光の風☆★

~画家すずきゆきおの世界~
 夢と希望に癒しの芸術を
生み出す画家の日々の、つぶやき

雑感133(今生だから)

2016-07-29 | 絵画
中学2年の時、美術の先生が
キャンバスにむかって絵を描いているのを
偶然見かけたことがある。
放課後の誰もいない教室で黙々と絵筆を走らせる先生は、
生徒に向かう顔とは違ったものがあった。
若い女性の先生だった。

幼い時から小学3年生まで
絵を描くのが好きだったのに、
中学生の私はスポーツしか興味がなかった。
それなのに先生が今まさに描いている絵に、
興味を感じて見ていた。

昔の出来事だから、
だいぶ憶測で語っているかもしれないが、

ただ、その時の情景が映画のワンシーンのように、
くっきりと記憶の中に残っている。

そしてその時に感じた言葉、
心の中に呟いたものを覚えている。

先生の描いている絵、
西洋風の建物を描いている絵を見て、
生意気にも、
そうです。
不遜にも心の中に呟いた自分の言葉に驚いた。

こんなふうなタイプの絵は、
厭きるほど描いたことがあるから、
将来、僕が絵を描くようになった時は、
こんな絵は絶対に描かない。

笑うかもしれないが、
今生の今から前生を感じた瞬間でした。

岐路にたった時に、
いつも無意識に去来する言葉があるのを、
最近、とみにその口癖を発するのを気がつくようになった。

今生は、このようにしなければ、
チカラを尽くすのは今生だから、
こうしなければいけないと思うことを気がつくのです。

中学2年の、
あの日が画家になろうと思った原点かもしれない。

それから実際に絵筆を持つようになったのは、
4年後ですが。

今生も画家になっている。
前生とは全然違った作風になっている。

カトリックなのに、
ずいぶ飛んだ話しです。
笑って読み流してください。

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雑感132(義兄の他界に思う)

2016-07-21 | 日常
先日、義兄(姉の夫)が他界した。
80歳の誕生日をむかえた翌日の日だった。
入院していた義兄が気になりお見舞いに行った日が、
たまたま誕生日だった。

意思の疎通はかろうじて出来たと思ったのは、
耳元で話しかけると頷いていたからです。

かなり衰弱しているので心配ではあったが
お見舞いに行った翌日に逝くとは想像外だった。

ここ1年~2年は身体の不具合が出ていたようで、
姉は大変だったと思う。

寡黙の義兄だったが、
数年前から電話をしてくると、
それも長電話だった。

私は何も具体的な力になれないが、
話しを聞くことしかできなかった。

もしかして私は義兄の話しを丁寧に聞くことが、
必要だと思った。

聞き手の私はただ頷くことしかできなかった。
時おりの長電話は、
身体の不調を感じ始めたころからだったと思う。

10歳年上の義兄を、
どこか頼りにしていた私が、
逆に頼られるとは意外であった。

体調が思わしくない時に電話をしてきたようだった。

もう少し丁寧に聞いてやれば良かったのにと思う。
良き隣人になれなかった悔いがある。

今は丁寧に応対できなくても、
忙しいから後にしようとか。

しかし後は無いですね。
後にしようと先送りをしてはいけないのですね。

今この瞬間に家族、隣人として
大切に時を共に過ごさなければならない。

いつでも会える、
いつでも話せる。
いつでも!いつまでも有ると思うのは錯覚ですね。

人の死に遭遇すると
いつもそう思って後悔をしてしまう。

では、また後でしよう!の気持ちは、
日々いつも何気なくしているような気がする。

必ず死がおとずれるのだから。
今、この瞬間、瞬間を本当に大切にする。

家族を含めて自分自身の隣人と過ごす時間を、
その瞬間、瞬間を大切に丁寧にしていきたいものです。

義兄にもうすこし丁寧に付き合えば良かった。
何だか後悔がある。

姉は喪失感が深いはずです。
これから、私は良き聞き手でありたい。

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雑感131(戦後のことから思う)

2016-07-18 | 日常
テレビはほとんど観ないのに、
たまたまNHKの朝ドラを観ていてたら、
終戦後すぐの東京の街の様子が、
セットで再現されている?

それを見ていると、
幼い時の記憶が呼び覚まされる。

終戦、七か月後に生まれた私でも、
かろうじて混乱の東京の様子を覚えている。

空襲でビルの残骸だけが残っているものや、
焼け野原に続々と立ち並ぶ、
バラックのような家。
雑然とした商店街の喧騒。

電車の窓から乗り降りする殺伐とした光景。

日本中が混乱の極みだから、
どこの地域を助けにいくなんて出来るはずもない時代。

空襲の跡が、ほとんど無くなったのは、
私の生活圏では終戦後、14年経った頃だったと思う。

そう、中学生の頃です。

私の世代が平均的に身体が小柄なのは、
食料不足だったから仕方がないです。

一般的にはサツマイモを食事にするような、
終戦直後のことですからね。

今よりも貧しかった時代
7歳の時にテレビ放送が始まり、
テレビが各家庭に出回りはじめると、
その内容から横文字の歌、
横文字の国がいかに豊かで優れているかを、
知らない内に刷り込まれていた。

ラジオからは、
今までの日本は間違っていたと言われ。

子どもたちは、
それでも逞しく育つものですが、
私は、同世代の人たちが嫌いです。

楽天的な理想主義で、
しかも効率主義でシュールな現実感たっぷり。
しかし自国の歴史への関心は偏り、
とんでもない小言老人になっているから、
私は同世代の人たちが嫌いです。

話がかなり脱線してしまった。
朝ドラのセットを見ていると、
未曾有な大変な時代を、
親達が子どもたちを
育てた苦労は並大抵ではなかった。

その大変さを、
つくづく思う。

若い時は、
傲慢にも親たちの旧世代を、
古い考えだと批判するのに急だったような気がする。

だから、
いまだに何かを否定しなければ満足しない、
私と同じ世代の人たちが嫌いです。

その弊害を、
やはり受けている私は、
今、愚痴ってしまった。

小言爺さんそのものです。

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雑感130(これからの20年先)

2016-07-15 | 絵画
年齢と共に個展、そしてグルーブ展への関わりかたが、
変化している。
それは画業の進展とリンクしている気がする。

49歳~69歳の20年間と、
それ以前の49歳前とは、、
明らかに画業の歩み方が違っている。

先日は7年周期と言ったり、
今日は20年と言ったり、
一貫していないかもしれないが、

こんな事を考えるのは、
古希を迎えた今、
これからの画業を考えると現実問題として、
現役として制作して発表するのも、
後、20年ぐらいと思っているからです。

神さまから、
90歳まで元気に
画業をしていく許しをいただけたら、
勿体ないぐらいに幸せというものです。

これからの20年は、
今までの歩みとは違ってきて当然だと思う。

当然、体力の衰えは避けられない。
知力の衰えもあると思う。

同時に宇宙に感応しやすくなるという利点が
生まれるかもしれない。

決して惚けたのではなく宇宙大に意識が拡大する。
それは何て楽しいことだろうか。(笑)

しかし、5年先、10年先の自分を想像することができない。
老いていくという現実を実感できないが、
老いを楽しく受け入れながら、
年齢に見あった制作をしていくのだと思う。

とりあえず20年先まで、
神さまから画業を許されていたい。
そうならば、
神仏の一端に触れえるかもしれない。

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雑感129(我が家のお盆!)

2016-07-14 | 神社、寺院
東京、横浜地区のお盆は旧のお盆の時期ではなく、
7月13日~7月16日の今頃にする家が多いかもしれない。
我が家も一昨年までは、7月でした。
母が亡くなってから16年間はそうでした。

昨年、父の49日の忌明けが7月下旬だった。
住職さまに相談すると、

「49日の忌明け後に初めてむかえるのが新盆!
もうすでに7月のお盆を過ぎている。
一年先に新盆というのもいいですが、
8月の旧盆(8月13日~8月16日)がもうすぐです。
今年は旧盆の時期を新盆にしたら、
どうでしようか!」

住職のアドバイスを受けて、
昨年の旧盆の時期に新盆とした。

私の絵画塾も
妻の学習塾も旧盆の8月は休みなので、
昨年から我が家のお盆は
新盆から旧盆の時期に変えることにした。

お盆の行事は、
やはり休日の時が
心おきなく行える。

私たち夫婦はカトリックですが、
仏教(曹洞宗)の作法で両親を供養するのは、
当然なことです。

両親の望む方法でするのは、
子として当たり前のことです。

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