観光客「ショック」羅臼沖業者「近づかないで」 くじらウオッチング船眼前で捕鯨(北海道新聞) - goo ニュース
子どもの頃、おいらは鯨の肉をよく食った。牛肉や豚肉は高かったこともあるが、肉そのものが美味しかった。
母が得意だったのは、鯨とミズナの煮つけ。これは美味しかった。本当にお袋の味だった。たぶん、生姜味も加わっていたと思う。味付けがよく、肉も柔らかかった。少年時代は鯨とともに成長したと言って過言でない。
が、いつか鯨が手に入りにくくなった。店から姿を消し、当然食卓からも消えた。
しかし、22歳で東京にでて来て、新宿西口に行くと、鯨が食べられた。感動した。これがまた美味しかった。
はっきり言って、おいらは鯨が好きだ。大好きで、今も飲み屋にあれば食う。
で、今回の鯨ウオッチングと捕鯨のニアミス問題。おいらの場合、可哀想という感情と、食いたいという思いはまったく矛盾しない。
おいらのバードウオッチング仲間で、時々、このブログでも登場していただいている石川史雄さん。彼と野鳥観察の帰りに立ち寄るのは、いつも焼き鳥屋である。
じつは昨夕も、丹沢でヤマセミやアカゲラ、キビタキなどを観察した帰り、彼と焼き鳥をつまみに飲んだ。
そのときの石川さんの話を、ここに載せておこう。
そう、俺が野鳥に関心を持つようになったのは、子どものころのスズメ取りだね。レンガを積んで、罠を仕掛け、米粒を撒いておくと、スズメが引っ掛かる。つかまえた奴を、親父に料理してもらっていたんだけど、そのうち俺も、羽をむしったりさばいたりできるようになって、中学校の頃からは自分でも料理ができるようになった。
スズメの姿焼きが弁当のおかずになっていたこともあったな。しょうゆ味でこんがり焼いて食べると、ほんとにうまい。ニワトリの焼き鳥なんて水っぽくて食えたものじゃない。
で、スズメを食うことから、スズメの生態に関心が強くなって、ほかにもツグミやキジ、カモの仲間など、人間の猟の対象としての野鳥のことを調べるようになったんだ。
自然をしっかり観察すると、いろいろな生態が見えてくる。まず重要なのが、自然界のバランス、持ちつ持たれつの関係だ。小鳥を食う猛禽類。いっけん敵同士に見えるが、小鳥は猛禽に食われることで数を調整し、より生存に適した個体を残すことに成功しているんだ。
スズメは、人の生活している場所にしか生息していない。この事実を知ると、食うもの食われるものの関係も見えてくる。スズメは人に食われるが、食い尽くされない。逆に、人に近い環境で、他の天敵から逃れられている。いわば共生さ。
その典型はツバメさ。ツバメは、人家にしか、それもひと気のある場所にしか巣を作らなくなっている。
つまりだ、人間も、その自然の中に入れてもいいと思う。また、自然のサイクルの中に入れるべきなんだ。里山の大切さは、自然の一員としての人のあり方を教えてくれること。そのバランスを崩したのは、人でもあったわけだけどね。
例えば捕鯨。これは江戸時代に、各地の鯨組が活躍し、勇壮な漁を行なっていた。今のようにエンジンのない時代、船を漕いで鯨に追いつき、銛で突き、仕留めると言う、壮絶な漁でもあった。それこそ男の仕事。ヘミングウェーの老人と海なんてかすむ迫力だぜ。
漁師は、鯨を糧とする一方で、感謝の気持ちも忘れなかった。捕った鯨を供養し、捕りすぎには留意した。
鯨とともに生きた漁師は、鯨のことを良く知っていた。生態を知り尽くしていたからこそ、毎年同じように獲物を得ることができたのだ。
それを破ったのは欧米の文化だった。
黒船来航も、アメリカが捕鯨基地を日本に築くことが第一の目的だった。
で、欧米列強のやり方はごらんの通り。植民地は収奪のかぎりを尽くせるもの。そうした論理が捕鯨にも。やがて鯨の減少に。
つまり、俺が言いたいのは、江戸時代のように、鯨の生態を見極め、適度に漁をすることこそ、自然のバランスを保つことにつながる予感がするってこと。
漁師は鯨のことを知っている。くじらウオッチングに来たにわか観察者とは、深さがまるで違うのだ。
もし本当に、くじらウオッチングに来た観光客が、くじらのことを知りたいなら、観察のあとには鯨ステーキを食うことからはじめるべきだ。鯨を食わずして、鯨を語るな。
石川史雄さんは、また口角泡を飛ばし始める。が、鯨を見たあと、鯨ステーキを食べるのは確かによいアイデア。イチゴ狩り、梨もぎ、栗ひろいなどに通じるし、渓流釣りとバーベキューのセットにも。
と言うことで、鯨を食いたくなったが、今日は冷奴でがまん。
追記・アメリカでは何百万頭というペットの犬が殺処分にあっている。年を老いたペットは殺すという文化。日本でも、10万とも20万とも言われる犬やネコが殺処分に。そういうことなのだ。