような気がする。

すると、
神父は一言いいことを言った。
断捨離は新しい出発の準備だから、
すごく希望にあふれているんだよ。

すずきがいつも描く新たな日、
新たな一歩だよ。

少しばかり気持ちがブルーな私は、
持つべきは友だなと改めて実感。

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雑感135(あくまでも下絵は下絵)

2016-08-12 | 絵画
手作業というのは経験の分量がモノをいうところがある。
私は下絵を元にキャンバスに描くことは、
あまりしないが、時おりドローイングを元に制作をする。
ドローイングそのままに仕上がっていく時もあれば、
意識して脱線していく時もある。

かと思えばドローイングそのままに仕上げたいと思ったのに、
どうにもウマクいかないこともある。

要するに実際にやって見なければ分からない。
画家は職人でもあるから、
制作もドローイングも手仕事です。
自らが望むように手が動かなければならない。

どんなに深い哲学、思想を持っていたとしても、
それを体現させられるのは、
手でしかない。

その手がいかに不自由であるかと自覚させられるから、
また明日も制作しようと思うわけです。

話しは、いつものように脱線してしまうが、
例えば宗教家がいたとする。

頭の良い人で宇宙大の知識から微細な事柄も含めて、
博識でなおかつ話術も長けているとする。

たとえば人に親切にせよと説教しているのに、
現実の生活においては人に冷淡であるかもしれない。

素晴らしいことを説いても、
実際の行動が日々に伴なわければ人を導く宗教者とはいえない。

身近にいる人に親切にするのが出来ていないのは、
画家ならば手が目的に適って動いていないわけです。

言うだけは簡単です。
行いがあってこそ価値があるというものです。

話は、さらに脱線します。

先般の都知事選で、
ある候補が、
政策は3日もあれば準備できると言ったそうですが、
政策は実行して初めて青写真通りにいかない所が
露出していくもので、
そこから始めの第一歩のはずです。

仮に政策がどんなに立派でも、
行動が伴わなければ、机上の空論であり、
画家のたとえで言えば、
要するに手が無いといえる。

どんなことでも行動して初めて分かるものです。
この候補はジャーナリストゆえに、
他を批判糾弾することしかしていなかった。
自ら何かしらを築き上げたことが無い人なのですね。

翻って私自身のことを思うと、
自分の手作業に満足する時は、
考えている内容と表現があまり乖離することがない時だと思う。

手作業と思いが、あまり乖離していないのは、
ある意味幸せなのかもしれないが、
冷静に省みれば、
もっと考えを深化させて手の作業が、
それに比例させなければいけない。

頭だけでいくら考えても、
まず手作業をしなければ画家は何も生み出せない。

逆も真ということもある。
手作業が頭を作り内容を深化させる。

手を通しての行動しか内面を表せない。

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雑感134(半分夏休み状態)

2016-08-05 | 絵画
半分夏休み状態というタイトルです。
いつもは夏休みとは無縁で、
コツコツと暑い中、制作をしていましたが、
今年の夏は、少しゆっくりして自分を省みようと思いました。

すると省みる暇は孫の世話に充てられている。
祖父さんの役割と思って楽しんで孫守りをしているが、
つくづく子育ては若くなければ出来ないと感じる。

毎日休むことなく仕事や子育てが出来るのは、
若い夫婦だからこそ可能なことで、
時おりのピンチヒッターだからこそ、
祖父さん祖母さんでも孫守りが出来るというものです。

そうです。
普通はプールで一緒に水遊びしたり、
もしくは泳がないほうが無難です。

慣れない身体の使い方をすると、
翌日はそれこそ寝込んでしまう。(苦笑)

老いた年齢からくる体力の低下を意識せざるをえない。

まあ、私の今の体力からすると、
たまに孫と遊ぶのが丁度良いところです。

体力的に、あまりハードにしないことです。

とは言っても空手の基本技をして見せたりする。

疲れが溜まらない範囲内ということですが。

半分、夏休み状態といっても、
制作はペースが落ちても、
それなりに進んでいる。

それは孫が証明している?
我が家の孫は必ず遊びにくるとアトリエを覗く。

先日、小一年の孫がアトリエの絵を見せて!と言うので、
見せたところ、

この前より、
描きかけの絵がだいぶ進んだね!
なんて一丁前の事を言う孫。

その後は、必ず孫たちは刺激されるのか、
お絵かきをする。

話しは、あちらこちらに飛びますが、
今日、所属教会へ初金ミサに行った。

主日ミサも、
ほとんど皆勤ですが、
ミサの時はいろんな雑事から心を放つことが出来る
黄金タイムです。

残りの時間を意識せざるを得ない初老の身は、
これからの時間を、
本質的な事のみだけを関心としていきたいと思うと、
雑事を超越したミサが、
制作の源泉になることがあると気づかされる。

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