修学旅行と言うのは、学校生活の楽しい思い出、では必ずしもない。吉田権造にとっては地獄の責め苦。冬川夏子も赤瀬源平もそう。
小学6年生では、まだ学校生活は続く。地獄は終わらない。
バスは走る。
冬川夏子は死人のように青ざめた顔で、大塚先生の向こうの席で固まっている。
その姿を見て、権造はもうひとりの級友の姿を思い出していた。
さらに三年前、小学3年生のときのことだった。
金村雪子。
彼女は突然、親の故郷である北朝鮮に帰ることになった。
いつも汚い身なりだった。冬でも上着を着て学校に通ってくることはなかった。小柄で痩せていた。しかし、目鼻立ちはしっかりして、かわいい少女だった。
権造の近所に家があった。幼い頃から、よく遊んだ。
泥壁の掘っ立て小屋のような家に住んでいた。両親と弟の4人暮らし。その家は、昔は物置か何かに使われていたのかもしれない。
雪子は明るく、勉強もできたため、クラスでイジメのようなことはなかった。快活で人気者でもあった。
その子が、見たこともない祖国へ。
「なんで帰るんや」
「家族が帰るんやもん、しょうがない」
「また日本に帰ってくるんか」
「さあ、遠いさかいなあ」
「もう、会えへんかもしれへんなあ」
「これあげる」
「なんや」
「ビー玉。中にワッカのような模様があるやろ」
「けったいな模様や」
「けったいと違う、きれいな模様や」
「これ、おまえの大事なもんとちゃうの」
「国に帰ったら、もっときれいなビー玉いっぱいある。おかあちゃん、そうゆうてた」
「そんなええ国なんか」
「ええ国や。天国みたいにきれいで」
「ええなあ、そんな帰る国があって。ほな、ビー玉もろとく。そや、これおまえにやる」
権造は、ポケットから椿の種で作った笛を取り出した。
「何、これ」
「笛や、こうやって鳴らす」
口に当てて吹いた。ピーっと鳴ってまわりに響く。
「おおきい音やなあ」
「ええ音やろ。おれ作ったねん」
「ええ音やないわ、うるさいだけや」
「あかんか」
「いや、ゴンちゃんの作ったもんやったらもろとく」
「ほな、ビー玉と交換や」
その翌日、金村雪子の最後の登校だった。
クラス全員が20円ずつ出し、先生のお金を足して買ったオルゴールを記念に送った。確か4時間目の授業を送る会に変え、みんなでひとことずつ送別の言葉を言った。
権造はビー玉のお礼を言いたかったが、それは口にできなかった。
「国に帰っても、こっちのこと忘れんと、手紙書いてください。ぼくらも書いて送ります」
最後に金村雪子がしっかりと言った。
「みんなのことは忘れません。きっと手紙、たくさん書いて送ります。わたしもがんばりますので、皆さんもがんばって下さい」
そのあと、先生がオルガンを弾き、みんなでホタルの光を歌った。
雪子は翌日汽車で新潟に向かい、船で北朝鮮へ帰っていくのだと言う。
権造は、周りの連中がみんな涙ぐんでいるのを見た。自分の目頭からも、なぜか涙が出てくるのを感じていた。
それからひと月ほど経って、雪子からクラスのみんなに手紙が届いた。
「みなさん元気ですか。わたしも元気です。こちらの国の人はみんな元気です。日本もたのしかったけど、こちらはもっとたのしいです。また手紙をかきます」
そんな文面だった。
権造たちは返事を書いた。しかし、二度と返事が戻ってくることはなかった。
(次回に続く)
小学6年生では、まだ学校生活は続く。地獄は終わらない。
バスは走る。
冬川夏子は死人のように青ざめた顔で、大塚先生の向こうの席で固まっている。
その姿を見て、権造はもうひとりの級友の姿を思い出していた。
さらに三年前、小学3年生のときのことだった。
金村雪子。
彼女は突然、親の故郷である北朝鮮に帰ることになった。
いつも汚い身なりだった。冬でも上着を着て学校に通ってくることはなかった。小柄で痩せていた。しかし、目鼻立ちはしっかりして、かわいい少女だった。
権造の近所に家があった。幼い頃から、よく遊んだ。
泥壁の掘っ立て小屋のような家に住んでいた。両親と弟の4人暮らし。その家は、昔は物置か何かに使われていたのかもしれない。
雪子は明るく、勉強もできたため、クラスでイジメのようなことはなかった。快活で人気者でもあった。
その子が、見たこともない祖国へ。
「なんで帰るんや」
「家族が帰るんやもん、しょうがない」
「また日本に帰ってくるんか」
「さあ、遠いさかいなあ」
「もう、会えへんかもしれへんなあ」
「これあげる」
「なんや」
「ビー玉。中にワッカのような模様があるやろ」
「けったいな模様や」
「けったいと違う、きれいな模様や」
「これ、おまえの大事なもんとちゃうの」
「国に帰ったら、もっときれいなビー玉いっぱいある。おかあちゃん、そうゆうてた」
「そんなええ国なんか」
「ええ国や。天国みたいにきれいで」
「ええなあ、そんな帰る国があって。ほな、ビー玉もろとく。そや、これおまえにやる」
権造は、ポケットから椿の種で作った笛を取り出した。
「何、これ」
「笛や、こうやって鳴らす」
口に当てて吹いた。ピーっと鳴ってまわりに響く。
「おおきい音やなあ」
「ええ音やろ。おれ作ったねん」
「ええ音やないわ、うるさいだけや」
「あかんか」
「いや、ゴンちゃんの作ったもんやったらもろとく」
「ほな、ビー玉と交換や」
その翌日、金村雪子の最後の登校だった。
クラス全員が20円ずつ出し、先生のお金を足して買ったオルゴールを記念に送った。確か4時間目の授業を送る会に変え、みんなでひとことずつ送別の言葉を言った。
権造はビー玉のお礼を言いたかったが、それは口にできなかった。
「国に帰っても、こっちのこと忘れんと、手紙書いてください。ぼくらも書いて送ります」
最後に金村雪子がしっかりと言った。
「みんなのことは忘れません。きっと手紙、たくさん書いて送ります。わたしもがんばりますので、皆さんもがんばって下さい」
そのあと、先生がオルガンを弾き、みんなでホタルの光を歌った。
雪子は翌日汽車で新潟に向かい、船で北朝鮮へ帰っていくのだと言う。
権造は、周りの連中がみんな涙ぐんでいるのを見た。自分の目頭からも、なぜか涙が出てくるのを感じていた。
それからひと月ほど経って、雪子からクラスのみんなに手紙が届いた。
「みなさん元気ですか。わたしも元気です。こちらの国の人はみんな元気です。日本もたのしかったけど、こちらはもっとたのしいです。また手紙をかきます」
そんな文面だった。
権造たちは返事を書いた。しかし、二度と返事が戻ってくることはなかった。
(次回に続く)