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ブログ小説 過去の鳥

淡々と進む時間は、真っ青な心を飲み込む

首を吊る

2007-10-07 16:43:38 | 小説
「鳥居で首つりやめて」映画に抗議 神社関係者「冒涜」(朝日新聞) - goo ニュース

安田意識戻った…「自殺」本気だった(日刊スポーツ) - goo ニュース

 鳥居で首を吊る。
 そんな発想は、おいらにはまったく起きなかった。こういう小説を書くときも。なかなか気合の入った発想である。状況によっては命がけ。宗教によっては、この映画の監督が村長のようにつるし首になることも。
 が、映画制作者は、別に神道に深い意図もなかったようだし、パロディーにと言う思いもなかったようだ。いささかがっかり。宗教に関わる事物を小道具に使う場合、それだけの決意というか覚悟が必要。所詮は日本のB級映画。

 そんでもって、プロレスラーの安田さんが、自殺未遂。元小結。出身母体の相撲協会は事実上自殺したが、元相撲取りにまで死んでほしくない。

 と言うことで、優柔不断なおいらは、以前書いていた掌編を、首吊りや自殺未遂が話題に上ったついでに虫干ししておく。
 まだ書きかけで、もっと練りたいところだが、その状況に応じて改めて書き代えたい。
 とりあえずは今の形で。

 ほかの人たちのブログに比べれば、かなり長文のため、よほど時間をもてあましている方か、物好きな方にしかおすすめはしない。
 まあ、気が向けば、ご一読を。


  首吊りの木

 公園の遊歩道をだらだらとのぼっていくと、見晴らし広場に出る。その広場のほぼ中央に楓の老木があった。
 幹の直径は一メートルほど。手や足をかけるのに適度な凹凸のついており、いかにも登ってくれと言わんばかりの樹形である。
 地上三メートルほどのところで、枝が真横に伸びていた。太さはおよそ二十センチ。人ひとり程度の重量には、十分に耐えるだろう。前から目をつけてはいたが、あらためて見直して見ると、しっかり大地に根を下ろした老木のどっしりとした風格が感じられる。
 すでに東の空は明るさを増していた。急がねばならない。
 俺は用意したロープを肩にかけ、木登りにとりかかった。
 子供の頃は、よく木の上で遊んだものだ。今にも折れそうな枝先まで登って、柿やアケビの実を採ったことがある。廃材や針金などを使って樹上秘密基地を作ったこともある。あの頃は無邪気で、心から木登りを楽しんでいた。だが今は違う。感傷的な気分には浸ってはいられない。
 真横に伸びた枝にたどりつくと、作業にとりかかった。まず、ロープの一方の先端を枝に巻きつけ、固く結わえた。もう一方の端は、すでに輪っかにして結んである。それを俺の首に通した。
 輪を少し縮めてみた。ロープの素材は綿で、肌触りは悪くない。輪っか部分の結び目を、首の後ろにまわした。ネクタイを背中で結んだ按配である。ロープは、喉仏と顎の間にぴったりフィットした。
 準備はそれだけだ。問題はないはずだ。このままひとっ飛びすれば、一瞬ですべてが終わる。何もかも解決できるのだ。会社の金を二千万円も使い込み、ギャンブルですってんてんになったことも、女房や子どもに愛想をつかされ、離婚手続きを迫られていることも全部チャラだ。サラ金からの借金も、滞っている住宅ローンもチャラになる。俺の腕と足を、木の枝からちょこっと外すだけでいい。たったそれだけのことで、すべてがリセットされてしまう。

 そもそも、ことの起こりは四年前だ。九州出張がいけなかった。取引先の営業マンに誘われ、生まれて初めて競輪場に足を運んだ。その時のメインレースで、妻の富美子のフミをとって、二‐三を一点買いした。中穴が的中し、一万円の車券が、なんと二十七万円になった。典型的なビギナーズラックである。以来、東京に戻ってからも何度か通ううちに病み付きになってしまった。
 もちろん、すぐに負けが込むようになった。小遣いはたちまち足りなくなった。それを取り戻すため、会社の金を一時借用して競輪場に向かった。給料日までの短期の借用のつもりだった。それがいつのまにかかさみ、尋常な方法では返せなくなった。尋常でない方法となると、ギャンブル以外にない。なんとか大逆転をと思ってずるずると借用を重ねていくうちに、二千万円というとんでもない金額にのぼっていたわけだ。二日後には監査の手が入り、帳簿の異常が確実に露見する。
 いまさら後悔しても、時間を戻すことはできない。離婚、懲戒解雇、横領罪、自己破産、刑務所暮らし。どう考えても明るい将来は見えてこない。その絶望的な状況から脱する方法はたったひとつ。それしかない。
 ポケットには、妻と会社に宛てた二通の遺書が入っている。とりあえず万全である。だれが見たって、俺はこれから首を吊ろうとしている、と思うだろう。

 しかし、俺は死にたくなかった。死なずにすんで、しかも借金をチャラにできる方法。それがあれば……。
 俺は考えた。考えに考え抜いたあげくの結論がこれだ。つまり、一世一代の命を賭したギャンブルである。
 善良な市民と呼ばれる連中は、自殺者に対して、『そこまで思い詰めていたのなら、ひとこと相談してくれればよかったのに』なんて言葉をよく発する。ということは、相談すれば乗ってくれると理解できるわけだ。相談を受け、それに乗らなかったために自殺をされたのでは、寝覚めが悪いはずだから。
 しかし、いくら善良な人間でも、ない袖は振れない。俺を救うには、二千万円の現金が是が非でも必要だ。それを出せるのは、酔狂な金持ちに限られる。逆に考えれば、金持ちなら助けてくれる可能性が高いということだ。何せ人の命がかかっているわけだから。その奇特な人物の登場に賭けるのである。
 助かる確率を高めるため、俺は超高級住宅街の公園を選んだ。早朝には、このあたりの金持ちの年寄り連中がよく散歩しているはずだ。連中は、首を吊ろうとする人間を見捨てることはないだろう。二千万程度のはした金の相談なら、気軽にのってくれると考えるべきだ。それが俺にとって最後の望みでもあるわけだが。

 俺は、木の上で待った。
 待ってみると、なかなか人は来ない。五分たち、十分が経過する。誰も来ない。
 小便がしたくなってきたが我慢した。
 と、三十分ばかり経って、ようやく前方から待ち人が現れた。
 年配の夫婦だった。いかにも早朝の散策を楽しんでいる風だった。
 俺は、擬態した昆虫のように、木の上で身体を固めた。十メートルほどの距離までくると、わざと木を揺らせて存在を知らせた。
 男の方がまず俺を発見した。不思議そうに見あげた。
「おい、あんなところに人がいるぞ」
「まあ、どうしたのかしら」
 目が合った。俺は、首にかけたロープを確認するようなそぶりを見せた。
 気まずい沈黙のあと、男は声をかけてきた。
「そのかっこう、もしかして、首を吊るつもりですか?」
「ええ……」
「へえーっ、自殺するんですね?」
「ああ、止めないでください」
 俺は、本気であることを知らせるため、語気強く言った。
 相手は、表情をほころばせ、声まではずませた。
「本当ですか、すごいなあ。もちろん、止めたりなんかしませんよ。これから死ぬんですね。見せてもらっていいですかね。わたし、この歳になっても、まだ人が死ぬ瞬間ってやつ、見たことないんです。なあ、お前も見てみたいだろう」
「もちろんですわ。私だって、人が死ぬ瞬間を見たことがないのですもの」
 女の表情も、嬉々としていた。
 俺のシミュレーションに全くなかった相手だ。俺は絶句した。だが、何とか取り繕わなければならない。
「しかし、人が見ている前で死ぬのもなんですし……」
「見てたっていいじゃないですか。どうせ死ぬんだったら、恥ずかしいことはないでしょう」
「じたばたするかもしれないでしょう。人に見苦しいところは見せたくありませんし」
「ご心配なく。ご家族には、立派な死に際だったとお伝えしますよ」
「そうだわ、あなた、携帯を持ってるでしょう。そのカメラで死ぬところを記念に撮ってあげたらどうかしら。きっとご家族も喜ぶわ」
「そうだね。生前の最後の写真だものね。こんなちっぽけなカメラだけど、しっかり撮ってあげますよ」
「あなたたち、死にたい理由を聞かないのですか?」
「そりゃ、聞きませんよ。いろいろな事情があったのでしょう。でも、プライバシーに踏み込むのは苦手でね。死ぬところを見られれば十分です。原因より結果がすべてです。そうだ、ご遺族の住所をお聞きしておきますよ。最後を見届けたらご連絡しますから。とても元気に死んで行ったと報告しておきますよ」
「しかし」
「あなた、言いにくいのかもしれないわよ。自由気ままに死なせてあげれば」
「そうだね、身元はいずれわかるだろうし。ごめんごめん、いらないことを言って中断させてしまって。さあ、このカメラ構えていますから、どうぞ気兼ねなく首を吊って下さい」
 俺の賭けは、ものの見事に外れてしまった。最後までつきがなかったということだろうか。
「死ぬんだったら、もう恥ずかしいことはないでしょう。さあ、早く」
「本当に、死ね、というのですか?」
「死にたかったのでしょう。さあ、明るく、力強くジャンプだ」
「明るくは変よ。自殺するんだから、暗い表情でなきゃ」
「そりゃそうだね。重く暗く、これから死ぬんだ、という表情でお願いしますよ」
 俺は、死ぬ気が失せていた。死ぬことが阿呆らしくなってきた。
「死にたくないんですよ」
「えっ、どうしてですか。私たちが邪魔立てしましたかね」
「悪いことをしたかしら。せっかく自殺をしようとしていたのに」
「私たちのことは忘れて、どうぞジャンプしてください」
「本当に死ねって言うのですか。あなたたち、本当に止めないのですか」
「だって、あなたは死にたいのでしょう。思いを遂げたらすっきりしますよ」
 最後の最後で、こんな連中にぶつかるなんて、どこまでついていないのだ。
 俺は、もう自棄だった。早く終わらせたかった。どうせ、これから生きていても大した人生を送れるわけではない。
 一瞬、俺は恐怖でロープを握った。
 気合を入れて宙に舞った。ぶら下がった、と思ったら、ロープの結び目がほどけ、俺は地面に向かって一直線に飛んでいった。
 真下でカメラを構える男めがけて。
 俺は、その男の身体に激突した。男は倒れた。そこには岩があり、後頭部をしたたか打って、頭が割れたようだ。血が一瞬にして噴き出した。
 俺の方は、男がクッションになって、大きな衝撃を受けずに着地できた。尻餅をついて倒れこんだが、命には別状があかった。
 下になった男は、そのまま、起きることはなかった。

 男は死に、俺は死ななかった。生き残った俺は、その後、横領やら過失致死やらの罪で、三年を刑務所で過ごすはめになった。およそ人生というのはそのようなものらしい。
 刑務所の暮らしは快適だった。命令に従っていれば、何不自由なかった。なによりも食うことの心配をしなくていいのがよかった。出所したらまず、俺に相応しい木を探そうと考えている。
 今度こそ間違いなく首を括ることのできる木を。
 その日を楽しみに、充実した刑期を塀の中の世界で務めているところである。

        終わり


極刑を求める心

2007-10-06 18:15:38 | 小説
極刑求める署名11万超=女性拉致殺害-名古屋 (時事通信) - goo ニュース

 近所に万福寺というお寺がある。うちの娘が小学生の頃、仲良しの同級生の子どもがいてよく遊んでいた。
 住職は実にさばけた人物で、子どもたちのクリスマスパーティーに、広いお寺の本堂を使わせてくれたりした。本尊の観音菩薩像の前にクリスマスツリーなんかを飾り、親も大勢参加してけっこう盛大に行なったものだった。「きよしこの夜」を、住職の叩く木魚に合わせてみんなで歌ったりするのも、実に不思議な光景であるが、別に違和感なく楽しめた。
 以来、住職とは懇意にしていただき、道で会っても立ち話なんぞをよくするようになった。
 で、今日は土曜日。仕事もとくにないため、妻の手伝いで家の前の道路のゴミ掃除をしていると、住職が犬を連れてやってきた。うちの前は犬の散歩コースらしく、これまでも何度かであったことがある。

「これはご住職、おはようございます」
「おはようございます。いい天気ですな。何とか秋らしくなってきて」
「今年は暑かったからですねえ。娘さんはお元気ですか?」
「ええ、なかなか親の言うことをきかない娘で参っています」
「うちもですよ。夜遅くまで帰って来なかったり」
「ほんとに最近の若い娘は怖いもの知らずで」
「住職のオタクでもですか。お寺の近所は、夜は暗いじゃないですか。心配でしょう」
「そうなんです。物騒な事件が起きていますからね。拉致したり、殺人事件を起こしたり」
「恐ろしい世の中ですよね」
「末法の世でもないのですが、何か人心に乱れがありますね。人を殺すことが目的の犯罪なんかも多発しておりますが、ほんとに悲しむべきことです」
「そうそう、今朝、ネットで見ると、名古屋のほうで起きた殺人事件の犯人に、極刑を求める署名がどんどん集まっているようですね」
「それもまた悲しむべきことです」
「それも、と言いますと?」
「極刑を求める署名があつまるということです」
「ほう、それはどうしてですか?」
「親鸞上人もおっしゃっています。『善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや』と。この言葉にあるように、どんなに悪人でも、罪を心から悔いれば澄み渡った心となり、往生できるのです」
「悪人正機って考え方ですよね。ぼくも習ったことがあるような。でも、ご住職のお寺は曹洞宗じゃないのですか。親鸞は確か浄土真宗」
「わたしはそんな細かいことにはこだわりません。人はどんな信仰をもとうと、清く正しく生きればよいだけなのです。わたしはキリスト教だって、イスラム教だって同じだと思っているのです。人の心を救済し、清く正しく誠実に生きることを解くのが宗教ですから、求める心は同じなんです」
「でも、清く正しくが簡単にいかないから、いろんな事件が起きるわけでしょう」
「そうです。哀しいことです。憎悪が産むのは憎悪だけ。そりゃ殺生は大罪です。しかし、その大罪を許す気持ち。それが慈愛と言うものです。わたしもその事件のことや、被害者のお母さんの話を耳にしています。お母さんにしてみれば無念でしょう。相手を殺したくなるほど憎いでしょう。でもいつまでもその気持ちを維持できるでしょうか。わたしは疑問に思います」
「と、言いますと?」
「犯人は虫けらのような人間かもしれません。でも、虫けらにも命があるのです。仏の教えでもっとも戒めているのが殺生です。その心は、やがては被害者の家族の心に芽生えてくるものと期待しているのです。で、恐ろしいのは、署名をした10万を超える人々の心です。そりゃあ、酷い殺人犯かもしれません。しかし、それは被害者のお母さんのホームページやマスコミの報道などで伝えられている犯人像に過ぎません。被害者の遺族が極刑を求めるのは理解できます。それは肉親として当然です。が、それに賛同し、署名する人たちに危うさを感じます。そうした心が向かった先がどんなに危険だったか、過去の歴史が物語っています」
「しかし、あんな凶暴で人間とも思えない犯罪者が、再び外へ出てくるようなことがあれば、また犯罪を繰り返すだけかもしれませんし」
「そうと断言できますか。更生するかもしれないじゃないですか。わたしとしては立派に更生させることにかけたいです。10人のうちひとりでも更生することができるのなら、極刑にすべきでないと考えます。私の尊敬する弁護士の大平光代さんは、この殺人犯と大きな差のない生き方をしていました。ほとんど絶望的な生き方をしていた人です。けど、完全に更生し、今は弁護士として少年の非行問題などに真剣に取り組まれています。彼女にも更生のチャンスが与えられ、それを支えるバックグランドがあったからこそ、人のために生きる道を選んでおられる」
「でも彼女と決定的に違うのは、犯人は殺人を犯していますからね」
「確かに殺人を犯しています。でも、法治国家では裁判で公正に裁かれるべきです。その法に影響を与えるような署名活動が正しいこととは考えにくいのです。仮に認められても、署名しようとする心は、わたしには納得がいかない。署名者は、殺人を認めることになるわけで、仏門にいるものとしては、ただ不殺生を説くだけです」
「もしですよ、ご住職の娘さんが、このような犯人に殺されるようなことがあったらどうでしょう」
「そういう仮定で反論する人もいますが、だから極刑に、という論理は成り立ちません。仮定でモノを論じるのは老獪な詭弁に過ぎません。子どもが殺人被害に遭う可能性は、宝くじに当たるより、はるかに確率が低いのです。この世の中に、宝くじが当たることを前提に生活設計を立てる人なんていないでしょう。めったにないことです。そんな事件にもしあえば、そのときに考えればいいのですよ。それも運命なのですから」
「死刑があることで、殺人の抑止効果があるとも言いますが」
「そんなことはまったくありませんよ。アメリカでは州によって死刑があったりなかったりするけど、死刑のない州で殺人が多いなんてデータはない。かえって日本のように死刑のある国では、もう死刑にしてくれ、とばかり凶悪な犯罪に走るケースもあります」
「しかし、犯人を憎いと思うのは親の情で」
「例えば広島では原爆が落とされ、一瞬のうちに十数万もの命が奪われました。それで、アメリカの軍人に対して極刑を叫んだ日本人はひとりでもいましたか。十数万もの人が、人権もヘチマもない酷い殺され方をしたんですよ。なのに、アメリカ人にチョコレートやチューインガムをねだったりこびへつらったり。それが日本の戦後だったのです。憎しみは、こういっちゃ悪いですけど、社会の状況によって変化するものなんです」
「でも、あれは戦争だったから」
「戦争だから諦める、平和な時代だから諦めない、と言うのは変です。戦争は国が行なってることで、個人にとっては肉親の命はかけがえのないものです。その命をできるだけたくさん奪い、相手を打ちのめすのが戦争です。そんな野蛮なことは僧侶として絶対に許せません。国家の都合で戦争に巻き込まれ、命を失うなんて、どんな理由があるにせよ認めませんね。わたしは、宗教家でもあり、報復や復讐でしか恨みを晴らせないような人間を認めたくない」
 これは、おいらよりも過激な反戦論者で、死刑反対論者のようだ。
 世の中には様々な人がいる。宗教家も人それぞれ。なんとなく恐れ入りましたと言うしかない。
「分かりました。貴重なお話ですね。このお話、ぼくのブログに載せてよろしいでしょうか」
「ええ、けっこうですとも。愚僧のたわごとですが、ひとりでも多くの方に考えていただきたい。ぜひ皆さんに知らしめていただきたいと思います」

 と言うことで、かなりストレートではあるが、住職の言葉を載せさせていただく。
 以前もそうであったが、このような文を書くと、必ず批判をいただく。時には脅迫めいたお言葉も。
 さて今回は。

爆裂ネンキン論争

2007-10-06 07:24:06 | 小説
年金着服、「免罪は論外」=舛添厚労相を援護-石原都知事 (時事通信) - goo ニュース

社保庁職員、再雇用は処分歴を重視 採用基準骨抜きも 年金機構中間報告(産経新聞) - goo ニュース

 おいらは、もともと政治や経済に疎い。にも関わらず、年金の問題にチャチャを入れてきた。半可通な知識で批判するのはいけない、と反省し、年金問題を詳しく調べて見たいと思った。
 で、誰かレクチャーしてくれる先生はいないか、ということ。
 思いついたのはバードウオッチング仲間の石川史雄さん。彼は一応は大学の近世史の非常勤講師。
「ブログを書く参考に、年金に詳しい先生に話を聞いて見たいのだけど」
「ネンキンに詳しい先生ね。そうそう、ウチの大学の同僚でいるよ。谷村先生。彼はネンキンに詳しい。けっこう物好きな先生だから、きっと話に乗ってくれるよ」
 というわけで、石川さん一流の罠であることも知らずに電話をかけてみた。

「もしもし、谷村センセですか?」
「ええ、そうですが」
「わたし、石川センセの友人で……」
「あああ、聞きました聞きました、さっき電話があるという電話で聞きました。で、デンワ急げ、なんちゃって電話してきたんでしょう」
 なんというセンセイだ。いきなり恐ろしくダサいダジャレを飛ばすセンスに圧倒されてしまう。が、そこはひるんではいけない。
「ええ、まあ。それで、お話を聞きたかったのは、年金のことでして」
「ネンキンのことなら、わたしにお任せ下さい。そもそも南方熊楠の研究も、このネンキンから入ったのですから」
「はあー? で、その年金の制度のことですが」
「ネンキンの制度? ネンキンの場合、セイドではなく、セイタイでしょう」
「年金のセイタイ?」
「そうですよ。熊楠は、粘菌の生態を事細かに調べ、まあ、日本の変形菌研究の基礎を作ったわけですね。この変形菌、つまり粘菌はアメーバ状の時代と、子実体と言って、まあ、きのこのような状態があって」
「センセ、それって、ネンキン違いじゃありませんか?」
「ネンキン違い?」
「ぼくの聞いてるのは、社保庁の集めていた年金のことです」
「シャホチョウ? なんです、それ」
「ほら、社会保険庁。今問題になっているでしょう。横領だとか無駄遣いだとか」
「ああ、あのシャホチョウね。あそこも大変ですね。年金として集めたお金が、粘菌みたいにアメーバ状になって、大地に滲みこみ、溶けるようにいろんなところに消えていったわけでしょう。年金の粘菌化ですね。いやあ、教訓的な話です。さらに、子実体まで成長しても、ホコリのように飛んでいったわけですね。きっと南方熊楠もそこまで予想はしなかったでしょう。年金の粘菌化こそ、現代経済の命題であって、これはマスゾエ大臣の聡明なハゲ頭をもってしても解決不能、インポテンツエッシャーバッハ状態なのですね」
「なんですか、それ」
「つまり、粘菌は年金たりえず、年金は粘菌たり得ない。覆水盆に返らず、流用したお金は消えたのではなく、エネルギー保存の法則によって収支ゼロは保たれているわけです」
「センセ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。アメーバ状になって溶け出している。脳みそがだらだらと。ああ、ケネディー大統領の銃撃で頭から吹き出る脳を、ジャクリーン婦人はかき集め、再び頭へ。しかし脳は返らない。ノーモア広島」
「困ったなあ。センセ、もう電話、切りますよ」
「電話を切る。それはいけない。まだ話は終わっていない。オワリ名古屋は城で持つ。年金の粘菌化は冬の人参であって、決してマツタケにはなれない。ああ、粘菌よ、原点に戻れ」

 おいらは電話を切った。
 これはなんだ。石川さんの明らかないたずら。
 いつかはこの仕返しをしてやろう。
 とりあえずは、今度バードウオッチングに出かけるとき。



相撲協会拉致監禁事件

2007-10-05 07:29:50 | 小説
力士急死問題で時事通信が誤報、編集局長ら4人を懲戒処分(読売新聞) - goo ニュース

 昨日、友人で映像関係の仕事をしている篠塚哲平君の話をブログに載せた。
 で、そのブログを読んだ哲平君が、また電話をよこし、相撲協会によるマヌケな拉致監禁事件について話してくれた。
「あんたのブログ、けっこう相撲のこと書いてるじゃん。これもネタにどうよ」
 と言うわけ。
 ネタの提供はうれしい。おいらの脳みそは枯渇しているので、さっそく使わせていただいた。これは、鉄平君の話をもとにして書いている。どこまで本当でどこまでフィクションか、読み取るのは皆さんの勝手。
 誤報であっても平気なのが、何せフィクションの強み。


  相撲協会拉致監禁事件

 と、大層なタイトルだが、これはぼくが本当に出会った体験。
 昨年のこと。ある映像プロダクションの仕事で、隅田川界隈の風物を紹介するビデオを制作した。
 撮影のスタッフは3人。カメラマン、音声、そして演出のぼく。
 両国の界隈の撮影の時、ちょうど国技館で相撲が行なわれていた。
 ぼくは街の風物として、はためく幟を撮りたくなった。あの力士の名前を書いた幟だ。あれは絵になる。
 で、遠めの映像を撮ったあと、間近から仰角で撮ろうと近づき、カメラの三脚を立てた。そのときだ。ガードマン二人がすっ飛んできた。
「あんたたち、許可は受けているのか」
 ここは公道である。どこからも許可を撮る必要などないはずだ。まあ、厳密には警察に道路使用許可を求めなきゃならないが、この程度の撮影は黙認されている。
「どこの許可ですか?」
「相撲協会ですよ」
「どうして必要なのですか?」
「幟は相撲協会のものなんです」
「そんなの知らなかったです」
「ともかく駄目だから、撮るなら相撲協会の許可を得てください。今、協会の人を呼んだから、ちょっとここで待って」
 もう一人のガードマンが、協会の誰かと連絡を取ったようだ。
 で、2分とたたないうちに、三人の屈強な男が現れた。明らかに元力士という体型。身長185センチ、体重140キロ、と言う連中に、囲まれてしまったのだ。これはかなり恐ろしい。
 中でもひときわ大きな男が声をかける。
「あんた、どこの会社?」
 ぼくは制作会社の名を教えた。
「名刺持ってるでしょう。渡してよ」
 ポケットから名刺を出した。
「こういう会社ですが」
「知らない会社だなあ。NHKじゃないのね」
「ええ」
「記者クラブにも入ってないんだろう」
「入っていませんが」
「だったら、協会に無断じゃいけないよ。ちゃんと申請してからにしなさい。申請の仕方を教えるから、事務所に来なさい」
 何せ相手は巨漢だ。ぼくは、カメラマンたちをその場に残し、巨漢に囲まれて事務所に向かった。

 事務所の中には、巨漢がゴロゴロいた。顔つきを見ても、知性のなさを体重でカバーしている連中ばかり。
「これが撮影許可の申請用紙です。これに目的や使う内容、時間などを書き込んでください。で、目的によって、料金も決まっています」
「えっ、料金?」
「もちろん、そっちが商売で使うんだったら、ウチだってお金をいただくのが筋で」
「しかし、道路に出ているわけで」
「料金が支払えないなら、許可しないだけです」
「じゃあ、けっこうです。撮影しません」
「撮影しない、とか言って、ほんとはもう撮ってるだろう。さっきガードマンから聞いたけど、遠くから幟を撮っていたというじゃないか」
「そんなの撮ってませんよ」
「じゃあ、テープを見せてもらおうか」
「駄目ですよ」
「どうしてだ。写していたからだろう」
「そういう問題じゃない。収録テープは外部の連中には見せないものなんだよ」
 そうこうしていると、テレビでみた顔が現れた。髷を結ってないから印象は異なるが、元大関だった男。
「どうした、何があったんだ?」
 周りに巨漢が増えていく。
「こいつが、うちの幟を無断で撮ったのです。こんな会社のビデオなんですが」
 ぼくが渡していた名刺を、元大関に渡す。
「ほう、知らない会社だなあ。なあ、あんた、無断で撮影は万引きと一緒だよ。正直に撮ったテープを渡すか、規定の料金を支払いなさい」
「そんな料金なんて」
「支払えないと言うのか。なら、テープを渡せ」
 周りには8人ほどの巨漢。逃げ出すわけにはいかない。
 となれば、逆手にとること。それ以外にない。何せ相手は元相撲取り。
「分かりました。テープを渡します。しかし、テープにはいろいろなものが映っています。それらはけっこう高価なものなんです。それにテープ代を含めると、かなり高額になりますが、支払っていただけるのでしょうね」
「えっ、どう言うことだ」
「テープが欲しいわけでしょう。だから、規定の料金で売るといってんですよ。お宅だって料金が欲しいわけだ。お互いビジネスだ」
「いや、あんたは、力士の幟の映像が欲しいのでは?」
「ぼくは、もう幟の絵なんかいらない。だから、テープを売るといってんだ。理解できないの。あんたたちは、ぼくの撮った映像を欲しい。だから、お渡しします。それには料金がかかる。これだけのこと」
「しかし、勝手にうちのものを撮ったわけで」
「幟を撮ったわけじゃない。街を撮ったんだ。それが気に食わないのならテープを渡すといってるだろう」

 すったもんだで、30分後に無事解放された。ぼくは強気で対応したが、ほんとに怖かった。小便をちびるほどだった。みんなも一度あの巨漢に囲まれてみるといい。ほんとに怖い。
 で、17歳の少年は、ああ言う巨漢になぶり殺された。
 一歩間違えばぼくも、と言うことはないか。

 まあ、こう言う話も銭儲け集団の相撲協会をめぐってあるとの話。
 

受精卵移植の時代へ

2007-10-04 20:59:52 | 小説
60歳の独身女性が妊娠 米国で受精卵提供受ける(共同通信) - goo ニュース

 受精卵移植。
 なんとなくバイオと言うか、最先端と言うか、怪しげな匂いのする言葉。

 と、映像関係の仕事をしている篠塚哲平君から電話をもらった。60過ぎの未婚の婆さんが、受精卵移植で出産の楽しみや苦しみをぜひ味わってみたいと、受精卵を移植してもらったとのこと。これはシュールな話だが、考えようによっては含蓄のある話。60過ぎて出産なんて、すごくロマンのある話ではないか。
 小池百合子姐さんだって、野田聖子姐さんだって、辻元清美姐さんだって夢ではない話。ということで、ぼくが撮影した、かつての映像の話をしよう。

 もう10年以上も昔のこと。
 この程度の移殖は、家畜の世界では実現していた。
 畜産研究施設で、牛の受精卵移植の取材をしたときのこと。これはなかなかショッキングというか、生々しいと言うか、こんな事が行なわれてよいのか、という体験。
 受精卵移植は、ハイテクとローテクのダイナミックに混在した芸の世界であった。
 研究員は牛の生殖器に腕を突っ込み、内視鏡のモニターを見ながら、卵巣から排出された卵を採取する。牛の性器に突き刺さった研究員の腕。これは、なかなか不気味だ。腕がずぼっと入っているのである。
 牛が無表情なのも気持ちが悪い。それ以上に不気味なのは、発想や原理が極めて簡単なことだ。
 優れた肉牛の子どもをたくさん得たいとき、従来は優れた雄牛の種付けによる方法しかなかった。何千という雌牛に種付けした豪傑もいる。それだけ、雄の遺伝子が重視されたのだが、遺伝学の常識では、雌雄の形質の2分の1を受け継ぐわけだから、雌も優れていたほうがいいにきまっている。ただし雌の場合、一生に産める子牛の数は限られている。2年に1回30年間産み続けたとしても、15頭にしかならない。通常は、一生に産めるのは5頭程度らしい。しかし卵巣のなかには、5万個から7万個の卵子がある。その1割が受精したとして、5~7千頭の子牛の生産が可能なわけだ。それを有効に活用できないか、というのが味噌だ。
 同じ母親の子どもをたくさん作るには、受精卵を別の雌に移植すればいいのである。和牛よりも身体が大きく、肉のおいしくない雌のホルスタインの子宮に、優れた雌の和牛の受精卵を移植し着床させるわけだ。このとき、受精卵を2分割してクローンを作れば、1度の出産で、2頭の子牛を作ることができる。大きな身体のホルスタインなら、双子も負担にならない。
 この研究施設では、腹を貸した白黒まだら模様のホルスタインが、黒い和牛の子どもに授乳している様子も撮影した。どうみてもグロテスクな関係である。
 バイオテクノロジーは、確かに進歩が著しい。畜産の世界では、大きな疑問を抱くことなく、研究から実用の段階に進んでいる。しかし、本当に科学的にすばらしいことなのであろうか。
 人間の女性も、この方法をとれば、排卵日ごとに卵子を取り出すことは可能だ。2分割すれば1卵性双生児も作れる。つまり、一年に20人、30年間で5百人程度の子どもを作ることは可能だ。
 まさか、人間がそんなことをするとは思いたくなかった。が、やってしまったのだ。60歳を過ぎて赤ちゃんを産むわけだ。まったく信じられない話。 
 しかし、現実には信じられないことが次々と起きている。カルト教団の教祖が女性で、女王蜂の生まれ変わりと信じてしまったら。自分の子どもをたくさん作るようにとの神のお告げを信じたとしたら。また、信者が教祖の子どもを孕むことに無上の喜びを感じていたとしたら。
 起きてはならないことが起きるような気がする。
 それにしても。


救急車ってなんだ

2007-10-04 08:10:58 | 小説
試行3カ月で70件=不同意は39件-救急搬送トリアージ・東京消防庁 (時事通信) - goo ニュース


 以前、救急車をテーマのこの小説をアップした。
 搬送トリアージの件が話題になっているとのことで、もう一度リニューアルアップ。この救急医療をめぐる問題は、奥が深い。


  救急車狂

 二十一時十四分。
 二階の休憩室のテレビで巨人対阪神戦を見ていたときだった。九回裏、二対二の同点、ピッチャー藤川、バッター高橋。一死満塁。まさに打席に入ろうとしたとき、救急指令のチャイムが鳴った。
「なんや、なんや」
「またかいな。ええとこやのに」
 俺たち三人の隊員は腰を上げた。
 通信指令室担当官の声が、スピーカーから流れる。
「救急指令、救急指令、横田町三丁目、怪我人発生。右手指切断とのこと。北町救急隊は、ただちに現場へ急行せよ」
「行きまんがな、行ったらええんやろ。ほんま、しょうがないなあ」
 隊長は、大きな声であからさまに愚痴を漏らす。
「ついてないですね。この分やと、巨人は負けますね」
 大阪人のくせに熱狂的な巨人ファンの隊長の横で、阪神ファンの俺は駆けながら、皮肉っぽく言ってやった。
「いや、ヨシノブは打つ。目えが、光っとった。サヨナラホームランとはいかへんでも、センター前の痛烈なヒットぐらい打ちよる」
 螺旋階段を一気に駆け降り、救急車に乗り込む。出動指令では手指切断の重傷とのことだ。たとえ完全に切断していても、病院へ大至急に搬送して縫合手術を行えば、元通りに癒着することもありうる。隊員の意気がもっとも高揚する局面だ。
 運転担当の俺は、エンジンを始動し、サイレンのスイッチをオンにした。
「右よし、左よし、後ろよし、発進」
 サイドブレーキを外し、アクセルを踏み込んだ。
 助手席の隊長は、無線マイクを手にした。
「こちら北町消防署救急隊。ただいま横田町三丁目に向けて発進しました。司令室、どうぞ」
「発進、了解しました。で、ですね、出動要請の通報者は、たいへん言いにくいんやけど、横田団地六号棟の秋野春子です。まあ、トラブル起こさんように、よろしくお願いします」
「えーっ、なんやねん、またでっか。子供が指を切断したなんて、シャレにもならんこと言うてんのでしょう」
「まあ、なんというか。すっぱり切れて血が止まらへん、と、半狂乱なんやけど……」
「了解しましたよ。いちおう行って見ますけど、どうせ、引っかき傷程度とちゃいまっか?」
 俺は、秋野春子と聞いただけで、ハンドルを握る腕の力が抜けていた。
 彼女は、消防本部のブラックリストのトップにランクされている最悪の常習者だ。子供が生まれた二年前からの出動要請は、すでに五十回に及ぶ。俺が消防から救急に転属したのは三か月前だが、彼女への出動はもう五回目だ。
 通報するのは、たいがい夫が不在のとき。子供が夜泣きや微熱などで様子が少しでもおかしいとパニックに陥って、一一九番に電話をしてしまうのだ。
 近頃は、秋野春子のように、ろくに子育てのできない親が増えている。その典型は、子供への虐待だ。ひと月ほど前には、父親から殴る蹴るの虐待を受け、チアノーゼになった全身痣だらけの幼児を搬送したことがあった。あと三十分搬送が遅れていれば、確実に命を落としていたところだったと、医師は言っていた。それに比べればまだましではあるが、親としての資質の欠如は明らかだ。
 もちろん、消防本部としても常習者対策を大きな問題と捉えていた。係官を秋野春子の自宅に派遣して、無駄な出動要請をしないように何度も指導を繰り返していた。しかし、結果は推して知るべしだ。
 そもそも、救急制度にも問題があった。たとえ常習者からの要請であっても、イソップの『嘘つき羊飼い』の寓話のように、本当に狼が現れる事態は十分起こり得る、という問題だ。その万一のケースを見逃すことを、消防署としては恐れていた。恐れるあまり、常習者からの通報であっても無視することができなかったのだ。
 現場に出動して軽傷と分かっても、相手が搬送を要求している限り、我々は拒否できなかった。傷病の軽重の診断は、医師以外に下せないからだ。消防法などでは、虚偽の通報防止のために罰則をもうけている。しかし、傷病の場合、診察では軽くみえても、心因性や原因不明の痛みなどが現実にある限り虚偽と断言できない。したがって、処罰の対象となりにくかった。
 俺たちが無駄足を踏んだというだけなら諦めもつく。問題は、常習者への出動の際に急患が発生し、他の消防署から応援を頼まざるを得ない時だ。距離の離れているぶん搬送が遅れ、それが文字通り命取りになる、という事態も、表沙汰にはなっていないが現実に起きていた。


「あんなやつ、絶対に断るべきですよ」
 俺は、強く隊長に言った。
「そうしたいとこやけど、わしらは医者やないさかいなあ」
「救急隊員は、消防とちごておとなしすぎるさかい、やつらはつけあがるんですよ。どうせ大した知恵のある連中やない。ガツンと一発かましてやったらええんや、ガツンと」
「まあ、そうは言うても、東京みたいにトリアージはないさかい、トリアエズ病院へ……」
「変なダジャレとばさんといて。本人が、要請を取り下げざるを得んように持って行ったらええんです。ぼくがやってみます。隊長より、口は達者でっさかい」
「そやなあ、いつかは断ち切ろなあかん問題やし、ダメモトでいっちょうやってみるか」
 隊長は、あまり気乗りはしないようだが、俺の激しい口調に押されて頷いた。

 何度も足を運び、勝手を知った団地だ。大通りから左折して、六号棟の方向へ車を進めた。いつものように、駐車場脇の街灯の下に、子供を抱きかかえた秋野春子の姿があった。
「遅かったやないか。はよ病院で手当てせんと、この子死んでしまうやないか」
 救急車を近づけると、秋野春子は金切り声をあげて駆け寄り、俺たちにいいつのる。
「子供が、指切ったなんて、ほんまかいな」
 俺は、わざと相手をじらすようなのんびりした口調で言った。
 秋野春子は、泣きじゃくる子供を胸に抱きしめたまま、その手を掴んで俺たちに示した。指には大げさなガーゼが巻かれていた。
「ほれ、ここや、ここ、血イ出たんや、いっぱい」
 隊長はガーゼを取って、マグライトでその指を照らした。傷らしいものは見当たらない。
「怪我なんかしてへんやないか」
 俺は、厳しく決めつけて言った。
「何ゆうてんの、ここや、ここ、ぐっさり切断しとるやろ」
 目を皿のようにして見ると、たしかに長さ一センチほどの引っ掻き傷がある。おもちゃの端で引っかくかどうかしたのだろう。むろん、とっくに血は止まっていた。
「なんや、こんなもん、バンドエイドもいらんぐらいや」
「嘘や、これ、よう見てえな、血イついとるやろ。だらだら出たんやでえ」
 目を皿のようにして見ると、確かにガーゼに二、三滴の小さな赤い斑点があった。
「アホ臭いこと言わんとき。こんなんで病院へ行ったら、医者に笑われるでえ」
「バイ菌が入って、破傷風になるかもしれへんやないか」
「ならへん、ならへん」
「なんで、あんたらに分かるんや。医者やないくせに……」
「医者とちごてもよう分かる。こんなしょうもない怪我で、よう救急車を呼ぶなあ」
「しょうもないとはなんや、しょうもないとは。うちの子の命がかかっとるんやで。もし死んだら、どないしてくれるんや」
「絶対に死なへん」
「あんたの保証なんかいらん。医者に診て欲しいんや」
「それやったら、救急車なんか呼ばんと、歩いて行ったらええやろ。救急車は、一刻を争う病人やら怪我人のためのもんや」
「こんな夜中に、どこの医者が診てくれるゆうねん。救急車が頼りなんや。救急車で行くさかい、診てくれるんやないか」
「あかんちゅうもんは、あかん。それになあ、こんなことで救急車を何度も呼んどったら、そのうち処罰されるで。嘘の通報をしたもんは、逮捕されるんや。留置所に入れられたら困るやろ。もう諦めて、家に帰っとき。どうしても心配やったら、明日の朝になって医者へ行って十分やさかい」
「ああ、そうでっか。あんたら、市民の命がどうなってもええんやな。市長に言いつけたる。情けもなんもない、殺人鬼のような救急隊員やゆうて……」
 秋野春子は、急に開き直った。
 その目は完全に座っていた。危ない表情だ。だが、ここでひるんでは、彼女の思うつぼだ。俺たちはお灸をすえる意味でも拒否した。
「市長は相手にせえへん。それより、子供のためにも家に早よう帰りなさい」
「鬼……。あんたら鬼や。人殺しや。殺人鬼や。ああ、ええわ、もう頼まへん。なんやねん、偉そうに、うちらの税金で養のうてもろとるくせに……」
「鬼で結構や。署への報告は、たいした怪我やなかったから収容を中止したことにしといたげる。念押しとくけど、嘘の通報やったら、逮捕されることになるんやで。また一一九番に電話しても、もう来やへんさかいな」
 常習者は、一種の依存症である。アルコールやギャンブルの依存症と同じで、甘やかしてはいけない。荒療治が必要だ。いつかは断ち切る必要がある。
「もっと大きな怪我やないと、病院へ運ばへんゆうんやな」
「まあ、そう言うこっちゃ、救急車は」
「わかった、もうええ。目障りや、帰れ」
「ほんまに、わかったんやな」
「ああ、ええ、早よ行ってしまえ……」
 泣き叫んで懇願してくるかと思ったが、意外に簡単に引き下がった。
 もういいと言う相手のそばに、いつまでもいることはない。俺たちは引き返すことにした。
 憎しみに満ちた視線を背に受けて、救急車に乗り込んだ。なんとなく危険な予感めいたものがあったが、俺たちとしてもあとへ引けない。俺はサイドブレーキを外した。
「変なこと考えんときや。もう、行くでえ」
 発進の時、隊長も声をかけた。
 俺は、アクセルを軽く踏み、団地の出口までゆっくりと救急車を走らせた。
 秋野春子は、子供を抱きしめたまま、車を追うようにつけてきた。バックミラーには、街灯に照らされ、異様に思い詰めた表情が映る。ちょっとお灸がきつかったかなと思ったが、彼女のためでもある。ここは非情になるべきだ。
 団地の入り口から大通りへ出るため、一時停止して左右を確認した。
 右手から、猛スピードでタクシーが走ってきた。やり過ごしてから、救急車を通りに出そうと思った。
 その時だ。
 秋野春子が、信じられない行動に出た。歩道の端まで駆けて行き、子供を走ってくるタクシーに向かって放り投げたのだ。
 急ブレーキの音と鈍い衝突音が同時に暗闇を引き裂いた。
 人形のような小さな身体が、大きく宙を舞い、団地の植え込みに落下した。
 俺は全身が凍りついてしまった。
 歩道の端には、こちらを睨みつけて立ち尽くす秋野春子の姿があった。
 彼女は、俺と視線が会うと、般若のような目をじっと見開いたままひたひたと近づいてきた。そして、喉の奥から声を絞り出した。
「どうや、これやったら、うちの子、病院へ運ぶのに、文句ないやろ、文句ないやろ、文句ないやろ、はよ運んでええな……」

          おわりだ、コンチクショウメ
                                 


心に鬼が巣食うとき

2007-10-04 06:39:42 | 小説
次女「17歳までに犯行」 京田辺・警察官殺害(朝日新聞) - goo ニュース

彩香ちゃんを邪険に…地裁公判で畠山被告の元交際相手証言(読売新聞) - goo ニュース

 人格障害という心の病がある。統合失調症ともうつ病とも違う心の病。友人の沢井君の娘がそうだという。
 ひと口に人格障害といっても、いろいろな症状というか型のようなものがあるらしい。境界型だとか妄想性だとか、分け方や症例に対する考え方もいろいろあるようだ。
 沢井君の娘は、リストカットにパニック障害、拒食症が交互に襲ってきたり同時にきたり。で、波も大きいと言う。犯罪的なことにも走ってしまった経験もあり、万引きで逮捕というか、警察のお世話になったことが二回。
 かといって、善悪の判断ができない状態でもないという。
 これは、沢井君が私に打ち明けた話。それを今、思い出しながら書いている。沢井君の言葉として。

 うちの娘を見ていると、あの秋田の畠山被告の件も、今度の警察官の父を斧で殺害した件も、他人事のような気がしません。それに、あの子たちの犯罪に対して、罰を与えることが果たして正しいのか、と言うことも。
 今、娘は21歳。先月まで、3ヶ月ほど精神科に入院していたのですが、今は自宅で通院しながら暮らしています。
 娘がおかしいと思ったのは、中学校のときでした。
 小学校のころから絵が好きで、とても色彩感覚の優れた絵を描いていました。絵画教室で絵を習うようになって、ますますいい絵を描くようになり、コンクールなんかで賞を取ったりして、親としても期待していたのです。ところが、中学2年生のころから絵が暗くなったのです。
 万引きで警察のお世話になったのも、そのころでした。ぼくたち夫婦はしっかり諭したのですが、心の響いていなかったようです。罪悪感が感じられないのです。
 高校に入って、何とか卒業まで三年間を送ることができましたが、早退や遅刻の常習で、保健室に毎日のように出入り。文化祭や修学旅行も行かず、自分の殻に閉じこもりがち。一方で、男友達がいて、外泊することも。注意をしても言うことは聞かないし、親としても強く注意すればガラス瓶のように割れてしまうのではないかと言う不安で、ただやきもきするだけの状態でした。
 高校を出て、美術関係の専門学校へ。そのころからリストカットが始まりました。それにパニック障害も。
 で、娘をなだめすかして精神科の医院を訪ねました。精神科では、5分程度診察して、数種類の薬を処方してくれました。パニック障害の薬で抗うつ剤、睡眠導入剤などです。
 5分程度の診察で、こんなに簡単に診断を下し、処方してもいいのか疑問に思いましたが、まあ、こちらとしても対処のしようがありません。
 ところが、それから拒食症になったのです。まったく食事を受け付けなくなりました。娘は平気だといいますが、明らかに異常です。栄養ドリンクやヨーグルトなど、無理やり食べさせたのですが、吐いてしまったりします。医院にも行きたがりません。
 拒食が一週間ほど続いて、夜に深いリストカットで血だらけになっていました。何か部屋で静かなので不審に思った妻が発見したのです。
 救急車を呼び、病院へ。14針縫う傷でした。
 その後、まちの医院から総合病院の精神科に通うようになっても、一進一退です。リストカットはおさまりません。こころの波があって、2,3ヶ月安定しているかと思うと、急にふさぎこみ、手を切ります。前のような深い切り方ではないのですが、娘の左手は、もう全体が切り傷だらけ。見るも無残です。
 入院もさせましたが、それで何らかの効果があるわけではありません。ということで、退院し、自宅でのんびりとした暮らしをさせています。専門学校にも気が向いたら出かけ、絵を描いたりしています。
 娘は、リストカットがよくないことであると自覚しています。しかし、それをやめる事はできません。心に鬼が巣食っているのです。その鬼を出さないかぎり、やめられないような気がします。いくら注意しても、罰を与えたにせよ無理です。もっと違った方法でなきゃ。
 あの秋田の子どもを殺した畠山被告や、京都の父親殺しには、心に巣食った鬼を感じます。普通は肉親に対して愛情が向かいます。それが本能です。その本能を遮断する鬼が、おそらく巣食っていたのでしょう。そして、人格が損なわれていたのでしょう。畠山被告の元夫が、被告の極刑を望むのは、ぼくにとって哀しいことです。一度は愛した女であれば、たとえ娘を殺したとしても、救ってやろうと考えて欲しいです。
 境遇や、親の教育によって、人格に障害が生まれるケースがあるかもしれません。でも、ぼくの娘を見るかぎり、気質的なものがあるような気がします。それは、どんな家庭でも起き得ることだと思うのです。どんな劣悪な家庭環境でも、立派な子どもが育つし、どんなに立派な家庭でも非行の子どもは出てきます。
 そうした心の障害には、治療が必要です。ぼくの娘も、もっと早い時期に適切な措置を講じることができれば、ここまで苦しまずに済んだかもしれません。
 
 日本では、心の病は医師が治療するのが一般的です。でも、それでは薬によって行う治療がメインになり、かえってスポイルするケースもあると思います。この境界的なこころの病には、もっと違ったアプローチの必要性を感じます。つまり、薬で治療と言うのはなじまない方法だと。
 でも、日本では、精神科医は医学部で学び、精神科治療の医療保険は対症療法のみが対象です。カウンセリングは医療に入っていません。

 今は、うつ病との境界にいる娘に、強い自殺念慮が起きないことを祈るだけです。


(以上が、沢井君から聞いた話であるが、これに関した小説の構想を練っているところ。それにしても、ショックの大きい事件が続く)

そして医者はいなくなった

2007-10-02 07:12:21 | 小説
ネットで遺族中傷 容疑で医師を書類送検 奈良妊婦死亡(朝日新聞) - goo ニュース

 なぜぼくが勤務医を辞めたかだって? そりゃもう、辛かったからですよ。
 勤務時間の長さは問題ではなかった。まだ若かったから、当直は平気だったしね。その病院では、まあ、地方だったので、内科が専門だったけど呼吸器科や循環器科も手伝っていました。いろんな症例にも出会えたし、勉強にもなったのですね。そりゃもう大忙し。仮眠と食事と風呂トイレ以外は、ほとんど勤務時間で、週に1回だけ外で夕食をとりました。その日は、ポケベルは持ってたけど勤務から離れて、酒も少々飲めると言うので、ほんとに楽しみでしたね。
 そのころ、一人の女子高生が入院してきたのです。女優といっても不思議でないほど、とてもかわいい子でした。手足の痺れが進行し、呼吸も苦しくなってきている、と言うことで、町の内科医からの紹介で入院してきたのでした。
 彼女の治療は、ぼくが担当医として当たることになりました。正直なところ、これが老婆なら、あまり熱心に治療に当たらなかったかもしれません。でも、まだ人生がこれからと言う若い高校生です。しかも美人です。何とか助けてあげたいと言う思いが普通の患者より何倍かありました。
 一番疑ったのは脳神経の障害です。さっそく血液の検査やエックス線検査、CTなど試みました。その結果、脊椎に異常な変形が見られました。ぼくは、これが原因ではないかと疑いました。で、集中的に脊椎を調べました。
 さらに他の原因も考えられます。念のため先輩医師や同僚に聞き、また本も当たり、原因を探って見ました。このとき、ギランバレー症候群ではないか、という先輩医師もいました。ぼくは、ギランバレーに関して大学で習ったことはありますが、臨床経験なんてありません。調べてみると、なるほど症状がよく似ています。現在なら、抗ガングリオシド抗体の検出検査で診断はつくのですが、当時はまだ普及しておらず、それがぼくにとっては不幸でした。また、脊椎の異常が見つかったのも、ぼくの誤診のもととなりました。しかも、発症する数日前に、体育の授業で転倒し、背骨を打撲したと言うのです。
 それでも念のため、大学の恩師にも電話で聞いて見ました。こんなことも、今のようにインターネットのない時代でしたから、けっこう時間のかかること。
 で、恩師は、脊椎の異常なら、外科治療が必要かも知れないが、急変はないだろう。ギランバレーでは、呼吸筋の異常さえなければ予後良好なので、その辺を注意するように、とのアドバイスを受けました。
 ぼくは悩みました。が、発症直前の脊椎打撲が原因と考えるのが妥当と思いました。
 その日は一週間に一度の外食日。脊椎の異常による痺れと考え、外に出てしまいました。そして、友人とビールを飲み中華料理を食べていました。ポケベルがなったのはそのときです。
 ぼくは折り返し病院に電話を入れました。患者が急変し、呼吸をしていない、と言うのです。一気に酔いが醒め、食事を中断してタクシーをひっ捕まえました。
 心臓が張り裂けそうでした。
 病院に着き、病室に駆けつけると、ナースと当直の外科医が人工呼吸器を外しているところでした。
「どういうこと?」
「ああ、駄目でしたね。手遅れでした。家族にはもう電話しましたよ。間もなくきます」
「こんなことになるなんて」
「先生、お酒の匂いしますよ。家族が見えたらまずいですよ。ここはわたしたちが対応しますから」
 ぼくは打ちのめされ、なんとも形容のない惨めな気分でした。明らかにぼくの誤診です。ギランバレーをもっと強く疑っておれば、気道確保の処置を取れていたはずです。そう、ギランバレー症候群だったのです。
 患者をほったらかしにして酒を飲んでいた医師。もう勤務医の資格はありません。ぼくは、そのとき本当に深い絶望と無力感を味わいました。告発されれば医療ミスは明らかで、被告になります。
 病院の方は、それを巧妙に隠蔽しました。もし発覚し、裁判沙汰になれば、ぼくの将来ばかりでなく、病院の信用も傷つき、場合によると多くの職員が職を失うことになります。

 今、ぼくは町で開業しています。開業医は大きな責任がなく、時間も楽で、しかも収入が安定しています。
 でも、これでいいのかどうか、日本の医療はどのようになっていくのか心配です。
 奈良の産科医院で起きたこと。福島の産科では医師が逮捕されることに。
 医師は、必死で患者を助けようとします。誰だって、ミスをしようとは思いません。僕だって必死でした。でも、助けられないと、医師の責任になります。
 それは理不尽です。そんなリスクを負ってまで、勤務医になりたがる人は、遠からずいなくなります。結局困るのは患者なのですが。
 ぼくは重篤な患者は診ません。怪しいと思ったらすぐに病院を紹介します。
 そうです。ぼくが診るのは、治療をうけなくても勝手に治る軽い風邪や胃腸病だけ。これからは、そんな医者が増えていくでしょうね。
 

    (これは友人の実話をもとにしたフィクション)

禁煙はええ話や、と言う声

2007-10-01 19:17:39 | 小説
御堂筋「禁煙」 “罰金”2時間半で30人(産経新聞) - goo ニュース

 大阪の小林君から電話がかかってきた。御堂筋が禁煙になって、路上喫煙者から罰金を取るようになったと言う話。

 あんた、いっつも大阪バカにしとったけど、これはどうや。びっくりしたやろ。大阪も、ええことやるやろ。
 ほんまに昔はマナーがわるかったさかいな。御堂筋は、タバコの吸殻がいっぱいやった。今はちがうでえ。
 ワシは、タバコ吸わへんやろ。街歩いとって、前のやつのタバコの煙かがされてみい、頭にきるやんけえ。横山のやっさんの気持ち、ようわかる。あの人、めちゃめちゃな漫才師やったけど、タバコをすわへんとこはたいしたもんや。けど、酒を飲みすぎたんはいかんなあ。まだ若かったのに惜しいことした。
 そんでや、路上のタバコ。ワシの顔の前を煙が何回掠めたことや。わし、やっさんと一緒で、気い短いやろ。そのたびに、ドタマしばいてやったんや。そら、しばかれても当然やで。ナイフで刺してやろかと思たこともあった。あの煙は、ホンマむかつく。ようやく大阪市も重たい腰上げて動いてくれよった。ワシも、人殺しにならんで済んだ。これで大阪に気持ちよう暮らせる。

 第一、タバコなんか吸う奴にろくな奴おらへん。
 筑紫哲也のおっさんみてみい、タバコぷかぷか吸うとったさかい、肺がんでひいひいゆうとる。久米のひろっさんも、タバコ吸うさかい、あれ、きっとはよう死によるで。
 タバコはあかん。吸うたら病気になりやすうなって、死にやすうなる。ひろっさんゆうたら、去年死んだ内山田洋さんも、ヘビースモーカーで肺がんやった。ワシ、ファンやったんや。ナガサキは今日も雨だった、よかったなあ、あの歌。
 あんたの友だちでも、いまだにタバコ吸うとる奴おるやろ。ゆうたって、はよ死ぬでえ、ゆうて。
 それにしても、国はえぐいなあ。年金は詐欺するは、タバコで健康被害をつくるは、まあ、そんこんなやさかい、大阪に来ることあったら、ウチによってえな。御堂筋のきれいになった姿みせたげるさかい。北から南まで歩いてみよか。

 そうなのですか。
 東京も千代田区や渋谷区などで、罰金を取るのではなかったっけ。
 それよりも、タバコの販売禁止はどうしてしないのかね。

 今日は早めに一杯飲みながらのブログで失礼。

露出衝動と向き合う友人

2007-09-27 17:48:09 | 小説
官舎のホールで下半身露出、28歳国交省職員を逮捕(読売新聞) - goo ニュース

 おいらの同業者、フリーターのN君は露出狂だ。これまで2度逮捕されたことがあるらしい。一度は公園で中年の女性に見せたところ、大声で叫ばれたとのこと。逃げようとしたのだが犬の散歩に来ていた男に犬をけしかけられ、足がすくんだところ、男や犬に取り囲まれ観念したという。すぐにパトカーがやってきて、警察署に連れて行かれたらしい。
 もう一度は教えてくれないが、けっこう問題のある場所で露出したらしい。捕まったあと三日間も留置所にお世話になり、大いに後悔していた。
 ふだんはそんな性癖があるとは分からない。まったく普通の男である。が、時おりムラムラと衝動がこみ上げて来るようだ。下半身を見せたくてたまらなくなるらしい。
 むろん、逮捕された以外にも幾度か露出行為を行い、歪んだ快楽を得てきたという。おそらくその方が、圧倒的に多いと思うが。

「あんたのは、他人に見せたくなるほど立派なのか?」
 おいらは、彼に聞いたことがある。
「いや、そんなに立派というほどじゃないけど、まあ普通よりは大きいかもしれな」
「そうか、大きめなのね」
「巨大というほどじゃないよ」
「それを、どうして見せたくなるんだ? 自慢したいわけではないだろう」
「そういわれてもよく分からないんだ。こう、こみ上げてくるものがあって。見たときに驚く女性の顔。ビロンと見せたとき、キャッと叫んだり。ああ、想像するだけで、ゾクゾクとしてくるんです」
「困ったものだなあ」
「あんたにもお見せしましょうか」
「いらないよ。気持ち悪い男だな。あんたのような人を変態と言うんだぜ」
「分かってます。ぼくは変態なんです。でも、どうしようもないんです。いけないことだとは分かっているのですが、やめられないんです。あああ、見せたいなあ。街を歩いていても、そんな衝動が最近はしょっちゅうなんだ。植草センセの気持ち、ぼくにはよく分かるんだ。変態は治らない病気なんですよ」
「変態の治療薬はないの?」
「あればいいんだけど、苦しいですよ。最近はずっと死ぬような思いで我慢しているんだけど。ああ、見せたいなあ」

 N君は、露出はするが、それだけのことである。女性に触れたり、まして犯したりするようなタイプではない。
 見せたいという衝動がどうにも止まらない変質者。つまり病気なのだ。局部を見せることで得られる歪んだ快感。心がそうなっているのだ。これは簡単には治らない。
 世間にはいろいろな性的な異常がある。市民権を得ている異常は、同性愛やSMなど。密室の場合は、山拓さんのように社会的制裁を受けることがない。が、露出狂は駄目。不特定多数を相手とする変質行為は、なぜかよろしくないのだ。
 幸いフリーターであるため、将来の人生がどうのと言うことはない。だが、この新聞記事の国交省の職員は、いったいどんな人生を送ることになるのか。小生の知らない人物ではあるが、N君のような友人がいるだけに、その将来に興味を覚える。