元次官ら連続殺傷 「防衛汚職…妻も悪」 小泉容疑者供述 午後にも再逮捕(産経新聞) - goo ニュース
小泉容疑者の犯行動機。
犬の仇をうつためとは信じられないという人が多い。が、僕は彼を信じる。
彼は本当に犬の仇を討ちたい、という妄想が膨らみ、それが強固な信念に変容し、復讐へとつながったのだ。
ペットロスは、大きな心の痛みを生む。普通の人は、時間の経過とともに薄れ癒される。が、時には癒されることのない人もいる。それがうつ病の原因となることこともある。
小泉容疑者は、チロと名付けた犬の毛を、いまだに持ち続けていたことからもわかるように、ほんとに犬を愛し、犬の仇討をしたかったのだ。
が、誰に仇討すればよいのかわからなかった。
そこで見えて来たのが官僚。で、その復讐のために生き続けて来たのだ。それは、彼にとって極めて正当なことで、何らやましいことと思っていないのである。だから、顔を隠すような姑息なこともせず、堂々と胸を張って連行されているのだ。
で、こういう犯人をどう裁くのか、極めて悩ましい。裁判員制度でもしぼくが加わって裁くことになれば、どう判断すべきかということ。
まず有罪でああることは確か。本人も認めているし、上申書まで書いており、犯行の全容は明らかになるはず。身辺整理をしており、逮捕され、極刑になることは十分に覚悟している。いや、死刑を覚悟というより、望んでいる気配すら感じる。人生にもう未練は何もない、などと述べているようなのだから。
ぼくは、この男の量刑を死刑が妥当かという問題で、まず壁にぶつかる。
死刑とは、褒美ではなく、刑罰なのだ。しかし、小泉容疑者に死刑を宣告することは、褒美のように思えてならない。
自殺できないから他人をたくさん殺して逮捕される。そうすれば、国が死刑にしてくれる。だから、たくさんの人間を殺そう。
そんな犯罪は、土浦や秋葉原で発生している。車で通行人をひき殺した連中もいる。で、望みどおりに死刑にしてくれるなら、俺も人を殺そう、なんて模倣犯が、もっと現れるかもしれない。
大阪の池田の小学校の事件の犯人も、死刑になることを自ら望み、早々と刑も執行された。
死刑制度は、本来は重大な犯罪の抑止のためにあるはずなのに、死刑があることによって殺人を犯す連中もいるのだ。
さて、裁判員制度で、今度は裁判員が刑を言い渡すことになる。死刑を宣告することは、たとえどんなに凶悪な犯罪者であったにしろ、その人物を殺すことになるのだ。つまり、殺人を行うのだ。評議の過程で、裁判員はそのことを感じ、心の迷いが生まれるのでは。
僕としては、今増えている死刑判決が、裁判員制度では減るような気がするが、はたしてどうだろう。
僕は、小泉容疑者の心理や精神構造の解明のためにも、死刑ではなく終身刑にして、研究者が調べ上げるべきと思う。このような犯罪防止に役立てるためにも。死刑にしてしまえば、生きた教材は消えるのだし。
小泉容疑者の犯行動機。
犬の仇をうつためとは信じられないという人が多い。が、僕は彼を信じる。
彼は本当に犬の仇を討ちたい、という妄想が膨らみ、それが強固な信念に変容し、復讐へとつながったのだ。
ペットロスは、大きな心の痛みを生む。普通の人は、時間の経過とともに薄れ癒される。が、時には癒されることのない人もいる。それがうつ病の原因となることこともある。
小泉容疑者は、チロと名付けた犬の毛を、いまだに持ち続けていたことからもわかるように、ほんとに犬を愛し、犬の仇討をしたかったのだ。
が、誰に仇討すればよいのかわからなかった。
そこで見えて来たのが官僚。で、その復讐のために生き続けて来たのだ。それは、彼にとって極めて正当なことで、何らやましいことと思っていないのである。だから、顔を隠すような姑息なこともせず、堂々と胸を張って連行されているのだ。
で、こういう犯人をどう裁くのか、極めて悩ましい。裁判員制度でもしぼくが加わって裁くことになれば、どう判断すべきかということ。
まず有罪でああることは確か。本人も認めているし、上申書まで書いており、犯行の全容は明らかになるはず。身辺整理をしており、逮捕され、極刑になることは十分に覚悟している。いや、死刑を覚悟というより、望んでいる気配すら感じる。人生にもう未練は何もない、などと述べているようなのだから。
ぼくは、この男の量刑を死刑が妥当かという問題で、まず壁にぶつかる。
死刑とは、褒美ではなく、刑罰なのだ。しかし、小泉容疑者に死刑を宣告することは、褒美のように思えてならない。
自殺できないから他人をたくさん殺して逮捕される。そうすれば、国が死刑にしてくれる。だから、たくさんの人間を殺そう。
そんな犯罪は、土浦や秋葉原で発生している。車で通行人をひき殺した連中もいる。で、望みどおりに死刑にしてくれるなら、俺も人を殺そう、なんて模倣犯が、もっと現れるかもしれない。
大阪の池田の小学校の事件の犯人も、死刑になることを自ら望み、早々と刑も執行された。
死刑制度は、本来は重大な犯罪の抑止のためにあるはずなのに、死刑があることによって殺人を犯す連中もいるのだ。
さて、裁判員制度で、今度は裁判員が刑を言い渡すことになる。死刑を宣告することは、たとえどんなに凶悪な犯罪者であったにしろ、その人物を殺すことになるのだ。つまり、殺人を行うのだ。評議の過程で、裁判員はそのことを感じ、心の迷いが生まれるのでは。
僕としては、今増えている死刑判決が、裁判員制度では減るような気がするが、はたしてどうだろう。
僕は、小泉容疑者の心理や精神構造の解明のためにも、死刑ではなく終身刑にして、研究者が調べ上げるべきと思う。このような犯罪防止に役立てるためにも。死刑にしてしまえば、生きた教材は消えるのだし。