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ブログ小説 過去の鳥

淡々と進む時間は、真っ青な心を飲み込む

鉄道人身事故の多さ

2007-09-27 07:46:28 | 小説
 フリーターのおいらは、毎日電車を利用するわけではない。が、時おり人身事故の影響に遭遇する。
 幸い、乗っていた電車が轢いたのは一回だけ。急ブレーキをかけて止まったが、運転士は乗客の安全も考えねばならない。そのため、激しい急ブレーキは避ける。必然的に飛び込んだ人物をはね、たいていの場合は轢殺してしまう。

 昨日は都心に用事があり出かけることに。で、14時過ぎに田園都市線駒澤大学駅、15時過ぎに横浜線十日市場駅で人身事故。中央線ほどではないが、他の路線でもけっこう飛び込み自殺が多い。
 自殺願望の強い人間にとって、電車への飛び込みは手軽な手段。準備は不要で、死ぬことだけを考えればかなり成功率も高い。死体となった時の美観を考えれば、二の足を踏みそうだが、切羽詰れば贅沢は言っておれない。ということで、電車にダイブしてしまう。
 これは何とかならないものなのか。
 例えば、地下鉄南北線や新幹線では、電車か停止して乗車口のゲートが開くようになっていたりする。それによって、飛込みを困難にさせている。これは必要なこと。死にたいと考えている人たちは、うつ病の場合が多い。病なのだ。
 で、以前アップした小説を、ここでもう一度リニューアルアップ。
 ヒマな方、自殺に関心のある方、おいらの小説を気にいっている方はぜひ一読を。
 それ以外の方は、長文なのでパスを。


   靴の逆襲

 誰だって、自分の靴に一度や二度、痛い思いをさせられた経験があるはずだ。靴擦れをこしらえて歩けなくなったり、階段を踏み外して足をくじいたり、ぬかるみに足をとられてころんだり……。
 靴ってやつは、いっけん従順そうだが、実は信用ならない。性格がひん曲がっていたり、嫉妬深かったりする。それを忘れていると、思わぬ痛い目にあう。
 私も何度か煮え湯を飲まされてきた。しかし、喉元過ぎれば何とかで、時がたてばつい油断してしまう。自分の足は、靴の動きを制御できると思い込みがちだ。ところがどっこい、従順そうな仮面の後ろに、とんでもない素顔が隠されていたりする。それが靴というものだ。

 白い革靴……。
 新宿の伊勢丹で買ったイタリア製のその靴が、私のいちばんのお気に入りだった。値は張ったが、価格に見合う履き心地だった。水虫の棲む私の足を快く迎え入れてくれたし、立ちっ放しの大学での講義の間も、足が重くなることはなかった。公園の散歩や美術館へ出かける時も、ためらうことなくその靴を履いた。まさに身体の一部のように馴染んでいた靴だ。
 だが、しょせん靴である。死ぬ気で惚れた女でも、結婚して毎日顔をつきあわせていると、他に目移りするようになる。
 銀座のワシントン靴店のショーウインドーで、英国製の黒い革靴を見つけた時がそうだった。私の目は、靴の発する強烈なオーラに惹きつけられ、欲しくてたまらなくなった。
 店員にその靴を出してもらって、触ったり匂いを嗅いだり頬ずりをしてみたりした。じっさいに履いてみて、その感触を確かめてもみた。外国製品のもつアクの強い匂いはなかった。意外に軽く、革が柔らかい。肌触りもしなやかだった。偏平足ぎみの私の足にぴったりフィットした。
 値は、白い靴の二倍も高かったが、躊躇せずに買った。以来、スーツを着ての外出や、大学での講義などでは、その黒い靴を履くようになった。
 白い靴は、あおりを食って下駄箱の住民となった。むろん忘れてしまったわけではない。公園の散歩や近所での買い物程度の外出には履こうと考えていたが、たまたま多忙で、そんな機会がなかっただけだ。

 ひと月あまりたって、ようやく散歩に出かけたくなるような心のゆとりができた。外出にはもってこいの好天。私は、白い靴を履いて近所の公園にでかけることにした。
 下駄箱から取り出すと、いくぶん黴臭かった。革の持つ独特の生気も失われていた。手早く磨いて靴に活力を与え、いつものように、右足から突っ込んだ。足の先端やかかとに多少の違和感があったが、気に留めるほどではない。
 季節は秋。暑くも寒くもなく、風も穏やか。絶好の散歩日和。
 いつもの散歩コースをたどった。
 自宅からのんびり歩いて五分ほどで公園に着く。芝生や花壇のあいだを散策路が続く。その小道を、スキップを踏むような軽い足取りで歩いた。
 前方からベビーカーに赤ちゃんを乗せた若い母親が近づいてきた。やわらかい陽射しを浴びて、スローモーション画像のようにゆったりとした足取りで。
 絵に描いたように幸せそうな母子。ミニのスカートにルーズソックスを履けば、女子高生で十分に通用する幼い母親。プリンのように瑞々しい頬の張り。ゴム毬のように柔らかそうな胸の膨らみ。子どもを産んだにしては引き締まった腰のくびれ。
 不謹慎にも私は、その若い母親が母親になるために男と共にした行為を想像してしまった。裸体の股間に深々と突き刺さった一物。目を閉じ、口を半ば開き、よだれを流しながら喜悦の声をあげる女……。
 その時だ。私の足元を、えも言われぬ感触が襲った。

 ぐにゅっ……。

 靴底がその物体を捉えた瞬間、見なくともわかった。あの弾力。あの大きさ。ほのかに立ちのぼる臭気。まぎれもなく、犬によって仕掛けられた糞地雷だった。しかも、排泄して間もない柔らかなものである。
「ううっ……」
 私は、破裂した風船のように絶望的な気分になった。
 若い母親に、足元で起きた事態を悟られてはならない。私は、さりげなく口笛を吹きながら、フンのへばりついた靴底を草で拭った。しかし、窪みに深く食いこんだ粘着物は、簡単には取れない。
 行く手には、池に流れ注ぐ人工せせらぎがあった。私は、これ幸いとばかり水辺に降りた。ちょうど靴底がつかるほどの深さだった。
 足を突っ込み、流れの底の砂利でこすりながらかき回した。それを数回くり返したのち、靴底の状況を確かめた。黄色い粘着物は、跡形もなく取れていた。
 犬の糞を放置したままの飼い主なんて許せない。絶対に許してはならない。こいつが最低の飼い主だという写真入りポスターを町中に貼りまくってやりたい気分だ。糞をしたカス犬は、毒入りのドッグフードで、もちろん抹殺。
 だが、それよりもさらに悪いのは白い靴だ。靴の目線は低い。目の前の糞に気づいていたはずだ。にもかかわらず踏んづけるという主人への背信行為は、断じて許せない。
 もう散歩はおしまいだ。こんな不快な気分を味わうのなら、白い靴のことを気にかけて散歩になんて出かけるのじゃなかった。
 次の瞬間、その後悔が決定的なものになった。
 せせらぎから上がろうとして、私は、流れの中の石に足をかけた。
 石の上は、水苔にびっしり覆われていた。水苔と靴底は相性が悪い。靴は、見事に滑った。私は宙を舞い、水の中に尻餅をついてしまった。派手な水しぶきが上がった。
 散策路にいた連中は、私を見て吹き出した。いかにも軽蔑の笑い。いい歳の男がなんてザマだ。他人の笑いものになる屈辱。臀部をびしょ濡れにして恥をさらし、すごすごと尾羽うち枯らして帰っていく惨めさ。

 私は、白い靴の行為に我慢ならなかった。私が大枚をはたいて買ってやった靴である。それなのに、これほどの大恥をかかせるなんて。なんて恩知らずなやつだ。
 自宅に戻った私は、靴にお仕置きをしてやった。箒の柄による鞭打ち二十回の刑だ。手加減せず、思いっきり引っぱたいた。むろん、靴は抵抗しなかった。抵抗できっこなかった。たっぷり懲らしめたあと、また下駄箱の奥に放り込んだ。
 その時、廃棄してしまえばよかった。しかし、心の底のどこかに愛着があった。何しろ一時期はいちばんに可愛がってやっていた靴だ。これだけ罰を加えれば、反省するであろうという甘い読みもあったのだ。

 それからはまた黒い靴を履く生活となった。同時に、なぜか私の心を異様な虚しさが覆うようになった。生きていることへの、深くて暗い虚しさである。いったいこの空虚な気分はどうしたことだろう。
 大学での身分の不満が根底にあったのかもしれない。五十の歳を迎えるのに、まだ講師のままである。教授とまではいかなくても、せめて助教授に昇格してもいい年齢だ。論文だって、そこそこのものを書いているのに、一向に認めてはくれない。
 授業のことを思うと、さらに陰鬱になる。学生たちは、私の講義なんか聞いていない。平気で私語を交わすし、携帯電話の不快な着メロがしょっちゅう鳴り響く。文句を言うと、不貞腐れて教室を出ていく。受講する学生の数が減れば、大学側の評価も低くなる。私はじっと堪え、学生の眠りや私語を妨げないように静かに講義を続ける。
 だいたい、私の教えている日本古代の法制史など、今の学生に興味があるはずがない。律令制度が解かって、今の社会にどんな役が立つというのだ。とくに私の教える三流大学の学生には、百パーセント無意味な授業と確信できる。何か途方もない時間の浪費を続けているような気がする。それでも大学に行かねばならない。私自身が食うために。そうなのだ、学生に教えることよりも、私自身が生活するための授業でしかないのだ。

 日々虚しさがつのる。このままで老いていいのだろうか。食うためだけの学問。学生に教える意味。考えれば考えるほど落ち込み、さらに虚しさがつのっていく。
 気分を変えてみようと思い、もう一度白い靴を履いてみた。白い靴を履いていた頃の方が、私の心の状態は健康的であったような気もしたからだ。
 下駄箱の奥から白い靴を取り出した。黴臭いだけでなく、実際に黴が生えていた。よく拭き取り、クリームを丹念に塗った。足をつっこんでみる。懐かしい履き心地である。
 その日、授業は一コマ目からだった。朝のラッシュ時の電車は大嫌いだ。しかし、仕事とあればでかけねばならない。
 家から駅までは、徒歩十五分。重い気分を引きずりながら歩いた。
 ホームにのぼり、電車を待った。間もなく満員電車がやってくる。その電車を待つ行為がたまらなく虚しい。
 みんな、同じように待つ。能面のように表情もなく待つ。何も疑うことなく満員電車に乗り込むのだ。横にいるのはどんな相手か分からないまま肌を密着させて。かわいい女子高生と中年の口の臭い変質者も、ぴったりと身体を寄せ合って。便秘女も、胃下垂男も、ハゲもデブもアル中も……。
 私は、嫌になった。こんな生活は、もうやめたい。おしまいにしたい。
 電車はやって来る。乗り込めば、また大学に行くことになる。くだらない授業をして、学生どもの眠気を誘うだけだ。電車になんて乗り込みたくない。にもかかわらず、ひたひたと近づいて来る。
 構内放送が続く……。
「渋谷行きの電車がまいります。白線の内側にお下がりください……」
 電車が見えてきた。
 そうだ。もし今、線路に向かってジャンプすれば、何もかも終えることができるのだ。この嫌な気分から開放される。たったそれだけで、万事解決だ。なんて簡単な話だ。そう思った時、私の足は、ひとりでに線路へ向かった。
 躊躇することなく、飛び跳ねるような軽やかな足の動き。二歩、三歩、四歩……、それーっ。
 ホームの端からジャンプした。
 私をめがけて、電車はまっしぐらに突っ込んで来た。警笛と急ブレーキの金属音が、あたりの空気を引き裂く。駅のホームでは、人々の叫び声がする。
 これでいいんだ、これで。すべてが終わってくれる。
 その時だった。足先から沸き上がる不気味な含み笑いの声を聞いたのは。
『クツクツクツクツ……』
 その声で、私の身に起きた事態を了解した。次の瞬間、身体は電車と激突した。そして、意識は消滅した。

          おしまいだ、コンニャロメ

              

先生だって人間です

2007-09-26 06:12:13 | 小説
寝込んだ女性を脱がせて撮影 容疑の中学副校長を逮捕(朝日新聞) - goo ニュース


 友人の篠塚哲平君は、映像業界の仕事をしている。おいらが、以前同人誌を出していた頃、篠塚君から短い小説ともエッセイともつかない文をいただいていた。が、資金難で同人誌を廃刊。この原稿は宙に浮いていた。
 最近、だけでなく、昔もきっとそうだったと思うけど、先生の中には、Hなというか、変態と言うか、いやらしいことを四六時中考えていらっしゃる方がいる。この原稿は、そうした先生の本質をよくあらわしている、と思い、篠塚君からも快諾を得て、ブログにアップさせていただくことにした。上に貼り付けた新聞記事の事件に関連の小さなエピソードとして読んでいただきたい。


  アダルトビデオ  篠塚哲平

 我々の業界の連中の身なりは、かなり怪しげである。茶髪にピアスの男もいる。長髪をちょんまげにしている男もいる。ズボンはたいていジーパンで、膝に穴の開いたのを履いてたりする。そのかっこうで、どんな場所にでも出かける。大会社の研究所であろうと、議会の議場であろうと平気だ。
 むろん学校にも出かける。視聴覚教材のビデオの仕事も多いからだ。
 ある小学校に道徳の授業で使う教材ビデオの取材ででかけたときのこと。そう、道徳の授業なのである。20分休みに校庭で遊ぶ児童の姿を撮影したあと、四時間目の道徳の授業の撮影まで、45分の空きができた。我々は校長室で待った。待つのも仕事だ。
 このような時、対応してくれるのはたいてい教頭先生である。メガネに銀髪の風貌の、いかにも教師然とした教頭の前で、我々はかしこまってお茶をいただいた。
 我々は、こうした実直そうな人間が苦手なのだ。
「いつもは、皆さん、どんなビデオを撮っているのですか?」
 教頭は、さりげなく切り出した。
「いろいろです。行政の広報やら、社会教育のビデオなんかが多いですね」
「固い仕事をしているんですね。でも、時にはやわらかいのもやるんでしょう」
「やわらかい?」
「ほら、あのう、エッチ系とか」
「エッチケイ? NHKのことですか?」
「いや、アダルトビデオですよ」
「えっ?」
 私は思わずのけぞった。場所は小学校の校長室だ。我々は、道徳教育のビデオを撮影に来ているのだ。そのスタッフにアダルトビデオはないだろう。
「ほら、本番なんかやってるビデオですよ」
「そんな仕事は、経験ないですね」
「でもたまにはやるんでしょう」
「やりませんよ」
「そうですか、ああいうビデオは撮らないのですか」
 いかにも落胆したように言う。
「お好きなんですか?」
「ええ、好きでねえ。ビデオの会社の人が来るって言うから、楽しみにしていたんですよ」
「楽しみって?」
「ほら、無修正のやつ、手に入るんじゃないかと思って。モザイクなしで、もろに局部の見えているやつ。わたしら、こういう仕事をしていると、なかなか手に入れにくいでしょう。ねえ、男ならわかるでしょう」
 目の前でしゃべっているのは、教頭先生である。校長の次に偉くて、子どもたちにいつも説教をたれる人物なのだ。しゃべり方や物腰は、決して下品でない。PTAの信頼も篤いと思われる。その教頭が、アダルトビデオを見たいという。
 もちろん、立派な人間が、アダルトビデオを見たいと思っても悪くはない。セックスの描写は興味があって当然だ。わたしだってネットでわいせつ画像を覗いたりする。
 しかし、道徳教育のビデオ取材中である。子どもの教育を考えているシチュエーションに、アダルトビデオの会話は明らかに不適切だ。
 我々の風貌にも問題があるのかもしれない。変なビデオを扱っていても不自然でない怪しい雰囲気がある。だがそれにしても。
 以来、その教頭のことは、スタッフのあいだで話題になった。もし手に入れていれば、職員室の引き出しに入れ、夜遅く、視聴覚教室でこっそり鑑賞しているのではないかと。
 そしてその妄想が膨らみ……。

親の心の闇

2007-09-23 07:26:04 | 小説
5歳と4歳の姉妹、無認可保育園で2年間生活 北九州(朝日新聞) - goo ニュース

秋田連続児童殺害 「風呂代わりにプール」 元担任、被告の二面性指摘(産経新聞) - goo ニュース

 昨日は友人の石川史雄さんとバードウオッチングに出かけた。場所は相模川。
 この時期、あまり野鳥の種類は豊かでない。サギの仲間の食餌を見たり、カワセミのダイブを観察したり、カルガモの夫婦の昼寝を眺めたり。おいらは昔、コサギの足を使った餌の捕り方にはまっていて、たくさんの写真を撮ったことも。黄色い足先で、水中を探るしぐさは、見ていると本当にはまってしまうものだ。昨日も、つい見とれてしまった。
 で、帰りはいつもの焼き鳥屋で一杯。野鳥観察のあとの焼き鳥は格別にうまい。

「ほかのサギは、あんなふうに足を使わないだろう。コサギはたいしたもんだ」
「ああやって、足で引っ掻き回し、驚いて現れた小魚や虫をヒッ捕まえる。頭がいいといえばそうかも知れないけど、生得的なものならそうはいえないし」
「本能と知恵の問題だね。これはなかなか悩ましい問題だ」
「コサギの場合も、やはり親が教えるのではないかな。ワシタカなんかも、巣立ちしても、しばらく餌の捕り方なんか親が教えたりするからね」
「親の役割ね。それは人間でも重要だね。そうそう、以前、秋田で我が子を川に放り投げて殺した母親がいたじゃないか。ぼくは、あの事件のあと、川に鳥を見に行くたびに、流された子どものことが思い浮かんで、なんか暗い気分を感じていたけど」
「ああ、いたね。畠山とかいう。近所の男の子も手にかけたのじゃなかったっけ」
「そうだよ。あれなんか、野鳥の世界では考えられないね。それにしてもあの娘はほんとに可哀想だったな。風呂にも入れてもらえず、プールで身体をきれいにしていたなんて」
「それに、親が男を連れ込んだときには、寒い日でも外で待たせていたとか、食事も十分に与えてもらえず、学校給食で飢えをしのいでいたとか」
「で、あげくは橋の上から川に投げ捨てたわけだから」
「育児の完全放棄」
「そういや、今朝の新聞に載ってたけど、北九州では、育児放棄された子どもを、無認可の保育園で2年も預かって育てていたとか」
「ほう、2年も預かると、保育料はかなりになるよね」
「いや、無料で預かっていたそうで」
「で、親はどうしたの?」
「両親は離婚し、どちらも育てられないと言うことなんだろうね」
「育てられないのに子どもを作ったわけか」
「まあ、仕方ないだろう。若い連中は、できちゃった、という感じだもの、みんな。ぼくだって、長男はほとんど稼ぎのないときに生まれたからね。あの時は、困ったな、という気持ちも正直あったもの。でも、この子のためにも、という気持ちも出て、何とか大学卒業までは面倒を見ることができたからね」
「まあ、普通は、セックスという行為と、子どもを産むための行為は分けて考えていると言うか、別々なんだものな。子どもを産むために頑張ってセックスしようなんて、あまり思わないもの。で、子どもができた段階で、親としての本能が発揮されてくるということになる。子どもをしっかり育てようという」
「しかし、その本能が湧き出てこない連中もいるってことだね。あの畠山被告や、北九州の育児放棄の親のように」
「でもさ、畠山被告の場合、川に放り投げるまでは子どもを捨てずに育てていたわけだよね。一方の北九州の場合、子どもを捨てたわけじゃないか。親の罪としては、北九州のケースの方が重いと思わないかね」
「また石川さんのひねった論理ですか」
「いや、そうじゃない。常識的に考えてのことだよ。だって、野鳥の世界では、親から見離された雛は確実に死ぬんだ。畠山被告は、娘が小学生になっても捨てずに育てていた。もし早い段階で育児放棄をしていれば、殺人を犯さずにすんだはずだ。ぼくとしては、情状の余地はあると思うよ」
「そうかな。彼女は近所の子どもまで殺してしまったんだよ。それは絶対に許せない行為だと思うけど」
「うん、その辺の心理は分からないけど、ともかく彼女も苦悩していたはずだ。だって、親は、子どもが生まれた瞬間に、この子を立派に育てようと言う本能が、めらめらと燃え上がるものなんだよ。野鳥の子育てを見ているとよく分かる。なのに子育てのできない自分がいることに、彼女は葛藤があったはずだ。それがなければ、完全に精神を病んでいるわけで、それはそれで彼女の罪を問えないと思うよ」
「ええっ、彼女が無罪だというの?」
「いや、葛藤があったとすれば有罪だよ。ある程度ノーマルな精神状態だったと思うから、ぼくが裁判員なら有罪。しかし、情状を考慮して、懲役10年程度かな」
「けっこう軽いね」
「僕らだって、いけないことでなかなかやめられないことってあるじゃないか。ギャンブル依存症やアルコール依存症なんて、けっこう多いし、ほとんどの人はやめたいと思っていながらやめられないわけだ。畠山被告だって、娘をかわいいと思いたいのだけど、思えないという精神の闇に苦しんでいたと思う。だから自分の娘をあやめたあと、ポスターだかチラシだかを作って、寓話の狼少年のような臭い演技をしたりしてたんだ」
「でもさ、娘にしたらたまったものじゃないだろう。子どもは親を選べないわけだし」
「親だって、子どもを選べないさ。まあ、作った責任はあるけど。だから、あの地方や、少し北の津軽なんかでは、昔は間引きなんてことが行なわれていた。生まれたばかりの子どもを殺すわけさ。これはきついぜ。向こうでは『つぶす』と言ってた。子どもをつぶすなんて、すごくえぐい。ぼくは太宰治の生家周辺を旅したことがあるんだけど、化粧を施した石の地蔵がいっぱいあって、間引いた子供の供養をしていたりしてた。その親にしてみれば、わが子をあやめた哀しみと苦しみ、それにほんとは生きていて欲しかったという思いが込められているような気がしたんだね。そうじゃなきゃたまらないよ。畠山被告は、自分の娘をあやめたことを認めたくないようだけど、それは親として当然のことのような気もする」
「おれには、石川さんの言ってること、分かるようで分からないな」
「ぼくも少し酔ってきたようだ。それにしても、温かみのないシステムは嫌だな。北九州市の杓子定規的な対応は、ぼくの好みではない。あの保育園で育てりゃいいじゃないか。子育てはシステマチックに行なわれるべきものではないんだよ。心で行なうものだ。だから、あの無認可保育園の園長のように、愛情を注いであげられる人が育てるべきだとは思うが」
「うん、その点はやや同意だな。ただし、親をケアーできるシステムも必要だと思うが。それよりも、そろそろシギチの季節だぜ。今度、三番瀬に出かけない?」

 というような、おいらたちには不似合いな真面目な話をしながら、いつものように、最終バスの時間まで飲んでしまった。

遠い水音

2007-09-18 18:05:41 | 小説
80歳以上人口が700万人超 高齢者人口最高を更新(朝日新聞) - goo ニュース

 以前もアップした小説。ややリニューアルで。
 暗い未来を予感した哀しい小説で、ちょっと長い。高齢化がますます進む今、重い気分になるので、心の不健康な方は読むのを避けていただきたい。
 

   遠い水音
              
 まだ私は生きている。かなり死にかかってはいるが、死んではいない。腐りかけのリンゴがまだ腐ってはいないように、止まりかけの時計がまだ止まっていないように、死にかけの私は、死体にはなっていない。
 薄い膜が眼球を覆っているのか、ゼリー状の何かが付着したのか、うす暗くぼんやり。昼間なのか夜なのかも、さだかではない。目の前がわずかに明るく見えるのは、たぶん天井の蛍光灯のせい。太陽の光は、私の上に降り注いではいないはずだから。
 耳も遠くなった。窓の外の風の音は、病室の空調の唸り声と聞き分けることができない。人の声も、テレビの中の会話も、判別できない。それでもまだ生きているなんて。
 腕や足は棒切れのように痩せ細っている。骨の上にへばりつく皮膚。干からびた魚の皮のように、薄っぺらでひらひらとした皮膚。その内側の筋肉は溶け、直接骨に付着している。文字通り骨と皮だけの腕や足。
 物を掴む力などすでにない。入れ歯を外したままの口は、言葉を喋ることも、食べ物を噛むこともできない。
 それでも生きている。
 わずかに残った筋肉は、塩をかけられたナメクジのように今もじわじわと溶けている。内臓もかなり溶けているに違いない。 
 身体が受けつけるのは、味もそっけもない栄養ドリンクだけ。左足の血管に挿しこまれたカテーテルから、いつの間にか液体が注入されている。こんなことで、よく生きているなんて言えるものだ。ほとんど死体と見分けがつかないほど衰えきった肉体。ただ横たわって、死の決定的瞬間を待ちつづけるだけ。
 しかし、いかに死体に近づいていても、脳は活動をやめようとしない。心臓が動いているかぎり、体内を血液が循環している限り、私はまだ死んではいない。

 静かだ。草木が芽を出す音も、霜柱が大地をせり上げる音も聞こえない。水滴がしたたる音も。鳥の声も虫の声も。テレビの音さえ聞こえない。あれだけ音にあふれていた空間で、耳に届くのは空調の唸り声だけ。それも、ウサギのすすり泣きよりも微かな唸り声……。
 空調は、はたして暖房なのか冷房なのかもわからない。ただ新鮮な空気を送り込もうとしているだけなのかも。
 暑さも、寒さも感じない。空腹も悲しみも感じない。死の恐怖も。あれほど不快だった背中の痒み、足の痺れ、胃腸の痛みも感じない。薬のせいなのか、体力がなくなったせいなのかもわからない。
 あと少しで、私は死ぬ。きっと死ぬ。間違いなく死ぬ。植物が必ず枯れるように、私も枯れる。朽ち果てる。
 死と同時に、あれこれ考えをめぐらすこともなくなる。生きてきた時代のあらゆる思い出も消える。
 だが、あとどのくらいで死ぬのかが、わからない。五分後か、一時間後か、二日後か、あるいは十日後か、一ヵ月後か……。
 これだけ死にかかっているのだから、十年後と言うことは絶対にあるまい。
 死は、再び起きることのない眠り。今度うたた寝をすれば、そのまま深い永遠の眠りになるのかもしれない。そう思いながら目を閉じ、うつらうつらして目を覚ましてみると、まだ生きていることに気づくという繰り返し。これを喜ぶべきか、悲しむべきか。
 私は八十三歳。すでに十分すぎるほど生きてきた。もちろんもっと長生きの連中は大勢いる。百歳を越えても死なない猛者もいる。死ぬことがないかと思うほどの長寿。それでも、いつかは絶対に死ぬ。こればかりは例外がない。

 私は、うつらうつらしながら、箱のことを思い出す。子供の頃、大切にしていた箱。一尺四方の木の箱。
 その中には、いろいろなものが入っていた。壊れた懐中時計、水晶の原石、アンモナイトの化石、椿の種子の笛、錆びた寛永通宝、竹蜻蛉……。がらくたに近いものでありながら、時には宝物に変身する。いや、宝物とは、もともとがらくたと紙一重のものだ。豚に真珠といえるかも。だが、宝物はどう解釈しても宝物。宝物を密かに持つことで、私は他の子供たちとの違いを感じることができた。数々の劣等感を抱きながらも、他人が持たないものを持つことでほくそえむ。それが宝物の最大の効用。
 箱の中には、悪事の秘密も詰まっていた。
 宝物を持つ、という子供っぽい秘密に酔いしれていたあの頃、私はたしか夢を持っていた。夢は壊れるたびに、挫折を味わった。
 夢は、叶えるためにあるのではなく、壊れるためにあるものだ。それは確かだ。夥しい部品で構成されたまっさらの人生は、時間の磨耗で部品が次々と壊れていく。壊れに壊れて、最後に命が壊れてしまう。それが人生というものだ。
 様々な可能性などと言っても、選択の余地などたかが知れている。
 登るにつれ見えて来る未来の枝葉。そのあげくが、最後の枝先にたどりつき、あとは散らすだけ。人生の完了だ。

 また病院に息子がやってきた。五十三歳になる息子。格別用事はないくせにやって来る。ベッドのかたわらで私を覗き込み、決まって言う。
「やあ、おやじ。どうだね。まあ、元気そうな顔色じゃないか」
 なんという白々しい言葉だ。身体がほとんど動かない私が、元気であるはずがない。食事だってできないのに。言葉だって発することができないのに。
 嘘つきな息子。
「まだ死なないの」
 と、言いたいくせに、薄っぺらな笑いの奥に本音を隠している。
「早く死んでよ。毎日やって来るのが大変なんだから」
 と、言えばいいではないか。親子の間だ。遠慮はいらない。
 仕事が忙しく、見舞いに来るのが煩わしいのは、私も十分承知している。心では早く死んでほしいと思っていることも。
 葬式を出してしまえば、息子はほっとするのであろう。親という枷がなくなれば、子は自由に羽ばたける。息子の嫁も、孫たちも同様だ。その気持ちもわかる。私が生きているからと言って、息子たちにはいいことはない。何ひとつない、と思う。孫に小遣いをやれるわけではない。嫁の料理を褒めてやれるわけでもない。生きているだけで、それ以上のことは何一つメリットのない存在。そう思っている自分が、未だに生きていることが辛い。
 天井を見つめる。ぼんやりとした視界の中の天井は、その存在感も希薄だ。空に突き抜ける天井。空には星があったはずだ。北斗七星。天の川。子供の頃見た満天の星空は、もう永遠に見ることができないだろう。

 私はまだ死なない。社会で不要となっていながら、生きている。世の中は、そういうもののようだ。生きていて欲しい人が簡単に死に、どうでもいい人間がいつまでも死なない。
 私の母も寝たきりのまま長生きした。半年近く自宅で臥せ、女房はへとへとになりながらも、姑を最後まで介護した。
 母のいる部屋は、老人臭かった。臭いのは嫌だった。私の子供たちは、それを毛嫌いした。あの時の臭気を、私はここでむんむんと発散させているはずだ。だから、孫たちは見舞いに来ない。
 歳をとると臭くなり、死にかかるとますます臭くなる。臭くなっても、生きつづける。私は母の死を本気で願った。女房のためにも、死なない母を呪ったことさえある。死んでくれた時には、ほっとした気持ちの方が、悲しみの百倍も大きかった。なかなか死なない私に対しての息子の気持ちは、痛いほどよくわかる。
 女房は、五年前、心筋梗塞であっというまに死んでしまった。台所で突然発作にみまわれ、崩れるように倒れた。すぐに救急車で病院へ運んだが、もう手遅れだった。誰も看病する間もなく、あっけなく死んでしまった。あれだけ寝たきりの姑に苦労した女房だ。その苦労を息子夫婦にかけさせないための配慮だったのだろうか。
 一方の私。未練がましく生き延び、これだけ死にかかっているというのにまだ死なない。毎日毎日、死ぬことしか考えていない自分にほとほと嫌になりながらも生き続け、また死について考えている。ろくな考えは浮かばないが……。
「じゃあ、また明日、来れたら来るからね」
 息子は、五分ほどベッドの脇の椅子に腰を下ろすだけで、もうたくさんとばかりにいそいそと部屋を出ていく。私は何も答えることが出来ずに、寝ころがったまま息子を見送る。
 ただ棒のように横たわり続ける私。
 深い空洞。寒々とした冬の雑木林の心。枝さきに取り残されて風に震える木の葉の私には、ため息を千回ついても足りないほどの虚しさが湧き上がってくる。
 三人の息子と一人の娘。四人の子供を、私と妻はもうけた。四人を育てあげるのは、決して楽なことではなかった。一生懸命働き、金を稼ぎ、育て上げた。しかし、そのうちの一人は、入院して以来まだ一度も見舞いに来たことがない。二人は、一度見舞いに来ただけだ。次に来るのは、おそらく私が死んだ時だろう。
 そのことを思えば、毎日五分間でもやって来る息子は殊勝だ。
 親と子。奇妙な関係だ。言葉に形容しがたい関係。死が近づいてから考える事柄でもあるまいと思うのに、つい考えてしまう。時間が有り余っているからだろう。
 生活の苦しいこともあった。仕事がなく、収入がほとんどないこともあった。それでも、なんとか生活費を工面し、子供たちを育てあげた。ときには人を騙したり、蹴落としたりしたこともある。そうして生き延びてきた結果がこれだ。

 人生の最後というのは、これほど寂しいものなのだろうか。楽しかったことを思い出そうとしても、頭に浮かぶのは、失敗や挫折の思い出ばかり。ささいな失態から大きな失敗までよりどりみどり。よくもこれだけ、失敗が続いたものだと感心してしまう。
 例えば、よく転んだ。子供の頃から頻繁に転んだ。川遊びをしていて転び、深みにはまって溺れかかったことがある。助けを求めて手足をばたばたすると、ますます深く沈んでいく。鼻から水が入り、呼吸ができなくなる。このまま死ぬのかという恐怖……。
 しかし、助かった。たまたま通りかかった農家の親父が助けてくれた。私の両親は、その男に、なにやら大層なお礼をしたらしい。私も、お礼に行ったのは覚えている。感謝すべきことだと言う。しかし、自分では、なぜか嬉しく思わなかった。助かる必要なんてなかった気がする。あの時に死んでおれば、これほど死についての思いに頭を費やすことはなかっただろう。
 階段で転んで鎖骨を折ったことがあった。ちょうど旧制中学の受験をひかえた時期だった。鉛筆を握ることが出来ず、受験できなかった。そのため、中学には入らずに仕事についた。あのとき転ばなければ、私の人生は大きく変わっていたはずだ。だが、所詮五十歩百歩だ。寿命が来れば死ぬだけの人生なのだから。
 軍隊でも転んだことがあった。輸送船の甲板の上で滑って転び、手にしていたカンテラを壊した。その時小隊長から、こっぴどい鉄拳制裁を受けた。往復びんたと竹刀による殴打。小隊長は、国元では草相撲の力士だったというだけあって、びんたには迫力があった。殺されるかと思うほど恐ろしかった。
 他にも、商店街で自転車とぶつかって転んだり、部屋の中では電話帳に躓いて転んだり。七転び八起きといえば体裁はいいが、じつは七転八倒の人生だった。
 歳をとってからは、公園で転んだことがある。古希の祝いをした翌日のことだった。あれこそ、私の人生の中でももっとも屈辱的な転び方と言えよう。
 あの時は、なぜかゆったりとした気分で散歩を楽しんでいた。ともかく緑が心地よかった。天気も散歩日和だった。風を感じ、鳥の声を聞きながら、芝生の上を歩いていた。スキップを踏むように軽やかに足取りで。
 私の行く手のベンチに、二人の女子高生が腰を下ろそうとした。そのうちの一人の極端に短いスカートの裾が、風でひらりとめくれ上がり、白い下着が見えた。一瞬目を奪われた。その時だ。私の靴底は柔らかい物体を捉えていた。犬の糞だった。
 歳をとったせいか、反射的な運動能力は衰えていた。踏んだ足を除けるのではなく、逆にそちらへ体重移動をしてしまった。平らな靴底だったため、勢いよく滑って転んだ。尻餅をついた場所には、さらに巨大な糞が待ち受けていた。
 ベチョッ。
 ズボンの布を隔てて、糞の柔らかい感触が私の尻に伝わる。同時にその水分が布にしみ込み、尻の皮膚にまで伝わってくる。排泄したての糞の、あの生温かさまでが。

 まわりには、幼児を連れた若い母親のグループや女子高生がいたが、誰も私に救いの手を差し伸べようとしなかった。それどころか、私を笑いものにした。
『愚かな年寄り』
 笑いは、くすくすからげらげらに移行していく。
 私は惨めだった。悲しかった。犬を呪い、若い娘たちに殺意を覚えた。襲いかかり、強引に衣類をはぎ取り、処女の股間にペニスをつきたてて……。
 しかし、夢想するだけのことだった。夢想するのが精一杯。それが現実と大きな隔たりをあることを実感して、絶望を大きくするだけ。勇気も体力もない私には、何もできなかった。へらへらと笑ってその場を取り繕う以外に。

 心に焼きついた屈辱の思い出。そして、死を迎えようとしている今も、屈辱の中で、かろうじて生きている。
 死にかかっている私が思い出すには、あまりにも情けない記憶。もっと栄光の日々の記憶がないものか。自慢できる何かが。だが、元気のない肉体は、ますます元気を無くすような思い出を掘り起こすだけ。

 定期的に看護婦が巡回してくる。看護婦は、私のおむつを交換する。身体はほとんど動かないと言うのに、肛門だけはかろうじて排泄物を捻り出す。キレの悪いマヨネーズのチューブの口から、へばりつくようにちびりちびりと。私の意思とは無関係に。
「さあ、おむつを換えましょうね」
 看護婦は、幼児に向かうように言う。明るく弾んだ声。
 私は拒まない。股間を潔く見せる。幼児のように躊躇いもなく。干からびた芋虫のようなペニスをさらけだす。
 看護婦は、ペニスや肛門の周辺部をガーゼで丹念に拭う。私が若かった頃、力強く勃起し、女の性器の中でリズミカルな動きを見せていたペニスの末路は、ただただ情けない肉塊。精液を噴水のように勢いよく吹き出した栄光あるペニスの末路。縮んだゴム風船よりもだらしのない肉塊は、見られても触られても、まったく反応を示さない。
 生きつづける肉体。夢もなく、ただ過去をぼんやりと反芻し、死にむかって生きているだけの肉体。もうほとんど何も見えず、何も聞こえず、何も匂わないと言うのに、私は生きている。
 時間の流れは、遅い。
 遅すぎる。
 ひょっとしたら、時間は止まってしまったのではないだろうか。そして私は、このままいつまでも、死なないのではないだろうか。
 看護婦が、点滴のボトルを交換する。液体に潜んだ栄養と薬品が、私をさらに生かそうとしている。
 私は、まだ死んでいない。これだけ死にかかっているというのに、まだ生きている。死ぬことばかり考えていながら、死にきれない自分の肉体がもどかしい。
 いったいいつになったら、私は死ぬのだろう。

                     おわり

美しき遠距離淫行

2007-09-16 20:29:45 | 小説
都職員、小学生に淫行…出会い系「縁」北海道まで足運ぶ(読売新聞) - goo ニュース

 おいらの学生時代に遠距離交際をしていた友人がいた。
 電車で8時間の距離。当然、貧乏学生は簡単に会うことができない。当時はメールも携帯電話もない時代。テレホンカードすらなく、公衆電話は10円玉をどっさり用意してかけていた時代。
「もしもし」
 とかけると、相手が父親、なんてことに。
「あのう、マユミさん、いらっしゃいますか?」
「あんた、どなた?」
「あのう、田中です」
「どちらの田中さんですか?」
「マユミさんの友だちの」
「だから、どこに住んでいる、どんな身分の田中さんか聞いているんですよ」
「ええ、大阪に住んで、○○大学の三年に通っている田中です」
「その田中さんが、マユミに何の用があるんです?」
「用といわれても、今日、ちょっと電話で話をしたくて」
「だから、どんな話をしたいのか聞いているんです」
 こんな話をしているうちに、田中の手元の10円玉は次々と電話に吸い込まれていく。かと言って、相手は絶対に怒らせてはいけない人物。
「あのう、ちょっとした話でして」
「ちょっとした、では分からないでしょう。具体的にどんな話なのか教えていただかないと」
「具体的と言われても、ちょっとお父さんには言いにくいですし」
「お父さん、それ誰のことです」
「えっ、お父さんじゃないのですか?」
「わたしはあんたのお父さんじゃないです。マユミの父親です」
「ですから、その、お父さんと言っただけで」
「紛らわしいことは言わないで下さい」
「あのう、ひと言でいいのです。マユミさんに代わっていただけませんか。早くしないと、もう、10円玉がなくなるんで」
「そうですか、困りましたね。今マユミは風呂に入っているんで、あとでかけなおしてください」

 昔はこんなものだった。電話は一家に一台。コードレスではなくて、たいてい居間に置かれていた。ということは、電話の内容が、家族にも筒抜けのばればれ。
 そうなのだ。携帯電話が普及しだしたのは、つい最近のこと。おいらも10年前には持っていなかった。

 ところが今、小学生も携帯を持つ時代。でもって、出会い系サイトに子どもがアクセス。さらに、東京都の職員もアクセス。残念ながら、おいらは出会い系サイトにうとい。どういうシステムか分からない。おおむね男性が女性を求め、女性は男性に見返りとしての金品を求める。つまり売春、買春のネットオークションのようなものなのであろう。

 東京都の職員南条某は、心躍らせながら飛行機に乗り込んだのであろうか。

 羽田から旭川行きの飛行機に乗る。士別ではミーちゃんが待っている。ワクワク、どきどき。北海道なら、誰に会うこともない。見ず知らずの土地。生きていても死別、なんちゃって、楽しいな、ワクワク。早く飛行機着かないかなあ。
 ああ、あと三十分で旭川。旭川から、豪勢にタクシーで行っちゃおうかな。
 若い子はいいな。高校生かな、中学生かな、もしかしたら、小学生。すごいなあ。ああ、考えただけでヨダレが出てくる。
 こんなスチュワーデス、じゃなくて、客室乗務員のように年とって汚れていないんだものな。ああ、いいなうれしいな。

 と言うことで、出会い、お小遣いを渡し、ホテルでいけないことをして楽しんだあと、また機上の男となって羽田へ。
 で、こともあろうか、ばれちゃった。北海道という遠距離だからばれるはずがないと思っていたのに。で、怒りと嘲笑のさらし者の餌食に。ネットの距離と地図上の距離の違いを理解できなかった不幸。
 これがいけないことなの、という狐につままれた感じ、が、南条某の本音であろう。

 文明と言うやつは、思わぬ犯罪を作り出す。昔の一家に一台の電話ではありえなかったこと。父親のいる前で援助交際の相談などできっこない。
 落とし穴はいたるところで待ち受けている。さあ、皆さんも気をつけてくださいよ。
 

小説は爆弾となりうるか

2007-09-09 16:41:03 | 小説
 最近の小説はつまらない、と石川史雄さんはおいらに文句を言う。
 確かにおいらは、小説家を自認している。が、あくまでもアマチュア。文句をつけるなんて、お門違いもはなはだしい。
 おいらは、プロの売文屋さんとは違い、社会に影響力はない。おいらの小説を読むのは、このブログの訪問者だけ。その訪問者も、どこまで真剣に読んでくれているやら心もとない。そんなおいらに、どうして文句を言うのだ。
「おいらの小説がつまらないのか」
 と、聞くと、
「あんたのも含め、小説が爆弾になっていない」と言う。
「それはどういうことだ?」
「小説は、時には麻薬になったり、酒になったり、爆弾になったりして、人の心に作用しなければならない。ところが、最近の小説のつまらなさはなんだ。おれは、群像と新潮と文学界を買っているが、そこに書かれている小説のちまちまとした文のくだらなさには頭に来ている」
「なら、おいらに文句を言わずに、新潮社や講談社に文句を言ってくれ」
「講談社や新潮社は、おれの文句なんか聞き入れるわけがねえよ。以前、小説をけなした投書を送ったことがあったが、なしのつぶて。ほんとにふざけてやがる。そうだ、あんたのブログで、おれの小説論を載せてくれないか。一人でも二人でも読んでくれりゃ、おれとしても気が済む」

 ということで、石川さんの小説論を、載せるハメになった。何せ昔からのバードウオッチングの友人であり、朝青龍の問題ではこのブログでもお世話になっている。
 以下は、先ほど石川さんから送られてきたメールのコピペである。まあ、ヒマな人は読んであげて欲しい。


  小説は爆弾となりうるか

 今の小説はつまらない。これは誰もが認めていることだ。おそらく出版社の能力ある編集者、がいるとすれば、実感しているだろう。
 ともかく力がない。なよなよの栄養失調小説のオンパレード。
 そのひとつの要因になっているのが、出版社自身の退廃だ。
 読者の五臓六腑にしみわたるパワー全開の小説を出そうと言う活力が、出版界全体から失われている。話題性が求められるだけで、中身の濃い小説は敬遠されている。これでは良い小説は生まれない。一定のお金にさえなればいいと言う打算。
 見てみろ。芥川賞作家の粒の小ささ。良い子の作文に過ぎない。それはなぜか。選考委員は、自分より優れた作家の出現を恐れているのでは、とかんぐってしまう。で、でる釘を抹殺や封殺しているのでは。
 野には、狂気に満ちた毒入り小説や、不条理な現実を絡めとる不思議な文体も存在する。可能性が満ちていたりする。ブログの小説にはそんな可能性も落ちていたりする。そうした文の中から、純粋爆弾を発掘し、文壇や出版界や、一般読者を震撼とさせることもできるのでは。
 小説は、時として地雷でなければならない。一歩間違えば、足が吹っ飛んでしまう恐怖。それは読むものを緊張の世界に引きずり込む。
 時としてイラクの自動車爆弾のように、爆弾を積み込んだ車との激突。
 ああ、しびれる文体。そうだ、小説は爆発だ。活火山だ。雲仙普賢岳の火砕流だ。燃えよ大地。熱風よ吹け。
 燃え盛る炎によって、心まで焼き尽くされていく。それが小説の醍醐味だ。
 そんな灼熱の小説はないのか。
 コンチクショウメ。
 まずは文体の解体。起承転結の破棄。
 暴走する言葉のチャイナシンドローム。
 燃えよ、原発、揺れろ大地。
 マグニチュード8.1.
 世界は終末へまっしぐら。
 小説は世紀末を助長し、時には救済す。宇宙の真理は言葉によって表現しうるもの。そうさ、太陽は平等に照らさない。
 世界は平等ではない。貧富、憎悪、戦争、爆発。
 最後は爆発で幕を閉じる。
 ああ、爆発だ。
 小説は、爆発だ。
 力の限り書くんだ。
 熱く燃える言葉。
 この野郎。
 書くんだ。
 カメカメコメ。
 クキカラキヤ。


 意味不明の言葉のあと、石川さんの文は途切れる。
 中途半端なまま送りつけられたメールを、
 コピペしてこの通り。
 要するに、最近の小説はつまらないと言うこと。
 じゃあ、おいらの書くのはどうか、と気になるが。
 まあ、別にこんな文で食ってるわけでないので、
 どうでも良いといえばどうでも良いこと。
 台風は去って、何人かのホームレスは流されていったことだし。
 

老夫婦の部屋

2007-09-02 16:43:32 | 小説
高齢夫妻?の遺体、東京・江戸川の民家に…女性はミイラ化(読売新聞) - goo ニュース

 老夫婦の切ない風景が目に浮かぶ。
 これは以前にもアップした掌編。
 もう一度、この事件に合わせてじゃっかんリニューアル。
 おいらも、次第にこの年齢に近づきつつある。
 老いは容赦なくやってくる。


  老いの風景  
              
 カーテンの隙間から差し込む光の帯が、正二郎の目の上にかかった。正二郎は、それをうるさそうに手で払いながら、目を開いた。
 二、三度まばたきをして、顔を横に逸らす。
「ああ……」
 ため息とも叫びともつかない声をひとつ発した。
 体を硬くして耳をそばだてる。
『起きましたか、お父さん』
 と、妻の志津子の声が、台所の方から聞こえてくるはずだった。
 しかし声はない。道路を行き交う車の音や、裏の公園の方からヒヨドリの引き裂くような鳴き声が聞こえるだけだ。
「ああーっ」
 もう一度叫んだ。
 耳を澄ました。やはりどこからも反応はなかった。
 顔を起こし、横に敷かれたままの布団に目をやった。志津子の姿はなかった。
 首をもたげて足元の先に視線を向けた。襖は閉じられたままだった。
 襖の向こうはダイニングキッチン。志津子が台所にいるのなら、せわしなく動きまわる足音や、食器の触れ合う音が聞こえてきてもいいはずだ。しかし、人の気配はない。
 正二郎は、布団の上に上体を起こした。
「お母さん、起きてるのかい」
 呼びかけて、また耳を澄ましてみる。
 二十秒ほど待ったが返事はなかった。
「なあ、ばあさんや。志津子……」
 別の呼び方で声をかけてみる。しかし、静まり返ったままだった。
 立ち上がった。布団を踏みつけて進み、襖に手をかけた。居間にいる相手を驚かそうとするかのように一気に開けた。力を込めて。
 ダイニングには、だれもいなかった。テレビは点いていない。キッチンでお湯も沸いてはいない。
 正二郎は、いつも腰をおろすソファーに目を向けた。置かれているはずの朝刊が見当たらない。
 食卓のいすに腰を下ろした。この時間はいつも、好物の納豆と味噌汁の椀が食卓に用意されていた。ガス台には鍋があって、正二郎が起きると、志津子は暖め直し、熱い味噌汁をよそってくれる。だが、食卓には何も用意されておらず、ガス台に鍋もなかった。
「母さんや、どこだね。隠れているのかね」
 正二郎は、また呼んだ。
 壁の時計に目をやった。八時半を回っている。ふだんの日は七時に志津子に起こされる。だが、今日は起こしてはくれなかった。
 正二郎は、食卓の椅子に座った。
 志津子は、何も言わずに出ていくわけがない。買い物に出かける時だけでなく、ごみを出す時も、隣に回覧板を届けに行く時も、必ず声をかける。
 正二郎は、病院の待合室で待つように、ただじっと待った。
 時間は過ぎていく。しかし志津子はなかなか姿を現さない。
 十五分ほど待ち続けていると、尿意を催してきた。いったん感じると、膀胱に神経が集中し、すぐにこらえられなくなる。
 立ち上がり、廊下に出た。トイレのドアが半開きになっていた。正二郎はノブに手をかけ、ドアを開いた。
「おおーっ」
 その瞬間、正二郎は、調子っぱずれの声を上げた。
 志津子は、便器を抱え込むようにして倒れていたのだ。
「なんだ、こんなところにいたのか。どうしたんだ」
 正二郎はしゃがんで、志津子の肩を揺すった。
「おい、起きろ。布団で寝ろよ。風邪をひくぞ」
 だが、反応はなかった。頬を触ってみると冷たい。半ば開いた目は、うつろに中空を見つめ、顔は土色に変わっていた。小さく開いた口の端からは、嘔吐物が糸を引いている。
「おい、身体が冷たくなってるぞ。死んでるのか? 困ったなあ。まだおれ、朝めし食ってないんだけどなあ」
 次に何をすればいいのか、正二郎の頭には浮かばなかった。しかし、便所で倒れたままではまずい、ということは理解できた。目を見開いたままなのも見苦しい。
 正二郎は、志津子の目を閉じてやり、トイレットペーパーを引っ張り出して口元の汚れを拭ってやった。
「どうしよう。困ったなあ。布団へ連れて行くか?」
 正二郎は、志津子の両脇に腕を通して抱えた。持ち上げようとするがなかなか力が入らない。それでも渾身の力を込め、引きずりながら布団まで運んだ。
 志津子の布団は、まだ敷きっぱなしだった。その上に寝かせ、掛け布団をかぶせてやった。
 息が切れた。
 ひと息つくと、尿意を催した。用を足していなかったことに気づき、もう一度トイレにむかった。
 尿はしっかり出た。手をよく洗い、居間に戻った。
 食卓の椅子に、いつものように腰を下ろす。空腹感がよみがえってきた。何かを口にしたい衝動にかられる。
 しかし、テーブルの上には、何も用意ができていない。
「おい、ばあさん、どこだ。おなか減ったよ」
 台所を見回してもいない。ガスコンロの上に鍋もかかっていない。
 洗濯をしているのかもしれない、と思い、洗面所の洗濯機置き場へ行ってみた。
「志津子、どこだ?」
 洗濯機のそばに姿はなかった。洗濯機の蓋を開けて、中を覗いてみた。下着類が何枚か放り込まれていただけだった。
 浴室に入り、浴槽の蓋をとってその中も確かめたが、やはりいない。玄関にも見当たらなかった。首を傾げながら、居間の隣の寝室をあけた。敷かれたままの布団に横たわった志津子がいた。
「おお、なんだ、まだ寝ていたのか。なあ、母さん、起きてくれよ。腹、減ったぞ」
 正二郎は、妻を起こそうとして布団の脇に座った。その時、顔の異変に気づいた。
「おい、死んでるのか? 困ったなあ、生き返りなよ」
 肩を揺すってみたが、反応はない。
「こんなに冷たくなって、寒くないのか」
 正二郎は、妻のすぐ脇に身を横たえた。冷たくなった身体を抱いた。
「どうだ? 温かいだろう? 目が覚めてこないのか」
 志津子は返事をしない。体の反応も全くない。
「困ったなあ。生き返ってくれよ」
 何度か言葉を変えて話しかけてみるが、答えは返ってこない。
 志津子は動かない。
「どうしたんだ。困ったなあ。どうしたら生き返るんだよ。なあ、返事しなよ」
 何度呼びかけても答えない。
 空腹でたまらなくなってくる。
 正二郎は立ち上がり、台所へ向かった。
 相変わらずテーブルの上に食事の仕度はできていない。
「ばあさんや、どこだね。まだ朝飯はできていないのかね」
 返事はなかった。
 冷蔵庫を開けて見る。豆腐があった。納豆もある。正二郎の好物だ。
「しょうがないなあ。納豆食べるか」

 こうして正二郎は、数日で冷蔵庫の食料を食べつくし、飢えが始まる。米はあったが炊くことができない。年金も貯金もあるが、お金を使う方法が分からなくなっていた。
 妻が死に、死体の腐敗がすすんでいるがそれも十分に理解ができない。
「なあ、ばあさん、風呂に入らないから臭くなってきているぞ。なあ、早く生き返って風呂に入りな」
「ああ、腹が減ったよ。何か食いたいなあ」
「ああ、目がかすんできた」
「もう歩けないよ」
「ああ」
「うう」
「……」

 こうやって、正二郎の命も消えていった。
 
 今、孤独死は確実に増えようとしている。
 命の最後に訪れる孤独。
 それに救いの手を差し伸べるのは、行政の義務であるはずなのだが。

 

車掌哀歌お漏らし編

2007-08-31 22:43:33 | 小説
悪臭消えず、JR宝塚線が運休 「我慢しきれず・・・」(朝日新聞) - goo ニュース

 先だっても、客の排泄物でJRが止まった。そのときも、この小説をアップ。
 今回も、お漏らし車掌に捧げる掌編として、皆さんのお目に。
 不快となった方は、ぜひ読み進めるのをおやめいただきたい。

   電車

 午前四時十七分、腹部の痛みで目を覚ました。十二指腸のあたりで虫でも暴れているのかもしれない。雷のようにやたらごろごろ鳴っていやがる。
 昨夜食った仕出し弁当の残りの海老の天ぷらがいけなかったようだ。確かに嫌な匂いがしていた。ひと口齧って、やばいかなと思ったが、常日頃の胃腸の頑丈さをつい過信して食ってしまった。そのあげくがこれだ。
 トイレに入り、しゃがんでみた。出たのは我ながら息が詰まりそうになる恐ろしく臭いガスだけだった。
 すっかり目が覚めてしまった。ガスを抜いて腹の中はやや落ち着きを取り戻したものの、もう布団に戻る気はしなかった。
 配達されたばかりの朝刊に目を通した。読む気を起こさせてくれる刺激的な記事は載っていない。テレビをつけてみた。天気予報の若い女のアナウンサーが、今日も一日、雨が降り続くでしょう、と、嬉しそうに喋っていた。
 腹具合が回復すれば、空腹を感じてくる。俺の胃袋は、生来意地汚い。
 冷蔵庫を開けてみた。アップルパイがあった。
 腹ごしらえを終え、服を着替え、車掌区に向かう。今朝は宝塚線の勤務。
 外は雨。しかも土砂降り。湿った大気が肌にまとわりつき、全身が汗ばんでくる。
 乗務前に点呼を受ける。このときは何でもなかった。
 電車に乗務する。と同時に腹痛が始まった。いったん乗ってしまえば、降りるわけにはいかない。便所へ行く時間をロスすれば、オクレを取り戻すために、無理な運転をすることに。であげくは、あの事故のように。
 とんでもない話だ。便所には死んでもいけない。
 電車は出発する。がたごとと揺れる。その揺れが、下腹部を刺激しはじじめる。
 つらい。本当につらい。
 しかし、便所にはいけない。行ってはならない。
 が、時間の経過とともに、腹痛は激しさを増した。立ったままの姿勢がよくない。熱気と震動が、下腹部をさいなむ。腹の鳴動はますます大きくなり、全身に鳥肌が立ってくる。肛門がうずうずしはじめる。
 とりあえず電車は、しっかりと走っていた。耐えるだけだ。あと少し。こんな場所で洩らしてはならない。ここは便所じゃない。運転士と車掌の聖なる職場。それだけはだめだ。 お漏らしなんかしたら、末代の語り草。それだけは我慢。
 揺すられ、押されるたびに、肛門から内容物が噴き出しそうになる。それを、ひたすらこらえるだけ。
 駅に着く。ドアを開ける。客の乗り降りを確認し、ドアを閉める。
 目の前は次第にかすみはじめる。
 腹部の痛みも増す。が、塚口で電車から開放される。
 車内アナウンスをするため、マイクを握る。
「次はイタミ、次はイタミ。私のおなかもイタミ」
 マイクを置く。伊丹で、40秒停車。これからは塚口まで少し。塚口を出れば尼崎。ああ、あの場所。恐怖の場所。緊張と猛烈な便意。ああ、なんと言うこと。
 107人の命。
 ああ、腹がなる。頭は真っ白。
 このままでは卒倒する。死んでしまう。腸が破裂してしまう。
 我慢の限界を超えた。
 これ以上の我慢は死を意味する。

 ズボンを下ろした。
 と、黄門から水鉄砲のように勢いよく噴出してしまった。
 もう当たりはべっとり。
 ズボンも床も、運転席も。
 
 と、ここまで書いて、前回の小説よりももっと凄まじいものになって、
 皆さんの気分を損なったことを反省。
 あとは他の皆さんのブログのご意見を参照してください


メタボリック死んで転ぶ

2007-08-18 17:53:36 | 小説
「メタボ侍」急死 減量作戦の伊勢市課長 休暇でジョギング中(産経新聞) - goo ニュース

 デブは死にやすい。これは本当に要注意。
 で、以前アップした爆裂小説を今朝方、再度アップ。
 タイトルのデブが、顰蹙を。
 そこで、デブと言う言葉をタイトルからは省いて再々アップ。

 なお、この小説は、デブの方は絶対に読まないでいただきたい。
 怒り心頭で、心臓発作を起こしかねないからだ。
 万一、読んで健康を害したとしても、おいらはいっさいの責任を負いかねるのでそのつもりで。

  デブ

 他人の身体的欠陥をあげつらうのはよくない。そんなことは百も承知している。鼻が低くても、歴史が変わるわけではない。足が臭くったって、性格まで腐っているとはかぎらない。その程度の常識は、俺にだってある。
 しかし、唯一の例外がある。デブだ。デブだけはいけない。百貫デブ。あれはまずい。豚モドキ。奴らの存在は醜悪だ。風船デブ。ああ、考えただけで背筋に悪寒が走り、首筋に蕁麻疹ができる。
ともかくデブは駄目だ。デブに出会うと沸き起こる拒絶反応。スギ花粉に反応するアレルギーに似ている。デブアレルギー。そうだ、きっと、これは俺の病気だ。
 奴らは、まず暑苦しい。存在するだけで広いスペースをとる。めしをよく食らう。衣類の布を多く必要とする。動きは鈍い。エネルギーを大量に消費し、炭酸ガスを大量に吐き出す。当然、環境への負荷が大きい。
 デブには何一ついいことがない。それでも納める税金は同じだ。航空運賃だって、体重五十五キロの俺とまったく同じ。中華レストランのバイキングも焼肉の食べ放題も同じ値段。どう考えたって納得がいかない。こんな理不尽な存在を、どうして許すことができよう。誰だってそう思うだろう。自分がデブでないかぎりは。
 デブのことが頭をよぎるだけで、むしゃくしゃする。怒りがハラワタの奥からこみあげて来る。奴らからは、交通機関の肥満割り増し料金や、環境対策のための肥満税を取り立てるべきだ。その方が、消費税よりも百倍も正当で公正な税金ではないか。
 しかし、そんな声は、どこからも上がってこない。上がるような気配すらない。今の社会は、デブに寛容すぎるのだ。
 理由は言うまでもない。政治家をはじめとした社会的に地位のある連中に、デブが多いことだ。奴らは、自分の首を締めるようなことをするわけがない。
 言論のほうも軟弱だ。新聞社にしろ、出版社にしろ、デブの批判はタブーになっている。デブが上層部にのさばっているからだ。テレビ局だって、スポンサー筋や上層部にごろごろいるデブに気兼ねして、はなから真剣に取り上げる気がない。
 むろん、デブにも言い分はあるだろう。デブのみんなが、太りたくて太ったわけではないはずだ。それはわかる。生まれつき太りやすい体質ってものがある。あまり食わなくても太ってしまう。運動をしても太ってしまう。ダイエット関係の本を百冊読んで、そのあらゆる方法に挑戦したとしても、痩せることができない、という絶望的な十字架を背負ったデブがいるのも事実だ。
 しかし、理由にならない。ただ努力が足りないから太ったにすぎない。デブを解消するには、餓死をも恐れぬ強固な意志と、文字通り身を削る精進が必要なのだ。飢餓で知られた国のニュース映像を見るがいい。独裁者のファミリー以外にデブは、誰一人としていないではないか。
 救いといえば、肥満体型の人間は平均寿命が短いこと。糖尿病や高血圧になりやすい。コレステロールや尿酸値も高く、心筋梗塞や脳梗塞を発症しやすい。それが命取りになって、早くこの世から消え去ってくれる。昨日まで元気だったのに、翌日にはポックリ死ぬ、というのも、デブが圧倒的に多い。
 デブは、死にやすい。しかも簡単に死ぬ。
 メタボリック死んで転ぶ症候群。

 息子の担任の中学校の教師がそうだった。英語を教えていた藤本先生。体重は、なんと百八十七キロ。相撲取りに負けない巨漢だった。藤本先生は、学校の階段を息を切らせて昇り、三階にたどり着くと同時に心臓発作を起こして倒れた。救急車を呼んだが、何しろ巨漢である。隊員三人では運べない。心臓マッサージをするにも、分厚い肉の壁が邪魔をする。搬送には教師生徒五名が手伝ったが、階段を下りるだけで二十分以上もかかってしまった。なんだかんだで病院にたどり着いた時には完璧な死体に変容していた。
 だれも藤本先生の急死に驚きはしなかった。
「死ぬほど太ってたからなあ」
「棺桶もLLだろうし、運搬にはフォークリフトが必要だぜ」
「デブは燃えるのに時間がかかるから、火葬料金も高いらしいよ」
「乾いた年寄りに比べると、十倍は時間がかかるって話さ」
 同様の例は、うんざりするほど耳にする。デブの作家、デブのタレント、デブの肉屋の店員、デブのバスの運転手。みんな、若いのにころころと死んでいる。デブの心臓は止まりやすく、したがって死にやすい。
 自分の健康や寿命のことを考える人間ならば、ぶくぶく太ってなんかいられないはずだ。だが連中は、自らの肉体の危機に目を向けられない。まわりから目障りで迷惑な存在だと思われていることにも気づこうとしない。豚のような食欲な品性が肉を平らげ、ケーキにぱくつき、饅頭を平らげる。牛丼や豚丼は必ず大盛りを食らい、飯は五杯も六杯もお代わりして平然としている。その結果、文字通り豚のような体形へと変わっていく。
 そんなデブを、どうして許すことができるんだ。やつらは生きてちゃまずい。思い知らせてやりたい。他人からどう見られているのかを。

 俺は、デブとのすれ違いざま、わずかに聞こえるように小声で囁くことにしていた。
『デブ!』
 もちろん、相手のリアクションが来る前に、その場を離れる。それがたまらない快感だ。背筋までぞくぞくとする快感……。
 デブは、その体形に反して小心者が多い。コンプレックスを直撃する吹き矢は、デブの胸に突き刺さる。ショックを受けたデブは過食症に陥り、さらに肥満化に拍車をかける。肥満の袋小路からは、どうあがいてもぬけられない。そしてころっと死ぬ。それがデブの宿命でもある。ざまあ見ろってんだ。

『デブのブス!』
 デブの女は、ほぼブスを兼ね備えている。ブスは必ずしもデブではないが、デブは百パーセントブスだ。もちろん俺の嗜好の問題もあるが、デブであること自体が、美人の条件から大きく外れてしまう。いわばデブはブスの十分条件。
 重複した不幸を背負ったデブ女に出くわした時に、俺はやや声を大きくして囁きかけることにしていた。
『デブのブス!』
 これは、かなり痛烈な効き目がある。相手の尊厳を木っ端微塵に叩き潰す致命的なダメージを与えることができる。
 もちろん、見ず知らずの相手にこの言葉をぶつけるのは危険だ。女とは言え巨漢である。腕力で逆襲されるかもしれない。体重があるだけに、馬力も強い。体当たりを食らい、首を絞められ、腕をへし折られるかもしれない。だが、そんな危険があるからこそ、快感も大きい。万引き常習犯は、発覚し逮捕されるかもしれないというスリルに大きな快感を抱くらしいが、俺の快感もそれに似ている。

 ときには、小声で囁くだけでは許せない山のようなデブと遭遇することもある。絶叫したくなるような肉の塊。そいつらは、明らかに社会の害悪。人類の敵。存在するだけで犯罪だ。許してはならない。やつらの巨漢に見合う大音量で、『デブー!』と罵り、完膚なきまで叩きのめしてやらなければならない。
 その朝、俺はいつものように、午前七時二十六分に自宅を出た。駅に七時三十四分に着く。ホームへの階段を昇り、三十六分発の電車に乗りこむ。体重五十五キロの痩せた身体を満員の乗客の間にいつものように押し込んだ。
 俺の背後でドアが閉まり、電車は出発した。
 体重四十キロの女も、体重百二十キロの男も、同じ電車に乗り込む。痴漢も、痴漢の標的になる女も、身体を寄せ合って呉越同舟の時を過ごす。歯槽膿漏の男も、膀胱炎の女もいっしょだ。
 中学生以上であれば、電車賃は誰もが平等。三倍の重量の差があっても、痴漢をしてもされても、値段は全く変わらない。吐く息が臭かろうが、十日間風呂に入ってなかろうが同じ。平等を尊ぶ世の中ゆえの不平等。だが、誰も文句を言わない。文句を言ったところで聞き入れてもらえない。社会とはそんなものだ。
 電車は、不合理をいっぱいに詰め込んで、会社のもより駅に着く。俺たちを排泄物のようにドアから吐き出す。
 いつもの足取りで、俺は電車から離れた。
 気分はよくなかった。かと言って、隣の男の頭をハンマーでぶん殴りたくなるほど不愉快でもなかった。財布には一万三千六百三十円の現金。定年まではあと十年。運転免許の更新まであと二か月と四日。右足の水虫は、まだおとなしく眠ったまま。
 階段を降り、改札口へ向かうコンコースへ出た。
 その時だ。前方に、かつてない巨大なデブの出現を予感したのは。

 デブから放たれたオーラは、周りの大気を震わせ、津波のように押し寄せて来た。発する体温、匂い、たっぷんたっぷんと歩くたびに揺れる贅肉が、大気の波動となって俺の五感に迫ってくる。じわじわと、大きなうねりとなって。
 たっぷんたっぷん、たっぷんたっぷん。
 たっぷんたっぷん、たっぷんたっぷん。
 圧倒的なデブとの遭遇の予感に、俺の心臓は高鳴りはじめた。半端ではない。手ごわい相手だ。
 たっぷんたっぷん、たっぷんたっぷん。
 たっぷんたっぷん、たっぷんたっぷん。
 最初の予感から十秒後、デブが柱の影から姿を現した。絵に描いたように見事なデブだった。いや、絵にも描けないほど圧倒的なデブ。人混みの向こうに、頭ひとつ抜きん出て背の高い巨漢。ナマコのようにぶよぶよした巨体を、つんつるてんの背広にくるみ、まわりの連中を蹴散らしながら、俺の方にじわじわと向かって来る。
 言語を絶するデブ。体重は五百キロはゆうにあろうかと思われる驚異の肥満体。コニシキもムサシマルも尻尾を巻いて逃げ帰るほどの巨漢。
 デブは、じわじわと俺に迫ってきた。醜く無遠慮な肉のかたまり。象のような足と河馬のような胴体。地響きを轟かせ、大気を震わせ、俺の方にひたすら迫って来る。
 本当にでかい。存在するのが奇蹟としか言いようのないデブだ。
 距離は十メートル。でかすぎる。
 五メートル。背景を覆い隠す巨体で、俺にむかってさらに迫って来る。
 三メートル。デブは歩みを止めようとしない。だが、負けてはなるものか。巨漢の圧力に屈してはならない。ここは渾身の力をこめて踏ん張るのだ。
 俺は、デブに挑みかかるように立ち止まり、睨み付けた。デブは、ゆっくりと立ち止まり、当然のことのように俺を睨み返した。
 目と目が激しくぶつかり、青白い火花がバチバチと音を立てて飛び散った。俺たちの周りの連中は、飛び散った火花でやけどして、身をよける。
 互いの距離は、一メートルとない。
 おそらく、俺の目は軽蔑と憎しみと嘲りと憐憫の感情が沸騰し、嫌悪の満艦飾の形相だったに違いない。
 デブの目も、俺に対して敵愾心を剥き出しにしていた。怒ったブタ、破裂寸前のまん丸風船。
 鼻毛のはみ出した鼻の穴から、機関車のように蒸気まで吹き出していた。なんて醜悪な面構え。その目には、あろうことか俺に対する優越感と蔑みさえ浮かんでいるではないか。
 俺の堪忍袋の緒はばっさりとぶった切れた。こんなデブの存在を、絶対に許すことはできない。
 デブアレルギーは、爆発的な発作となった。
 肺に溜めた空気が、横隔膜の圧力でジェット噴流のように吹き上がった。
 喉が震えた。
 震動は、雄たけびになった。
「デブーッ!」
 その時だ。間髪をいれずに向こうからも、自信に満ちた罵声が返ってきた。五百キロの巨体に共鳴させて、俺の何倍もの大音量で……。
「ツルッパゲーッ!」
 デブの絶叫は、鏡のようにテッカテカに光った俺の脳天に、グッサリと突き刺さった。深く、鋭く……。

                おわりだ、コンチクショウメ

老いの風景 後編

2007-08-09 06:07:09 | 小説
 昨日アップした掌編小説の後編。
 おいらとしては異質な文体で、いつも読んでいただいている皆さんには不評かも。
 が、昨日の前編から通して読んでいただきたい気持ちも。
 考え方は異なるけど、まあ、好きではあった江藤淳さんを偲んで、老い、夫婦の別離も考えてみたのだが。
 それは、今後のおいらのテーマのひとつ。


  老いの風景 後編

 由美にとって、優しい姑だった。
 二人は一緒に絵手紙の講座に通い、たくさんの花を描いた。鳳仙花、向日葵、菫、蒲公英、桔梗、桜、水仙と、数知れず描いた。
 義母の描いた百日紅の絵手紙は、特に印象的だった。
『いちばんの思い出、百日紅』と記された花は、淡いピンクが見事だった。
「思い出って、なんですか?」
「おとうさんにプロポーズされた場所に咲いていたのよ」
「まあ、素敵じゃないですか。どんな場所なのですか」
「お堀のそばの公園よ。今もその百日紅があるわ。こんど一緒にいきましょうか」
 志津子にそう言われ、春にでかけたことがあった。もちろん、そのときは百日紅は咲いていなかった。花壇にヒナゲシがいっぱいに背丈を延ばしていたのが印象的だった。

「公園の様子も、すっかり変わったわね。ここにはベンチなんてなかったわ」
「もう四十年以上前でしょう?」
「そうよね。月日のたつのは早いわ。そうそう、このあたりよ。あの人、なんか照れくさそうに横を向いたまま、ぼそっと言ったの。僕のお嫁さんになってくれないかって」
「へえー、このあたりで?」
「わたし、その言葉待ってたのよね。なんとなく、この人となら、と思うようになっていて。で、オーケーしたのよ」
「すぐにですか?」
「ええ、その場で。そしたら、あの人、わたしの手をじっと握り締めてきて」
「まあ、お義父さんが」
 いつも真面目な顔をしている義父が、義母の手を握る様を想像して、ちょっとおかしな気分になった。
「そのとき、あの人の顔の向こうに百日紅が咲いていたの。だから、ちょうどこのあたり」
「素敵な話ですね」
「結婚して、しばらく、この近くのアパートに暮らしていたのよ。結婚して2年目で、志穂が生まれ、また二年して正樹が生まれたのよ。志穂が小学校の二年生になるまで、そのアパートにいたの。よく、ここへ家族4人で散歩したわ。当時のことを思い出すわね。ちょうど由美さんと同じ年頃だったかしら」
「この百日紅も昔のままですか」
「そうね。もっと小ぶりだったと思うけど、木の形はそんなに変わらないわ」

 幸せだった二人。子どもを二人もうけ、育て、そして、どちらかが先立って逝く。それは、どんな家庭にもあること。
 葬儀社が来て、斎場の手配やら準備を進めてくれる。親戚も次々にやってくる。
 が、夕刻になって通夜の会場へ向かおうとしたとき、由美は義父がいないのに気付いた。
 家の中をくまなく探してみる。しかし見つからない。
「お義父さん見ませんでした?」
 正樹の姉の志保に聞いてみる。
「えっ、どこにもいないの? いよいよ徘徊老人になったのかしら。駄目な父さんね」
 正樹も、一時間ほど前から見ていないという。
「お通夜だっていうのに、なんて親父だ。本当にボケて街へ出てしまったのかなあ」
「警察に保護をお願いした方がいいわ」
「そうだね」
 正樹と志穂は、あきらめたような表情で言う。だが、由美は、もしかしたらと思った。どこか思い出の場所に出かけたのではないかと。
 アルツハイマー症の場合、自分の居場所や名前さえ忘れてしまうことがあるというが、正二郎はちょっと違うような気もする。老人性の痴呆症には、様々な原因があり、その症状も一様ではない。場合によると、過去のことはよく覚えているのかもしれない。もし、そうだとすれば。
「わたし、ちょっと心当たりがある。見つけたら携帯で連絡するから、警察に捜索願を出すのはちょっと待ってて」
 由美は正樹たちにそういって、喪服のまま車に乗った。車なら、あの公園まで十分とかからない場所だ。
 すでに闇が迫っていた。以前、志津子に連れられて訪ねた場所へいくと、ベンチに座る男の影があった。案の定、義父だった。
 その上には、百日紅の花がいっぱいに咲いていた。
「お義父さん」
 由美は声をかけた。
「おお、志津子か?」
「いやだ、由美ですよ。さあ、帰りましょう。正樹さんや真奈たちが待っているから」
「なんだ、志津子じゃないのか。志津子は来ないのか?」
 義父は、どうするつもりだったのだろう。もし、自分が姿を見せなかったら、いつまでも公園のベンチに座り続けていたのかもしれない。
「あ母さんは、亡くなったのよ。今夜、お通夜なんだから、お義父さんがいないと駄目じゃない。寂しがるわよ、お母さん」
「そうか、亡くなったのか。あなたは志津子じゃないのか?」
「由美ですよ。正樹さんのお嫁の由美。さあ、行きましょう」
「なあ、志津子、百日紅が咲いてるぞ。きれいな花だなあ」
「きれいですね。ほんとに。そうだ、この枝、一輪、頂いていきましょうか。お義母さんの霊前に供えるのよ」
「折ってもよいのか?」
「いけないかもしれないけど、わたし折っちゃう」
 由美は、手の届く枝の先に咲く一塊の花を折り取った。
「ほら、これをお義母さんの前に供えるの」
「きれいな花だね。そうだ、ご飯、まだだったよ。腹が減った」
「じゃあ、ごはん、食べにいきましょう。車で来ているから、乗っていきましょうね」
「はい、志津子さん。あのう、手をつないでいいですか」
              
                     おわり