光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

同姓同名の人!

2013-03-27 | 日常
数年前から花粉症になっている。復活祭が近づく頃がひどくなり、
復活祭が終えると嘘のように治るのは何故?
時期が影響しているのでしょう。

一昨年、あまりにクシャミ、鼻水がヒドイので、
耳鼻咽喉科に行った時の話しです。

午後の受診が始まってすぐの時間は
空いているかも知れない?と、何の根拠もないが、
その時間に行ったのです。

受付の女性が、
私の健康保険証を見て、
「今、まったく同じ名前の人を受付ましたヨ~」と言う。
その受付の人の視線の先に、
ジーパン姿の初老の男性がいたので、
同姓同名の人は、あの人だと分った。

団塊の世代あたりを中心に、
男の子の名前は、ゆきおという名は多かった。

まして、鈴木という苗字は多い。

受付の女性が、
「同姓同名でも、分るように呼びますから大丈夫です」
と言う。
何が大丈夫なのだろうか?

久しぶりに見る同性同名の人を、
やはり気になるので、それとはなしに観察していました。

外見は、どちらが若く見えるだろうか?
どうでも良いことを、
判定しょうもないことを気にして、

間違いなく、「私のが若い」と思ったりして。

受付の人が、
大きな声で次の受診者の名前を呼んだ。

「耳ダレの鈴木さん~」

「は~い!」その男性は読んでいた週刊誌を置いて
診察室に入って行った。

私の番では何と呼ぶのか、
鼻水タレの鈴木さん?

「すずきゆきおさん、診察室に入ってください」
でした。

もう同姓同名の人が待合室にいないから
間違うようもないですから、
普通に呼ばれました。

私が受付が一足早かったら、
だぶん、受付の女性、
「鼻水タラタラの鈴木さん~」と呼んだに違いない。

二番で良かった。(笑)

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デッサン

2013-03-24 | 絵画
絵の基本として大事とされているデッサンは、
えてして描写するテクニックのみとして捉えられることがある。
年月をかけて経験すれば、自ずと描写は上手くなるが、
しかし、それだけではゴールにならない。

デッサンは絵の構成力であり、
物の見方であり、
広義の意味でいえば、
画家の人生観、哲学も含んでしまう。

デッサンに始まってデッサンに終わる。
つまり絵画そのものであろう。

以上、私のスケッチブックの余白に
書き散らしたメモからでした。

このメモ書きに関連すると思われる
関西の個展を企画する画商さんの
文章を以下に紹介します。

「ドガはデッサンについて「フォルムではなく
フォルムの見方」だと言っております。

デッサンはものの輪郭による配置ではなく
芸術家独自の変形が必要であり、(略)・・・・

写真と同じように正確さ、均等さ、
真実を描きだしているだけのデッサンには、
冷たさがあり、
その技量が完璧に近づけば近づくほど
誰の作品か区別できなくなり、
芸術作品とは、ほど遠いものになります。(絵の話しより)」

画商のМさんが、
カラー版の、わずか8ページの小冊子を作ったのは、
百貨店の美術担当者のすべてではないが、
中には、勉強不足の人が多いので読んでいただこうと思ったそうです。

ごく初歩的な絵画の見方を、あえて書かなければならない
Мさんの美術鑑賞界への失望、嘆きがあるようです。

「僕は、たんに写真のように描くだけの
画家は取り扱わない」とМさんは言っている。
取り扱い画家、十数名だけを責任を持って企画する
良心的な京都の画商さんです。

私は2年前からお世話になっている。

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テレビを初めて見たのは7歳の時!

2013-03-16 | 日常
私が初めてテレビを見たのは7歳の時、
それは昭和28年のことです。
実験放送だったと思う?
街の商店街の電器屋さんに
置かれた箱(テレビ)の中に、
白黒の画面にバレーを踊っている人が映っていた。

映画の大画面と比較にならないほど
小さな画面に人が跳ねて踊っているのを見て、
魔法でも見たような不思議な光景に感じた。

強いインパクトを受けたのでしょう!
今も、ありありと、その光景を思い出せる。

それから、しばらく経つと(数年か?)
商店街の奥の空き地に置かれた一台のテレビに、
数十人もの人が、力道山のプロレスを見る時代になった。

大人の背後から見る子どもには、
画面は、ほとんど見えなかった。

街頭テレビも
各家庭でテレビを持つようになると、
自然に消滅していったが、
全家庭に普及するまでには、
数年経ってからでした。

少しずつテレビを持つ家庭が出てきた頃、
テレビを持たない家の人たちは、
特に子どもたちは10名ぐらいの人数で、
テレビを持つ家に見にいったものです。

それも、夕食時ですから、
そこのお父さんは、
たくさんの子どもの視線を感じながら、
バツが悪そうにして、
晩酌をしていていた。

その時の記憶では、そこのお父さんは、
チビリチビリ飲みながら、
小さいスプーンでカレーライスを食べていた。

仕事は、憧れの空港の管制官にはしては、
侘しい夕食風景だっと思ったが、

大人になっての感想が加味されているのでしょうね。

各家庭にテレビが入るようになったのは、
東京だと昭和33年から35年頃だろうか?

テレビが出始めた頃から思うと、
今は、当時からすると想像もできない時代になっている。

提供された映像を見るだけの、
受身の状態から、
誰もがインターネット上に映像を発信できるのですから。

この変化は革命的な事です。

何しろ7歳で初めてテレビを見た私には、
驚くほどの変化なのです。

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美空ひばりの、港町13番地!

2013-03-12 | 日常
京急大師線の港町駅に、
美空ひばりの「港町13番地」の歌碑が設置された。
と、神奈川新聞の記事を最近読んだ。
子どもの頃、
港町13番地の歌を聴いた記憶が、ふいに蘇ってきた。

この歌が、下町の場末の商店街を歩いていた子どもの時、
美空ひばりの歌声が聴こえてきた記憶?が蘇ったのです。

その時、どこか見知らぬ遠い港町に薄幸の少女が
寂しく生きている。と、
子ども心に思ったのです。

なぜなのか?
どうして、そう思ったのかわからない。
美空ひばりの歌声が、
薄幸の少女を連想させたのかもしれない。

歌詞の内容を理解するわけがない子どもが、
薄幸の少女を庇護しなければと思ったふしがある。

子どもだから、難しい言葉は知らないから、
庇護ではなく助けなければと思った。

今、ネットで歌詞を検索したら、
私が子どものとき感じた内容とは、
まるっきり違っていた。
笑ってしまった。

私が歌声から受けたイメージは、
歌詞とは関係なく、ただ歌の音声から、
ただ、そう受けたのか、まったもって分らないシュールな感想。
不思議なことです。

この大師線の港町駅には、
美空ひばりが所属していた、日本コロンビア川崎工場が
あったことから、この地をイメージして作られたという
「港町13番地」

これも不思議!
川崎駅から一つ目の港町駅、
多摩川の河口から3キロほど上流に入った場所。
それが歌詞によると、
港町で、マドロス酒場に船員。

歌が作られた当時とは街の面影は違うかもしれないが、
外洋から船が停泊できそうもない多摩川。

それにしてもよく分らない。
薄幸の少女を連想したり、
マドロス酒場に船員と、
まったくもってシュールの世界である。

でも間違いなく思い出の歌であることは間違いない。

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タゴールの詩を!

2013-03-11 | 日常
東日本大震災、福島原発事故から2年。
いまだに復興の道は遠く、特に原発事故の
収束は廃炉は40年かかると、
聞くと暗澹たる気持ちになってしまう。

東北、宮城県は私の父祖の地で、
親類縁者が多い。

2年前、従兄弟の家が倒壊。
東松島市の親戚は津波で家が流された。
幸いに親類から犠牲者は出なかった。

私の長女の婿さんは福島(会津若松)に実家がある。

東北に縁が深い私には、他人事ではなかった。

以下に
タゴール(インドの詩人、アジア初めてのノーベル文学賞受賞、
1941年没)の詩から。

題「われらの国の大地と水を」

われらの国の大地と水を、空と果物を、甘美にしてください、神よ!

われらの国の家庭と市場を、森と畑を、豊かにして下さい、神よ!

われらの民の約束と希望を、行為と言葉を、真実にして下さい、神よ!

われらの民族の息子と娘の生命と心情を、一つにして下さい、神よ!


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