由 来 瞞着川板画巻 志功先生の法林寺村での仮寓の前を流れる小さな田川を村人達は騙し川と読んでゐた。河童が住んでゐて人を騙すからだと言ふ。先生はこの川に架かる板橋を渡り福光の町に用足しに通った。一夕、隣の江川家の炉火を囲んで河童噺した花が咲いた。先生の郷里の青森でも河童話が多く、また風光もよく似通っているとのことだった。このときの炉話が元で瞞着川板画巻が生れた。昭和二十三年夏、四十五歳のとき鯉雨画斉で作られた。板木が不足の時代で手に入る木片に、手あたり次第に彫った十五~十七cm、十~十四cm、大小とりどりで、三十四枚の構成であった。同年、美術手帖誌上で発表された。元になった随筆、瞞着川は八百字余りの文章で、河童噺の他に疎開中の事柄が載りさながら現代民話の風情を物語ってゐるからの様である。
志功
渦置いて沈む鯰や大月夜
水底の大石軽ろむ十三夜
名月やこの場限りの大鯰
志功
渦置いて沈む鯰や大月夜
水底の大石軽ろむ十三夜
名月やこの場限りの大鯰
版画年賀状展は撮影がOKでした。
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また城端に戻って、曳山会館へ
1階の展示場で、お祭りのビデオを見ました。
2階にて、庵唄(端唄)の保存会の方々の実際の唄を披露していただきました。
祭に対する熱意を感じました。
見学者5人に保存会の皆様は12人。
とても写真は畏れおおくて撮れませんでした。
実際の山車も見学。
昼間の様子。
夜の雰囲気。
館長さんより山車の車輪の説明。
この後はまた福光に戻って風船上げです。