今日、友人の K が神父をしている
日野市のカトリック高幡教会に行ってきました。
以前にも、K のことを書きましたが、
彼が神父になって、2 0 年です。
だいたい 6 年ごとに赴任する教会が変わるたびに、
私は、その地を一度は訪ねて行ってます。
しかし、まだ K のミサを受けたことがないのです。
それもそうです。
私はクリスチャンではないですから。
K が俗世の仕事を経て、
上智大学神学部に入ったのが 3 6 歳、
司祭の叙階式は、4 3 歳の時ですから、神父としては遅い出発でした。
K の聖職者として生きていくことを祝福して、
私は家族で叙階式に参列しましたが、
あれからもう 2 0 年経ちました。
そしていつか、
K がおこなうミサに参列して見たいという気持が
ありましたが、今までの赴任地は日帰りで
日曜の朝のミサに行くには遠すぎた。
4 年前に赴任した高幡教会は、9 時と 1 1 時のミサがあるというので、
1 1 時のミサならば横浜からでも充分に間に合うので、
出かけたわけです。
それでも、片道 1 時間半はかかりますが。
私は二十歳頃、教会に通ったことがあるので、
ミサは 4 0 年ぶりでした。
4 8 年の付き合いの大の親友の K のミサですから、
感慨深いものがあって、涙腺が弱くなっているのか、
花粉症でもないのに涙か滲んできたのは、
まるで保護者のような気持だといったら、K は笑うだろうか?
ミサは、説教のみならず、
祈りも荘厳で、普段会話する時とは別人のように威厳があつた。
カトリックの長い伝統からくる儀式の重みに荘厳さは、2 0 0 0 年の
重みでしょうか!
やはり伝統が持つ信仰の厚みというものでしょうか!
それプラス、K の神に対する信仰と人々に対する愛あふれる人柄から
くるものがミサを親密なものにしている。
私と同じく妻も感激したようでした。
写真は、カトリック高幡教会です。
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メインサイト『すずきゆきおの世界』
日野市のカトリック高幡教会に行ってきました。
以前にも、K のことを書きましたが、
彼が神父になって、2 0 年です。
だいたい 6 年ごとに赴任する教会が変わるたびに、
私は、その地を一度は訪ねて行ってます。
しかし、まだ K のミサを受けたことがないのです。
それもそうです。
私はクリスチャンではないですから。
K が俗世の仕事を経て、
上智大学神学部に入ったのが 3 6 歳、
司祭の叙階式は、4 3 歳の時ですから、神父としては遅い出発でした。
K の聖職者として生きていくことを祝福して、
私は家族で叙階式に参列しましたが、
あれからもう 2 0 年経ちました。
そしていつか、
K がおこなうミサに参列して見たいという気持が
ありましたが、今までの赴任地は日帰りで
日曜の朝のミサに行くには遠すぎた。
4 年前に赴任した高幡教会は、9 時と 1 1 時のミサがあるというので、
1 1 時のミサならば横浜からでも充分に間に合うので、
出かけたわけです。
それでも、片道 1 時間半はかかりますが。
私は二十歳頃、教会に通ったことがあるので、
ミサは 4 0 年ぶりでした。
4 8 年の付き合いの大の親友の K のミサですから、
感慨深いものがあって、涙腺が弱くなっているのか、
花粉症でもないのに涙か滲んできたのは、
まるで保護者のような気持だといったら、K は笑うだろうか?
ミサは、説教のみならず、
祈りも荘厳で、普段会話する時とは別人のように威厳があつた。
カトリックの長い伝統からくる儀式の重みに荘厳さは、2 0 0 0 年の
重みでしょうか!
やはり伝統が持つ信仰の厚みというものでしょうか!
それプラス、K の神に対する信仰と人々に対する愛あふれる人柄から
くるものがミサを親密なものにしている。
私と同じく妻も感激したようでした。
写真は、カトリック高幡教会です。
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