昨晩、
近くのカトリック教会のクリスマスイブのミサに行きました。
イブのミサは 2 0 数年ぶりかも知れないです。
荘厳さとファミリーな雰囲気が渾然とした
和やかさに聖堂が満たされていた。
3 0 年前頃、カトリックの教会のミサに、
そんなに熱心とは言えませんが通っていたことがある。
十代のころからの付き合いの友から、
誘われたわけではなかったが妻と通っていたことがあったが、
洗礼に至ることなく、いつしかカトリック教会から離れていった。
その時、一緒に通っていた友は、その後上智大学の神学部にいき、
7 年間の修行の後、神父となっている。
今年の 1 0 月から
私は、近くのカトリック教会のミサに毎週与っているが、
これはどういうことなのか?
自らの原点に戻ったということかも知れない。
ブログ友達の enaga さんの言葉を拝借すれば、
人生を交響楽にたとえれば、私も第 4 楽章の入り口あたりに入ったともいえる。
そのように意識し始めたのは今年になってからです。
第 4 楽章に入ったことが自らの原点に戻ったことと、
どのように関係しているのかということは、
説明は簡単にはいかないことです。
各楽章の期間は平均年齢を
単純に 4 で割っただけのことですから、
私の第 4 楽章が、予想よりも長いことも、
逆に短いことも考えられる。
出来ることならば、
かなり長く、長すぎる第 4 楽章であることを望みますが、
これは天のみ知ることです。
第 4 楽章であることを意識すると、
画業への取り組みかたも自ずと違ってくるし、
日々の過ごし方も違ってくる。
自分の終わりを意識するから生じる、
第 4 楽章です。
制作を突き詰めていくと、
画家の生活も含めて自らの原点を問うことになってきています。
なぜゆえに、私は絵を描き始めたのかの
当初の思いに帰っていきます。
人は何処から来て、
人は何処に行くのか、
人の生きている実相とは何か?
=====================
メインサイト『すずきゆきおの世界』
近くのカトリック教会のクリスマスイブのミサに行きました。
イブのミサは 2 0 数年ぶりかも知れないです。
荘厳さとファミリーな雰囲気が渾然とした
和やかさに聖堂が満たされていた。
3 0 年前頃、カトリックの教会のミサに、
そんなに熱心とは言えませんが通っていたことがある。
十代のころからの付き合いの友から、
誘われたわけではなかったが妻と通っていたことがあったが、
洗礼に至ることなく、いつしかカトリック教会から離れていった。
その時、一緒に通っていた友は、その後上智大学の神学部にいき、
7 年間の修行の後、神父となっている。
今年の 1 0 月から
私は、近くのカトリック教会のミサに毎週与っているが、
これはどういうことなのか?
自らの原点に戻ったということかも知れない。
ブログ友達の enaga さんの言葉を拝借すれば、
人生を交響楽にたとえれば、私も第 4 楽章の入り口あたりに入ったともいえる。
そのように意識し始めたのは今年になってからです。
第 4 楽章に入ったことが自らの原点に戻ったことと、
どのように関係しているのかということは、
説明は簡単にはいかないことです。
各楽章の期間は平均年齢を
単純に 4 で割っただけのことですから、
私の第 4 楽章が、予想よりも長いことも、
逆に短いことも考えられる。
出来ることならば、
かなり長く、長すぎる第 4 楽章であることを望みますが、
これは天のみ知ることです。
第 4 楽章であることを意識すると、
画業への取り組みかたも自ずと違ってくるし、
日々の過ごし方も違ってくる。
自分の終わりを意識するから生じる、
第 4 楽章です。
制作を突き詰めていくと、
画家の生活も含めて自らの原点を問うことになってきています。
なぜゆえに、私は絵を描き始めたのかの
当初の思いに帰っていきます。
人は何処から来て、
人は何処に行くのか、
人の生きている実相とは何か?
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やはり、芸術家ですね。
どのような終わり方にするのか、いつも気にしていることです。
もしかすると終わっていて、お客様の猛烈なブーイングを受けているところかも知れません。
人生には春夏秋冬があるとは幕末の高杉晋作の言ったことでした。
人生を四つに区切るのは合理的だと思います。
今私は、ただどういう形で幕をおろせるか、観客のブーイングをかわせるかに腐心している所です。
おまけがあっても良いと思うのですが。
いろいろな人生を望みますが。ピンとはずれの人間はそう思います。
より良く生きるために必要だとの思いがあります。
そして、
「いつも喜んでいなさい
いつも感謝していなさい」
との言葉の重さを感じる近頃です。
腰曲が爺さんにブイーングをする人は、
いないはずです。
拍手する知人、友人は多いでしょうが、
腰曲が爺さんには第 5 楽章もありますから、
感謝の拍手はお預けです。
昨日、手紙を受けとりました。
第 5 楽章のオマケはあるようです?
オマケがあったほうが良いと考える私の願望です。
一緒に願いませんか!
「願えば叶う」
勿論、第 5 楽章です。
4つの楽章に分かれる曲で、真っ先に頭に浮かんだのがビバルディの『四季』。
私の季節はいま『夏』なのだなと思えば、もっと陽気に、もっと活動的に過ごすべきなのかと感じました。
第4楽章のすずきさんは『冬』。・・とはいっても、まだ冬の初め。
木の葉と初雪が共に舞い降り、風景が衣替えするロマンティックな世界ですね。
そして四季は巡るものです。
どこが最初の季節でも、最後の季節でもないはず。
ですから、第4楽章が必ずしも最終楽章とは思えない・・というのが私の感想です。
哲学的だとの感想は嬉しいものです。
初冬がロマンチックな世界だと言っていただき、
「目から鱗が落ちる」です。
木の葉と初雪が舞う光景は、華そのものですね。
芸術は華であることは必須なことゆえ、
素晴らしい譬えのコメントに感謝です。
四季は螺旋階段のようなものかも知れないし、
すると、第 4 楽章でも
夏を味わえるというものですね。