goo blog サービス終了のお知らせ 

大河ドラマ「義経」 覚え書き 第四十六話

ー史実をベースにした脚色をー

大河ドラマ「義経」46話を観た。はっきりいって破綻したストーリーを語るのは辛い。弱い者イジメと云われかねないからだ。ある人から、もう「覚え書き」は書かない方がいいですよ、との助言もいただいた。でもここまで来たので書くことにしたい。それにしても今回は、開き直りとも受け取れる史実を無視した派手な演出で、もはや頼朝、政子、静、佐藤忠信、などの人物の描写は、虚実のレベルを越えていて、奇っ怪にすら思えた。

まず頼朝、これは完全にマクベス状態で、政子の傀儡(かいらい)、あるいはもっと云えば、政子がネジを巻くと動き出すゼンマイ仕掛けの人形のように描かれていた。これは極端過ぎる描写である。私は戦後の頼朝中心史観の発想を批判し、頼朝は戦後歴史学が思っているより、鎌倉政権内での頼朝の影響力は弱い、と言い続けてきた。その意味で、頼朝が鎌倉政権内で基盤が弱いという認識は私と同じであるが、あのように政子がマクベス夫人と化して、静の舞に対し、「見事じゃ」と夫の頼朝を差し置いて拍手を送るなど、およそあり得ないことである。こんな台本を平気で創作できる脚本家の歴史的感性を疑わざるを得ないのである。

何故、あそこまで頼朝を卑屈な男に描写しなければならないのか。ほんとうに私には意味が分からない。この台本の背景には、陳腐なフェミニズム志向か、もしくは単に歴史が知らないのか。どちらかであろう。

歴史を読み解けば、もっとリアリティに富んでしかも面白い真実の人間ドラマがあったのに、これにほうかむりをして、ドラマだから許されるとばかりに、歴史無視のおちゃらけたストーリーをこしらえるとは、実に困ったものである。それにしても大河ドラマは、民放とは桁違いの制作費を使っているはずなのに、こんなデタラメの歴史ドラマを見せられるために受信料を取られているとしたら、腹立たしいものを感じるのは、私ひとりではあるまい。

今回の脚本を手がけた人物の歴史と人間に対する認識の浅さと、シナリオ全体の構成上の設計ミスを指摘しないわけにはいかない。

シナリオでは、最初に回が決まっているのだから、当然プロであれば、最初に回ごとの筋立てがピタリと決まっていなければならない。そこで以前第六話の覚え書きでも詳しく述べたが、各回のストーリーが、だらだらとして次回につながっているので、回ごとの起承転結がはっきりせずその為にシリーズ全体が劇的カタルシス(感情浄化)があったりなかったりのつまらぬものになっていることは明白な事実である。

たとえば、一ノ谷や屋島や壇ノ浦など、黙っていても魅せられてしまう回は別として、前回、前々回と二週に渡って繰り広げられた吉野山でのエピソードでの最大の見せ場は、吉野山の景観を背景として繰り広げられる義経と静との別れと佐藤忠信の捨て身の献身物語を描かなければならなかった。ところが、前々回のハイライトのはずの義経と静の別れは、非常に曖昧でまったく盛り上がりに欠けたものであったし、前回は、静が捕まり、忠信が、吉野の悪僧たちを食い止めて、義経を逃がすハイライトは削られて、代わりに呆気なく捕らえられる静と足を踏み外して、崖下転落する忠信の無能さばかりが目立ってしまう結果となった。

義経と静は、吉野奥千本の隠れ塔あたりで、女人結界と、雪の深さを考慮して、泣く泣く別れを決めたのである。その悲しみが出ていない。静は、菅笠(?)を深く被って、地元の者に荷を負わせて、金峯山寺付近まで下って来ようとする。ところがこの雇った雑色が荷を持ち逃げしててしまう。静は、呆然としつつも、悪僧たちに勘づかれないように、そっと吉野山から京に逃亡しようとするのだが、おそらく勝手神社の舞の奉納をした際に静の顔を見知った者に呼び止められて捕縛されてしまうのである。静は狂ったように激しく抵抗し、義経の逃亡を少しでも助けようとする。一方、忠信は、奥州から連れてきた雑兵数名と共に、義経一行に成りきり、自ら義経から拝領した鎧甲に身を固めて、敵を引きつけて、郎等らと大勢がいるように見せかけて、中千本の花矢倉付近の山中で、横川覚範という吉野最強の悪僧と対決をするのである。中千本付近から、下をみると金峯山寺などを見え、絶景である。ロケハンでもしたら、素晴らしい戦闘シーンになると思うであろうに、これもないから、すべてがカットされて、実に意味のないみすぼらしい吉野山の別れとなってしまったのである。

とすれば、44話で、吉野山への入山(一時の安息)→静の祈り(勝手神社で舞の奉納)という忙中閑ありといった穏やかで安らぎのある巻としてまとめて終了させ、45話で冒頭から一気に息もつかせないようなカットの連続で、頼朝の使いの者が、吉野の執行への義経捕縛命令書の到着→義経たちの狼狽と決断(吉水院から奥の隠れ塔への逃避)→吉野山の雪景色を背景にして、義経と静の別れ、そして忠信のしんがりの申し出→静の下山→雑色の裏切りと金峯山寺付近での捕縛と抵抗→忠信獅子奮迅の活躍と義経の脱出の成功。

これで45話は終わりである。実際の45話では名も知らぬ寺に隠れて、近江に行って、近江から京都に入ったなどと、どうでも良いような説明的なストーリーで時間を無駄に使っていたが、観る側からすれば、そんなのはどうでも良いことだ。基本の柱となるドラマツルギーを明確にして、それを描くべきであった。

第46話について、もし私が台本を書いたらこのようになる。


静の鎌倉での静の詮議の場面からスタート→
抵抗する静と傍らに母磯禅師→
静の懐妊の発覚→
頼朝静の舞を所望→
女性としての政子と大姫の静への気遣い→
鶴岡八幡宮での舞(妊娠した静一世一代の舞を見せる)→
頼朝の憎しみの発露としての静への怒り→
静をかばう政子と大姫(頼朝をなだめる母子)→
しぶしぶ頼朝の怒りの鉾を納める→
画面は唐突に終わり→静の出産(赤子の顔、静の安堵、母磯禅師の笑顔)→
頼朝の命によって駆けつける安達某→
安達に男女の別を問われる静→
泣くじゃくって静赤子を離さない(静の絶望)→
<場面転換北陸道>山伏姿で山中をゆく義経一行 
<場面転換京都>女の家(忠信かつての恋人の家に忍んでくる)→
女の裏切(奥に頼朝の命を受けた糟谷有季(かすやありすえ)一味隠れている)→
忠信と糟谷一味の攻防→
散々暴れ回った忠信であるが、最後を覚り口上を語り自刃(義経の無罪とサムライとしての生き様を見よと果てる)→
見守る糟谷一味(敬服の表情)→

最後のシーンは、台本風に書いてみる。
<場面転換>
○鎌倉 由比ヶ浜の落日 
○立ちつくす静 近寄って母磯禅師が肩を抱く、崩れる静望遠で撮影、一切の会話なし )

○ナレーション
義経の運命は波間に揺れる木の葉のようであった。奥州からやってきて、最後まで義経をかばい続けた佐藤忠信は、兄頼朝の執ような探索の前に、自ら命を絶って亡くなった。最愛の人、静は義経の子を産みながら、生まれた子が男子との理由で由比ヶ浜に流され殺された。本来ならば幸せの絶頂にあるはずの静は、夕日に染まる波間に我が子の影を探して泣いていた。静の心のに、ほんの少し光がさした。それは沈みゆく夕日の中に、義経の面影を視たからだ。

○静の幻影 吉野山の山中
    義経「しず、しず、しずよ。必ずお前を迎えに行く。それまで待っていてくれ」
    笑顔でうなずく静。

○北陸道を急ぐ義経一行

○落日に映える静の影



こうすると、第47話の勧進帳へスムーズに移行出来るはずである。

NHKの台本では、忠信を無理矢理、静の護衛に付けたことで、史実との矛盾ばかりではなく、忠信の義経への献身(忠義あるいは友情)がまったく活かされない。しかも崖から転落し、突然髪を振り乱して、偽の輿の前に乱入するというシーンは滑稽そのもので、少しも格好良いものではなかった。忠信役の役者は、真剣を持つような体型ではなく、少しもサムライとしての雰囲気を感じなかった。時代劇を演ずる者は、少なくても、三船敏郎のようになれとは云わないが、日頃から役作りの努力を人一倍すべきではないか。確か忠信が、平宗盛の首を切ったのであるが、あのシーンも振り下ろす刀に違和を覚えた。立ち回りは、踊りではない。人を斬るという行為であるから、小手先で刀を振っても、それらしい迫力はでない。このあたり演出とも関係することだが、シーンとしてのリアリティを出すためにもっと役者の養成システムを工夫してもよいと思う。

最後に46話をまとめれば、もっと素直に、脚色は最小限に止めて、史実をベースにして、物語を素直に構成すれば、もっと面白い台本になるということだ。今回の大河によって、世間では、鎌倉政権の中で、政子に頭の上がらない頼朝というイメージが定着することになるかもしれない。また政子は、これまで通り「尼将軍」として、政治好きの悪女というレッテルがつきまとうままだろう。また新たに「夫を影で操るマクベス夫人の如き悪女」との見方も巷間云われるようになる可能性もある。

実際の彼女はそんな権力志向の強い女性では断じてない。たまたま鎌倉政権の頂点に立った頼朝の妻となり、歴史に翻弄された心優しき女性である。そのことは、静をかばって頼朝を諫めたという事実からも説明できる。しかし今回の大河では、その史実をひっくり返して、事もあろうに頼朝を差し置いて、「見事じゃ」などと云わせている。頼朝を尻の下に敷く政子を描いて、フェミニストを気取っているわけではないと思うが、それにしても、今回の第46話を振り返っても、静の舞を見た後、「見事じゃ」という政子のセリフしか心に残らないのは、あまりに寂しいことだ。また、静の舞であるが、春から初夏にかけての頃、舞ったはずなのに、これ見よがしの紅葉の乱舞は、実に白々しく、いただけなかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 京都蹴上の清水 奈良吉野蹴抜... »


 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
コメントをするにはログインが必要になります

ログイン   新規登録