芳太郎詩集~4 大根 2015-02-16 12:06:54 | 食物の咆哮 野菜編 芳太郎詩集~4 大根 最近ぼくは、詩を語り始めた。 むろん聞き手がいなければ、空しい雄叫び。 でも、もう四捨五入すれば70代の老人にできる 最低限の表現。 ぼくはこれから、語り続けたい。
人参の考察 2012-11-01 09:03:56 | 食物の咆哮 野菜編 人参が大地に突き刺さり 思案に暮れている 人参が哲学者であることは 山田さんの息子も言うとおり 空のかなたでは 青紫の蝶が舞う 君はたぶん 人参の突き刺さる姿に感動するだろう 大地は黒く 悲しみの涙で黒く黒く濡れ 蒼い茎に風が吹き抜けていく 晩秋の風 ぼくは人参を思う なぜ大地に突き刺さっているのか 自問自答する そして涙を流す いつか訪れるあの日を待ちながら
冬に飛ぶ大根 2009-12-17 07:07:14 | 食物の咆哮 野菜編 大根は木枯らしをうけ 冬に飛ぶ さわさわと枯れ薄が騒ぎ ヒヨドリが叫ぶ中 大根はひたすら飛ぶ 冷たい大気は切り裂かれ 大根の稲妻は国道246号の 大型トレーラーに激突 アスリートの屁のようなクラクションが 散歩の犬を驚かす 絶望への序曲はクラッシュ音 大根は飛ぶ 冬だからこそ 重い大気に浮かび 疾走する稲妻となって 大根を侮ってはいけない 大根を軽視する心に巣食うのは ムカデのように邪悪な怨念 大根は飛ぶ 明らかな意図と意思 固い決意を持って飛ぶ 冬の大根 はたして君は大根になれるのか
使いまわされるサンチュの悲喜こもごも 2009-07-07 07:07:51 | 食物の咆哮 野菜編 サンチュ、洗えば使い回しOK 韓国、処罰化で例外基準(朝日新聞) - goo ニュース パセリ サンチュ オオバ クレソン おでんのダイコンのような存在感はなく ネギヌタやキンピラゴボウのように 名前をいただくでもなく 料理の傍らにひそりとたたずむ野菜たち 食べ残しは無残に捨てられ 残飯の腐臭の中で絶望にかられ 涙を落してきた野菜たち その野菜のひとつ サンチュが復権の栄光を勝ち取った 韓国で サンチュの喜びの一方で 日本のパセリは依然哀しい 昨日はデニーズで 一昨日はガストで 三日前はロイヤルホストでパセリが泣いていた 農家の自販機で100円で売っていたサンチュ 昨日買い サラダで食べた 庭のパセリも添えて パセリを食す 口の中でせり科特有の味わいを僕に与えてくれる そしてうれしそうに言う おいしいでしょう サンチュに負けないでしょう ぼくは皿の上に目を落とし 言葉を濁す まあね 今日は七夕だ
朝市で枝豆を買う 2009-07-05 08:32:42 | 食物の咆哮 野菜編 朝市に自転車で向かう クロスバイクは風を切って走る 農道を3キロ ホトトギスの声が トウキョウトッキョキュカキョク 朝市に集う人々 ニンジン タマネギ キュウリ モロヘイヤ さまざまな野菜の中に自己主張する枝豆 ぼくは枝豆の前に立ち コインを握りしめる ひもで上下を縛った束が300円 300円の枝豆 これください 買った枝豆を エコバッグに入れる 肩にかけ 自転車に乗る クロスバイクはまた風を切る さっそく鍋に水を 湯を沸かす 枝豆をもぎ取り ざるに入れて水洗い 沸いた湯に枝豆投入 待つこと7分 茹であがるとざるに取り 食塩を振りかけ混ぜる 試食する なかなか美味 夜のビールのつまみの完成 妻はまだ眠っている 午前8時45分
ムラサキイモを食す 2008-11-10 06:17:18 | 食物の咆哮 野菜編 ムラサキイモ サツマイモの変種 農協の販売所で購入 蒸して食す あまりおいしくなし 見栄えの悪さ ムラサキのイモなんて 何か汚らしく哀しげ 甘さの欠如 これの決定的な問題点 それなのにどうして ムラサキイモは作られ売られるのか 健康ブーム 沖縄ブーム ゴーヤの二番煎じのイモの味 僕は哀しい 芋は芋らしい色で 食卓に鎮座しなければいけない 芋は芋の自己主張をすべき ああ 黄金色のサツマイモの輝き 糖分一杯の頬が落ちる甘さ ほおばった時の独特の胸やけ感 なのにムラサキイモは 黒っぽい色で悲しげに皿の上に横たわる いかにもまずいような色合いで もう止そう 買うのは 今度はベニアズマだ
アスパラガスは直立不動 2008-06-29 21:28:56 | 食物の咆哮 野菜編 まっすぐに立つアスパラガス 風に揺らぐことを拒否し 毅然と天空に突き進もうとする強い意志 それがアスパラガス 明日の腹の瓦斯 明日腹瓦斯 さっと茹で マヨネーズをつけて食す あるいは軽く食塩をふりかけ 食す 根元から食べるか 頭から食べるか 意見の分かれるところ 私は頭から 必ず頭から ツクシにも似た頭 なんという美味 取れたてのアスパラ しかしスーパーの店頭には 干からびたアスパラが 悲しげな目で私を見る 買って欲しいと懇願しながらも すねたように横たわり 数本の仲間とゴム輪に縛られ囚われの身 ああ アスパラは 悲しげな目で客をまつ
昼下がりの白菜 2007-11-12 14:59:24 | 食物の咆哮 野菜編 白菜が天を見上げ 白い吐息をつく 畑の中 昼下がり 小春日和の大気はぬるく 百舌が浮雲に届けとばかり絶叫する 白菜は行儀よく整列し 百舌の声を聞く 11月12日 欅が葉を赤く染め ススキは銀に輝き 白菜は白く 青白く 葉を巻く 梅の小枝には生き延びていたバッタのハヤニエ 百舌はけたたましく叫ぶ 葱 人参 里芋 そして白菜 畑の野菜たちは陽をうけ 風が走る 農協の売店に並ぶ白菜をひとつ 100円玉1個、50円玉1個と交換する 白菜は嬉しいのか それとも哀しいのか ずっしりと腕の中 秋はしだいに冬へと 冬へと
トウモロコシは野菜として自己主張する 2007-09-09 18:54:13 | 食物の咆哮 野菜編 まぎれもなく穀物でありながら 野菜として自己主張するトウモロコシ 日本の食卓では あくまでも野菜なのだ コーンとニンジンとグリーンピースのミックスベジタブル そう、野菜なのだ 米、小麦、とうもろこしの 三大穀物でありながら なぜか野菜としての地位を確立し 食卓に 肉料理のかたわらに鎮座したりする 時にはコーンスープとして スープの底に沈み スプーンの訪れを待つ バーベキューでも 独特の位置に立ち 肉やシイタケやエビとハーモニーを奏でる ポップコーン 東京ディズニーランドの見物客の首にぶら下がる ポップコーン 少女は快い噛み音を響かせ齧る やはりおいらは そう、北海道の焼きトウモロコシ 食べたあとに残る皮 歯の隙間で いつまでも存在感を誇示する 爪楊枝が不可欠な奥歯の隙間 ああ、トウモロコシの正しい食べ方はいったい 正当なトウモロコシの食し方 それは我が家では謎につつまれている が、今トウモロコシに受難の時が そうなのだ エタノールの原料としてのトウモロコシ そのために失われる食料としてのアイデンティティ 石油の代替燃料としてのトウモロコシに 遺伝子組み換えは当然のごとく行なわれる もはや食すことの叶わぬトウモロコシ ああ、食料の需給バランスは 人々のエゴによって崩壊していく トウモロコシは哀しげに畑で揺れる 新大陸から来たはかない数百年の夢 燃料にされてしまうせつなさ トウモロコシよ それでも力強く行きよ たくましく まるで男性自身のように硬く直立するトウモロコシ 妻はそんなトウモロコシが好きだという そしてうっとりと齧り続ける
悲しみに打ちひしがれたカボチャ 2007-08-23 19:56:53 | 食物の咆哮 野菜編 畑で見捨てられたカボチャは 悲しみにくれる なんという仕打ち 豊作は 不幸を生む 私はカボチャの栄光の時代に 思いをはせる 戦後の焼け野原に咲いた黄色い花 むろん、見たことはない 幻の花 ぶっきらぼうに大地に横たわるカボチャ 抜ける青さの空 戦争は終わった カボチャは実った 人は貧乏でありながら 希望に満ち 灼熱の大地をさまよう カボチャの黄色い果肉 えもいわれぬ甘さ 煮てもよし テンプラもよし スープもよし カボチャパイ なかなかな味わい が、高坂さんはカボチャが嫌いだった 戦後の食糧難 その時代を象徴する色彩 カボチャはカボチャ 今日は 妻はカボチャサラダを作った 甘みのあるサラダ さて、第3のビールを飲もう