光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

親友の K 神父のミサ

2009-05-31 | 神社、寺院
今日、友人の K が神父をしている
日野市のカトリック高幡教会に行ってきました。

以前にも、K のことを書きましたが、
彼が神父になって、2 0 年です。
だいたい 6 年ごとに赴任する教会が変わるたびに、
私は、その地を一度は訪ねて行ってます。

しかし、まだ K のミサを受けたことがないのです。

それもそうです。
私はクリスチャンではないですから。

K が俗世の仕事を経て、
上智大学神学部に入ったのが 3 6 歳、
司祭の叙階式は、4 3 歳の時ですから、神父としては遅い出発でした。

K の聖職者として生きていくことを祝福して、
私は家族で叙階式に参列しましたが、
あれからもう 2 0 年経ちました。

そしていつか、
 K がおこなうミサに参列して見たいという気持が
ありましたが、今までの赴任地は日帰りで
日曜の朝のミサに行くには遠すぎた。

4 年前に赴任した高幡教会は、9 時と 1 1 時のミサがあるというので、
1 1 時のミサならば横浜からでも充分に間に合うので、
出かけたわけです。

それでも、片道 1 時間半はかかりますが。

私は二十歳頃、教会に通ったことがあるので、
ミサは 4 0 年ぶりでした。

 4 8 年の付き合いの大の親友の K のミサですから、
感慨深いものがあって、涙腺が弱くなっているのか、
花粉症でもないのに涙か滲んできたのは、
まるで保護者のような気持だといったら、K は笑うだろうか?

ミサは、説教のみならず、
祈りも荘厳で、普段会話する時とは別人のように威厳があつた。
カトリックの長い伝統からくる儀式の重みに荘厳さは、2 0 0 0 年の
重みでしょうか!

やはり伝統が持つ信仰の厚みというものでしょうか!
それプラス、K の神に対する信仰と人々に対する愛あふれる人柄から
くるものがミサを親密なものにしている。

私と同じく妻も感激したようでした。

写真は、カトリック高幡教会です。

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見え方

2009-05-29 | 絵画
絵を描きはじめの習いたての人が、
物の見え方が違ってきたと言う人が多いです。

絵を描いていない時は、
物を見ているようで
見ていなかったことに気づいて驚くようです。

観察力が以前より細かく、深くなるのですね。

風景に限って言えば、
自然の草花や樹木の色あいの微妙なことを、
葉の緑の濃淡などに気づくようです。
勿論、絵を描き出す以前からも、
それらを見ていて風景を味わっていたと思うが、
その味わいの深さが違うと一様に言います。

私も絵を描きだした 4 0 数年前、
同じように感じたことを思い出しますが、
今は絵画的な捉え方は常態になっているので、
絵を描く以前の感覚を思い出せないほどに
忘れているが、初心の人に手ほどきするなかで、
初心の時の気持を思い出すことになる。

初心の人達が
異口同音に見え方が違ってきたと喜ぶのを
見るのは嬉しいものです。

しかし、初心から少し経験がついた時が、
大きな分岐点があるように思う。

初心の時に見え方が激変して感動した気持から、
慢心虫が腹の中に棲息してしまうことが
時として有るようです。

器用に写せるようになると、
マチスよりマシではないかと、
とんでもない勘違いをすることも有るようです。

勘違いをする人は
感性だけではなく、
美術史を自分なりに咀嚼するなり、
哲学的に考えていき、
自らの未熟さを覚らなければならないですから、
それを、覚らせることも
指導には必要かなと思う。

趣味で楽しみで描く人こそ、
なおさら、
謙虚さがなければいけない。

たとえば横浜の港や町並みを描いているスケッチの
グループの人たちを見かけるが、
概ね絵を描いている自分達を誇示して
得意げにしているように見える。
自分達は高尚なのだという衒気が匂うのです。

少しの科学的な知識が、
人を神秘に驚いて考察する心を失わすように、
芸術を少しカジルことによって真の芸術から遠くなると言う
のも有ると思う。

くだんのスケッチしているグループの面々は、
皮肉なことに、絵画的に見ようと意識過ぎて、
自縄自縛になって自由さを失って感性も磨耗しているように
見受けられた。

他所の人ですから何も言わずに
素通りして行きますが。

慢心という虫と自信という虫は
似ているようで違うのです。

謙虚にして励むことにしか、
美という存在は姿を顕さないですから、
絵を描く嗜みが慢心を生んでいるのであれば、
気の毒なことです。

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左手も使う

2009-05-26 | 絵画
制作が完成に向かっていく時に、
描きこみながら進めていくと同時に、
あまり描きこんでいないように描いていきます。

未完成のようにしたまま、完成させたいわけです。
だから描きながら、
描き進まないようにして制作をしているのです。

作為をしていながら、
無作為のように制作を終えたら理想だと思っているのです。

俗にいう上手い絵になることを避けたいので、
利き腕だけで描くと手際のよさが出てしまうので、
左手も使うようにしています。

左手は右手ほど使えずに自由になりませんが、
その分、計算外の面白みが顕れることがある。
だからと言って、
その計算外を意図したら左手を使っている意味がないし、
無意識というか潜在意識からのパイプが詰まってしまう。

手際の良さや上手さは、
絵を仕事にしてれば当然持っているわけですが、
だからこそ、
手際の良さを見せずに仕上げたいと思うのです。

それ以上に、
殊更に上手く見せようとする心や、
讃嘆をもらうことを意識してしまうと、
絵が卑しくなってしまうので怖いです。

初心の人が、ひたすら絵画の言語を身につけようと、
上手くなりたいと思う心は奨励しますが、
この場合の上手くなりたいと思うのと
殊更に上手く見せようと作為するのとは、
次元も意味も違うのですね。

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顎髭との二ヶ月

2009-05-25 | 日常
帯状疱疹を発症してから、
そのまま顎のところだけ髭を剃らなかった。

髭の長さは小さな鋏で調整しながらです。

なぜ、髭をたくわえようと思ったのか、
決してお洒落を目論んだのでは無かったし、
似合うと思った訳ではない。

では、何故かというと自分でも良く分からない。

先日、所用で電車で出かける時に
妻がインフルエンザの予防に車内はマスクしたほうが良いと、
さかんに言うので、
面倒だがマスクをしていたが、

「あっ!そうか」と思った。
妻は「マスクで髭面を隠しなさい」と言っていたのです。
暗に仄めかしていたのです。

つまり、「あなたには髭は似合わない」(笑)

一週間前に、次女からのメールで、
「お父さん、髭剃りましたか?剃ったほうが良いと思う」
メールも気になったが、それも無視していたのですが、

今日、突然、髭を剃りたくなった。

帯状疱疹の痛みも残っているが、
ほぼ治りつつあるから剃りたくなったのか?
髪が伸びてきたので、髪も髭もさっぱりしたくなったのか?

ともかくよく分からないが、
美容院に行くことにして、
その前に鋏でまず髭を切ってから
剃刀で髭を剃った。

そういえば
5 0 日前、美容師の O さんがカットしながら、
私の耳元で小さく呟いたのを思い出していた。

同意を求めるでもなく、さりげなく小声で
「髭って!すずきさん...らしくないワ!」(苦笑)

髭を剃った後の、
きれいさっぱりの顔を見た妻は、
「若返ったワ!少なくとも 7 歳は若く見える」
「髭面だと、少なくとも 1 7 歳は老けて見る」(笑)

「本当かな?それはオーバーだよ」

今日、美容院でカットしてもらっている時に、O さんに訊いてみた。
「 5 0 日前、小声で O さん!呟いたのを覚えている」

「覚えていますよ、
髭は、すずきさんらしく無いと言ったことを
覚えていますヨ!」(笑)

髭の二ヶ月間より短いが、
鼻水や鼻づまりが二週間ほど続いているので、
耳鼻咽喉科に行きましたが、

何が原因のアレルギーなのか、耳鼻科の先生が首を
傾げていたので、
「もしかして髭アレルギーですかね?」
と冗談を言ったら、その老先生にジョークは通じなかった。(汗)

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懇親会

2009-05-24 | 絵画
「金色の午後」というイタリアンで、
今日、塾生達を中心に懇親会をしました。
先般、4 月に開催した第一回光彩展の反省会と
来年の打ち合わせを兼ねた食事会です。

私宅に通っている人たちが主なので、
ほとんど個人指導に近いです。

全員が揃って同じ日に私の所に来るわけではないですから、
全員一緒に食事をするのは今日が初めてでした。

飲み屋ではなく、イタリアンでの懇親会ですから、
全員、女性達です。

絵を描いて発表して人に観ていただくことは、
進歩には欠かせないですから、
その場を作るために展覧会を開いた訳で、
これから継続も、発展も必要でしょうね。

私は、作家活動のみに専念したいという気持もあれば、
後進の人に教えることも、
先に歩む者としての使命ではないかという
思いもあるのです。

しかし指導するのも、
その人数は、あまり増やさずに個人指導に近い形態に
こだわっている。

絵を教えるとは何だろうか?と自問すれば、
たぶん絵だけではなく、
絵を通して掴んだ私の哲学なのかも知れない。

あるいは
喩えで言えば絵という言語を教えているのでしょうね。
一つの言語を習得したら、
その後は、どのような文章を書くかは、
それぞれの選択になるかと思う。

あくまでも文章の喩えだと断っておきますが、

手紙やハガキの文面、エッセイの文面、報告書の文面、論文の文面、
さらに小説の文体、詩のスタイル、等々。
何を書くかによって文章の文面、文体、スタイルが
当然違っていくように、

何を描くかによって絵画の表現スタイルが、作風がある。

まだ彼女たちは、
表現スタイルとかを問うところまで行っていませんが、
その萌芽の兆しを見て取れる人もいるので、
楽しみです。

女性達は何気ない観察にも、
男性とは違う細やかなものがある。

道すがら、花とかを愛でるさまは、
とても私は、あのように自然に花を愛でることは出来ていない。

そんなこんなで、
些細な会話でも新鮮な発見があるのですね。

教えるということは、
その逆の意味もあります。

教えることは、教えられることでもあるということが。

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